ピンク色
アムホム零歳。彼は、アムホム家の長男として生まれた。二〇四二年の悲劇から、二十年ちょっと経った頃だ。本名、エス=アンガス=アムホム。彼の家族には、アースと言われていたそうだ。君たちの知ってる、あのアースじゃないぜ。(地球って意味じゃないってことさ。)もっともーっと、コーカサスなイメージなんだ。そう、紳士的ってことさ。君たちが知ってる言葉で言えば、「ケルト」がそれにあたるだろう。
アムホムは、元気な子だった。健全だった。普通だった。面白くなかった。一般的だった。つまらなかった。この世界に、いてもいなくても同じだった。だから、三歳になった。彼の大好物、シュガーチュロスは彼の祖母エス=ブリギット=アムホムが暇さえあれば何個も作ってアムホムに食わせていたものだ。アムホムは、おいしい!おいしい!と心躍らせ食べていた。彼は、料理することに興味を持っていた。つくることに、意味を持たせていた。それから、彼は歌を歌ったり、ギターを弾いたり、口笛を吹いてスネークを呼び出したり、とにかく変わったところのない普通の子ども時代を過ごしていた。
彼の父、エス=ニール=アムホムはガバムマーの下っ端でセカセカと働きながら家族を養ってきた。彼の口癖は、
「人にされて嫌なことは、人にしてはいけない。だけどな、人にされたら嬉しいことは、人にたっくさんしてやれよ。だけどよ、アース。お前が、人にズボンを脱がされるのが好きだからと言ってそれを人にするのは少し間違っている。お前には、倫理ってもんが必要だ。この世界には、モラルってもんがある。それがなけりゃ、いつか脱線しちまうぜ、このライフレールから。まあ、今のお前には理解できっこないかもしれないがな。ははは、かあさん、もっと飲もうじゃないか。」
アムホムは、この言葉、フレーズ、響き、酒の臭さ、赤さを何度聞いたのかわからない。聞きすぎて、耳栓がゴミ箱の大半を埋めてしまうほどだ。アムホムは、六歳になっていた。ジェアー・ユニバル(君たちの視点で言えば、小学校ってことさ)に入学する年になった。アムホムは、いてもたってもいられなかった。ようやく、学べるのだ。アムホムは、知的好奇心にあふれる普通の子どもだった。だが、好きな食べ物だけは他の子どもと一味違っていた。彼は、さつまいもを干したもの、すなわち干し芋を好んで食べていた。エルサレバドリューは、さつまいもで有名な土地である。アムホムは、いつも祖父に連れて行ってもらっていた。祖父の名は、エス=ルシファー=アムホム。二〇四二年の悲劇から難を逃れた、ファーストジェネレーションの一人だ。
「わたしは、あの悲劇のことはもう忘れた。わたしは、あんな目にはもう遭いたくない。死んでも、いや、死ぬのは嫌だが、それくらいだ。決して、あの日のことは思い出してはならない。アムホム。お前も、絶対に知ってはいけない。知ろうとしてもいけない。お前は、この平和な世界で普通に生きるべきだ。世間から外れることなく、世間に合わせながらただただ普通に生きていけば良い。反体制派にだけは、絶対に、ぜーーーったいに、なるな。わかったな。」
祖父の口癖だった。これも何度も聞いた。祖父にしろ、父にしろ、同じことを何度も言う体質だった。きっと、これは遺伝なのだろう。アムホムには、普通に生きることを強制させられなければ、普通に生きていけないような特殊な血が流れていた。普通を求めることは、普通でないことを表す。そう、異常なのだ。異常であることは、普通でないこと同時に、狂気を持ち合わせているということも知られていた。その狂気を、抑制すること、狂気を外に出さないことがこの世界では暗黙知とされていた。決して、狂気は悪ではない。誰にでも持ち合わせる性質だ。だが、この世界では“狂気”は”オート”を意味した。反体制派の人間たちは皆、理性を使いこなすことができない間抜けな野郎たちの集まりだった。自分で自分をコントロールできない。怒りのままに、人を殺し、悲しみのままに、泣いた。犯罪は横行した。ベルソノカで三番目に大きい橋、ダリポントの下は、スラムと化していた。オートの一味は、十人規模でガバムマーに属する人間を殺し、服を奪い、ガバムマー本部に潜入しようと試みた。だが、全て失敗した。ステルスチップを身体に埋め込んであったことを、彼ら自身が忘れていたからだ。やはり、間抜けと言わざるを得ないだろう。理性がない、とはそういうことだ。なんとも哀れな連中たちよ。お前たちには、この世界を変える力なんてものは断じて”ない”。この世界で、餌を求めて勝手に泳いでいろ。そのうち、餌が尽きて死ぬ。自分の頭で、考えて生きるんだな。それができないから、反体制派に取り込まれる。その渦に飲み込まれる。飲み込まれたことにも、気づくことなく。
そんな哀れな連中たちを、影で見守る存在が存在した。ガバムマーの目にも届かない場所から、彼らを見下ろしていた。その存在こそが、、、コンドリュー=スノウだった。彼は、ラデケセスグランゼユニバルの学長であり、創造哲学を創始した偉大な存在だった。コンドリュー=スノウとアムホムは、いずれ磁石のように引き付けられることになる。N極とS極の引き合う力は、誰にも止めることはできなかった。彼らが出会う「運命」は変えることはできなかった。創造哲学は、彼ら自身の実在をも揺るがす最恐のイズムであったのだ。
アムホムはジェアーユニバルで、主に数学に勤しんだ。やはり、特別”神童”というほどの才能はなかったにしろ、誰よりも勉学に励み、誰よりもテスティー(※テスト)で結果を出した。その成功体験が、彼が勉強をする理由になっていたのだろう。惑った。笑った。スキップをした。彼は、八歳の時にゲーデルの不完全性定理についての文献をヴィヴリー(※図書館)で見つけた。誰も借りることなく、誰にも見つけられることなく、ただ存在していただけの存在に実在という二文字を与えた。嬉しかった、喜んだ。アムホムは、禁断の扉を開けた気分に浸っていた。笑っていた。その瞳には、数式と論理記号が映っていた。その頃、彼は、ジェアーユニバルの授業に飽き飽きしていた。飢えていた。渇いていた。渇き切っていた。その渇きを癒してくれる存在こそが、ヴィヴク(※本、書籍など)だった。彼は、止まることなくひたすら数式を書いては、考えて、迷い、覚悟を決め、紙に文字を書いていく。新しい文字を生み出していく。白紙から白紙という役割を奪う。黒くなる、それはきっと炭の力だ。
「アンガスくん!何してるのー?」
アムホムに声をかけたのは、同じクラスにいたシイク=クロサだった。彼女は、アムホム家の近辺に住んでいた、そして同時にアムホムの才能に惚れていた。クロサはよく、アムホムの字の綺麗さを褒めた。時には、アムホムに手紙を書いたりもした。シイク=クロサ(※以下、クロサ)は数学が苦手だった。苦手という言葉では表すことができないほど絶望的だった。もはや、can'tだった。 never never never。クロサは、アムホムに数学を教えてもらいたかった。
「アムホムくん、私に数学教えてくれない?アムホムくんは数学得意なんでしょ?」
アムホムは、言った。
「邪魔しないでくれるかな。僕は今、ゲーデルの不完全性定理を解いているんだ。君に教える時間よりも、この定理を解くほうが僕にとって価値ある時間なんだ。僕にかまわないでくれ。わかったら、僕の眼の前からいなくなってくれ。」
クロサは、ひどく傷ついた。その目には、少し涙が溜まっていた。だが、彼女は彼に惚れていた。
「わかったわ。また来るわ。」
そして、タフだった。
アムホムは、“しぶといやつめ”と思った。少しだけ、嬉しかった。
クロサは、こう思った。
”よくわからない定理だけど、かっこいいわ、アムホムくん”。
クロサは、ネジが一本、いや、八本くらいは取れていた。これが、空気という存在を読む、解釈することができない人間だ。見せつけてやろう、その間抜けで、変で、世界を変える力を。空気を読めないのは、ある種才能だ。自由だ。どちらでもいい、空気を読んでレール通り進んでもいい。人間は、そう簡単に電車を降りようとはない。彼女は、電車から落ちまくっている。降りているのではない。落ちまくっている。もう、既に傷だらけなはずだ。だが、彼女は無傷だった。無敵だった。だが、数学だけは、できなかった。能力を測ることもできない、皆無。足し算もできない、引き算もできない。彼女から抜け落ちているのは、数字という概念だった。
クロサはある病にかかっていた。数字を認識することができない病、『マセマシック』。これは、ア・プリオリなもので彼女がどう足掻こうが、努力の方向を変えようが、治ることのない病だった。シイク家は、父以外数学ができなかった。その当時、クロサにはその事実は知らされていなかった。そんなこと知らせたところで、何が変わるのだろうか、とクロサの父は半ば諦めていたのだろう。治ることのない病に、希望を見出さなかった。理性に支配された人間は、常に合理的な判断を行う。その合理的な判断が、時に人を傷つけることがあるということを彼らはどれだけ知っているのだろうか。その過ちに、いつ気づくのだろか。気づかずに一生を終えるつもりなのだろうか。合理的な人間に、感情に文句を言う資格など存在しない。合理的な人間は、常に自分は正しい判断をしていると思い込んでいる。すぐ感情的になる人間を嘲笑う。無視をすることが、最も簡単な手段だと思っている。向き合うことを、諦めた人間たちだ。何が正しいのかなんてものは、私たちにはわからない。この世界に、正解はない。今いる自分の現実存在が、明日の自分の現実存在を生み出す。未来は、既に決定しているのだ。その未来は、今の自分の延長なのだ。突然、変わることなどない。ある人は言った。
「変わらないで。」
と。
その後も、クロサによるアムホムへのちょっかいは止まることがなかった。だが、アムホムは毎度のごとく、「邪魔をするな。」とクロサを突き放していたものの、クロサはそのクールさに惚れていた。唖然。ドM女子というのは、客観的には面白いが、アムホムの立場に立ってみるとただのおせっかいなのである。<余計なもの>なのだ。
アムホムのクラスメート、タウンダウン=アサヒはけん玉にハマっていた。彼の専用のけん玉は、『銀河』という。ギャラクティックなパフォーマンスをかますアサヒはジェアーユニバルではかなり有名だった。彼を知らない、ジェアーユニバル生はいないくらいだった。彼のけん玉生放送は、バーチャルギャラクシー(通称VG)において全世界の七割のユーザーを獲得するほどの人気っぷりだったのだ。
彼は、ジェアーユニバルへ、スケボーで登校していた。一般的に、ジェアーユニバルに登校する子どもたちは、専用バスを使うか、タクシーを利用する。だが彼、アサヒは、そのしきたりが大嫌いだった。自分の存在する理由を、模倣という形で見出すことに嫌悪感、吐き気を感じていたからだ。彼は小さな頃からこの世界の在り方そのものに、懐疑心を持っていた。与えられた世界で淡々と生きる自分の生を見つめ直していた。明日があるのかもわからない、この世界のために。この世界を、当然から救済するために彼は”グイーン”と曲がった。だから、登校するのにスケボーを選んだ。時には、マンホールよりも大きいタイヤの自転車で通学した。(タイヤとはなんなのだろうか。)そして、彼の非行をジェアーユニバルの教授たちは観察していた。観察で済んでいた。アサヒは、そのことを知っていた。実際、ジェアーユニバルでは非行を行う生徒は十回目で処分されることになっている。非行扱いを受けた場合、ある”薬”を投与される。その”薬”は、生徒から”自我”を奪う。そう、ロボット人間を作るための薬、”ノイドローゼ”。その薬は、一回投与されるだけでは効果は表れない。だが、五回を超えた頃から、感情が自分でうまく操作できなくなる。嬉しいと思っても、悲しいと思っても、ムカつくと思っても、泣きたいと思ってもその思いは届くことなく、消える。十回目を投与した頃には、運命は薬に握られてしまう。運命を変えることができなくなる。自分の存在理由さえも、薬に奪われてしまうのだ。ロボット人間、全てが機械仕掛けの歯車に取り込まれてしまう。この世界を、積極的に設計していく構成員の一人と化す。その究極的な、無機的実験土台に最も近い人間が、アサヒだった。だが、教授たちにも戸惑いがあった。彼らの教育方針と、ガバムマーの教育方針に矛盾する点があったからだ。その矛盾点に納得のいかない教授たちはアサヒに”ノイドローゼ”の投与を延長していた。ガバムマーには、”投与した”と報告していた。嘘をついていた。全ては、ジェアーユニバルの生徒たちのためだ。彼らの正義感と、ガバムマーの正義感の交点はこの世界が無になるまで、誕生することはない。誕生する気概さえも、なかった。
アムホムは、十歳になりゲーデルの不完全性定理をはじめとして、数々の定理を自力で証明できる力を身につけていた。時に、ユニタリ群(ユニタリ行列)でこの世界の美を体現してみたり、、、、、。馬鹿なんだ、ちょっと違った意味で。ちょっと、ほんのちょっと、普通じゃない。普通じゃないというのは、普通であることの裏返しだ。裏を返せば、普通なのだ。普通か普通じゃないということにこだわることが、普通であることから、普通でないことから自分を遠ざけていく。アムホムは、この世界は数式で表せることに気づき始めていた。かつてのガリレオ・ガリレイも、ある言葉を残している。
「宇宙という書物は、数学の言葉で書かれている。」
アムホムは、この言葉が好きだった。数学の言葉、つまりは数字で表された方程式や関数、数列、図形、、、。この世界は、予定されていたことがそのまま起こるのだろうか。私たち人間の感情も、私たち人間には論理的でないと思えていても、宇宙という書物には既に書かれていることであり、私たち人間には変えることはできないのだろうか。私たちは、私たちの在り方を自分自身で変えることはできるのだろうか。そんなことを考えて、解決するのだろうか。途方もない試みだと思う。自分のありようを自分で決めることができないように、自分という存在が自分によって決定されることもないのだろうか。私たち人間は、一体何者なのだろうか。気持ちの悪い存在、当然として存在する生物。人間でなければ、人間として存在することはできなかっただろう。できない。言葉がない。それさえも理解できない。ありえる、ありえない。空の青さも、それさえも不気味だ。なぜ、空は青でなければなかったのか。赤じゃダメだったのか、黄色じゃダメだったのか、緑じゃダメだったのか。雲はなぜあるのだろう。雲が、透明だったらどんな世界だったのだろう。何事も予定されていることなのかもしれない。私たちは、私たち自身に何も期待する必要など何もない。川の流れのようだ。ありきたりなんだろう。私たち人間はみんな、ろくでなしなのかもしれない。
アムホムは、七歳の時に大怪我をしたことがある。その当時アムホムは、ジェアーユニバルの体育館で旧約聖書を読んでいた。旧約聖書には、アムホムの大好きなエデンの園をはじめとして、バベルの塔やアークの逸話がでてくる。イヴとアデァムが楽園から追放される話は有名だろう。はっきりと言ってしまおうか。いや、どうしようか。とは言っても、これは確かめようのない問題。まあ、言うさ。私自身の言葉ではないんだがな。そんなことわかるか、わからない。大抵、そんなもの作り話だ、都合よく書かれたフィクションに過ぎない、だとかそんなことばかり世間では言われている。少なくとも、この街ベルソノカではその風潮が強かった。かなり理性的な人間がこの世界を牛耳っていたからである。そう、ガバムマーがいるかぎりこの世界の在り方は変わらないのだ。アムホムは、読むのに集中していた。そして、他の生徒がドッジボールをにていた。ボールが飛んできた。そのボールが、アムホムの目の前で止まる。いや、止まったんじゃない。止まったように見えただけだった。アムホムにとっては、止まっていた。息を呑む。クロノスタシス。時計の針が、一瞬止まって見える現象。それと似たようなことが、アムホムの身にも起きたのだった。アムホムは、白い場所に行った。無の空間に飛んだ。歯車が、アムホムの身体を運ぶ。この世界を動かす力として、アムホムは歯車の一部となる。回る、目が回る。白くなる、また、白くなる。新しい世界が、アムホムを白くする。押し寄せてくる、四角い石の塊。その塊は、アムホムの身体を覆うように、襲ってくる。右からも、左からも、上からも、下からも。逃げ場がない、投げ出したい。この人生を、投げ出したい。この身体から、抜け出したい。心臓だけが、身体から抜け出るような感覚。力が抜ける、力が入らない。自分が見える、自分が倒れている。教授、先輩、友達が近寄ってくる。保健セントラルの教授がやってくる。アムホムは、倒れている。渦巻きのような、波紋の音。ぽつん。
アムホムが目を覚ました時には、ホーピタル(※病院)の一室のベッドの上に存在していた。彼の父、エス=ニール=アムホムは卓上でメロンを切っていた。スーツ姿の父を見るのは、久しぶりだった。
「お、アンガス起きたのか。今、お前の大好きなメロンを切っているぞ。すまない、干し芋は手に入らなかったんだ。あと、ホーピタルと言ったら、やっぱり生の果実を食べたくなるだろう。そう思ったら、やっぱりメロンだろうと思ってな。ちょっと待ってろ。」
アムホムは、干し芋が食べたかったが、しょうがない。メロンで我慢することにした。メロンは、こう言った。
「アンガス、お前の名前はアンガス牛みたいでダサいよな。俺の名前は、メロン。誰からも愛されている、メロン様だ。そのメロン様が、お前みたいなアンガス牛に食べられないといけないらしい。なんて悔しいんだろう。アムホム家が、いくら高貴な家柄だからと言ってお前は別だからな。お前のことは、一生アンガス牛呼ばわりだ。オレンジにも、ピーチにも伝えといてやるぜ。ははははは。」
アムホムは目を覚ました。今のは、夢だったようだ。今でもその時の傷は疼く。