赤色
ある種、気味の悪い状態で旅を出たもんで、そこに目的という硬さは存在せず、ただただ歩き続けるしかなかった。私は、途中でサンダルを落としてきたことを今思い出した。ナルンチョスは、餌を求めて私の足に噛み付いてきた。
なんていう世の中だろうか、すっかり荒廃している。ザラザラとした感触を、足元に感じる。ただ、自分が今歩いているという事実だけはこの世界は否定することはできなかった。サボテンに触れて、水を飲む。渇き切った喉が雄叫びをあげて、また私という私に歩くよう指示するのだ。止めることのできない足。歩き続けることに意味を求めることを忘れた私は、何も考えることなくただただ時間も忘れながら歩くということを続けた。
月の匂いがする、三日月が頭上を照らす。休もうと思ったのも束の間で、座ろうとした瞬間にナルンチョスは私の下半身を持ち上げて座らせようとしなかった。その眼差しには、狂気と言わんばかりの血液がかよっていた。
「どうしたんだい、ナルンチョス。私を座らせてくれよ。」
私はいつものように話しかけたつもりだった。ナルンチョスは、何も言わずにそっぽを向いて歩き出した。妙な気分だ、少し疲れた。
「ナルンチョスよ、一体どうしたんだい、君はもっと愉快だったはずなのに。」
月が雲に覆われる、嵐が来たようだ。私たちは、嵐を避けるべく歩き続けた。迫ってくる嵐が、周囲の砂を撒き散らす。舞う砂が目に入り、私の目を目として作用させなかった。ナルンチョスにつけた紐が私を導いた。強く吹き荒れる嵐の中で、ある光を見つけた。
「ナルンチョス、あそこまで一気に走ろうじゃないか。」
ナルンチョスは、目を半分開けたまま私に吠えた。ナルンチョスは、私の愛犬である。怪我のしにくいように伸びた皮がナルンチョスを覆い隠すおかげで、私はナルンチョスの導きをただ従うだけで明かりの灯る場所にたどり着いた。どうやらピラミッドがあるらしい。近づいてみると、自動ドアがあったのでまず私は自動ドアの前に立ち止まってみた。
ブヴィーン。開いた。私は人間なのだ、私は存在しているのだ、私は地球そのものなのだ。私は自動ドアが閉まるまで、その動きを見送った。なかなか閉まらなかったのは、ナルンチョスが赤外線センサーの前にずっと居座り続けていたからだ。ナルンチョスは言った。
「おいおい、何こっち見てるんだよ。こっち見るんじゃねーよ相棒。」
吠えるナルンチョスを見て、私は自動ドアの元から去った。ナルンチョスよ、自動ドアのような存在は明日を待つしかないのだ。お前はそのような存在になるんではない。私は自動ドアのような存在、お前は風のような存在。私についてきてはいけない、ナルンチョスよ。
「何ゴタゴタ言ってるんだ、相棒。ドアが閉まっちまうぜ。」
煙たがりに吠えるナルンチョスの言葉は私には届かない、存在しないからだ。届かない声を届けることは私にはできないのだ。何を言おうと、自動ドアは自動ドアであり私は私なのだ。ナルンチョス、お前さんはナルンチョス。ゴタゴタゴタゴタと自動ドアがゆっくりと閉まった。遅すぎる石ころのようだ。
目の前に、ツタンカーメンがいた。頭に栄養分が流れてきた。
「なに、きみ、ぼく、おう。ぼく、きみ、よん、でな、いい。でて、い、け、け、け、け、け。」
私は落ち着いた。ツタンカーメンに尋ねる。
「私は嵐から逃げてきたのです。あなたはツタンカーメン、私は私です。食べるものはないですか?」
ナルンチョスも強く吠える、”ベギベギベギベギ”。
「た、べるも、のな、んて、あり、ます。こ、ちらへ、きて。あな、たに、あげ、る。」
私はツタンカーメンに着いて行った。階段を下がり続ける。螺旋階段のような階段。足元は濡れている。ベチャベチャと音を立てる。途中、足に粘つきのある物質が私の足に付着した。その正体を知りたくなかったが、私は自分の足が存在することを知るために足に目を回した。ついていたのは、砂糖を水に溶かして熱したものだった。この世界、アマチュミナルリスナルでは砂糖を食べなければ栄養不足で死ぬ。このピラミッドの中で、数多もの人間が砂糖不足で死んだと思うと、私は今にも吐きそうになって立ち止まった。
「ど、ち、ま、ち、た、かかか?おけ、がになっ、たので、すか?」
ツタンカーメンは私の異変に気づき声をかけてきた。ナルンチョスは私の足についた砂糖を舐める。
”ベルベル”。
一度舐めて問題がないことを確認したナルンチョスはツタンカーメンの顔に噛みついた。すると、ツタンカーメンの顔がみるみるうちに皺くちゃになりツタンカーメンの耳元を中心に渦巻き模様が現れ、ブラックホールが生まれた。ナルンチョスは、ブラックホールの中を覗き込んだ。
「おいおい、相棒、やっとみつけたぞ。これが俺たちが探し求めてたお宝だ。」
何度言ったらわかるのだろうか、ナルンチョスの声は私には届かない。私にはただ犬の鳴き声が聞こえているだけだ。
”バキバキバキバキバキバキ”。
「どうしたんだい、ナルンチョス。何か見つけたかい?」
その時だった。ナルンチョスがブラックホールに飲み込まれてしまったのだ。そして、ブラックホールのクラックは閉じてしまった。目の前には、元通りのツタンカーメンがいた。
「わた、しはなに、をして、いたん、だ。あな、たは、しってい、ますか。」
私は何も考えることができなかった。
「ナルンチョスが、、、、、私の相棒が、、、、、おおおぉおおおぉぁあおぉおぁぉぁぁ。」
急に込み上げてきた怒りと悲しみが、私にツタンカーメンの目をもぎ取ることを許さないはずがなかった。螺旋階段の下から何か音が聞こえる。
”シャオ、シャオ、シャオ”。
今度は何の音だ、お前の目ももぎ取ってやろうか、なぁ、出てこいよ。近づいてくるその音が、近づき終わるまでに私がかかった時間は十二秒。目の前には、雪だるまがいた。その後ろに、人影があったがすぐに逃げてしまった。誰だったのだろうか。
雪だるまは、私に人参を突き刺してきた。血が腹から溢れ出てくる。にやける雪だるまには抵抗のしようがなかった。彼は人間ではない、雪だるまなのだ。意識はないはずだが、意識がある。しかも、充実した意識だ。どうしてもその謎を解くのには時間がかかった。雪だるま、お前は誰なんだ。お前を作ったのは誰なんだ。雪だるまの手は、フォークでできていた。きっと、ベルソノカで子どもたちが作った雪だるまに意識が芽生え、ここまでやってきたのだろう。それにしても、溶けない雪に不思議な気持ちを抱きながらもその溶けない様子は冷めない冬よりもアピールポイントがたくさんあった。私はそのことに見入ってしまっていて、いつのまにか眠ってしまっていた。