第852話:私は“未来”を見て、貴女は“過去”を見る
《勝つのはオレだ……オレなんだァァァ!!》
《いいえ、勝つのは私です。ごめんなさい……》
――――エージェント・スペスは冷静さを欠いていた。エージェントたちは全滅し、アロガンティア帝国艦隊は壊滅し、切り札だった核兵器もノアによって無効化された。もうスペルビアを守る“盾”は自分しか残されていない。そんな焦燥感が本来は理知的な彼女を狂わせていた。
“天空神機”ユピテルは両腕に装備した大型ライフルをノアが搭乗する“天空神機”ウラヌスに向けて乱射するが、“天空神機”ウラヌスは高速機動で砲撃を回避し続けていた。
(さっきのあの砲撃は……帝国艦隊を壊滅させたビームに直撃するのはヤベェ。アレを撃たれたらユピテルだって一撃で壊される……チクショウ、なんだよあの無法な兵器は……!!)
本来、“天空神機”ユピテルはありあまるエナジーを大型火器での高出力砲に回す“固定砲台”のような運用を得意としている。だが、現在のエージェント・スペスは高速機動と威嚇射撃による牽制的な戦術を余儀なくされていた。
(エージェント・スペスはさっき私が見せた“光量子集束縮退砲”に強い警戒心を抱いている。もう民間人を狙うような迂闊な行動はできない……隙を晒せば自分が狙われるから……)
理由は先ほど“天空神機”ウラヌスが披露した“光量子集束縮退砲”によってエージェント・スペスが強い“恐怖”を抱いてしまったからだ。
撃たれれば如何なる防御も意味を為さない必殺の破壊兵器、極限まで集束させた光量子による照射攻撃であらゆる物資を“光”へと融かす神の一撃、それが“光量子集束縮退砲”だ。直撃すればラムダ=エンシェントでも即死は免れない、ノアのみに使用を許された“切り札”。
(けど、“光量子集束縮退砲”にはデメリットもある。使えばしばらくは炉心の放熱の為に【オーバードライヴ】は使えない。機体出力も通常の半分以下に落ち込む。それをエージェント・スペスに悟られれば終わりなのは私……)
ただし、超威力を誇る“光量子集束縮退砲”にも欠点はある。使用すれば“天空神機”ウラヌスは炉心に蓄積した過剰な熱量の放熱の為に【オーバードライヴ】がしばらくの時間、使用できなくなる。加えて、“天空神機”ウラヌス自体の出力も半分以下に落ち込んでしまう。
このめ欠点を把握しているのは“光量子集束縮退砲”を設計したノアだけである。機体製作に携わったホープ=エンゲージとⅩⅠすら知らない情報だ。
(エージェント・スペスはウラヌスの正面に立つことを恐て、引き撃ちを繰り返してウラヌスとの距離を保っている。このまま時間を掛ければいずれ勘付かれる。その前に決着を着けないと……)
エージェント・スペスは愚かではない。いずれは“光量子集束縮退砲”の抱える欠点に気付くだろう。だからノアはその前に決着を着ける必要があった。今、自分が心理的な有利を取っている間に、“天空神機”ユピテルを撃ち落とす必要があったのだ。
《逃がしません! 貴女はここで落とす!!》
《オレはまだ……まだ死ぬ訳にゃいかねぇんだ!!》
“天空神機”ウラヌスは右腕に装備したビームライフルで射撃を続け、“天空神機”ユピテルとの距離を縮めていく。
一方の“天空神機”ユピテルは大型ライフルから高出力砲を撃ち出して“天空神機”ウラヌスを迎撃しようとしていた。お互いに撃ち合い、迫りくる攻撃を回避して、帝都ゲヘナ上空を縦横無尽に駆け回る。
(あいつのウラヌス……まさか【オーバードライヴ】をしてねぇのか? 機動力は向こうの方が高い筈なのに……想定よりも速度が出てねぇ……まさか!)
二機の“天空神機”は音速を超える速度で戦場に射撃をばら撒きながら交戦を続ける。戦場を駆け回る帝国軍の戦闘機はノアとエージェント・スペスの戦いに巻き込まれて大破して、空中で大きな爆発が何度も巻き起こる。
(くっ……流石にパイロットスーツを着てないと身体がGに耐えられない……。いま着てるアロガンティア帝国軍の軍服も優秀だけど、音速超えはマズかったかも……)
空中でのほぼ直角に近い急制動がコックピットのノアの身体に負担を掛けていく。如何に彼女が“天空神機”ウラヌスのコックピットに耐G・耐衝撃に秀でた設計を施したと言えど、全てを無効化できる訳ではない。
加えて、ノアは連日のスペルビアによる暴行で肉体的にも精神的にも疲弊していた。その状態で“天空神機”ウラヌスによる音速戦闘を続けるのは困難に近かった。
(ウラヌスの動きが僅かに攻勢に寄ってきている。これは……勝負を急いでいるな。やはりオレの分析は正しい……ならば!)
エージェント・スペスは見逃さなかった。ノアの僅かな心理的な動揺を。【オーバードライヴ】を発動せず出力の欠けた“天空神機”ウラヌス、それを誤魔化すように攻め手を増やしつつあるノアの行動。それらを統合して、エージェント・スペスは答えへと辿り着いた。
(――――ッ! ユピテルがライフルを帝都の市街地に向けた……! 流石に時間切れか……)
“天空神機”ユピテルは右腕の武装で“天空神機”ウラヌスを狙いつつも、左腕に装備していた大型ライフルの銃口を下方に見える帝都ゲヘナの市街地へと向けた。
その銃口の先にはアリステラを筆頭にした義勇軍の姿があった。ここにきて、エージェント・スペスは再び“人質”を取ったのだ。
《どうやら……さっきの高出力砲の影響で機体がパワーダウンしてるみてぇだな、ノア? あんな武装を隠してたには驚いたが、それをオレに見せたのが間違いだったな》
《…………》
《まっ、元々オレたちが核兵器を使った場合の“切り札”として温存してたんだろうが……テメェは全てを護ろうとして失敗したんだ。それを今からオレが証明する……》
《やめなさい……》
《テメェにゃ何もかもは救えねぇ。結局は誰かは見捨てざるを得ない。万人を救う究極の“神”なんざはまやかしさ。それこそ、テメェが造ったアーカーシャにも不可能なのさ!》
エージェント・スペスの凶行を阻止する為にノアは“天空神機”ウラヌスによる攻撃を激化させる。だが、ノアの射撃を容易く避けながら、“天空神機”ユピテルは市街地に向けて高出力砲を撃とうとしていた。
ノアに迫られた選択肢は二つ。民間人への被害を無視して“天空神機”ユピテルを討ち取るか、自らの機体を盾にして人々を護るかだ。どちらにせよ、ノアは何かを失う。
「どうすれば……私には護れないの?」
『聞こえますか、ノア=ラストアーク! 市街地への攻撃に気を逸らしてはなりません! 貴女は市街地へのエージェント・スペスが市街地に砲撃した瞬間、彼女の機体を撃ち落としなさい!』
「その声は……特殊工作員の!」
『仲間を信頼しなさい、ノア=ラストアーク! 貴女が全てを背負う必要はありません。貴女の“罪”は仲間たちが……ラムダ=エンシェントが一緒に背負ってくれています。だから……貴女は貴女にしかできない事を成すのです!!』
「私にしか……できないこと……!」
その時だった、“天空神機”ウラヌスのコックピットに男性の声が響く。その声の主をノアは知っていた。そして、その声の主はノアに伝えた、仲間を信じろと。
その言葉を聞いたノアの選択肢は定まった。彼女は真っすぐに“天空神機”ユピテルへと狙いを定め、“天空神機”を加速させていく。
《見捨てるんだな? なら……代償を支払いな!!》
そして、“天空神機”ウラヌスが加速したのを認識したエージェント・スペスはノアが民間人を見捨てたのだと判断し、躊躇うことなく操縦桿の攻撃トリガーを引いて市街地への攻撃を敢行した。
下方へと向けられた大型ライフルから高出力砲が放たれて、真っすぐに落ちていく。着弾地点には先陣を切ってアロガンティア帝国軍と交戦を続けるアリステラの姿があった。回避は間に合わない、直撃すれば少なくとも百人近くが犠牲になる。
そうエージェント・スペスは確信していた――――
「固有スキル【封印執行】――――執行!!」
――――放った攻撃が打ち消される瞬間までは。
市街地に向けて放たれた“天空神機”ユピテルの砲撃は地表に直撃する事はなかった。その前に、地表十数メートル地点で突如消えるように無効化されてしまったからだ。
エージェント・スペスは自分の目を疑った。本来、直撃すれば大爆発を引き起こす筈の砲撃が、音もなく消え去ったのだから。そして、彼女は目撃した、砲撃が消えた地点で一人の男が跳んでいるのを。
《テメェ……リヒター=ヘキサグラム……!?》
「クッククク……私に銃弾を浴びせてくれたお返しです、エージェント・スペスさん。無粋な真似はダメですよぉ!」
それはエージェント・スペスが闇討ちした筈だったリヒター=ヘキサグラムだった。彼は近くの建物の屋上から跳躍すると、一切怯える事なく“天空神機”ユピテルの砲撃を短剣で切り裂いて“封印”してみせたのだった。
居ないと確信していた男の盛大な意趣返しにエージェント・スペスの意識は完全に逸れてしまった。それが自身の敗北を招くと知りながら。
《エージェント・スペスーーッ!!》
《しまった……ノア=ラストアーク……!?》
エージェント・スペスが気が付いた時、“天空神機”ウラヌスはすでに目前に迫っていた。二機の距離は僅か十メートル、近接武器が届く距離にまで近付いていた。
《くそ……オレは負けねぇ!!》
“天空神機”ユピテルは予め向けていた大型ライフルに光量子を集束させる。同じく“天空神機”ウラヌスも右腕に装備したライフルを構える。
勝負は射撃を当てた方の勝利になる。そして、先に引き金を引いたのはエージェント・スペスだった。“天空神機”ウラヌスに向けて、“天空神機”ユピテルの大型ライフルから砲撃が放たれる。
その射撃が直撃する瞬間――――
《“天空神機”ウラヌス――――【オーバードライヴ】!!》
《な、なんだと……!?》
――――“天空神機”ウラヌスは蒼く輝いた。
ほんの僅かな時間の臨界状態【オーバードライヴ】の行使、コンマ5秒だけの高機動モードを発動させ、“天空神機”ウラヌスは砲撃を回避した。
エージェント・スペスの砲撃が撃ち抜いたのは“天空神機”ウラヌスが残した残像だった。本体はそのまま回り込むように旋回し、そのまま“天空神機”ユピテルの背後を取っていた。
そして、“天空神機”ユピテルが振り返ると同時に――――
《さようなら、エージェント・スペス……》
《ノア……ノア=ラストアークゥゥ!!》
――――“天空神機”ウラヌスのライフルから光量子の弾丸が放たれ、“天空神機”ユピテルのコックピットを撃ち抜いたのだった。
 




