第849話:追悼の辞
「グラトニス司令、あとはブレイヴだけであります!」
「――――ッ!? まさか……全員やられたのか!?」
――――エージェントたちの殆どが倒され、残るのはエージェント・ブレイヴだけとなった。慌てて周囲を見渡した彼女が目撃したのは、討ち取られて倒れた仲間たちの姿だった。
「あとはそなただけじゃ、ミリアリアよ!!」
「――――くッ!? 黙れ、僕はまだ負けていない!」
グラトニスが振り下ろした左腕の凶爪を折れた聖剣で防ぎ、甲板を蹴って跳躍しエージェント・ブレイヴは後方へと大きく距離を取る。
「スペルビア様の邪魔はさせない! 僕たちは“あの日々”に帰るんだ!! 奪われた絆を、踏み躙られた尊厳を、失われた愛を……僕たちは取り戻す!!」
「聖剣に魔力を……そうか、決着を着ける気じゃな」
「僕は負けない、スペルビア様は勝つんだ! さぁ、再び輝け……“再世の聖剣”リーヴスラシル! 今こそ僕たちの過去の……再世を!!」
刀身の折れた聖剣、“再世の聖剣”リーヴスラシルにありったけの魔力を込めて、エージェント・ブレイヴは最後の攻防に臨もうとしていた。しかし、彼女は理解していた、もう自分には敗北するしか道が残されていない事を。
他のエージェントたちは倒された、引き連れた兵士たちも殆ど倒された、そしてラストアーク騎士団はまだ余力を十分に残している。聖剣の一撃でグラトニスを倒せたとしても、残るリブラⅠⅩたちに袋叩きにされて終わる。
「スペルビア様……僕を見て! 僕を感じて! 僕を愛して!! あなたの為に……僕は全てを投げうちます。だから……わたしを見て!!」
これはエージェント・ブレイヴがスペルビアに自身を感じ取ってもらう為だけの行為、かくも虚しい“愛の告白”だ。
彼女は最後に自身の全身全霊を込めた一撃を放ち、有終の美を飾ろうとしていた。帝都ゲヘナで戦い続けるスペルビアに『エージェント・ブレイヴ』という存在を感じ取ってもらう為に。
「それがそなたの望みじゃな? なら……儂は全力を以ってそれを阻止しよう! “十三使徒”変形――――“洗礼剣”!!」
エージェント・ブレイヴの自暴自棄的な一撃を悟ったグラトニスは、彼女の身勝手な想いを打ち砕くべく左腕の“喰魔”を変形させていく。
左腕が鋭く伸びた刃を持つ剣へと変化していく。“洗礼剣”――――左腕の“喰魔”が変化した剣。それを大きく振りかぶり、グラトニスはエージェント・ブレイヴの攻撃を待ち構える。
そして、エージェント・ブレイヴの聖剣の輝きが最高潮に達し――――
「世界よ、いま再世の時――――“創造再世”!!」
「喰魔よ、全てを喰い漁れ――――“暴食晩餐”!!」
――――振り下ろされた聖剣から眩い光が撃ち出され、最後の攻防は始まった。
折れた聖剣から放たれた膨大な量の魔力が襲い掛かり、グラトニスは迫りくる魔力の奔流を左腕の“洗礼剣”で受け止める。
聖剣の魔力と“洗礼剣”が激突した瞬間、凄まじい魔力の暴風が嵐のように戦艦ラストアークの甲板に吹き荒れる。二人の周囲にいたリブラⅠⅩたちは戦いの決着を見届けるしかできなかった。
「僕は負けない……もう負けたくないんだ!!」
「ならなぜ“悪”に墜ちたのじゃ……この阿呆が!!」
グラトニスの“洗礼剣”がエージェント・ブレイヴが放った魔力を刀身で喰らっていく。あとはグラトニス自身が放たれた魔力を全て喰いきれるかどうかに全てが掛かっていた。
“洗礼剣”が獣の咆哮を上げながら光を喰らっていく。グラトニスがエージェント・ブレイヴの狂気に負けじと足を踏ん張って攻撃に耐え続けていく。負ければ“死”が確定する攻防、勝つのは『想いの力』が強い方だ。
「儂は……私は! ラムダと一緒に“未来”へと征く! 過去には戻らない……“あの日々”の思い出と一緒に、どんな困難も乗り越えていく! それが……生きるという事よ!!」
「う、嘘だ……僕の攻撃が……効かない……!?」
「後ろを振り返って、“過去”に縋ろうとしたあなた達に……私たちは負けない!! あなた達に“未来”は奪わせない!! “喰魔”、エージェント・ブレイヴの執念、全て喰い尽くしなさい!! ハァァーーーーッ!!」
そして、その瞬間は訪れた。グラトニスが自身の想いを吐露し、全身全霊を掛けて“洗礼剣”を振り抜いた瞬間、彼女に襲い掛かっていた聖剣の輝きは全て喰い尽くされた。
さっきまで甲板を包んでいた暴風は消え去り、残された魔力の残滓が粒子になって消えていく。そして、全力を賭けた一撃を防がれた瞬間、エージェント・ブレイヴが握っていた折れた聖剣は真っ白な砂になって崩れ始めた。
「なっ……“再世の聖剣”!? どうして……?」
「簡単な話じゃ……そなたはその聖剣の担い手の“資格”を失った。そなたは堕ちる所まで墜ちた。それだけの話じゃ……」
「グラトニス……!! な――――ッ!?」
聖剣はエージェント・ブレイヴの手から零れ落ちて消えた。そして、エージェント・ブレイヴ視線を手元から戻した時、彼女の目の前にはグラトニスが迫っていた。
聖剣の輝きを喰い切った瞬間に甲板を蹴って加速し、左腕を元の人間の腕に戻し、掌に漆黒の魔力を束ね、グラトニスはエージェント・ブレイヴにトドメを刺そうとしていたのだ。
「この……あっ…………」
「そなたの“悪夢”は終いじゃ」
エージェント・ブレイヴはグラトニスを迎え撃とうと武器を構えた。だが、振り上げた右手には何も握られてはいない。彼女と連れ添った聖剣はすでになくなっていた。
それを失念したエージェント・ブレイヴの『敗北』は確定した。彼女はグラトニスが左腕を伸ばすのを、その“喰魔”の手が自分の胸部に触れるのをただ見つめる事しか出来なかった。
そして、グラトニスの掌から魔力が放たれ――――
「さようなら――――“破界ノ咆哮”!!」
「あっ……スペル……ビア様…………」
――――エージェント・ブレイヴは敗北した。
グラトニスの掌から放たれた魔力が胸を穿ち、エージェント・ブレイヴは胸部に大きな孔を空けられて心臓までを吹き飛ばされた。
もはや彼女には抵抗する手段は残されていない。エージェント・ブレイヴはスペルビアの名を口にして、ゆっくりとその場に倒れていった。それをグラトニスはただ静かに見下ろしている。
「うぅ、あぁ……痛い、痛い……痛いよぉ……」
死人と化した影響か、エージェント・ブレイヴは即死しなかった。だが、それも僅かな時間稼ぎに過ぎない。すでに彼女の四肢は砂になって崩壊している。このまま何もせずとも、エージェント・ブレイヴは完全に砂と化して息絶えるだろう。
「うぅ、うぅぅ……痛い、苦しい……。助けて……スペルビア様……僕を助けてよぉ……どこに居るの、スペルビア様……スペルビア様ぁ……」
「あやつは来ん……」
「今度こそ護ってよ……もう死にたくないよ。助けて、スペルビア様……助けてよ……ラムダさん……ラムダさん……」
「…………」
「僕はあなたを信じて……あなたの“夢”を守りたかっただけなんだ……。なんで、なんで……来てくれないの? いつもみたいに来てよ……いつもの笑顔で……笑ってよ…………」
死にゆく恐怖に、身体に走る激痛に苦しんで、エージェント・ブレイヴはスペルビアに助けを求め続ける。スペルビアが捨てた筈の『ラムダ』の名を口にしてまで。
だけど、エージェント・ブレイヴの元にスペルビアが現れる事はなかった。それでもエージェント・ブレイヴは愛した男の名前を呼び続ける。その身が完全に朽ちるまで。その痛ましい姿に、グラトニスは深く沈黙する事しかできなかった。
「うぅ、ゲホッ……ラ、ラムダ卿……痛いの、助けて……。わ、わたくしは……こ、ここに居ます……。お、お願い……早く……迎えに来て…………」
「全員、同じかの……」
「お、お兄ちゃん……どこ、どこに居るのだ……? なんで、助けに来てくれないのだ? このままだと……アスハともう一度逢う約束……守れなくなっちゃよ……」
「これは……儂への“罰”か……?」
「うぅ……ラムダ様……私……精一杯戦ったの。だから……ねぇ褒めて……頑張ったねって……言ってよ。ねぇ、どうして……来てくれないの? あなたに看取られずに逝くのは……嫌…………」
「この痛みを背負えと言うのか……」
「ラ、ラムダ様……も、申し訳ございません……わ、私はメイド失格です。ラ、ラムダ様の願いを叶えられず……“あの日々”を取り戻せ……ませんでした。せめて……せめて……このコレットめに……御姿をお見せください…………」
エージェント・ブレイヴだけではなかった。他の四人のエージェントもうめき声を上げながら、それでもスペルビアが現れるのを、スペルビアが助けに来てくれる事を切望していた。
必死に空に向かって手を伸ばし、現れる筈のない騎士を呼び続ける。そのあまりにも悲痛な姿に、レスター以外の全員が沈黙していた。死に逝く者たちに黙祷を捧げるように。
「レスターよ、後始末を……これ以上は見てられん」
「お安い御用さ……では“葬儀屋”として、ささやかな葬儀を執り行おう。安心して良いよ、君たちの“魂”は元の世界へと還してあげる。境界を越えてね……彷徨える死者の“魂”なら、“死神”の権能で送れるからね」
「ラムダさん、ラムダさん……わたしを……見て……」
「さぁ、もう目を閉じて……ゆっくりと休むと良い。もう“悪夢”は終わり、あとは心地よい“夢”の中で眠る時間だよ。ミリアリア=リリーレッド、コレット=エピファネイア、リリエット=ルージュ、レティシア=エトワール=グランティアーゼ、アウラ=アウリオン……ここまでよく頑張ったね……」
「ラムダさん……一緒にいてくれないと……寂しいよ」
そして、レスターは死に逝くエージェントたちの葬儀をしめやかに執り行なう。彼女が手をかざすと同時に、エージェントたちの身体から淡く輝く“魂”が摘出されていく。弱々しく発光する、今にも消えそうな光の球体だ。
そんなエージェントたちの“魂”をレスターは掌に集め、そして労いの言葉を掛けると同時に“死神の大鎌”を静かに振って五つの“魂”を斬り裂いた。
「その魂に永久の平穏を……“安らかに眠れ”……」
「ラムダさん……僕たちは……――――」
そして、レスターの追悼の辞と共に砕けた“魂”は消え去り、永遠に沈黙したエージェントたちの亡骸は白い砂になって消え去っていったのだった。
「これでエージェントたちは片付いた。あとはエージェント・スペスとスペルビアを倒せばそれで終いじゃな」
こうして、死してなおスペルビアへと執着していたエージェント・ブレイヴたちの“悪夢”は終わりを告げるのだった。
残す敵はエージェント・スペス、スペルビアの二名のみ。アロガンティア帝国を巡る戦いの終結が、刻一刻と近づいて来ているのだった。




