第848話:あの日々には戻れず
(そんな筈はない……僕たちが負ける訳ない。だって、だって……僕たちが負けたら、スペルビア様が……ひとりぼっちになってしまう。それは駄目だ……駄目なんだ。だから僕たちは“死”を誤魔化した、スペルビア様に絶対の“生”を与えたんだ……だから!)
――――戦艦ラストアークの甲板上で勃発したエージェントたちとグラトニスたちの死闘、形勢はラストアーク騎士団側に傾いていた。
旗艦アマテラスからの支援砲撃はもう見込めない。機械天使アルマゲドン、シリカ=アルテリオンの連携への対応に追われているから。一五〇〇人いた筈の帝国兵も旗艦アマテラスの砲撃による友軍誤射、封魔忍ミヤマ=アヤメによる抗戦によってすでに数を十分の一にまで減らしていた。
「こんなの嘘だ……僕たちが負けるなんて嘘だ……」
「いいや、そなた達の負けじゃ。認めるが善い」
エージェントたちもそれぞれ劣勢に立たされていた。グラトニスたちの猛攻に徐々に押され始めていた。決してエージェントたちの実力が劣っている訳ではない。むしろ“良心”という枷を外したエージェントたちの方が戦術的には勝っている筈だった。
だが、“星騎士”ラムダ=エンシェントの復活によって精神的支柱を取り戻したグラトニスの『想いの力』による奮起は凄まじく、逆にスペルビアが齎した筈の『絶対的優位』を失ったエージェントたちは瓦解寸前だった。
「こんなの嘘だわ……わたくしは……祖国も仲間も失って……スペルビア様への忠義も果たせないの……?」
「貴殿のそれは“忠義”とは呼べんでござるよ、エージェント・クラウン。貴殿たちはスペルビアの気を引きたいが故に“邪悪”を振りまいた。それは……決して許されん事でござる!!」
「ひっ!? やめて……わたくしはまだスペルビア様に……愛されたいの! わたくしはまだ……彼に愛を!!」
ミナヅキの振るう大太刀に手にした属性剣を打ち砕かれ、エージェント・クラウンは怯えたように後退りしていく。ヘルメットは砕かれ、仮面の下からは『レティシア=エトワール=グランティアーゼ』だった少女の顔が露わになっている。
頭部に酷い火傷と戦傷を負い、それでも“死”を拒んだ亡国の王女。しかし、気高かった精神はすでに死に絶え、エージェント・クラウンとなった彼女はスペルビアに気に入られたいが為に非道に手を染める事も厭わなくなった。
「某が介錯致そう……王女レティシアよ。冥界にて己の罪を償うが善い。斬界刀、抜刀。秘剣、詠唱開始……」
「い、嫌よ! わたくしにはまだ使命がある! スペルビア様の願いを叶え、わたくしは……もう一度“あの日々”へと帰るのです!」
そんな彼女にはもはや“王冠”は相応しくない。そう判断したミナヅキは大太刀に魔力を束ね始める。その一撃を以ってエージェント・クラウンに引導を渡す為に。
そして、エージェント・クラウンも“生”にしがみつく為に決死の抵抗を試みる。炎・水・風・土・雷・光・闇、七つの属性の魔力を束ねた虹色の大剣を生成し、エージェント・クラウンはミナヅキを怒りに満ちた表情で睨みつける。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり……沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす……」
「わたくしは負けません……スペルビア様の為に!」
「おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし……猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ!」
ミナヅキは詠唱と共に大太刀を構え、エージェント・クラウンはスペルビアへの絶対の忠誠を誓いながら大剣を振り上げる。より『想いの力』が勝る者が勝つ。それがこの刹那の一閃にて明らかになる。
そして、周囲が一瞬、静寂に包まれた刹那――――
「斬界刀、終ノ太刀――――“絶剣・生者必滅”!!」
「最終奥義……“戴冠式”! あっ……!?」
――――その戦いは決着した。
ミナヅキが空を薙いで繰り出した斬撃はエージェント・クラウンが放った虹色の斬撃を斬り裂き、そのまま彼女の身体を上下で真っ二つに切断した。
下半身を失ったエージェント・クラウンはそのまま甲板の上に倒れていった。もはや彼女には抵抗の手段は残されていない、完全なる敗北を喫したのだ。
「エージェント・クラウン!? う、嘘なのだ!?」
「いいえ……これが残酷な“結果”です、アウラ=アウリオン。貴女たちは裁かれる……スペルビアへの忠誠の証として、無辜の民の血を流させた“罪”を!」
「ひっ……やめろ、来るななのだ!!」
そして、エージェント・クラウンの敗北と共に、エージェントたちの決定的な敗北は連鎖し始めた。エージェント・アウルが気を逸らした一瞬の隙を突いて、リブラⅠⅩは“レディ・ジャスティス”の剣を時間結界へと突き立て始めた。
本来、時間を停止して絶対防御を成立させる筈のエージェント・アウルの『時間神殿』に断罪の刃が突き刺さっていく。スペルビアに仕える為に時間を止め、過去に執着した筈のエージェント・アウルが“時の歩み”を切望していたかのように。
「“レディ・ジャスティス”……彷徨える子羊に慈悲を」
「い、嫌なのだ……また殺されるのは、スペルビア様と離ればなれにされるのは嫌なのだ! だって約束が……あたしには約束がある! あの子と……アスハにもう一度逢う約束が……約束が!!」
「その約束を果たすには……貴女は血に染まりすぎた」
エージェント・アウルは理解していた。すでに自分が『約束』を果たすには穢れすぎた事を。それを薄々感じつつも、必死に否定したくて彼女は抵抗の言葉を叫び続ける。
しかし、“罪”には“罰”が必要だ。故にリブラⅠⅩは躊躇いはしなかった。生存に執着するエージェント・アウルに憐れみを覚えつつも、リブラⅠⅩは彼女に“レディ・ジャスティス”の剣を向ける。
そして、結界が完全に壊れた瞬間――――
「裁きを――――“原罪ヲ裁ク女神ノ慈悲”!!」
「あ、あぁ……あぁぁあああああああッ!!?」
――――裁きの大剣が断罪の一撃を繰り出した。
勢いよく突き立てられた“レディ・ジャスティス”の剣によってエージェント・アウルは身体を真っ二つに切断された。苦痛は無い、瞬きよりも疾く生命を断つ慈悲の一撃だ。
だが、その慈悲はエージェント・アウルには耐え難い“苦痛”に変換された。絶対的な“死”に彼女は抵抗しうよとして、上半身と下半身が千切れても“生”に執着しようとしていた。だが、そんな抵抗も長くは保たないだろう。
「そんな……私たちが負ける……? スペルビア様に認められたエージェントである私たちが? そんな筈は……そんな筈は!」
「認められた? 随分と滑稽なジョークを言うのね、コレット。貴女たちは認められたのではなくてよ。スペルビアは貴女たちを側に置くしかなかった。貴女たちがそう仕向けたから……まさか無自覚な訳はないわよね?」
「あっ……ち、違う! そんな筈はない!」
「そうかしら? けど、そんな事はもうどうでも良いことよ、コレット。だって……今から私が貴女に“罰”を与えるもの。スペルビアを“悪”に堕とした……その裁きを!」
二人のエージェントが倒されて、エージェント・フォックスは僅かに動揺した。もしかしたら自分たちは負けるのではないか、という疑念である。そして、その疑念は彼女と敵対していたテオフォニアによって現実のものになろうとしていた。
白き翼竜に絶えず攻撃され、白き骸の竜に護られたテオフォニアには攻撃は届かず、エージェント・フォックスは窮地に立たされていた。そんな中で、テオフォニアは新たな魔法陣を自身の目の前に展開した。
「世界を巡る“旅人”よ……しばし貴女の“器”をお借りします。どうか御容赦を……これも貴女が見定めた騎士を護る為。風を運ぶ“原初の竜”よ、来たれ」
「ま、まさか……そんな馬鹿な……!?」
「固有スキル【竜ノ鎮魂歌】――――発動。さぁ、起きてください、我が始祖……“原初の竜”よ。そして、彼の騎士の“夢”を阻む亡霊に風の祝福を
テオフォニアの発動した魔法陣から現れたのは、全長五メートルの白銀の竜。かつて女神アーカーシャのよって造られ、全ての竜種の原点となった“原初の竜”と呼ばれる存在である。
“魂”を失い、身体のみをテオフォニアに預けた“原初の竜”は、哀しみにも満ちた慈愛の瞳でエージェント・フォックスを睨みつけている。同時に、身を切り裂くような凄まじい暴風がテオフォニアとエージェント・フォックスの周囲に発生し始めた。
「わ、私は……スペルビア様にまだ仕えねば! スペルビアが“あの日々”を取り戻す瞬間までお側に居なくては!!」
「それが破壊と混沌を齎すなら……見過ごせない」
「こ、こんな所で終われるか……終わってたまるものか!! “魔王権能”【憤怒の焔】――――発動!!」
“原初の竜”は口部を大きく開け、風の魔力を集束させていく。それに対してエージェント・フォックスも本気を出し、金色の焔で九本の尻尾を形成し、口部に複数の魔法陣を展開し、尻尾の先端と口部に焔の魔力を集束させていく。
そして、竜と獣は魔力を撃ち出し――――
「喰らえ――――“十ノ王冠”!!」
「これで終わりよ――――“導きの風”!!」
――――最後の激突が始まった。
戦艦ラストアークの甲板上に熱風が吹き荒れる。エージェント・フォックスが撃ち出した焔と“原初の竜”が放つ暴風が激突する。テオフォニアは見つめていた、戦いの行く末を。自分の想いが、ラムダの道を切り開けると信じて。
「これは……私が押されて……うぁぁッ!?」
そして、戦いは爆風と共に決着した。“原初の竜”が放った暴風は“憤怒”の焔を押し返し、エージェント・フォックスは自身が吐いた焔と暴風に巻き込まれてしまったのだった。
風が容赦なくエージェント・フォックスを切り刻み、全てを滅ぼせと憤怒を込めて吐いた焔が自身の身体を燃やしていく。それが彼女の末路だった。
「なんで……なんで邪魔すんのよ! 私たちはただ……スペルビア様と一緒に“あの日々”に戻りたいだけなのに……なんで邪魔すんのよ、あんたたちはァ!!」
「君たちが……ラムダくんの“夢”を阻んだからだよ」
「はっ、どうせ皆んなアートマンの前に全滅すんのよ! 頑張ったって無駄なのよ、この先の“未来”にはなぁんにもありゃしないのよ!! だから……私たちの邪魔をすんな、“葬儀屋”!!」
エージェントたちを次々と倒されて、エージェント・ハートは激情を爆発させる。自分たちはただ“あの日々”に帰りたいだけだとレスターに叫ぶ。
そんなエージェント・ハートの訴えを、彼女の繰り出す攻撃を大鎌で捌きながら、レスターは静かに、ただ淡々と彼女の訴えを退けた。エージェントたちが倒されるのは、彼女たちが先のラムダ=エンシェントの“夢”を阻んだからだと。
「私は……取り戻す、“あの日々”を!!」
「ぼくたちは進む……まだ見ぬ“未来”へと!」
決意の籠もった叫びと共に魔力を帯びたエージェント・ハートの爪とレスターの大鎌を火花を散らして弾き合い、二人はほんの少しだけ後退りして距離を離した。
同時は二人は最後の攻撃を構えながら走り出す。次の一撃で相手を確実に仕留める為に。エージェント・ハートは尻尾の先端に魔力を込めて、レスターは手にした氷の大鎌に魔力を込めて。
「これで終わりよ、貫け――――“蜉蝣”!!」
尻尾の先端を魔力で鋭利に伸ばし、尻尾そのものを“槍”に見立て、エージェント・ハートはレスターの心臓目掛けて尻尾を突き放った。二人の距離は僅か一メートル、尻尾の速度は音速に近い。確実に命中するとエージェント・ハートは踏んでいた。
しかし、そんな彼女の思惑は――――
「氷氣精錬、凍てつけ――――“冥盾・六花”」
「なっ……防がれた……!? そんな……!!」
――――レスターには見抜かれていた。
エージェント・ハートの尻尾はレスターには届かなかった。勢いよく撃ち出された尻尾は、レスターが胸部を守るように展開していた氷の花のような“盾”に阻まれていたのだ。そして、渾身の一撃を防がれた衝撃で、エージェント・ハートは身体を仰け反らせた。
その隙を突いてレスターが振り抜いた――――
「これにて終演、安らかに眠れ――――“葬送曲”」
「スペルビア様、私は……あっ!!?」
――――“死神の大鎌”がエージェント・ハートを斬り裂いた。
大鎌はエージェント・ハートの胴体を右腹部から左肩甲骨に向かって斬り上げ、同時に胸部の心臓も大鎌によって傷付けられた。そして、心臓を穿たれたエージェント・ハートは自身の敗北を受け入れられないというような、愕然とした表情でその場に崩れ落ちるのだった。




