第844話:騎士の再臨
「ぐっ……うぅぅ……!? わたしの腕が……!」
「大丈夫か、キルマリア!? 後ろに下るんだ!」
――――アリステラによるラムダ=エンシェントの蘇生が続く中、帝都ゲヘナ市街地でスペルビアと戦闘を繰り広げるウィル=サジタリウスたちは劣勢に立たされていた。
スペルビアが魔剣を振り上げて空を薙いだ瞬間、不可視の斬撃が発生して射線上の物質を切断。同時にキルマリアの右腕が切断されて帝都の宙を舞った。
「下るんだ、キルマリア!」
「へ、平気よウィル、世界一の美貌を誇るわたしの顔にはまだ傷は付いていないわ。腕なんて安いもんよ……」
「顔以外はオッケーなの!? いや駄目だよ!」
「ふん……腕なんて気合いで生やせるわ。それに、再生能力のあるわたしが盾になんないと全滅するでしょ?」
「それはそうだけど……だけど……!」
「トネリコ、これ以上僕たち四人で持ちこたえるのは無理だ! 早くスペルビアの蘇生術式の秘密を暴け!」
「僕は魔導師じゃない。非科学的な現象は専門外だ!」
ウィル、キルマリア、トネリコ、タウロスⅠⅤの四人がかりでもスペルビアには劣勢を強いられていた。理由は単純明白、何度倒してもスペルビアが復活するからだった。
スペルビアが傷を負うたびに何処からか白い靄状の少女の“影”が現れて、スペルビアを治癒していく。ウィルたちの渾身を込めた“決定打”は蘇生と共に無に帰して、彼等は何度も振り出しに戻されていた。
「これが私とお前たちの“差”だ、ウィル=サジタリウス。我がアーティファクトの前にここまで粘った事は褒めてやろう。だが、何度やっても貴様たちが勝てる可能性は“0”だ」
「くっ、まさかここまでとはね……」
「レディ・キルマリアを盾にしたところで無駄だ。如何に優れた再生能力を有する最上位の吸血鬼と言えど、肉体の欠損を補うには幾分かの魔力を消費する……違うか、キルマリア?」
「……だったら何よ?」
「無限に復活できる私と張り合ったとて、貴様に勝ち目は無いという事だ、吸血鬼。優れた叡智を持つ貴様なら分かるだろう……どうあっても私を超えられぬ、その絶望的な“差”が!」
対するウィルたちはキルマリアを“盾役”にしてスペルビアの猛攻を凌ぎ、ウィルとタウロスⅠⅤによる反撃を仕掛けていた。しかし、無限に復活するスペルビアを前にウィルたちは攻め手に欠いていた。
キルマリアの再生の無限では無い。再生に割く魔力が無くなれば、如何に最上位の吸血鬼であるレディ・キルマリアと言えど傷を負う状態に陥ってしまう。そして、キルマリアの魔力はすでに枯渇しそうになっていた。
「このままでは……ラムダくんの敵が……」
「安心しろ……すぐに貴様たちもラムダ=エンシェントと同じあの世に送ってやろう。間もなく……間もなくラストアーク騎士団は我が前に屈する。そして、私はノアを取り戻して“あの日々”を取り戻す! フハハハハハハハハハッ!!」
「これは……僕たち万事休すかな?」
スペルビアが魔剣を天に掲げた瞬間、“神殺しの魔剣”の金色の刀身から圧倒的な純度を誇る、ドス黒い魔力が放出されていく。放たれた魔力は帝都ゲヘナ、戦場となっている周辺空域を嵐で呑み込み、空を夜を彷彿とさせるような暗闇で覆っていく。
「これは……!?」
「今しがた……“機神”が我が手に墜ちた。どうやらアリステラは私を前に尻尾を巻いて逃げ出したようだな……!」
「なっ……なんですって!?」
「聞け、ラストアーク騎士団、そして我に歯向かう反逆者どもよ! 貴様たちの“希望”は潰えた! ラムダ=エンシェントは死に、アリステラ=エル=アロガンティアは怖気付いて逃げ出した! 貴様たちの反逆はこれで“大義”を失った……」
「これは……おじさんたちへのトドメか……!」
スペルビアは宣言した、アロガンティア帝国の秘宝『輝跡書庫』を手中に収めた事を。同時に宣言した、最後まで抵抗を続けていたアリステラが怖気付いて逃亡した事を。
魔剣の黒い輝きを見て、アリステラという残された“希望”が潰えた事を知って、ウィルたちは、抵抗を続けていた帝都ゲヘナの市民たちの動きが止まった。帝都中に映し出されたスペルビアの映像が、“希望”を失った戦士たちに畏怖を突き付ける。
「これにて余興は終いだ……“機神”が手に入った以上、帝都ゲヘナはもう必要ない。我が魔剣による一撃で、この都市ごと全てを“闇”に還してやろう……!!」
「そんな……わたしたち、遊ばれてただけなの……」
「ラストアーク騎士団よ、アロガンティア帝国よ、我が前に屈せよ! そして我を畏れよ……この“傲慢の魔王”スペルビアを!!」
スペルビアの掲げた魔剣は獣のような唸り声をあげ、刀身から天を陰らせる程の膨大な魔力を放出している。ウィルはおろか、戦いの心得もない素人でも一目瞭然だった。その魔剣が振り下ろされた瞬間、圧縮された膨大な魔力が解き放たれて帝都ゲヘナは一撃で壊滅すると。
市民の大勢がスペルビアを前に膝をつき、諦めにも似た祈りを捧げる。“希望”が潰えた以上、もはや彼等にはスペルビアに殺される以外の道は無い。あとは苦痛の無い“死”を祈るばかりだった。
「ウィル……」
「大丈夫、一緒に居るよ、キルマリア……」
ウィルたちはまだ諦めていない。ウィルは狙撃銃に渾身の弾丸を込め、キルマリアは両手に真紅の魔力を迸らせ、タウロスⅠⅤは“角”にありったけの稲妻を宿らせ、トネリコは手にした拳銃をスペルビアへと向ける。
誰もが察していた、自分たちの攻撃ではスペルビアの魔剣による一撃は防げないと。それでも、ラムダ=エンシェントとアリステラ=エル=アロガンティアの代わりに自分たちが“希望”を灯さなければと、彼等は玉砕覚悟の抵抗を試みようとしていた。
「良いだろう……その塵芥が如き“希望”ごと、我が魔剣で潰してくれる! フッ、フフフッ、フハハハハハハハハハハハッ!!」
そして、ウィルたちの抵抗を目の当たりにした瞬間、スペルビアは狂気に満ちた笑い声を上げ、天に掲げた魔剣をゆっくりと振り下ろし始めた。
獣の咆哮が帝都ゲヘナを覆い、溢れ出る魔力に大気は震え、誰もが祈りを捧げる中、“神殺しの魔剣”が放つ黒き閃光が天より降ってくる。誰もが逃れられぬ“死”を、覆せない“絶望”を覚悟した。
その次の瞬間だった――――
「いいや、お前では“希望”を潰せないぞ……」
「誰だ!? この声、まさか……ぬあッ!?」
――――一筋の流星は煌めき、スペルビアの魔剣を撃ち抜いた。
インペルティ宮殿の上空から放たれた白い閃光が魔力によって肥大化した魔剣の刀身に直撃し、帝都ゲヘナを灰燼に帰そうとしていた膨大な魔力の奔流を打ち砕いた。
砕かれた魔力はただの暴風になって周囲へと霧散していく。爆風の近くに在った建物の窓が風圧で破壊されていく。だがそれだけだ、スペルビアが想定していた規模の破壊は成し得ていなければ、死傷者も誰一人としていない。
「誰だ……まだ私に歯向かうのは……!?」
渾身の一撃を防がれたスペルビアが閃光の放たれたインペルティ宮殿の方向を睨みつけ、同時にウィルたちや帝都ゲヘナの市民たちも同じ方向に目を向けた。
「ちょっとウィル、アレって……」
「まさか……そんな……!?」
スペルビアたちの視線の先、インペルティ宮殿の上空には人影が在った。その人影を目撃した瞬間、スペルビアを含めた全員が息を飲む。
「アリステラ様……アリステラ様だ!!」
「逃げていない……アリステラ様が戻ってきた!」
人々の視線の先に居たのは、第二皇女アリステラ=エル=アロガンティアだった。身に纏ったアロガンティア帝国軍の軍服から魔力によって形成されてた片翼を展開し、アリステラは空中に浮遊しながらスペルビアを睨み付けている。
アリステラの姿を目撃した帝都ゲヘナの人々が歓喜の声をあげる。スペルビアが逃げ出したと宣言した筈のアリステラが現れたのだ。その瞬間、スペルビアの宣言は“虚言”へと代わり、彼の威圧感はその力を失っていく。
「馬鹿な……何故、何故貴様が……!?」
だが、スペルビアが真に驚愕したのはアリステラではなかった。アリステラの背後に浮かぶもう一人の存在にスペルビアは愕然とした表情を見せていた。
「なんだ……なんだ、その姿は……!? 知らない……私はそんな姿は知らない……!!」
アリステラの背後に浮かぶのは白銀の騎士甲冑を纏った少年だった。夜を引き裂くように金色の髪は煌めき、海よりも深く澄んだ蒼い瞳は光を灯し、その背には純白に光る翼が輝き、その両手には白銀と金色に発光する聖剣と魔剣が握られている。
誰もが死んだと思っていた、スペルビアが死んだ宣言した、帝都に居る全員がその“死”の映像を見届けた筈の少年が、彼等の前に再び姿を現した。ウィルたちが、帝都ゲヘナの人々が、神聖な存在を垣間見るように少年を見上げる。
「ラムダ……エンシェント……!!」
「決着を着けよう……もう一人の“俺”よ……!」
その少年の名はラムダ=エンシェント――――スペルビアの前に一度は屈し、死した筈の少年が、“運命”を背負って戦いの舞台へと舞い戻ったのだ。
暗闇に包まれた帝都ゲヘナを照らす“希望”の象徴、輝ける一条の“星”となりて。




