第843話:飛翔
※本日、累計200万PVを突破しました(ちょっとフライングしてますけど……)。
いつも読んでくださっている皆さま、本当にありがとうございます!
これからもラムダたちの旅を、どうぞ見守っていただければ幸いです。
「…………ッ!? 今度は何処だよ……?」
――――気が付いた時、俺は真っ白な何も無い空間に吊ったていた。周りを見渡しても何も見えない、完全な『白』の世界。
唯一分かるのは、この場所が現実ではない事ぐらい。現実味の無い空間に、衣服も着ず生まれたままの姿で棒立ちしている自分の姿も色が無くて真っ白だ。そんな状況が現実の方がおかしい。
「“第十一使徒”は何処に消えたんだ……?」
さっきまで一緒に居た筈の“第十一使徒”の姿は見えない。俺を復活させると言って『輝跡書庫』の“核”を寄越したのは良いが、渡すものを渡したら消え去るのは些か困る。
ここからどう現実世界に帰ったら良いか分からない。適当に歩けば良いのか、それともまた“星”が導いてくれるのか、それすらも分からない。だから俺は少しの間、その場でこれからどうするかを考え込んでしまっていた。
「イレヴン……イレヴンですね!」
そんな時だった、誰かが俺の背後から声を掛けてきたのは。今度は金髪の少年や“第十一使徒”とは違う、少女の声だ。俺をひどく心配しているのか声は震えている。そして、その声の主を俺はよく知っている。
「……ステラ…………」
「あぁ……良かった。やっと見つけた……!」
振り返った視線の先に居たのはアリステラだった。彼女も俺同様に衣服は身に付けていないし、色も俺同様に真っ白だ。多分、何らかの方法で現実の俺に干渉してきた精神体なのだろう。
それでも、目の前にいるアリステラが“本人”なのはすぐに理解できた。彼女も同じなのだろう、アリステラは俺の顔を見るなり、今にも泣き出しそうな表情で俺に駆け寄ってきた。
「良かった……もうあなたに会えないんじゃないかって……私、心配で……心配で……うぅ、うぅぅ……」
「ステラ……」
「謝りたいの……私のせいで、あなたに重い十字架を背負わせてしまった。ごめんなさい、ごめんなさい……イレヴン。本当に……ごめんなさい……」
駆け寄ってきたアリステラは俺に抱きつくと堪えきれなくなったのか泣き初めてしまった。俺がスペルビアに返り討ちにされた事を悔いているのだろう。
そんなアリステラは俺はそっと抱きしめた。何となく理解できたからだ。アリステラが敗北した俺に“機神”との接続を行ない、俺を必死に助けようとした事を。そうじゃなきゃ、接点の無かった俺が“機神”に接触できた理由も、“機神”と融合した俺の元にアリステラが来れる筈もないのだから。
「ありがとう、ステラ……俺を助けようとしてくれたんだね。おかげでまた会えた……大丈夫、俺は此処にちゃんといるよ、ステラ」
「イレヴン……」
「さっきまで“機神”を造った奴と会ってたんだ。心配掛けてごめん……俺が弱かったばかりにステラに心配を掛けてしまった」
真っ白な空間の中で、俺たちは抱き合い続けている。お互いの存在を確かめ合うように、もうお互いの存在を二度と失いたくないように。
アリステラが此処まで俺を迎えに来てくれた事が嬉しかった。同時に理解した、アリステラが迎えに来る事が分かっていたから“第十一使徒”は何も言わずに消えたのだろうと。
「ステラ……俺はもう迷わない、スペルビアにも負けない。“機神”と繋がって……自分の“闇”と向き合って、ちゃんと答えを出したんだ。もう俺は……自分の“夢”から目を背けない」
「イレヴン……」
「ステラ……君のおかげで俺はもう一度、空へと羽ばたける。今度こそみんなを……俺の大切な“星”を護れる。だから戻ろう……みんなのいる場所に!」
アリステラは不安そうな表情をしている。スペルビアの脅威はいまだに去ってはいない。だから、俺は再起して戦場に戻る必要があった。
今度こそスペルビアという“闇”を乗り越えてノアを護り抜く為に、アリステラにアロガンティア帝国を取り戻させる為に。アリステラの手を引いて、俺は直感の赴くままに歩き出そうとした。
だけど、そんな俺の手を離してアリステラは――――
「ごめんなさい、イレヴン……私は行けないの」
「ステラ……いまなんて? なんで手を……」
――――俺との離別を選ぼうとしていた。
手を離し、数歩距離を取ってアリステラは俺から離れた。よく見ると、彼女の身体は足下から光の粒子になって消え掛かっていた。
そして気が付いた、彼女の胸元に装着されていた宝玉が無くなっている事に。昨夜、アリステラと肌を重ねた時には確実に在った物が、今は無くなっている。だから気がついてしまった。
「まさかステラ……俺の為に……」
「はい……あなたを蘇らせる為に、私は“機神”のパーツをあなたに移植しました。だから私は元の世界には戻れません……ここであなたとはお別れです」
「…………っ! どうして……」
「私の為に……私の我儘のせいであなたが死ぬのは耐えられない。だから……これは私の“贖罪”なのです。私の命を差し上げます……だからどうか、もう一度飛翔してください、イレヴン。いいえ……ラムダ=エンシェント……」
「ステラ……君は……」
アリステラは自身の命を投げ売って俺を救おうとしていた。死にかけたていた俺に自身の胸元に在った“機神”のパーツを組み込み、俺に復活のチャンスをくれていたのだ。
たしかにおかげで俺は“第十一使徒”と接触し、『輝跡書庫』との融合を果たせた。だが、その奇跡の代償としてアリステラは代わりに死のうとしていた。
「イレヴン……愛しています。この恋はきっと報われないけど……でも、あなたが幸せなら私はそれで良い、それで良いのです……だから」
「…………」
「どうか、どうか……私の事を、忘れないでください。アリステラ=エル=アロガンティアは……たしかにあなたを愛したのだと、ずっと憶えてきてください。それだけで……私は満足です」
けれど、アリステラの表情には一切の“後悔”は無かった。ただ涙でグシャグシャになったぎこちない笑顔を俺に向けていた。
彼女は自分の恋が報われない事を理解していた。ノアに剣を捧げ、オリビアに愛を誓った俺に付け入る隙はないのだと達観していた。だから、“死”と引き換えに俺の記憶に自分を刻もうとするのは、きっとアリステラの“敗北者”なりの最期の抵抗なんだろう。
だから、俺はそんなアリステラの事が――――
「ふざけるな……死ぬなんて許さないぞ、ステラ!」
「イレヴン……? いったい何を……あっ!?」
――――どうしても許せなかった。
距離を取ったアリステラへと近付き、俺は彼女の手を再び握り締めた。今度は逃げられないように、力強く彼女の手を思いっ切り掴んで。
突然の事にアリステラは驚き、狼狽えたような表情をしている。綺麗な別れを済ませて、綺麗に退場するつもりだったのを俺が急にぶち壊したからだろう。だけど、俺には譲る道理は無かった。
「俺はみんなを護りたい……それはステラ、君もだ! 君も俺の『世界』の一部だ、護りたい“星”なんだ!!」
「けど……私はもう……」
「“機神”のパーツを無くして生命維持が出来ないって言うんなら、俺が新しい命を君に分け与える! だから死ぬなんて言うな! 死ぬことは贖罪じゃない、生きて償う事が本当の贖罪なんだ、ステラ!!」
「でも……私は…………」
「俺はたしかに……君の愛には応えられないかも知れない。でも、俺だって君を愛しているんだ、ステラ! だから君を護りたい、ちゃんと最後まで護らせてくれ!!」
俺はアリステラの事も愛している、護りたいと思う程には。自分の“闇”に怯える俺をアリステラが優しく受け止めてくれたのだから。好きになる理由はそれ以上は要らない。
「俺は君の手にアロガンティア帝国を取り返させる! だから……最後まで一緒にいてくれ、ステラ!」
「イレヴン……私は……私は……!!」
「一緒に翔ぼう、ステラ! そしてスペルビアから取り戻すんだ、君の祖国を! 俺には君が必要だ!!」
「私も……もっとあなたと一緒にいたい……いたい!」
アリステラと再び抱き合って、今度は口付けをする。俺にはアリステラが必要なのだと、アリステラは俺を必要としてくれている事を再確認する為に。
俺は自分の持てる『輝跡書庫』の光をアリステラに口移しで分け与えていく。消え掛かっていたアリステラの身体は徐々に回復していき、彼女の存在は次第にはっきりとしていく。
「さぁ、二人で帰ろう、ステラ!」
「イレヴン……はい、私はあなたについて行きます」
そして、俺はアリステラの手を今度こそ引いて走り始める。何処に向かうかは分かる。みんなのいる場所が、俺たちの帰る場所が今ならはっきりと感じ取れる。
あの日のから、四年前の冬の日から、ずっと重かった身体が今は軽い。女神に見放された事も、憧れていた騎士になれなかった事も、もう怖くはなくなっていた。理解したからだ、本当の俺の“生き方”を。
「待っていろ、スペルビア! 俺はまだ生きている!」
挫折を受け入れて、敗北を乗り越えて、俺は立ち上がる。過去を受け入れ、未来への責任を果たす為に。そして始まるのだった、ラムダ=エンシェントという人間の未来を賭けた『本当の戦い』が。
今回のエピソードでは「無償の愛」と「生きることによる贖罪」を中心に描写しました。
アリステラが示した「報われないと分かっていても愛してしまった」という想いは、心理学者エーリッヒ・フロムが『愛するということ』の中で述べた「成熟した愛(無償性を持つ愛)」に重なります。
ここでいう愛とは、見返りや結果を求めるものではありません。
ただ、相手の存在そのものを慈しみ、「あなたが生きていてくれること」を喜びとする、極めて純粋な感情です。
アリステラの行動は、まさにこの無償性に基づいていました。だからこそラムダに愛を返されることを期待せず、ただ彼の幸福だけを願い、命すら差し出そうとしたのです。
一方、ラムダがアリステラを救った行為は、サルトルの実存主義における「存在は本質に先立つ」という思想に通じています。
すなわち、与えられた状況(死に向かう定め)をただ受け入れるのではなく、自らの選択と意志によって、「生きる」という行為を通して意味を創造する――これが、ラムダが選んだ道でした。
彼は「死んで贖う」のではなく、「生きて苦しみ、生きて償う」という、より困難で、より尊い贖罪をアリステラに選ばせたのです。
さらに言えば、ラムダの行動は中世ヨーロッパの“騎士道精神”の現代的再解釈でもあります。
騎士とは本来、ただ剣を振るう者ではありません。
弱き者を護り、正義に従い、愛と忠誠を貫く者。
ラムダは今回、力ではなく、言葉と行動でアリステラを救いました。
それは――「魂を護る騎士」として、彼が真に完成した瞬間だったと言えるでしょう。
愛するとは何か。
救うとは何か。
生きるとは何か。
その答えをラムダとアリステラの交錯する魂の中に、少しでも感じ取ってもらえたなら幸いです。




