第842話:未来へと歩む、その覚悟
「別の場所に出た……今度はどの場所だ……?」
――――挫折という過去を受け入れ、かつての自分に諭されて立ち上がり、“星”を目指して歩き続けた俺は、あの日の暗い冬の森とは別の場所に足を踏み入れていた。
そこは何処かの都市の、何処かの広場のような場所だった。広大な空間には一面の彼岸花が咲き誇り、広場を覆う円錐状の天井の窓からは一面の星空が広がっている。いいや、星空が広がっているのではない、その場所が星空の中に浮かんでいる。そんな不思議な場所だった。
「なんだよ……あのデカいのは……?」
中でも異質だったのは、広場の最奥に設置された巨大な物体だった。全高二十メートル程の白銀に輝く筒状の装置のようなもの。グォングォンとモーターのような物が回る音が響き、装置は淡い光を放っている。
とりわけ目立つのは、その装置の上部に取り付けられた針の止まった時計盤と、その時計盤の奥に安置された“棺”の存在だった。ノアが眠っていたのと同じ棺で、中には誰かが眠っている。よくは視えない、なんとなく分かるだけだ。
「こんな場所……俺は知らない……」
今まで十五年生きてきて、こんな場所を訪れた憶えはない。帝都ゲヘナの何処かと始めは思ったが、星空に浮かぶ空間なんて帝都には絶対に存在しない。まったく心当たりの無い場所に俺は足を踏み入れていた。
「此処はいったい何処なんだ……!?」
「君が知らないもの無理はない……なにせ此処は君の“記憶”の再現ではなく、私の“記録”の再現だからね……」
「――――っ!? 誰だ!?」
未知の空間に放り込まれて困惑していた俺に、不意に背後から何者かが喋りかけた。落ち着きのある、けれどまだ老齢には程遠い若い青年の声だ。
その声に咄嗟に振り向いて、俺は声の主と対面する。視線の先に立っていたのは、顔を白い仮面で隠した金髪の青年だった。未来を思わせるような特殊な繊維で編まれた黒いスーツを身に纏い、腰には剣を携えている。背格好は俺に近い、そんな不思議な雰囲気をした人物。
「此処は“機神”……古代文明の情報集積体『輝跡書庫』のブラックボックス。歴代の皇帝にも、スペルビアにもいまだに発見されていない秘密の部屋だ」
「そんな場所のいるあなたは……誰ですか?」
「私はこの『輝跡書庫』を設計した者だ。名は……いずれ君なら辿り着くさ。今はただ“第十一使徒”と呼び給え……」
仮面を被った青年は自らを“第十一使徒”と名乗った。以前、天空大陸で出逢った“旅人”がその名を口にしていた。“第十使徒”ノア=ラストアークと共に古代文明を滅亡に追い込んだ人物だ。
“第十一使徒”は言う、いま俺がいるのは彼の“記録”を再現した場所で、『輝跡書庫』のブラックボックスにあたる秘密の領域だと。
「“第十一使徒”……!!」
「そう警戒しなくても良い、私は“第十一使徒”の意識を“人工知能”として複製しただけの存在だ。今さら何もできないよ」
「信じろと?」
「十万年の歳月を“機神”の中で過ごしているのは……私の犯した大罪に対する贖罪なのさ、ラムダ=エンシェント。君なら理解できるだろう……同じ“罪”を犯し、それでも立ち上がろうとする君なら」
「何が目的なんだ……?」
「この『輝跡書庫』は私の懺悔だ。私が滅ぼした古代文明の“記憶”を後世まで遺す為のな……。そして、私は待っていた……この罪を償う瞬間を、君が此処にやって来る時を」
「――――ッ!? 俺を……待っていた……!?」
“第十一使徒”は俺の周りを円を描くように歩きながら語る、自らの正体とその目的を。
曰く、『輝跡書庫』は“第十一使徒”の懺悔の証左なのだそうだ。かつて彼が滅ぼした古代文明の“記憶”を後世に語り継ぐ為の装置、それがアロガンティア帝国が“機神”と呼ぶ装置の正体だった。
そして、“第十一使徒”は待っていたらしい。自らの“罪”を償う瞬間を、俺がこの場所にやって来る瞬間を。“第十一使徒”は仮面越しに俺の顔を見つめる。
「過去を受け入れ、挫折を乗り越え……幼少期に立てた“騎士の誓い”を思い出したようだな、ラムダ=エンシェント。これで君は漸く完成に至った」
「見ていたのか……」
「君の“記憶”を読み取り、あの冬の日の出来事を再現したのは私だ……当然の事だろう。そして、君は幼き日の“悪夢”を受け止め、“理想の自分”と“現実の自分”を統合した。これはスペルビアへと堕ちた“君”がついぞなし得なかった事だ……」
「それに何の意味が……?」
「簡単な話さ……自らの“闇”と向き合い、これを受け入れて超克を果たさねば君はスペルビアには勝てない。これは君が真の戦士として完成するのに必要な通過儀礼だったんだよ」
「スペルビアに勝つって……それはつまり……!」
「そう、私の役目は君を復活させ、より高次元の戦士へと昇華させる事だ。堕ちたラムダ=エンシェントを……スペルビアを乗り越える為のね。その為に私は待っていた……君が此処にやって来るのを」
幼き日のラムダ=エンシェント、まだ理想に縋っていた自分との対話を経て、俺は漸く自分の『本当の願い』に気が付けた。それは“理想を抱いていた自分”と“現実に生きる自分”とを統合する為の儀式だったと“第十一使徒”は語る。
そして、それは全て俺自身が自らの“闇”を受け入れて超克を果たし、スペルビアを超える真の戦士として完成するのに必要な事だったのだと“第十一使徒”は語る。けれど、その声はどこか厳しさに満ちている。
「だが……その復活は過酷なものになる。君はこれから……今まで進んできた“茨の道”よりもより過酷な“修羅の道”を歩むことになる」
「修羅の道……」
「未来へと歩むこと……その“覚悟”を君は決めないとならない。その手を血で汚しても、数多の屍を踏みしだいてでも……本当に護りたいと思う者を護ると誓う“覚悟”だ」
ただ単純な復活ではない。俺が向き合うのは未来へと歩むことへの“覚悟”だと“第十一使徒”は語る。本当に護りたいと思う人を護る為に、修羅になる覚悟はあるかと彼は力強く問い掛ける。
ノアの為に、オリビアの為に、ラストアーク騎士団のみんなの為に、俺はこの手を血で汚し、数多の屍を踏みしだく覚悟を持てと。
「覚悟は……ある! 俺はもう自分の“闇”から目を背けない。大切な人を護る為なら、俺は修羅にもなってみせる!」
「その覚悟は生半可な道ではない。その歩みの果てに……君は大きな“決断”を迫られるだろう。この私と同じようにな。そして……その“決断”の果てには大きな“罪”が待っている。君一人の命では到底贖いきれないような大きな“罪”だ……君が征く路の先に名誉は無い」
「…………」
「それでも君は“未来”へと向かって歩くか、ラムダ=エンシェント? これから君が歩む道は……世界の命運を決める旅路だ。愛する人を護る為に……君は罪を背負う“覚悟”はあるか?」
“第十一使徒”は言う、これから俺が歩む道は名誉が与えられるような旅路ではないと。この身を修羅にして、大きな“決断”と“罪”を背負うべき旅であると。
彼は問うている、俺自身の“選択”を。まだ引き返せるチャンスをくれているのだろう。このまま諦めて“死”を選ぶ事もできるのだと“第十一使徒”は促している。
「それでも俺は……ノアを護りたい……!」
「分かった……君の“覚悟”、しかと見届けた」
それでも俺の決意は変わらない。大切な人を護る為なら俺はどんな試練も乗り越えてみせると、そう“第十一使徒”に力強く宣言した。
そして、俺の“覚悟”を見届けた“第十一使徒”は左腕を、黒い機械の腕を差し出すと、その掌に小さな光を灯し始めた。
「これは……?」
「その“覚悟”に報いる為に、私は自らの役目を全うしよう。この光は『輝跡書庫』の“核”だ。これを今から君に移植する……」
「…………ッ!」
「君はこれからこの『輝跡書庫』を……古代文明の全ての“記録”を背負って立ち上がるのだ、ラムダ=エンシェント。もはや君はアーティファクトの使い手ではなく、生きるアーティファクトそのものへと進化するんだ」
「俺が……アーティファクトそのものに……」
その光は『輝跡書庫』の“核”となるものだった。よく目を凝らせば、その光が異常とも言える程の情報を内包した情報集積体である事が分かった。
そんな光を“第十一使徒”は俺へと移植するつもりらしい。それは俺が『輝跡書庫』を全て内包し、俺自身が“機神”として、生きるアーティファクトそのものになるという事を意味していた。
「“機神”そのものとなった君はもはや『人間』ではなくなる。有機体と機械が混じり合った半機半人の存在に……“機人”へと生まれ変わる」
「“機人”……」
「人間である事を諦めろ、ラムダ=エンシェント。さすれば君はスペルビアにも勝る、女神アーカーシャにも届く存在へと昇華できる。それが……君が未来へと歩き始める、その第一歩だ」
その光を受け入れれば、俺は『人間』ではなくなる。その身に古代文明の“記録”を保持したアーティファクトそのものへと変化してしまう。それはきっと“死”よりも過酷な選択なのだろう。
「分かった……それでも構わない。やってくれ」
「即答か……素晴らしい“覚悟”だ。感服したよ」
けれど、躊躇う必要は微塵にも無かった。俺は迷わずに手を伸ばして、“第十一使徒”の掌で輝いていた『輝跡書庫』の光を掴み取った。
同時に、光は眩く輝き始め、俺は巨大な白い光へと呑み込まれだしていく。その様子を“第十一使徒”は仮面越しに見守っていた。
「いずれ君はこの場所へと至る……この場所こそが君の旅の終着点だ。そして見届けるが良い……君が始めた旅の意味を、ノア=ラストアークが待ち続ける“真実”の正体を」
「…………ッ!!」
「残す五つの試練を残り越え、一つの大きな“決断”を下し、そして誰もまだ見ぬ『結末』へと辿り着け! それが君が歩む“未来”だ、ラムダ=エンシェントよ!!」
そして、俺は『輝跡書庫』の放つ光へと呑み込まれていくのだった。“第十一使徒”の言葉を受け止め、彼の奥で眠る巨大な装置の姿をその眼に焼き付けながら。
【心理学・哲学的観点から見た、ラムダ=エンシェントの自己超克と覚悟】
前回の第841話、今回の第842話を経て、ラムダ=エンシェントは二つの決定的な「自己対話」に臨みました。
一つは「過去との対話」。
かつて夢見た“騎士の誓い”を果たせなかった自己=インナークリティック(内なる批判者)との対話により、ラムダは"理想を抱いていた自分"と"現実に生きる自分"の統合を成し遂げました。
これは臨床心理学でいうところの「インナークリティックの受容と和解」という非常に高度な精神的過程にあたります。
自己否定に囚われるのではなく、かつての夢を肯定的に再解釈し、今を生きる原動力に変える――
それは単なる成長ではなく、「存在の再定義」そのものでした。
もう一つは「未来との対話」。
第十一使徒との邂逅を通じて、ラムダは「人間性を捨ててでも守りたいもののために歩み続ける覚悟」を問われます。
哲学的に見れば、これは「存在論的決断」です。
すなわち、自己の存在様式を選び取り、未来を創造する意志そのもの。
ここでラムダは、ただの“生き残り”ではなく、“修羅の道”を選び取りました。
過去(インナークリティック)と未来(存在論的覚悟)――二つの対話を経て、ラムダは精神的に「完全な自己」として完成に至りました。
【まとめ】
本作では「努力・友情・勝利」や「苦労したけど最後には何とか勝てました」といった従来の王道的成長モデルではなく、
・自己否定(インナークリティック)の超克
・存在選択(存在論的自己決定)
・贖罪と再起
という非常に深い心理学・哲学的成長を、物語の核心に据えています。
この流れは、単なるエンターテイメントを超えた、
読者一人ひとりの心に響く“自己再生”の物語でもありたいと私が願ったからの成長譚です。
ラムダ=エンシェントの歩みが、私たち自身が「過去を背負い、未来へ歩む」ための、小さな道標となることを願って――。




