第837話:エリュシオンの空
「ラムダさんが……死んだ? そんな……」
――――帝都ゲヘナ上空にて。ノアは“天空神機”ウラヌスの操縦席の中で震えていた。今しがた流されたスペルビアの通信で流されたラムダが倒される映像を見てしまったからだ。
(分かっていた、ラムダさんではスペルビアさんには勝てない事は……なのに私はラムダさんを止なかった。どうしよう……私のせいだ、私の……)
ノアは分かっていた、ラムダがスペルビアには勝てず返り討ちに遭う未来を。だけど彼女はラムダを止めなかった。ラムダがスペルビアを一人で抑え込まなければ、アリステラは“機神”に到達できず、帝都ゲヘナ解放によるラストアーク騎士団の進撃は始まらなかったからだ。
(止めなかったのは……私の責任だ……)
それでも、例えラムダの判断が戦局的に正しいものだったとしても、ラムダが危険に曝される作戦を承知した事をノアは激しく後悔していた。
《おいおい、動揺している場合か? テメェの相手はこのオレだぜ? 気ぃ抜いんなら今すぐに落とす!!》
「――――ッ!? くっ……!!」
そんな動揺するノアを敵は待ってくれない。“天空神機”ウラヌスの全天周囲モニターの後方部分に機影が映り込む。エージェント・スペスが操る“天空神機”ユピテルだ。
背後を取られた事を察したノアは手にしていた操縦桿に備え付けられた複数のボタンを素早くタップして機体を動かして反撃行動に打って出る。
《わざわざ喋り掛けてくるなんて迂闊ね!》
《ハッ、意外と冷静だな。持ち主が死んだってのによ!》
手持ちの大型ビームライフルに光量子ブレードを纏わせた“天空神機”ユピテルの叩き斬り、それを“天空神機”ウラヌスは振り向きざまに手にした“フォトン・サーベル”で弾いた。
そのまま“天空神機”ウラヌスは“天空神機”ユピテルの機体を蹴り飛ばしながら後方に飛び退いて距離を取り、エージェント・スペスの次の攻撃に備える。
《テメェの持ち主は……ラムダ=エンシェントはもう死んだ! それでもまだあいつに……この世界に奉仕するつもりか、ノア?》
《そうです、それが何か……?》
《ハッ、つくづく人間の“奴隷”だな、ノア=ラストアーク。まだ自分自身の『価値』が分かってねぇのか?》
大型ビームライフルから高出力のビームを撃ち出しながら、エージェント・スペスは通信越しにノアを煽る。ラムダ=エンシェントは死んだ、いつまで彼に操を立てるのだと。
そんなエージェント・スペスの問い掛けに対し、ノアは毅然とした態度で『そうだ』と答える。“天空神機”ウラヌスを巧みに操り、迫りくるビームを左右に素早く動いて開始しながら。
《私には責任がある……果たせねばならない贖罪がある。たとえラムダさんが倒されたのだとしても……それは私が諦める理由にはならない!》
《そうかい……なら、やっぱテメェをその“玩具”から引き摺り出して直接分からせるしかねぇようだな!! 教えてやんよ……テメェはもうラムダ=エンシェントの物じゃねぇ、スペルビア様の所有物だってよぉ!!》
エージェント・スペスの宣言と共に、背部のウィングから光量子を噴射して“天空神機”ユピテルは大きく浮上する。
そして、頭上を取った“天空神機”ユピテルは両手に装備した大型ビームライフルの銃口を“天空神機”ウラヌスへと向ける。ノアは即座に察した、エージェント・スペスの狙いを。
《頭上を取っての砲撃、射線上には帝都ゲヘナの市街地……そう、私に躱すなと言っているのね、エージェント・スペス。狡い真似をしてくれますね……》
《そのとーり! オレの攻撃を躱せば眼下の市街地が広範囲吹っ飛ぶ。そうなりゃ、無辜の民が大勢死ぬぜ……アッハハハハハハ!!》
《どうやら……あなたには軍人としての誇りは無いらしいですね、エージェント・スペス。守るべき人たちに刃を向けるとは何事か……恥を知りなさい、恥を!!》
《恥なんてもんはなぁ、とっくの昔に失くしたんだよ! “人形”の分際で……人間でねぇくせにオレにお説教か? うぜぇんだよ、ノアッ!!》
エージェント・スペスは“天空神機”ウラヌスに狙いを定めると同時に、遥か下方に居る帝都ゲヘナの住民たちにも狙いを定めていた。“天空神機”ウラヌスが回避行動を取れば放たれた弾丸はそのまま市街地を焼き、大勢の市民や軍人が巻き添えを食らう事になる。
それを理解していたノアは声を荒げてエージェント・スペスを糾弾する。だが、エージェント・スペスがノアの声に耳を傾ける事はない。それどころかさらなる逆上を見せていた。
《さぁ、受け止めて見せなァァ!! “フォトン・マグナム”最大出力……発射ォォ!!》
《くっ……ウラヌス、出力全開!!》
そして、“天空神機”ユピテルの大型ビームライフルから凶弾は放たれた。機体の周囲を覆っていた雲を吹き飛ばしながら放たれた超圧縮された光量子の弾丸は“天空神機”ウラヌスに向かって、そして帝都ゲヘナの市街地に向かって勢いよく落下していく。
(出力計算……光量子圧縮率二万パーセント。宮殿地下で撃った時の四倍の出力……それなら! 出力調整……ウラヌスが装備している“フォトン・シールド”に【付与】で“崩壊”の特性を付与……データ入力開始)
“天空神機”ウラヌスに着弾するまでの時間は猶予三秒。その刹那の間にノアは有効な打開策を見いだす必要があった。ノアは立体映像で表示された半円状のキーボードを目の前に出現させると、目にも留まらぬスピードで何千個も配置されたボタンをタップしていく。
通常、“天空神機”や“鋼鉄巨兵”に分類される大型兵器はあらかじめ『動作』を学習されており、操縦桿や各種ボタンを操作する事によって学習された『動作』を引き出す仕様になっている。
そうしなければ、操縦桿や数百個のボタンだけでは人型兵器に複雑な動作はさせられないからだ。現にノアが操る“天空神機”ウラヌスにも、あらかじめノアが仕込んだ動作が数万通りにも渡って学習されている。
(エージェント・スペスは私が攻撃を捌き切る事を前提に動く筈。ならば、それに対抗する動きを仕込んで……)
それに加え、両手、そして装着したヘッドギアからの脳波を用いてキーボードを弾くことでノアは即興のプログラミングを行ない、“天空神機”ウラヌスに新たな『動作』を学習させる事ができる。
ノアは迫りくる光弾を前に恐る事なくキーボードを弾き、“天空神機”ウラヌスに『次の行動』を仕込んでいく。キーボードを叩き出してから動作完了まで僅か2,8秒、タップや脳波入力によって打ち込んだコード数は実に数千、驚異的な速さである。
《受け止めなさい、ウラヌス!!》
そして、全ての仕込みを終えた“天空神機”ウラヌスは両腕に備え付けられていたビームシールドを起動させ、機体を丸々覆う大型のシールドを形成、“天空神機”ユピテルが撃ち出した光弾を真正面から受け止めた。
同時に凄まじい衝撃波が発生し、“天空神機”ウラヌスの周囲にあった雲が吹き飛んでいく。ノアが居る操縦席にも激しい衝撃が伝わり、ノアは身体を大きく揺らされていた。
《ぐっ……!? 耐えなさい、ウラヌス!》
《ハッ、無駄だ! オレの“天空神機”ユピテルはテメェのウラヌスを仮想敵として設計されている! 全部分かってんだよ、テメェの“玩具”の性能なんざぁ!!》
《私のウラヌスを……知っている……!? まだ魔王継承戦の最終決戦でしか披露していないウラヌスを?》
《そうさ、知ってるさ……テメェの事は古代文明時代から知っている! だからオレは負けねぇ、テメェの“手札”は全てお見通しだ!!》
《なるほど……そうですか。貴女の正体は……!》
それでもノアは操縦桿を強く握り続け、ノアの意志に呼応するかのように“天空神機”ウラヌスも光弾を耐え続ける。
光弾の出力を正確に見抜いたノアはビームシールドにありったけの出力を回し、シールドそのものに【付与】で接触した物質を強制的に分解する“崩壊”の特性を付与していた。それ故か、シールドは損壊しつつも、光弾を確実に分解しつつあった。
《――――ッ!? 馬鹿な……防いでいるのか……》
《私は貴女の想像の先を征く……もう設計図どおりの“人形”じゃない。ラムダさんとの“愛”を知って、この身に“祝福”を授かった今……私はさらなる高みへと到達しているのよ!!》
《あり得ねぇ……対策は完璧な筈だ……!》
《私は常に進化を続けている……私を舐めない事ね、エージェント・スペス!! ウラヌス、こんな高出力砲、軽く受け止めきりなさい!!》
《なら……直接打って出てやるまで……!!》
エージェント・スペスの動揺を誘いつつ、“天空神機”ウラヌスはシールドを強く押し込んで光弾を完全に霧散させて砕いて見せた。
砕かれた光弾が無数の粒子になって周囲へと拡散していく。その中でノアは休み間も無く両手に握った二本の操縦桿を巧みに操り、“天空神機”ウラヌスに迎撃の準備を始めさせる。
そして、ノアが息を済ませた刹那――――
《不意打ち……これならどうだぁぁーーーーッ!!》
――――“天空神機”ユピテルが“天空神機”ウラヌスの背後から襲い掛って来るのだった。
ノアの背後のモニターで“天空神機”ユピテルのツインアイが輝く。大型ビームライフルの銃口から光量子によるブレードを展開し、エージェント・スペスは接近戦を仕掛けていたのだった。
光弾が弾かれた刹那、眩い光が空域を覆った瞬間、“天空神機”ユピテルは加速して“天空神機”ウラヌスに接近、背後を取っての奇襲へと移行していた。
《視えてるよ……エージェント・スペス……》
《なっ……これも読まれて……!?》
しかし、エージェント・スペスの行動はノアに完全に読まれていた。エージェント・スペスが操縦席から目撃したのは、振り向いて此方を視認する“天空神機”ウラヌスの輝けるツインアイだった。
そして、“天空神機”ユピテルが薙ぐように振り抜いたビームサーベルを跳躍で躱しながら“天空神機”ウラヌスは錐揉み回転をし――――
《私を甘く見ないでよね、エージェント・スペス!》
《馬鹿な……オレが完全に読まれ……ぐおぉぉ!?》
――――そのまま“天空神機”ウラヌスは“天空神機”ユピテルの胸部、操縦席部分に鋭い蹴りを披露して機体を思いっきり吹き飛ばすのだった。




