第826話:悪夢 -Nightmare-
「死ね、ラムダ=エンシェント!」
「その言葉、テメェに返すぜ、スペルビア!」
――――アロガンティア帝国皇帝スペルビア、もう一人の『ラムダ=エンシェント』との死闘は幕を開けた。スペルビアが俺の首を目掛けて振り抜いた魔剣の一閃を、振り上げた魔剣の一閃で防ぐ。
“神殺しの魔剣”どうしがぶつかった瞬間、恐ろしい魔獣の咆哮のような轟音が轟き、赤黒い稲妻のような魔力が迸って礼拝堂の彼方此方を砕いていく。
「エージェント・アウル、さっさと“棺”をアマテラスへと運べ。ノアを決して敵の手に落とすな」
「イエス、ユア・マジェスティなのだ……」
「させません! ジブリール、あの“棺”を破壊し、内部に納められた『私』を破壊しなさい!」
俺とスペルビアはお互いに斬り結び、動きは膠着化する。その隙を突いて、エージェント・アウルはシリンダーに納められた『ノア』を連れ去ろうとしていた。
エージェント・アウルの足下に白い魔法陣が展開される。指定した二点を瞬時に移動する“転移陣”だ。それを用いて彼女はシリンダーを旗艦アマテラスへと運ぶつもりなのだろう。
「荷電粒子砲『ソドム』『ゴモラ』――――起動!」
ノアの命令を受けたジブリールが、手首のアクセサリーに量子化して格納していた荷電粒子砲を両手に装備する。
シリンダーに納められた『ノア』はスペルビアにとっては自らの存在意義にも等しい大切なものだ。それを壊されれば、スペルビアは決定的な“敗北”を喫する事になるのだろう。
「これ以上、ノア様を苦しめる事は許せません!」
ジブリールは迷う事なく荷電粒子砲の引き金を引き、シリンダーに寄り添うエージェント・アウルに向かって砲口から集束した白い閃光が放たれる。
俺とスペルビアの真横を通過し、荷電粒子砲の閃光がエージェント・アウルへと迫っていく。しかし、エージェント・アウルは一切動じる事なく、ただ静かに手にした魔杖に魔力を集中させるだけだった。
そして、エージェント・アウルが手にした魔杖の先端で床を叩いた瞬間――――
「“廻帰時間神殿”【永久少女・時間矛盾領域】!」
――――エージェント・アウルを中心に結界が展開し、荷電粒子砲の閃光は結界に阻まれて消滅してしまった。
アウラ=アウリオンが操る“時間魔法”による結界、それをエージェント・アウルは発動していた。結界に触れた瞬間、荷電粒子による一撃の時間が巻き戻され、そのまま“発生前”まで時間を巻き戻されてしまったのだ。
「ふっ、無駄なのだ……あたしの“時間結界”を前にそんなちゃちな攻撃、届くはずも無いのだ」
「くっ……これは予想外の事態……」
「スペルビア様、悲願の達成を共に果たしましょうなのだ。そして、取り戻すのだ……あの日々を」
そして、ジブリールの攻撃を防いだエージェント・アウルはスペルビアの無事を祈りつつ、“転移陣”から放たれた光に包まれてシリンダーごと何処かへと消えていってしまったのだった。
俺の右眼からもエージェント・アウルの反応は消失した。おそらくは言葉通り、旗艦アマテラスへと『ノア』ごと転移して行ったのだろう。
「これでお前は私の『ノア』には手出しできなくなった。そして、今の私ならお前の『ノア』には簡単に手を出す事ができるぞ……!!」
「――――ッ! これ以上、ノアに触れさせるか!!」
これでスペルビアが護る『ノア』には容易に手出しはできなくなった。旗艦アマテラスが何処に居るかは分からないが、其処に連れて行かれた以上、簡単には事は運ばなくなったと見るべきだろう。
エージェント・アウルの離脱を確認し、スペルビアは一気に攻勢を強めだした。魔剣の刀身から魔力による衝撃波を繰り出して俺を弾き飛ばし、スペルビアはそのままノアに向けて左腕を伸ばしてきたのだった。
「ノア、避けるんだ!!」
「あっ……あぁ……!?」
迫りくるスペルビアを前に、ノアは硬直している。捕虜になっていた時に彼にされた暴行がフラッシュバックし、本能的に身体が竦んでしまっていたのだ。
そんな固まったノアの頭部を目掛け、スペルビアはアーティファクトの左手を伸ばしていく。このままだとノアが再び捕らえられてしまう。そう咄嗟に判断し、俺もジブリールもスペルビアを迎撃しようとしたが間に合いそうにない。
そんな、絶体絶命の窮地を救ったのは――――
「これ以上の悪行は私が許しません、スペルビア!!」
「――――ッ! アリステラ=エル=アロガンティアか……」
――――アリステラが撃ち放った一発の銃弾だった。
魔銃グリフォンから放たれた魔弾はスペルビアの左手に直撃、金属が弾けるような鈍い衝撃音を響かせてスペルビアの左腕を大きく弾いていた。
その隙に荷電粒子砲から手を離したジブリールがノアを抱きかかえてその場から飛び退き、同時に魔剣を振りかぶって俺はスペルビアへと斬り掛かった。
「くっ……邪魔だ、退け!」
「させるかよ、スペルビア!」
俺の放った斬撃を魔剣で受け止めながら、スペルビアが俺越しにアリステラを睨んでいる。あと一歩のところを邪魔立てした彼女に対して、空間がピリピリと震える程の強い殺意のような激情を放っている。俺がアリステラに対して絶対に抱かないであろう感情だ。
「その殺気で確信しました、貴方はやはりイレヴンとは似て非なる存在です、スペルビア。貴方にはラムダ=エンシェントの“闇”を名乗る資格はありません」
「ほう……だったら私は“何者”だと言うんだ?」
「貴方は……ただの“悪夢”です、スペルビア。イレヴンの征く道を闇で覆い隠す、ただの悪い夢。私の事を受け入れてくれたイレヴンと、私から何もかも奪った貴方が……どうして同じだと言えるのでしょうか?」
「私が……ただの“悪夢”だと……?」
「貴方はイレヴンの……ラムダ=エンシェントの精神が極端に歪められて生まれた怪物です。イレヴンが全てを失っただけでは貴方にはならない……もっとおぞましい感情の怨嗟が干渉して生まれたのが貴方です、スペルビア!」
その殺気を以って、アリステラはスペルビアの正体を暴いた。彼は『ラムダ=エンシェント』の“闇”ではなく、その“在り方”を無理やり歪めて生まれたのがスペルビアであると。
その事を宣言されたスペルビアは言葉を失い、アリステラは仮面越しに凝視する。そこにはさっき迄の殺気は籠っていない。もっと“虚無”に近い、けれど荒々しい感情が感じられる。
「私を……俺が歩んだ道程を否定するか、アリステラ=エル=アロガンティア……! 騎士になる事を望み、ノアの騎士である事を願い、大切な人たちの幸福の為に戦った私を……否定するのか!!」
「否定はしません……ただ、被害者面はやめなさい」
「私はまだ戦える……我がエージェントたちの為に……ノアの為に……あの日々を取り戻す為に……もう一度、ラムダ=エンシェントに戻る為に! 私はもう……後戻りは出来ないんだァァ!!」
それは“悪夢”に成り下がった少年の成れの果てが世界に刻んだ“呪い”だった。ドス黒い怨念と魔力を全身から解き放ち、スペルビアは慟哭する。
かつての輝かしい日々を取り戻す為に、失った“愛”を取り戻す為に、もう一度『ラムダ=エンシェント』へと戻る為に、スペルビアは“悪”へと堕ちていった。
「我が祖国を攻め滅ぼし、我が家族を殺めた大罪……その命をもって贖いなさい、“傲慢の魔王”スペルビア!」
だが、それでもスペルビアが犯した“罪”が赦される訳では無い。彼を裁くのはアリステラ、全てを奪われた帝国皇女は慟哭する“傲慢の魔王”に対して、魔銃の銃口を突きつけるのであった。




