第825話:Code:Resurrection
(こいつがスペルビア……もう一人の俺……)
――――インペルティ宮殿の一画に在る礼拝堂で、俺は遂にスペルビアと相見えた。アロガンティア帝国を侵略し、アリステラから全てを奪い、ノアに消えない“傷”を刻み込んだ男に。
「…………っ」
「ノア、俺の後ろに……」
スペルビアの姿を認識したノアは怯えて震えている。まだ彼から受けたトラウマが癒えていないのだろう。俺は盾になるようにノアの前に立ち、左手に“神殺しの魔剣”を握り締める。
「そう身構えるな、ラムダ=エンシェント。ノア=ラストアークを殺しはしないさ……私の計画の為にも生きていて貰わねばならないからな。それに……ノアを殺すのは『ラムダ=エンシェント』の矜持に反するだろう?」
「貴様……!!」
「お前とて私の思想は理解してる筈ではないか、ラムダ=エンシェントよ? だからすぐには攻撃しない、待っているんだろ……私が抱く『犯行動機』を?」
俺が武装したのを見て、スペルビアが静かに笑う。そして、彼はおもむろにヘルメットを左手で外して素顔を晒し始めた。
生気の無い白い肌、完全に染まりきった黒髪、血を零したように染まる朱い両眼、顔中に刻まれた酷い戦傷の跡。俺よりもより過酷で残酷な運命を辿ってしまった少年の残骸がそこには在った。
「本当に……マスターにそっくりなんですね……!?」
「私の女神アーカーシャに“夢”を否定され、父アハトに追放され……ノアと出逢った。そして、グランティアーゼ王国で挙げた功績を認められて王立ダモクレス騎士団に迎えられ、『アーティファクト戦争』でグラトニスを討ち破って英雄になった」
「イレヴンと同じ軌跡……」
「そして『グランティアーゼの落涙』で“理想”を否定され、ラストアーク騎士団の一員として無我夢中で戦った」
「それが……どうしてこんな事に……?」
「ずっと勝てると信じてた、ノアと一緒なら負けないと思っていた。だが……現実は非情だった。負けたんだ、俺は……ラストアーク騎士団は“神”を前に為す術なく全滅した……」
スペルビアは殺気を放ちつつも静かに自身の軌跡を語りだす。それを俺には止める理由は無かった。知るべきだったからだ、もう一人の『ラムダ=エンシェント』が歩んだ結末を、俺も至るかも知れない“可能性”を。
スペルビアとなった『ラムダ=エンシェント』も俺と同じように、絶望と再起から物語を始めていた。ノアと出逢い、冒険者パーティ『ヴェルベルグ』を結成して王国中で戦果を挙げ、王立ダモクレス騎士団へと迎えられ、『アーティファクト戦争』で魔王グラトニスを打ち倒して英雄になり、反逆者として全てを失い、ラストアーク騎士団の一員として世界と戦い出した。
「“神”との戦闘で戦艦ラストアークは落とされ、多くの仲間たちが死んでいった。そして、あいつに果敢に挑んでいったみんなは……無慈悲に殺されていった」
「…………」
「オリビアも……アリアも……コレットも……レティシアも……リリィも……アウラも……ジブリールも……全員だ。全員……殺されてしまった。私自身も……右腕を失い、聖剣シャルルマーニュも砕かれてしまった」
だが、スペルビアはある日、“神”なる存在に全てを奪われてしまった。戦艦ラストアークを落とされ、ラストアーク騎士団の仲間たちを全員失い、オリビアたち大切な人たちも全員を殺され、自身も手酷い傷を負わされてしまった。
自身の敗北の記憶を語るスペルビアの表情には、僅かな“恐怖”の感情が滲み出ている。それが彼を『ラムダ=エンシェント』から『スペルビア』へと失墜させてしまったのだろう。
「そして……ノアすらも殺され、俺の心は完全に折れてしまった。あとは怯えた仔鹿のように逃げるだけだった。あいつは……“神”はそんな俺をただ憐れんでいたよ」
「それで……」
「いずれお前もそうなる。どれだけ頑張っても奴には……“神”には勝てん。奴が生み落とされた瞬間に、ラストアーク騎士団の、ラムダ=エンシェントの“敗北”は決定的になる……それが“運命”なんだよ」
大切な仲間を護れず、誓いを立てたノアすら護れず失ってしまった。そんな絶対的な敗北を味わったラムダ=エンシェントの末路なんて容易に想像できる。ただ発狂して精神崩壊するしかない。
「なら……敗北が決定的なら、私の国を奪う道理が理解できない! 黙って世界の隅で怯えていれば良いものを……負けた癖に往生際が悪い!!」
「ステラ……」
「往生際が悪いのはお互い様だ、アリステラ=エル=アロガンティア。私はまだ、諦める訳には……ぐっ、うぅッ!? 頭が……割れる……!? 私は……俺は……まだ、まだぁ、諦める訳には……」
「スペルビアの様子が……?」
「俺にはまだ……“星々”が残されて……うぅ、がぁぁッ!? 誰だ、俺の背中を押すのは……!? 違う、違う……俺はもう……負けて……」
負けて心が折れた癖に今さら何をするのか、そうアリステラに悪態をつかれた瞬間、スペルビアは左手で頭を抱えて苦しみだす。本能に刻まれた“敗北”と、それでも抗おうとする“理性”が精神を蝕んでいるのだろう。
「アリステラ=エル=アロガンティアの言葉に惑わされては駄目なのだ、スペルビア様。貴方はまだ負けていない……ノア=ラストアークを蘇らせ、またあの日々を取り戻すのまで立ち上がり続けるのだ」
「エージェント・アウル……アウラちゃん……」
「あぁ……ああ、そうだな、エージェント・アウル。お前の言う通りだ。私はまだ諦めていない……ノアを取り戻すまで、私は屈する訳にはいかない……」
動揺を見せるスペルビアを律したのは、女神像の背後から現れた小柄な少女だった。エージェント・アウル、黒いアーマーで全身を覆った女将校。ノアの言葉が正しいなら、彼女は並行世界から現れた『アウラ=アウリオン』という事になる。
エージェント・アウルが言葉を発した瞬間、彼女の身体から白い靄のような魔力がスペルビアを覆い、その靄を取り込むと同時にスペルビアは平静さを取り戻していた。
(今のはいったい……回復魔法の類か?)
理屈は分からない、何をしたかは不明だが、エージェント・アウルがスペルビアに何らかの干渉をしたのは間違いないだろう。
そして、落ち着きを取り戻したスペルビアは再びヘルメットを装着すると、魔剣を強く握りしめ、礼拝堂に強風のような魔力の奔流を発生させる。
「エージェント・アウル、“棺”を旗艦アマテラスに運び込め。今から此処は戦場に変わる」
「イエス、ユア・マジェスティ……!」
「全軍を動かせ、ラストアーク騎士団を殲滅する。指揮はエージェント・スペスに執らせろ……」
「イエス、ユア・マジェスティ!」
「私はラムダ=エンシェントを始末し、この世界のノアを回収する。これより作戦名『コード:リザレクション』を開始せよ、エージェント・アウル」
いよいよスペルビアの野望が本格的に始動するのだろう。シリンダーに納められたノアの亡骸を旗艦アマテラスに運ぶようにエージェント・アウルに命じ、スペルビアは俺に向けて鋭い殺気を、ノアに向けて恐ろしいまでの威圧感を放っている。
コード:リザレクション――――それが一連のスペルビアの野望の集大成。亡きノアを復活させ、輝ける“あの日々”を取り戻す為の『ラムダ=エンシェント』の最後の抵抗。その達成の為にスペルビアは大きく一歩を踏み出し始める。
そして、スペルビアが踏み出した足を地に着けた瞬間――――
「さぁ、お前のノアを私に寄越せ、ゴミ屑よ」
「お断りだ、ノアは渡さねぇよ、このゴミ野郎!」
――――スペルビアは俺の前に瞬間移動して、右手に持った魔剣を首に目掛けて振りかぶってくるのだった。




