第818話:インペリアル・シティの下水道
「ゔぉえ……なに此処くっさ〜!?」
「そりゃ下水道ですからね、キルマリアさん……」
――――“空中浮遊帝都”ゲヘナ、地下下水道、時刻は早朝。俺、アリステラ、ジブリール、ウィル、キルマリアの五名で構成された特殊部隊タスクフォースⅩⅠは古びた排水口から帝都の下水道に侵入し、そこからインペルティ宮殿を目指す作戦へと打って出た。
「リヒター=ヘキサグラムは二時間後にインペルティ宮殿を訪れる予定だ。その前に俺たちも宮殿へと到達しておかなきゃ……」
「あんまり悠長にしている時間はなさそうだね」
「にしたって……なにも下水道なんて通らなくても良いじゃない。あっ……駄目だ、臭すぎて吐きそう……!? ちょっと向こうで吐いてくる……オェ〜」
「ちょっとキルマリア、悠長にしている場合では……」
「しかしながらアリステラ様……というか皆さん、キルマリア様と同じで顔色は優れていなさそうですね? まぁ、弊機は機械天使ですので、臭いでどうこうなる可能性はございませんが……フッ」
「こいつ……バカにした笑い方してやがる……」
皇帝スペルビアとリヒター=ヘキサグラムの謁見は四時間後に始まる。リヒター=ヘキサグラムがインペルティ宮殿に足を踏み込むのは二時間後だ。俺たちタスクフォースⅩⅠはそれまでにインペルティ宮殿へと侵入する必要がある。
宮殿に潜入した後は速やかにアリステラと“機神”との接続を回復し、アロガンティア帝国軍の統制を乱す。そして、帝国軍が混乱している内にノアを発見し奪還する。それが俺たちの行動計画だ。
「ステラ、この下水道に帝国軍が居る可能性は?」
「スペルビアに支配される前でしたら、この下水道には兵士は配備されていませんでした……まぁ臭いので。せいぜい監視用の警備ゴーレムが居たぐらいね」
「けど今は……?」
「さぁ、それは私には見当もつきません。あのスペルビアのこと……いいえ、今のアロガンティア帝国軍の考えは読めませんので、警戒は怠らないのが吉でしょう」
「アリステラ様の言う通りだね……」
「オェ〜、くっさ〜〜(泣) この高貴なる吸血鬼であるわたしには相応しくない環境だわ〜〜(泣)」
「ウィルさん、あいつ置いて行って良いですか?」
「ははは……まぁキルマリアちゃんはタスクフォースⅩⅠで唯一の魔法使いだし、ちょっと多めに見てあげてよ、ラムダくん。あ、あはは……」
薄暗い下水道には帝国兵の姿はまだ見えない。巨大なパイプ状の通路の中央に悪臭を放つ下水が流れ、誘導灯の微かな光が灯っているだけだ。アリステラ曰く、前皇帝時代の下水道の警備は専用のゴーレムが担当していたらしい。
しかし、現在のアロガンティア帝国軍の指揮はスペルビアに委ねられている。催眠装置で相手の意思すら剥奪するようなやつだ、下水道にも兵士を無理やり配置させていると考えて良いだろう。
「私がインペルティ宮殿までの道を案内します」
「道が分かるのか、ステラ?」
「当たり前です、イレヴン。私は帝国第二皇女、帝都ゲヘナの地形はほとんど把握しているわ。さっ、さっさと行くわよ……置いて行きますよ、キルマリア?」
「うへぇ〜、ちょっと待って〜……臭い〜(泣)」
「やれやれ……高貴な身分のお姫様も難儀なものだね〜。まっ、キルマリアちゃんが楽しそうでなにより……早くしないと本当に置いていくよ〜」
「待ちなさい、ウィル。わたしを置いてくな〜」
俺たちは全員、武器を構え、戦闘態勢を維持したまま下水道の奥へと進んでいく。悪臭漂う暗闇の中で、流れる汚水の音と足音がだけが響いている。
下水道内は酷い臭いだ。大袈裟に反応するキルマリアほどではないが、俺も少し嘔吐しそうな程に臭いが強烈だった。正直な所、全力疾走で走り抜けたい気分だ。
「ところでステラ……この街、空に浮いちゃってるんだけど、下水道って意味あるのかな?」
「そんなこと私が知る訳ないでしょう、イレヴン。そもそも……帝都ゲヘナの水源は都市の地下を流れる地下水脈から得ているもの。そして、汲み上げた地下水を利用し、出た排水はこうして下水道を通じて処理施設に送られ、綺麗に浄化されて地下水脈にリリースされるのよ」
「けど帝都は浮かんでるんですけど……」
「し・り・ま・せ・ん! おおかた処理施設で浄化した排水はそのまま空から垂れ流して、新しい水源は街を下降させて汲み上げているんでしょう」
「んな非効率な……」
「その推理、間違ってるわよ、アリステラ。この帝都の浮遊には『都市の存続』なんて観点は置かれていない。水源が尽きればそのまま住民は全員、水が使えなくなるだけよ」
「どういうこと、キルマリア?」
「スペルビアのは『帝都の住民を養う』なんて観念は待ち合わせていない。時間を掛ければ住民が飢えて苦しむようにして、わたしたちラストアーク騎士団の動揺を誘うとしてんのよ」
「確かに……キルマリア様の考えは悪い意味で効率的ですね。それなら帝都を無理やり浮遊させたのも得心がつきます。弊機の戦略メモに加えておきましょう」
「やめなよ、ジブリール…… 」
「冗談じゃないわ! なんて酷い真似を……そうだと分かっていたらシャワーを浴びなかった……けどそれじゃあイレヴンと過ごす時に……あっ、いいえ、なんでもないわ///」
帝都ゲヘナは元々、都市の地下を流れていた地下水脈から水を汲み上げて都市に循環させていたらしい。しかし、いま帝都は空に浮かんでいる。地下水脈から水を汲み上げるのは不可能だ。
なら、現在の帝都の水事情はどうなっているのか。それを読み解いたのはキルマリアだった。曰く、帝都が浮遊した時点で、都市への水の供給は浮遊前の“備蓄分”のみに限定されてしまった。水源が枯渇すれば、その時点で帝都は壊滅的な水不足に陥ってしまう。
「早く街を地上に降ろさないと……!」
「それもおじさんたちの任務みたいだね……」
スペルビアには帝都ゲヘナを存続させるなんて概念は無い。おそらくは帝都ゲヘナそのものも使い捨てにするつもりだ。街が浮上して“鳥籠”と化した以上、帝都の住民たちは迫りくる地獄から逃げる事はできない。
そうと分かれば俺たちタスクフォースⅩⅠは帝都ゲヘナを地上に降下させる事も視野に入れて動かなければならない。そうでなければ、スペルビアはより凶悪な手段で俺たちを追い詰めようとするだろう。
「とにかくインペルティ宮殿へ急ごう!」
「あ~、ラムダくん……奥から誰か来るみたいだ……」
そうと分かれば善は急げ、俺は歩みを速めて一刻も早くインペルティ宮殿へと着こうと考えた。しかし、そんな俺をウィルが不安そうな声で呼び止めた。どうやら奥から誰かがやってくるらしい。
その場に居た五人全員が武器を構え、耳を澄まして目を凝らし、下水道の奥の暗闇をジッと見つめる。するとどうだろうか、ウィルの言った通り誰かが走ってくる音が聞こえてきた。足音は二人分、明らかに全力疾走している。
「おじさん、なんだか嫌な予感がしてきたな〜」
「あっ、マスター、お一つ報告事項があります」
「なんだよジブリール、このタイミングで……」
「実は昨夜、インペルティ宮殿で緊急警報が出されたみたいなんですよ。詳細は確認できていませんが……おそらく宮殿で何かトラブルがあったのではないかと……」
「そ、そう言う事はもっと早く言いなさい!」
「しかしキルマリア様……昨夜、弊機が部屋に戻った時、マスターもアリステラ様も、ウィル様もキルマリア様も寝室でお楽しみ中でしたので報告が出来なくて……これ弊機のせいですか?」
「「「「どうもすみませんでしたーっ!!」」」」
「ともかく……目の前から来るのは、そのトラブルの“元凶”と見てよろしいかと……そろそろ見えてきますね」
ジブリール曰く、どうやら昨夜インペルティ宮殿で緊急警報を伴うトラブルが発生していたらしい。アリステラと過ごしていたから気が付かなかった。下水道の奥から走ってくるのは、どうやらそのトラブルの元凶らしい。
そして、俺たちは目撃するのだった――――
「「うわぁぁーー、助けてぇぇーーっ!!」」
「げぇーっ!? トネリコとタウロスーーっ!?」
――――何本もの極太の触手から逃げながら、俺たちの方に迫ってくるトネリコ=アルカンシェルとタウロスⅠⅤの姿を。




