第812話:責任の在処
《まもなく当艦は帝都ゲヘナ領空へと進入します。搭乗員は所定の位置につき着港に備えよ。繰り返す――》
――――“国境都市”テンタティオから出立すること約半日、皇帝スペルビアの元へと赴くアーカーシャ教団の“尋問官”リヒター=スペルビア、彼の配下になりすました俺たちタスクフォースⅩⅠはアロガンティア帝国軍の空中戦艦の乗り込み、まもなく帝都ゲヘナへと到着しようとしていた。
「この渓谷を抜ければもうすぐ帝都ゲヘナへと到着ですよ〜! いや〜、こんなにもあっさりと到着するなんて便利な時代になりましたねぇ。アルバート=ファフニール様々……お亡くなりになったのが実に惜しい、クッククク……!」
空中戦艦の一角に在る控え室の窓から外を眺めつつ、リヒター=ヘキサグラムは得物である短剣を手入れしている。その様子を同じく聖剣と魔剣ながら俺、愛用の狙撃銃を手入れしながらウィルが見張っていた。
アリステラ、ジブリール、キルマリアは別室で待機中。今はキルマリアとジブリールが艦内を秘密裏に行動してアロガンティア帝国軍の情報収集に回ってくれている。俺とウィルの目的はリヒター=ヘキサグラムの監視だ。
「私のようなつまらない男なんて眺めずに、窓から外の景色でも見たらどうです、イレヴンさん? 索敵用の簡素な窓ですがぁ、まぁ旅の思い出ぐらいにはなりますよぉ?」
「…………」
「あらら、シカトですか? やれやれ、信用されてませんねぇ、私。まっ、あなたに信用されようがされまいが今さらどうでも良いですがね……」
リヒター=ヘキサグラムはあいも変わらず、俺を挑発するように喋りかけてくる。不愉快極まりない。
今は利害が一致したから行動を共にしているだけ。本来なら今すぐにでも殴り倒して、戦艦ラストアークに居るルチアの元に引き摺って行きたい。彼女に謝らせたいと思っている。
「リヒター=ヘキサグラム……お前、なんでルチアを捨てたんだ? なんでルチアがアーカーシャ教団に追われる反逆者にされたのに、お前はアーカーシャ教団の“狗”を続けているんだ」
「…………」
内心苛立っていたからだろうか、俺は思わずリヒター=ヘキサグラムにルチアの事を訊ねていた。彼はルチアを血の繋がった娘だと確実に認識しているにも関わらず、ルチアの事をまるで居ないように扱っていた。
それがどうしても許せない。同じ家族に捨てられ、居場所を追われた者として。ルチアがどう思っているか、その胸に抱えている“痛み”がなんとなく理解できるから。場の雰囲気がピリッと張り詰め、無関心を貫いていたウィルも視線をリヒター=ヘキサグラムへと向ける。
「まずはじめに……ルチアさんが教団の反逆者にされたのはあなたの責任ではないですか、イレヴンさん? あの子はあなたの選択に従った結果、アーカーシャ教団に追われる身になった」
「それは……」
「それを棚に上げて私を非難するおつもりですか、あなたは? あの時、教皇ヴェーダの慈悲の前に裁かれていたのなら、ルチアさんにはまた別の“未来”があったのではないでしょうか?」
しばしの沈黙の後、リヒター=ヘキサグラムは重い口を開き『ルチア=ヘキサグラム』へと言及を始めた。それは、ルチアの人生を狂わせたのは他ならない俺であるという、言い逃れできない鋭い指摘だった。
あの日、グランティアーゼ王国が崩壊した日、俺は教皇ヴェーダによる“魔王粛清”による断罪を拒否して戦い、アーカーシャ教団の“敵”となった。そして、ルチアはそんな俺についてきてくれた。これは紛れもない事実だ。
「血が繋がっているから親である私が責任を取れと? 何を馬鹿な事を仰っているのですか、あなたは? あなたの無茶苦茶になった人生を、あなたの親御さんは責任持ってくれましたか?」
「それは……」
「ルチアさんはあなたの側に居ることを選んだ。教皇ヴェーダに慈悲を乞い、私たちのようなアーカーシャ教団の“狗”になる事を拒んでね。なら、真に責任を負うべきはあなたの方ではないです?」
「うっ……」
「そもそも……私はあの子を認知した覚えはありませんしねぇ。ええ……確かに聖女ティオ=インヴィーズさんと“一時の過ち”を犯した事は認めましょう。ですが……聖女ティオが妊娠した事も、一人で出産した事も、私にとってはもうどうでも良いことだ……」
「…………っ! 無責任な……!!」
「世の中には私のような無責任な人間はごまんと居ますよ、イレヴンさん。私は一時の性欲解消の為に聖女ティオを抱いて孕ませ、あとは知らんぷりを決め込んだ薄情な男だ。そんな人間にルチアさんを託す気ですか?」
そんなルチアの事を、リヒター=ヘキサグラムは『どうでもいい存在』だと吐き捨てた。ルチアは彼が抱いた聖女ティオが勝手に身籠り、勝手に産んだ存在だ、養う気も責任を持つ気も無いと。
腹が立った、俺の父親と同じだ。自分に都合が悪い子どもを平気で捨てる無責任な親だ。思わず右手を握りしめていた。今すぐにでも殴りたい気分だった。
「やれやれ、やはり家族なんて持つんじゃありませんねぇ。認知していない、責任も持てない子どもの面倒を見ろと、ルチアさんの人生を捻じ曲げたあなたに逆恨みされるとは……」
「くっ……!」
「こんな面倒な事になるんです。どうです、あなたも家族を持つのはおやめなさい。己の性欲解消の為だけに女性を抱き、孕んだのなら捨ててしまいなさい。そうすれば気が楽ですよ?」
「このクズ野郎が……!!」
「そうです、私は親になる“資格”なんて無い、アーカーシャ教団の“闇”に生きる人間だ。そんな人間にルチアさんを託そうだなんて思わない方が良いですよ、イレヴンさん」
リヒター=ヘキサグラムにとって、聖女ティオとの間にもルチアの間にも“愛”は無かった。ルチアの存在は彼から見れば『一時の性欲解消の時に偶然生まれた何か』だった。
彼にはルチアを“娘”と認知する気はさらさら無い。これ以上、リヒター=ヘキサグラムと言葉を交わしてもただ徒労が増えるだけだろう。俺はもう彼に対して口をきくのは諦めてしまった。これ以上聞いても、ルチアが可哀想になるだけだ。
「そう言う訳ですので……ルチアさんはあなたに差し上げます、イレヴンさん。どうぞ好きにお使いください。殴ってスッキリするも良し、抱いて孕ませるも良し、愛情を注いであなた好みの女に仕立て上げるも良しですよぉ、クッククク……」
「お前に……親を名乗る資格なんて無い……」
「ええ、言われなくても存じ上げています。おや……そろそろ渓谷を抜けそうですね? 渓谷の先は殺風景な荒野……もうすぐ帝都ゲヘナが見えてくる頃ですよぉ!」
親に名乗る資格なんて無い、そう吐き捨てた俺の嫌味をリヒター=ヘキサグラムは淡々とした返事で流し、そして再び窓の方を向いて景色を眺めるのに夢中になってしまった。
結局、俺はリヒター=ヘキサグラムにルチアの存在を認めさせる事は出来なかった。そんな自分の不甲斐なさに腹が立ち、同時に彼が関与しないなら、いっそ自分がルチアをとも考えてしまった。
「帝都ゲヘナは荒野の上に築かれた人工の要塞都市。さてさて……我々は皇帝スペルビアからどんな熱烈な歓迎を受けるか楽しみですねぇ……って、なァ!?」
「「――――っ!?」」
「い、いやいや、聞いていた話と違うじゃないですか!? アレが帝都ゲヘナ!? な……何があってあんな状態にぃ!? えっ、えぇ〜〜っ!?」
そんな折だった、窓の外を眺めていたリヒター=ヘキサグラムは素っ頓狂な声を上げてその場に崩れ落ちたのは。どうやら帝都ゲヘナの様子を見て、何か恐ろしい異変を感じ取ったらしい。
俺とウィルは慌てて壁に備え付けられていた窓から外を眺めた。聞いた話では、帝都ゲヘナは荒野のど真ん中に築かれた人工台地の上に作られた都市だった筈。リヒター=ヘキサグラムの反応を見るに、その都市そのものが何か違うらしい。
「えっ……なんだいアレ? あれが帝都ゲヘナ?」
「は? いやいや、いやいやいやいや……」
窓の外に映っていたのは、荒野の上に立つ要塞都市……ではなく、荒野の上空に浮かぶ巨大な都市の姿だった。
周囲を大規模な“電磁障壁”で覆い、大量の空中戦艦に守られて上空に浮かぶ浮遊都市。巨大な基礎部分に支えられ、その上に美しい街並みや綺羅びやかな宮殿が建っている。
《まもなく当艦は“空中浮遊帝都”ゲヘナへと着港します。全搭乗員は着港準備を始めよ。繰り返す、まもなく当艦は帝都ゲヘナへと着港する》
その都市の名は“空中浮遊帝都”ゲヘナ――――元々、荒野に築かれていた筈の都市をそっくりそのまま空中へと持ち上げた驚愕の都市。
誰も逃げられぬ“鳥籠”の街。それが俺たちがこれから潜入する、皇帝スペルビア率いるアロガンティア帝国軍の本拠地の姿だった。




