第809話:逃走劇
《インペルティ宮殿の警備に当たる全トルーパーへ緊急警報。宮殿内にて捕虜、ノア=ラストアークが脱走した。対象を速やかに発見、無力化したのち拘束せよ! 繰り返す、ノア=ラストアークが脱走した。速やかに拘束せよ。ただし殺害はするな、必ず生け捕りにせよ!》
――――真夜中の静寂を打ち破るように、インペルティ宮殿にけたたましい警笛が鳴り響く。鳥籠から脱走した私を捕らえようと、アロガンティア帝国軍の兵士たちが宮殿内を慌ただしく駆け回っている。
「ノア=ラストアークの行方はまだ掴めないの!?」
「申し訳ございません、クラウン卿。対象は礼拝堂から逃走後、換気ダクトを使い行方を暗ませたようで……現在はドローンを用いてダクト内の捜索を……」
「無駄ね……あのノアのことですもの……換気ダクトでの移動は長くは使えないと判断し、今頃は別のルートで逃走を続けているわ」
「では……どのように捜索を?」
宮殿内の通路では軍の女将校エージェント・クラウンが兵士たちに苛立ちを露わにしながら、私の捜索を命令している。
彼女の予測は正しい。私は礼拝堂から脱出後、すぐに換気ダクト内へと逃げ込んで追っ手を撒いた。そして、暫く移動してから別のルートでの移動に切り替えた。エージェント・クラウンは私の思考をよく理解している。
「スペルビア様は今、全身に移植されたアーティファクトのメンテナンスで動けない。あの御方がお目覚めになられる前に、わたくしたちの手でノア=ラストアークを捕縛するわ。よろしいかしら?」
「イエス、マイ・ロード!」
「隅から隅までくまなく探しなさい。あの女は生存の為ならプライドを捨てて下水道にも逃げ込むでしょう。ディクシアから宮殿に隠された秘密の経路まで聞き出しなさい、いいわね?」
「イエス、マイ・ロード!」
「デストロイ・トルーパーはわたくしと共に来なさい。トネリコ=アルカンシェルとタウロスⅠⅤの捜索はエージェント・ハートに任せなさい。行くわよ……!」
エージェント・クラウン、全身を黒いボディースーツと漆黒の外套で覆い、仮面で素顔を隠した少女。声紋はマスクで加工されて反響が掛かっているが、その正体は私には容易に判別できた。
彼女はレティシア=エトワール=グランティアーゼ、その成れの果てだ。残りのエージェント・ハートはリリエット=ルージュで間違いないだろう。これでエージェントの正体はほぼ解析できた。
(さて……ここからどうしよう? 換気ダクトは封鎖された。じきにいま隠れている物資搬送コンテナにも捜索のメスが入る……)
私は廊下に積まれていた空のコンテナの中でエージェント・クラウンたちのやり取りをコンテナに空いた隙間から見つつ、傷の手当てと次の行動プランの立案を進めていた。
(見つかっても殺されないのは救いだけど……どうせその後はスペルビアさんの折檻が待っている。どちらにせよ地獄ね……)
撃ち抜かれた肩に包帯を巻き、簡単な応急処置だけ済ませ、大きく息を吐いて心臓の鼓動を落ち着かせながら、私は意識を集中させていく。
捕まればここまでの行動が全て水の泡になる。できる事ならインペルティ宮殿、ひいては帝都ゲヘナからの脱出を果たしラストアーク騎士団への合流を。最悪でもラムダさんに私の現状スペルビアさんの目的、“弱点”の存在を伝えなければならない。
(…………)
ラムダさんの事を考えた瞬間、胸がキュッと締め付けられる感じがした。会いたいのに、会いたくない、そんな矛盾した感情が私を締め付けている。
私は論理的に、理性的に行動する“人形”の筈なのに、言語化できない何かが私の心を蝕み、身体を硬直させていた。ラムダさんを求める想いと、ラムダさんを恐れる恐怖が私の中に同時に存在している。
(だめ……今は自分のやるべき事を果たさないと。自分に向き合うのは安全を確保してから。ずっと此処に隠れる訳にもいかない……動かなきゃ!)
けれど、考えていても仕方がない。今は脱出を考えて行動しなければ。そう思った私は再度深呼吸してざわつく気持ちを静め、脱出の為の行動を開始する。
コンテナの隙間から周囲に敵が居ないことを確認し、ゆっくりと扉を開いて通路へと歩いていく。武器は携行型のブラスター、右腕は負傷でろくに使えない。一度でも敵に見つかれば一巻の終わりだろう。
(慎重に、けれど大胆に行動しないと……分の悪い賭けね。取り敢えず……このコンテナを搬入した物資搬入口を探そうか……ん? 何か向こうが騒がしいような……)
出入り口は兵士たちに封鎖されているだろう。ならば目指す先は『人間が出入りしない場所』に限られる。私は物資搬入用スペースからの脱出を考え、搬入口を目指そうと考えた。
だが、そんな私を妨害するかのように、通路の向こう側から何やら騒音が聞こえ始めてきた。大勢の人間が走る足音とブラスターによる魔力弾の発射音、そして男女の悲鳴のような叫び声。
そして、目を凝らした私は目撃した――――
「だ、誰か助けてーーーーっ!!」
「げっ、トネリコにタウロスさんーーっ!?」
――――迫りくる騒動の正体を。
通路の向こう側から走って来た集団の先頭はトネリコ=アルカンシェルとタウロスⅠⅤ。そして、彼女たちの後ろを将校の率いられた大量の兵士が追跡していた。
「逃さないわよ、トネリコ=アルカンシェルにタウロスⅠⅤ! スペルビア様に逆らう愚か者には“死”あるのみ! トルーパー、奴等を撃ち殺しなさい!!」
「イエス、マイ・ロード! ハート卿!!」
「だから言ったんだ、タウロス! 見張りをしばき回るのは悪手だって! 僕たちが見つからなくても、倒れた見張りが見つかったら意味ないだろーッ!?」
「うるさいなー、見張りを排除しなきゃ袋小路で動けないって言ったのお前だろ、トネリコ! 僕はお前の為に道を開いんだぞ!!」
「ちょ、こっち来ないで……(泣)」
「これ道を開いたんじゃ無くて、敵に追われてるから仕方なく逃げてる状況なんだよ! ポジティブに物事を解釈するな……あ、ノア!?」
「あれは……まさかノア=ラストアーク!?」
「げぇーッ、私までバレちゃったーーッ!? せっかくここまで隠密して来たのに〜〜ッ! あぁもう……トネリコの馬鹿〜〜ッッ!!」
大量の兵士に追われたトネリコとタウロスⅠⅤさんはあろう事か私の居る方へと突っ込んでき、二人を追っていたエージェント・ハートが私の事も視認してしまった。
せっかくここまで誰にも見つからずに動けていたのに、トネリコたちのせいで台無しだ。そのまま私はトネリコたちに並走するように走り出し、追っ手から逃げる羽目になってしまった。背後からは魔力弾が絶え間なく飛んできている。
「お前、どうやって鳥籠から脱走を!? いいやそれよりもなんで僕たちと並走してるんだ!? 邪魔だろ、どっか行け!」
「あんた達が追っ手を引き付けて来たんでしょーが、この馬鹿ーッ! ひぇぇ〜、せっかくバレずに隠れてたのに〜〜(泣)」
「僕たちのせいだと言うのか、お前!?」
「どう考えてもあんたたちのせいでしょーッ!? 邪魔なのはあんたたちなの、どっか行ってってば!」
「まずい……トルーパー、撃ち方やめ! ノア=ラストアークを間違えて射殺したらスペルビア様がキレるなんて事態じゃ済まないわ! 生け捕りになさい」
「「イ、イエス、マイ・ロード……!!」」
「ト、トネリコ……攻撃が止んだぞ!? まさか……ノア=ラストアークは生け捕りにする気か?」
「つ、つまりこれは……」
「「ノアを盾にすれば僕たちは安全と?」」
「うぉぉーーい!? まさか私を弾除けに使う気じゃ……ちょ、私の前を走るなーーッ!! やめろーーッ、作戦が台無しになるぅぅ〜〜〜〜!!」
完全に私までエージェント・ハートたちの対象にされてしまった。トネリコたちは私を盾にして自分の身を守る気まんまんだ。これで私の進路も退路も完全に塞がれてしまった。
「「だ、誰か助けてーーッ!!」」
私たちは大量の帝国軍に追われ、インペルティ宮殿内を駆け回るのだった。拝啓、ラムダさん――――早く助けに来てください。




