第807話:重大な秘密
「もう一人の私……ノア=ラストアーク……」
――――インペルティ宮殿の礼拝堂に隠されていたスペルビアさんの“弱点”、それは並行世界から持ち込まれた『ノア=ラストアーク』の亡骸だった。
シリンダーの中で彼女は眠っている。喜びもなく、怒りもなく、哀しみもなく、楽しさもない。ただ生命としての役目を終え、朽ちるその時を待っている。シリンダーに注がれた溶液は彼女の腐敗を防いで、生きていた頃の姿を保っているようだ。
《どう……自分を客観的に見る気分は?》
「まさか、こんな……客観的に見る私、めちゃくちゃ美少女じゃないですか。こんなんもう芸術作品ですよ、芸術。これはラムダさんが惚れてしまうのもやむ無し。はぁ……私って、存在そのものが“罪”なのね♡」
《思ってた反応と違う!? 自惚れたーっ!?》
「まぁ、私が超絶美少女だと改めて判明したのはさておき……パーノちゃんの言う通り、この『私』がスペルビアさんの“弱点”で間違いないでしょう」
《うえっ、スンって急に態度が変わった……!?》
これは奇妙な現象だ。スペルビアさんは死亡したオリビアさんやアウラちゃんを死人として復活させ、エージェントとして手元に配置している。なのに、肝心な『彼女』だけは死人にして復活させていない。
(私の構造を考えれば……オリビアさんたちに用いたゾンビ化による復活は失敗したと見るべきね)
断定するには根拠が不足しているが、これは『彼女』と『エージェントたち』の身体構造が違うのが原因だろう。エージェントたちが死人として復活したのは“魔法”もしくは“術式”が関係している。
魔法や術式は『光量子=魔素』の干渉が絡んでいる。術者、術の対象に魔素が含まれていないといけないのだ。反面、古代文明の科学技術で生み出された私には魔素は配合されていない。
(前にネクロヅマさんが私をゾンビ化しようとした時は“毒”の注入による外的要因での変化……前に私がラストアーク内でやらかした時のゾンビ化ウィルスは脳の前頭葉を麻痺させる事での疑似的なゾンビの再現……)
私には魔法や術式による体質変化に耐性がある。肉体改造・肉体変化には特殊な加工が必要になる。これがスペルビアさんが『彼女』を復活させれなかった理由だろう。
「パーノちゃん……スペルビアさんの目的は彼女を……『ノア=ラストアーク』を蘇らせる事で良いのかな?」
《うん、間違いない。あいつ、そう言ってた》
「この世界の“理”では『彼女』は復活させれなかった……だから古代文明の情報集積体である『輝跡書庫』を狙った。あの機神の中には入っている筈だから……私の設計図が……」
スペルビアさんの力では『彼女』の復活は叶わなかった。故にスペルビアさんは求めた、『彼女』を復活させる方法を。そして古代文明の情報が収められた『輝跡書庫』に目を付けたのだろう。それがアロガンティア帝国が侵略された理由だ。
《うん……確かに在った。プロジェクト『機械から生まれた神』……四基の“人形”の設計計画。あなたを構成する遺伝子情報……アイザック=アインシュタイナー、ルミナス=カレイドスコープの因子も……》
「けど、それは機密情報の筈……誰がアーカイブに?」
《そこまでは分からない。誰が『輝跡書庫』を造ったのか、なぜそれをアロガンティア帝国が補完しているかはわたしも知らない。その部分だけは意図的に記録が抹消されていた》
「古代文明の情報を集積する装置なのに……肝心な設計者の情報が遺されていない? いったい何故……」
機神『輝跡書庫』には古代文明の崩壊を招いた禁断の計画、私たち“人形”の設計情報まで遺されていた。あり得ない、私たちの存在は地球連邦政府、ひいては古代文明でも“最重要機密事項”だったのに。
古代文明に居た誰かが、隠されていた筈の私たちの情報まで抜き取って『輝跡書庫』に収めている。犯人は女神アーカーシャや、或いは私たちの事を知っていた者の誰かか。いずれにせよ、機神の存在がスペルビアさんの暴走を誘発しているのは間違いない。
「スペルビアさんはどうして……私を代替えにするのではなく『彼女』の復活に固執するのかしら? 完全な同一存在である私を使えば事は済むのに……もちろん私は抵抗しますけど」
《それは感情の問題じゃないかな? いかに同じ顔、同じ存在であったとしても、スペルビアの『ノア』はシリンダーに納められた彼女だけ。スペルビアはあなたには“思い入れ”は抱けない……》
「じゃあ……私は何の為に……」
《スペルビアは欲している、あなたが持つ“記憶”を。彼は機神を用い、ノア=ラストアークを完全な形で再生しようとしている。けど、不足している……彼は知らない、ノア=ラストアークの『古代文明での記憶』を……》
そして、パーノちゃんはスペルビアさんの目的、なぜ『輝跡書庫』を狙ったのかを知っていた。彼は機神を用いて『彼女』を復活させようとしていた。どうやら私では思い入れという理由で『彼女』の代わりはできないらしい。
確かに、機神に私の設計図が格納されているなら『彼女』を再構築させることは可能だ。ベンタブラック博士が“偶然”なし得た奇跡であっても、成功した実証データが残っているなら再現は容易である。機神なら私を構成した『アイザック=アインシュタイナー』と『ルミナス=カレイドスコープ』の精子と卵子を再現することもできるだろう。
(けど……私の記憶の全てをスペルビアさんに……ラムダさんに開示する訳にはいかない。全ての真実が、全ての“罪”が露呈してしまう……それだけはまだできない)
スペルビアさんは『ノア=ラストアーク』の全てを再現する為に、私から『古代文明での記憶』を奪おうとしているらしい。スペルビアさん、ひいてはラムダさんも知らないからだ。あの日、あの森で出逢う以前のノアを。
けれど、それは絶対にできない事だ。私が保有する古代文明の記憶には、ある重大な“秘密”が隠されている。ホープやトネリコ、女神アーカーシャでさえ絶対に『口にしてはいけない秘密』をだ。
「スペルビアさんの目的は分かった、そして彼の願いは叶えてはいけない事であるのも」
《どうするの?》
「この『ノア=ラストアーク』は即刻廃棄します。くっ……この超絶美少女である『彼女』を壊すなんて、なんて業が深いのでしょう。心が痛みます……なんて可哀想な私」
《おねーちゃんけっこうナルシストだな……》
「しかし、『彼女』さえ排除しちゃえばもうスペルビアさんの計画はご破算になる。気付かれる前にさっさとシリンダーを壊しちゃいましょう!」
スペルビアさんの計画を達成させる訳にはいかない。それは『ノアを取り戻したい』という彼のささやかな願いから、この世界の起源に関わる重大な秘密が暴露される可能性があるからだ。
故に防がねばならない。私は軍服に装備していた魔力弾装填式ブラスターピストルを取り出して目の前のシリンダーに銃口を向ける。中で眠る『彼女』を完全に破壊する為に。
しかし、そんな私たちを――――
「そうはさせません……拘束陣、展開!」
「うっ……これは!? 身体が……動かな……!」
――――妨害する者が現れた。
不意に足下に魔法陣が展開され、眩い光が魔法陣から放たれた瞬間、私の身体はピクリとも動かなくなってしまった。金縛りの魔法だろう。
そして、私の動きを止めた人物は女神像の奥からゆっくりと歩いてくる。漆黒のドレスに身を包んだ、銀灰色の長髪と紅い瞳をした美女だ。
《ディクシアお姉さま……》
パーノちゃんが暴いた彼女の名前はディクシア=アル=アロガンティア。前皇帝カルディアの娘で帝国の第一皇女、アリステラさんやパーノちゃんの姉だ。
「スペルビア様に逆らう愚か者には……粛清を」
スペルビアさんに親を殺され、無理やり隷属を強いられた気高き帝国皇女が、私に向けて冷酷な視線を向けているのであった。
もう一人の『ノア=ラストアーク』を排除し、スペルビアさんの野望を砕こうとする私たちを阻むために。
 




