帝都崩壊の日⑦:HOPE
「もうすぐ転移陣の在る天体観測室です、アリステラ様。急いで、皆の犠牲を無駄にしてはなりません!」
「…………っ!!」
――――インペルティ宮殿最北区画、天体観測室。皇族のみに許された星見の社、其処がアロガンティア皇族の秘密の脱出経路になっていた。
ドーム状の大部屋の中央には隠された魔法陣が敷かれており、皇族の血によって転移陣が発動、術者をアロガンティア領の指定された避難場所へと転移させる事ができる。
「衛兵、転移陣を起動させよ! これよりアリステラ=エル=アロガンティア皇女殿下を帝都ゲヘナより避難させる! 急げ!!」
「イエス、マイ・ロード!! ただちに!」
天体観測室へと続く長い通路をアリステラとフィリアは駆け抜ける。通路には真っ赤に染まった軍服を纏う兵士たちが二十名、大型のブラスターを構えて配置されている。アロガンティア帝国軍の最上級兵士である“インペリアル・ガード”たちだ。
兵士たちはフィリアの命令を受けた瞬間、なんの迷いもなく行動を開始する。二十名全員が武器を構えて戦闘態勢を取り、アリステラを護衛するように陣形を組んでいく。背後からの追撃に備える為だ。
「アリステラ様、ここは我々が時間を稼ぎます。アリステラ様は転移陣で速やかに脱出を!」
「フィリア……お願い、一緒に付いてきて……」
「貴女の転移を見届けた後、わたしも後を追います。どうかご安心を……貴女を一人にはしませんとも」
インペリアル・ガードに背後を守られながら、アリステラとフィリアは天体観測室へとひた走る。あとは天体観測室へと至る扉をくぐり、転移陣を起動し、敵の魔の手が及ばない遠くへと避難するだけである。
時間にして三十秒も掛からない、そう誰もが予測していた。だが、扉を守るインペリアル・ガードが側に在る開閉ボタンを押した瞬間、異変は起こった。
「開かない……!? 何故だ……!」
「なにをしている、衛兵!?」
「申し訳ございません、フィリア様。なぜか天体観測室への扉が開かず……」
インペリアル・ガードが必死に開閉ボタンを連打しても、扉はガタガタと震えるだけで一向に開く気配はない。
「どういうこと? まさか整備不良か……!?」
「い、いえ……これは……何者かが遠距離から扉の開閉を阻害している! 整備不良ではありません」
フィリアたちは扉の整備不良を疑った。だが一人だけ、アリステラだけは扉が開かない理由が外部からの妨害である事を察した。
アリステラの眼には扉に干渉を仕掛ける何者かの魔力を感知していた。誰かがアリステラが天体観測室に到達できないように妨害を行なっていたのだ。
「この状況で妨害……まさか、アリステラ様を……」
「――――ッ!? 通路の灯りが……消えていく……」
その妨害を行っているのが誰か察した時にはすでに手遅れだった。アリステラたちが扉の前でもたついている時、通路を灯していた照明が一斉に消え、周囲は暗闇に包まれた。
その場にいた全員が敵の襲撃を感知して武器を構える。インペリアル・ガードたちはブラスターの引き金に指を掛け、フィリアも腰に携えた小型のブラスターを手にする。
「誰かが……近付いてくる……」
全員が息を飲む中、何者かが天体観測室へと続く通路へと踏み込んでくる。カツン、カツンと重い足音を響かせて、暗闇の中をゆっくりと歩いてくる。
何者かの姿は視認できない。インペリアル・ガードたちは“正体不明”がその姿を晒す瞬間をただジッと待っている。
そして、全員の緊張が張り詰めた瞬間――――
「貴様が第二皇女……アリステラだな?」
――――正体不明の人物はその姿を晒した。
右手に構えた金色の魔剣の刀身を輝かせ、怪しい黄金の光に照らされたのは漆黒の装甲を纏う人物、スペルビアである。
装甲の彼方此方に返り血を付着させた男がアリステラに明確な殺意を抱いて立っている。フィリアとインペリアル・ガードたちは現れた者が“敵”だと瞬時に察知した。
「オープン・ファイア!! アリステラ様を守れ!!」
フィリアと十九名のインペリアル・ガードたちは一斉にブラスターから魔弾を発射し、現れたスペルビアへと攻撃を開始し始める。
同時に、アリステラと扉の開閉を任された兵士は天体観測室への扉をこじ開けて、なんとか内部へと到達しようとし始めた。
「…………」
アリステラを逃がすまいとするスペルビアは進撃を開始。ブラスターの弾幕の中を一切臆する事なく歩き始めた。手にした魔剣で自身に直撃する弾丸を弾きながら。
「弾丸を跳ね返して……うわぁ!!?」
「しま……あぁッ!!?」
スペルビアの跳ね返した魔弾を胸に受け、インペリアル・ガードが二人倒される。兵士たちの断末魔が通路内に響き、アリステラの恐怖を煽っていく。
「怯むな、撃ち続けろ! アリステラ様に指一本触れさせるな! 衛兵、早く扉を開けるんだ!!」
「逃がさん……アリステラ=エル=アロガンティア!」
味方が倒されてもインペリアル・ガードは怯まず、フィリアの『撃ち続けろ』の号令に従って魔弾を撃ち続ける。
それに対してスペルビアは右手の魔剣で魔弾を切り払いつつも、空いた左腕を前方へと向けて次の攻勢に打って出る。
「伸びろ――――“アイン・シュタイナー”!」
「なっ……左腕が伸びて……ぐあッ!?」
スペルビアの掛け声と共に彼の左腕は肘から先が分離して射出され、撃ち出された左手は近くにいたインペリアル・ガードの首を掴んだ。
拘束されたインペリアル・ガードはそのまま左手に引き摺られてスペルビアの元へと連行されていく。
そして、スペルビアは無慈悲に魔剣を振り――――
「ふん……!」
「――――あぐあッ!!?」
――――拘束したインペリアル・ガードを両断した。
魔剣で胴体を斬り裂かれ、上半身と下半身に切り分けられたインペリアル・ガードはそのまま無造作に通路へと捨てられる。
兵士をまた一人排除したスペルビアは、斬り捨てた敵にはなんの感情も抱かずに進撃を進めていく。
「早く開け! アリステラ様を逃さねば……!!」
「なんで開かないの!? お願い開いて!!」
アリステラが僅かに開いた扉の隙間に指を突っ込んで必死に扉を開こうとしている最中も、スペルビアによって兵士は次々と倒されていく。
魔弾を跳ね返されて一人、射出された左手から放たれた衝撃波で全身を木っ端微塵にされてまた一人、魔剣から放たれた斬撃で首を落とされてさらに三人、犠牲者は加速的に増えていく。
「このままでは……アリステラ様、手伝います!」
「お願い、フィリア……うあぁぁーーっ!!」
残されたインペリアル・ガードはあっという間にあと五名となった。このままでは間に合わないと判断したフィリアは射撃を止めると、アリステラと共に扉に指を挟んで一緒に力み始める。
その間も残されたインペリアル・ガードたちは懸命に射撃を続けるが、戦力を失い攻撃の頻度が緩んだ今、もうスペルビアを止める者は皆無になっていた。
「…………ッ!!」
「なっ……武器が奪われて……ッ、うわぁぁ!?」
スペルビアが左手を翳した瞬間、アリステラたちの盾になっていた四名のインペリアル・ガードの手からブラスターが念動力で奪い取られ、丸腰になったインペリアル・ガードたちはスペルビアに次々と斬り捨てられていった。
「フィリア、少しだけ扉が開いたわ!」
「このまま一気に……ああぁぁぁッッ!!」
その間、アリステラとフィリアによって天体観測室への扉が僅かに開き始めた。もう少し、あと数センチだけ開けば、アリステラは隙間に身体をねじり込める。
しかし、スペルビアはすでに三メートルという至近距離まで近付いていた。
「アリステラ様には手出しはさせん!!」
唯一残っていた扉の開閉に協力していたインペリアル・ガードがブラスターを手にスペルビアへと果敢に挑みかかる。
彼が最後の防衛線である。その事を自覚していたインペリアル・ガードは討ち死にも恐れず、アリステラを守る為にブラスターの引き金を引いた。
「…………ッ!」
「なっ! あがッ!!?」
だが、スペルビアはブラスターから放たれた魔弾を左手で軽々と受け止め、そのまま魔剣を振ってインペリアル・ガードを両断して殺害した。
「隙間が……今です、アリステラ様!!」
「この……うあぁぁッ!!」
しかし、斬り殺されたインペリアル・ガードが稼いだほんの数秒は無駄ではなかった。
彼が殺されている最中、アリステラとフィリアは天体観測室へと続く扉をこじ開ける事に成功。アリステラは僅かに開いた隙間へと身体をねじ込んで遂に転移陣の在る天体観測室へと辿り着いた。
「第二皇女アリステラ=エル=アロガンティアの名の下に命じます。転移陣よ……起動せよ!」
そのままアリステラは太腿に隠していた短剣で右手を斬りながら翳し、血を滴らせて転移陣を起動した。
アリステラの血を染み込ませた転移陣は赤い光を放ちながら起動、あとは乗るだけでアリステラは何処か遠くへと逃れれる。
「フィリア、一緒に逃げましょう!」
そして、逃げれる事を確信したアリステラは安堵の笑みを浮かべて背後へと振り返った。共に天体観測室へと辿り着いたフィリアの無事を確認する為に。
だが、アリステラが目撃したのは――――
「うっ……かは……ッ!!」
「フィリア……嘘でしょ……!?」
――――扉の向こうに居るフィリアの姿だった。
扉に備え付けられた小さな窓からはフィリアの後頭部が見えている。その先にはスペルビアの姿が。
そして、閉じられた扉にはスペルビアの振るう魔剣の金色の刀身が突き刺さっていた。フィリアの胴体を貫通し、彼女の血を滴らせてながら。
「フィリア……だめ、だめ!!」
「アリステラ様……行ってください……」
アリステラは悟った、フィリアがスペルビアの凶刃に貫かれた事を。もう彼女に助かる術は無い。それでもアリステラはフィリアを助けようとした。たった一人、残された友を救うべく。
だが、フィリアは掠れた声でアリステラを制止した。彼女は自分を犠牲にしてでもアリステラを安全な場所に逃がそうとしていた。
「逃げてください……そして探すのです。彼を……ウィル=サジタリウスを……」
「フィリア……」
「彼ならきっと……貴女の助けになってくれる。大丈夫です……彼の実力は……わたしが保証します……」
「うっ……うぅぅ!」
「貴女は“希望”です……アリステラ様。お仕えできて光栄でした。一緒に居続けるという約束を……守れなかったご無礼、どうかお許しください……」
フィリアの意志を悟ったアリステラは足を止め、悔しみの涙を流しながらゆっくりと転移陣へと向かっていく。
このまま扉に近付けば、自分もスペルビアに狩られる。そうなればフィリアはおろか、倒れた全員の犠牲が無駄になってしまう。それをアリステラは理解していた。
「逃がすか……アリステラ」
「いいや……アリステラ様は逃がさしてもらう」
アリステラが転移陣に近付いている事を察したスペルビアはフィリアを殺し、天体観測室へと侵入しようとしていた。
だが、自身を貫く魔剣を掴み、不敵な笑みを浮かべてフィリアはスペルビアを妨害した。彼女の瞳にはまだ強い光が灯っている。
「ふっ、ふふふっ……貴様の負けだ、侵略者。お前はアリステラ様を取り逃す。残念だったな……!」
「貴様……なにをするつもりだ……?」
「わたしはフィリア=プロスタシア……アロガンティア帝国第二皇女、アリステラ=エル=アロガンティア様の“剣”だ!」
「まさか……自爆を……!?」
同時に、フィリアの身体が眩く発光し始める。スペルビアは即座に察した、フィリアが体内の魔力を燃焼させ、自身の身体を爆弾に変えたことに。
「アリステラ様……どうかご武運を。さようなら」
「フィリア……うぅ、うぅぅ……!!」
転移陣に乗ったアリステラの身体が消え始め、何処かに転移していく。それを小さな窓から見つめ、フィリアは去りゆく友人に満面の笑みを浮かべていた。
そして、アリステラが完全に転移したのを見届たフィリア=プロスタシアは自らの身体を爆発させ――――
「アロガンティア帝国に栄光あれ!!」
「ちっ、こいつ……!!」
――――天体観測室ごと転移陣を破壊してアリステラをスペルビアの追撃から守り抜いたのだった。




