帝国崩壊の日⑥:帝都ゲヘナ陥落
「アリステラ様……どうかされましたか!?」
「そんな……ケントお兄様が……う、嘘よ……」
――――スペルビアのよって第一皇子ケントが殺害された事を、インペルティ宮殿に居たアリステラは感じ取り、通路を駆けていた彼女はその足を思わず止めてしまった。
第一皇子ケントが今際の際に送った念話はアリステラにも届いていた。帝都ゲヘナ陥落の可能性、皇族を帝都より脱出させる事、希望の灯を守り抜く事だ。
「アリステラ様、今の話は本当ですか!?」
「母上に……皇帝陛下に指示を仰がねば……」
兄の死と彼が遺した最期の命令を聞き、アリステラは市街地に向かう事を思いとどまった。事態が急変したからである。
第一皇子ケントが戦死し、現在は第二皇子ブロスタ率いる部隊が襲撃者と交戦をしている。その間に皇族の誰かを逃がすべきだとアリステラは考えていた。
インペルティ宮殿のとある場所には皇族と一部の従者しか知らされていない秘密の転移陣が設置されている。万が一、帝都ゲヘナが陥落した際に皇族たちが安全に帝都から逃げおおせる為の最終手段だ。
「パーノを逃がすべきだわ……!」
アリステラはその転移陣を用い、第三皇女パーノ=ユー=アロガンティアを帝都ゲヘナから逃がそうとしていた。第三皇女パーノはまだ年端もいかない子ども、故に彼女を逃がすべきだとアリステラは考えた。
「フィリア、パーノを探すわ! あの子を緊急用転移陣を使って帝都ゲヘナから脱出させます」
「アリステラ様……それは……」
「ケント兄様からの最後の命令です。帝都陥落に備え、我等は責務を果たさねばならない……」
アリステラは自身の脱出など毛頭にも考えていない。彼女は自分も戦死した第一皇子ケントや、今も玉座の間で指令を出し続けている第一皇女ディクシアや皇帝カルディアのように勇よく戦おうとしていた。
「イエス、ユア・ハイネス!」
「パーノはおそらくは私室よ、急ぎましょう!」
アリステラの皇族としての誇り高さを知っているフィリアは、彼女の決定を二つ返事で受け入れた。
幼い第三皇女パーノが自発的に脱出用の転移陣に向かうとは考えられない。アロガンティア皇帝の流れを組み第三皇女パーノもまた、最後まで気高く戦おうとするだろう。
そう予想したアリステラは彼女を無理にでも脱出させるべく、フィリアを引き連れて第三皇女パーノの私室へと向かい走り始めた。
ふと窓から外を眺めれば、市街地から煌々と火の手が上がり、絶えず叫び声が響いている。自分も今すぐに戦場に駆け付けたい、そんな衝動を必死に抑えながらアリステラは駆けていく。
「パーノ! 何処に居るの、パーノ!!」
「アリステラ……なにしに来たの?」
そして、走り出してから四十秒後、アリステラたちは第三皇女パーノの私室に到達しようとしていた。姉の接近を察知した第三皇女パーノは私室の扉から顔を覗かせて、通路を走ってくるアリステラの事を見つめている。
第三皇女パーノはまだ卸したばかりの新品の軍服に着替えていた。アリステラの予想通り、彼女もまた皇族として戦おうとしていたのだ。
「パーノ、貴女だけでも逃げなさい!」
「逃げる? だめ、わたし逃げない……!」
あと十秒走れば、アリステラは第三皇女パーノの居る場所へと到達できる。そうすれば意地を張って居座ろうとする妹の手を無理やりにでも引いて、彼女を転移陣まで連れて行ける。そうアリステラは考えていた。
「アリステラ様、伏せてください!!」
「フィリア、何を……きゃあっ!?」
だが、そんなアリステラの必死の想いを嘲笑うかのように、凶刃は容赦なく襲い掛かってくる。
何かを察知したフィリアは背後からアリステラに飛び掛かり、アリステラを通路の床に押し倒してしまったのだった。
「フィリア、貴女なにを……!?」
「高魔力反応、来ます! 伏せなさい!」
そして、アリステラがフィリアの行動を咎めようとした瞬間だった、彼女たちの居る通路に向かって、市街地から高純度の魔力を帯びた砲撃が飛んできた。第二皇子ブロスタの部隊と交戦を開始したスペルビアが放った一撃である。
インペルティ宮殿に直撃したスペルビアの砲撃は射線上にある物質を崩壊させながら進んでいく。通路に伏せたアリステラたちの頭上を通過し、無慈悲な光は直進していく。
「あっ……伏せなさいパーノ! 伏せてーーっ!!」
通路の殆どを覆い尽くす砲撃の射線上には、扉から顔を覗かせていた第三皇女パーノの姿があった。
この先に起きる最悪の事態を予測したアリステラは第三皇女パーノに伏せるように必死に叫んだ。だが、まだ幼い第三皇女パーノは咄嗟に反応する事が出来なかった。
そして、アリステラの目の前で――――
「アリステラ……わたし……――――」
――――第三皇女パーノは光に呑まれていった。
さっきまで第三皇女パーノが居た場所は砲撃によって崩壊し、何もかもが跡形もなく消え去っていた。残されたのは攻撃をギリギリで免れた通路の床の一部だけだった。
第三皇女パーノの姿は何処にも無い。光に呑まれた彼女は影も形も無く消滅していた。
「あぁ……嘘、嘘、嘘嘘嘘……そんなの……嘘よ……」
目の前で妹が死んだ。まだ幼い妹が酷い死に方をした。その事実にアリステラは深い絶望を味わっていた。跡形もなく消滅した通路に手を伸ばし、目の前の光景が嘘であってほしいと懇願しながら。
「なんで……なんで私を守ったの? なんで……」
「わたしがお仕えするのは貴女です、アリステラ様。わたしが守るべき御方は貴女なのです。気を確かに……貴女には皇女としての使命があります」
「パーノ……ごめんなさい……ごめんなさい……」
あと一歩で間に合わなかった。そんなどうしようもない悔しさがアリステラの動きを鈍らせる。
アリステラはついフィリアを責めてしまった。どうして幼い妹を守らず、自分を守ったのかと。その問いに対し、フィリアは『自分が守るのは貴女だ』と一切の躊躇いもなく答えてアリステラを諭した。
《アリステラ、聴こえますか?》
「お姉様……?」
《ブロスタが戦死しました。今、襲撃者は私と皇帝陛下が居る玉座の間へと向かっています……》
「そんな……ブロスタお兄様まで……」
《精一杯の抵抗は試みますが……私と皇帝陛下は敵の手に掛かって命を落とすでしょう……》
そして、失意に暮れるアリステラにさらなる凶報が第一皇女ディクシアから伝えられた。
第一皇子ケント、第三皇女パーノに続き、第二皇子ブロスタが戦死した。先のインペルティ宮殿を襲った砲撃に呑まれて名誉の戦死を遂げていたのだ。
残された皇族は皇帝カルディア、第一皇女ディクシア、第二皇女アリステラのみとなった。
そして、皇帝カルディアと第一皇女ディクシアは間もなく凶刃に斃れる事が明確になっている。スペルビアが玉座の間に向かって来ているからだ。
《アリステラ、これは皇帝陛下からの命令です……貴女が帝都ゲヘナから脱出しなさい。貴女さえ逃げおおせば、襲撃者の手に“機神”が落ちる事はありません……》
故に、帝都ゲヘナから脱出する、脱出できる皇族はアリステラしか残されていなかった。
誰よりも戦いを望んでいた彼女は、戦うことも戦死することも許されず、帝都ゲヘナからの敗走を余儀なくされたのだった。
「そんな!? 私だって戦場で名誉の死を……」
《聞き分けなさい、アリステラ。これは皇族としての責務です。誰かが生き残らねば……アロガンティア帝国の灯火は復活できない》
「私は……戦場で誇り高く戦いたい……」
《この戦いは我々の負けです、アリステラ。ですが……貴女さえ生き残れば“希望”は守られる。生き延びなさい……生き延びる事こそが貴方の戦いです、アリステラ》
「うぅ……うぅぅ……!!」
もはや選択の余地はアリステラには無かった。通信越しに、第一皇女ディクシアたちの居る場所で何かが破壊される音がアリステラの元に響いてくる。インペルティ宮殿に乗り込んだスペルビアが玉座の間に到達したのだ。
「アリステラ様、行きましょう。それが命令です」
「どうして……こんな事に……」
第一皇女ディクシアとの通信は途絶し、同時に玉座の間が在る宮殿の上階から激しい爆発が轟いた。スペルビアの凶刃が皇帝カルディアと第一皇女ディクシアを襲ったのだ。
二人の身に何かあった事を悟ったアリステラは深く絶望した。ほんの数時間前まで居たはずの肉親が全員死んでしまった、たった一人逃げなければならなくなったからだ。
「大丈夫、まだわたしがいます……アリステラ様」
フィリアに支えられて立ち上がり、アリステラは涙ぐんだ表情で転移陣に向けて走り出す。
身体も心も戦場に向きている。アリステラは踵を返して戦場へと戻り、兄弟たちを殺した憎き敵を討ちたかった。だが、兄弟たちから希望を託されたアリステラはどうしても引き返す事が出来なかった。
「私は……うぅ……」
悔しさを噛み堪えつつ、アリステラはフィリアと共に走り抜ける。帝都ゲヘナから脱出し、アロガンティア帝国の希望を守り抜く為に。
そして、その同刻、アロガンティア帝国の第十代皇帝カルディア=ミド=アロガンティアはスペルビアによって殺害され、帝都ゲヘナの陥落が決定的なものになったのだった。




