帝国崩壊の日③:もう一つの運命の日
「はぁ…………」
「最近落ち着きがありませんね、アリステラ様」
――――インペルティ宮、アリステラの私室、時刻は夜。アリステラの軍備拡張の発議が否決されてから一週間程が経った頃。
アリステラは自室のソファーに座り、ため息交じりに愛銃の手入れをしていた。その様子を燕尾服を着た従者フィリアはベッドメイキングをしつつも心配そうに眺めていた。
「諜報部からグランティアーゼ王国の王都に教皇ヴェーダが到着したと連絡があったわ。このまま何事も無く戦争が終われば良いのだけど……」
「なにか懸念があるのですか、アリステラ様?」
「どうにも胸騒ぎがして仕方ないわ。なにかこう……もっと大きな混沌がすぐそばまで迫っているような……そんな気がして仕方ないの……」
帝国元老院が進展のない話し合いに時間を割いている間に、魔界とグランティアーゼ王国の間で勃発した『アーティファクト戦争』は終結した。
アロガンティア帝国が知り得たのは魔王グラトニスが討ち取られた事、アーカーシャ教団のトップである教皇ヴェーダが王都シェルス・ポエナに姿を現したという二つだけ。アリステラはその事に言いしれぬ不安を感じていた。
「心配せずとも大丈夫ですよ、アリステラ様。魔王軍は壊滅、グランティアーゼ王国のダモクレス騎士団も大きな痛手を被っています。今さらさらなる戦火をまき散らしはしないでしょう」
「そうじゃない……もっと大きな混乱が……」
「アリステラ様、常に最悪を想定せよとは言いますが、アリステラ様のお考えは最悪をさらに下に突き抜けています。もっと気を楽にしてください」
このままでは終わらない、もっと大きな混乱が訪れる。そんな確信の無い予感にアリステラは常に緊張し続けていた。
従者として主の様子を常に見続けていたフィリアはアリステラを宥めつつも、ベッドメイキングを放り出して彼女の側に近付いていく。
「アリステラ様、ご安心を……わたしがお側に付いています。一人で抱え込まず……貴女様を支える為にわたしは此処に居るのですから」
「フィリア……」
「貴女様が生まれてから十六年……わたしも常に貴女様と共に歩んできました。病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も……」
「それは結婚の文言です。誤解を招くからやめなさい」
「冗談ですよ。ですが……ずっとわたしは貴女様の“家臣”として、“友”として、そして“剣”としてあり続けています。だからどうか……貴女様の不安を共に分かち合わせてください、アリステラ様」
アリステラを背後から抱きしめ、怯えるアリステラの手を取り、フィリアは優しく不安を拭うように優しい言葉を掛ける。
フィリア=プロスタシア――――彼女は生まれながらにして、第二皇女アリステラの“剣”となるべく育てられた侍女である。
アリステラの“友人”として幼少より共に勉学に励み、確かな信頼を育んできた。アリステラにとってフィリアの存在は大切な『心の支え』であり、運命を共にし続けてきた“相棒”であった。
「備えはできています。アリステラ様の感じる不安が実際に起こった時、わたしは迷わずに貴女様の“剣”と成りましょう」
「…………」
「ですが……その不安が杞憂であれば良いに越したことはありません。何事も平和が一番です。ですので……わたしの備えは万全です。どうかご安心して皇女としての責務を果たしてください、アリステラ様」
「…………ありがとう、フィリア」
フィリアの温もりに安心感を感じ、アリステラは強張った身体を少しずつ解していく。これもフィリアの侍女としての役割である。
第二皇女アリステラは他の兄弟たちとは違い、極めて高い戦闘能力を有している。これは彼女の“設計”に関わる重要な要素である。
これによってアリステラは極めて鋭敏な感覚を有しており、故に彼女は疑心暗鬼とも言える猜疑心に苛まれていた。
そんな彼女の感情の揺らぎを和らげるのもフィリアの役割である。アリステラの感情をリラックスさせる特殊な波長を発せれるように遺伝子の改造を受け、フィリア=プロスタシアはアリステラの従者として彼女に仕えているのだ。
「今日はわたしのセラピーを受けますか?」
「ええ……そうしようかしら」
慣れた手付きでフィリアはアリステラの部屋着を脱がしていく。これは特殊な体質をしているアリステラの体調を整えるフィリアの任務の一つ、セラピーと銘打っているが、その実態は『メンテナンス』に近いだろう。
素肌を露わにし、胸元の装置と其処に埋め込まれた朱い宝玉を曝け出し、アリステラはフィリアにその身を委ねる。フィリアはアリステラの胸元で淡く輝く宝玉へと右手を優しく添える。
「感情の数値が著しく乱れていますね。元老院での議会や、アーティファクト戦争に少々気を揉みすぎのようですね……」
「仕方ありません。私は帝国皇女なのですから……」
「それもそうですね。さぁ……大きく息を吐いて、夕暮れの海辺を想像してリラックスしてください。大丈夫、わたしが側に居てますよ」
「うっ……ぁ…………」
「機神との同期……一時解除。“機人”アリステラの意識を沈静化。感情・記憶内の不純物をクリア開始……」
アリステラを深い眠りに落として意識を遮断し、フィリアは胸の宝玉に魔力を送り込んでアリステラをメンテナンスしていく。
アリステラ=エル=アロガンティアという人物を構成する要素を一つ一つ紐解いて、フィリアはアリステラが抱える問題を“不純物”として取り除いていく。
「目が覚めたらいつもの貴女ですよ、アリステラ様」
フィリアは汗をかきながらも、手慣れた手付きでアリステラの“秘密”を弄っていく。生まれた時から共に居るフィリアはアリステラの眠りを妨げる異物にはならない。
フィリアの右手に安心感を覚え、アリステラはすぅすぅと寝息をたてながら、フィリアによるメンテナンスを受け入れる。あと少しもすればフィリアによる『セラピー』は完了する。
だが、あと少しで施術が完了する時――――
「て、敵襲ーーッ!! 帝都ゲヘナに敵襲ーーッ!!」
「なっ……敵襲っ!? 馬鹿な……何事ですか!?」
――――遂にその時は訪れた。
アリステラの私室にも届くような大声で衛兵が敵襲の報を報せた瞬間、凄まじい爆発音と共にインペルティ宮、帝都ゲヘナ全体が激しい揺れに包まれた。
窓の外からは炎上する焔の光が見え始め、同時にはるか遠くから逃げ惑う市民たちの声が微かに聞こえ始める。
「なっ、なんですかこの騒ぎは!?」
「あっ、アリステラ様!? まだ目覚めては……」
突然の騒動に目覚めてしまったアリステラは、慌てた様子でクローゼットに仕舞ってあった軍服へと着替え始めていく。
アロガンティア帝国首都、帝国ゲヘナは見通しの良い広大な荒野に造られた要塞都市である。全長五十メートル、直径五キロメートルの円状の基礎の上に都市が築かれている。
外部からは四方四ヶ所に設けられた検問所付きの大階段か魔導式のロープウェイを使わねばならず、外壁には『アルバート・インダストリー』製の対空砲がズラリと並んでいる。
「帝都ゲヘナへの襲撃なんて並の軍隊や魔物では不可能よ! 休んでいる場合ではないわ、すぐに私も出動して軍を指揮せねば!」
帝都ゲヘナへの侵攻は困難を極める。にも関わらず帝都は現在、未知の脅威による襲撃に晒されていたのだ。
それを“異常事態”だと考えたアリステラは軍服に着替えると、手入れを済ませた愛銃を手に私室から勢いよく飛び出していく。
「衛兵、何事ですか!? 報告なさい」
「アリステラ様……! き、緊張事態です! 東側防壁が突破されました! 市街地では現在、侵入者と防衛部隊が戦闘を……!!」
近くにいた衛兵からアリステラが聞いたのは、帝都ゲヘナが何者かの襲撃を受けたと言う報せだった。
アリステラが報告を受けている最中も、宮殿の外からは砲撃の音や爆発音、市民たちが逃げ惑う悲鳴が絶えず聞こえてくる。
「母上……皇帝陛下は!?」
「皇帝陛下は現在、ディクシア様と共に全軍の指揮を! ケント様とブロスタ様は共に前線へと!」
「私も防衛部隊を指揮します!」
「アリステラ様、お待ち下さい! まだ施術が途中です! このままでは本来のお力を発揮できません!」
「そんな悠長な事を言っている暇はないわ、フィリア! 今、帝都は脅威に晒され、民たちが恐怖に逃げ惑っている! ここで戦わずして、なんの為の皇族か!」
「それは……いいえ! イエス、ユア・ハイネス! わたしもお供します、アリステラ様! ご指示を……!!」
武装したフィリアを伴い、アリステラは市街地へと繰り出す準備をする。既に皇帝カルディアや他の皇族たちはこの事態への対処を進めている。
皇族が率先して兵を率い、侵入者と戦うべきだ。兄たちとは同じく、アロガンティア帝国軍に属するアリステラもまた、怯える民たちの“御旗”となるべく威風堂々たる姿勢を貫こうとしていた。
「衛兵、敵の情報を教えなさい。何処の所属か、敵軍の規模は……分かる範囲で構いません」
「そ、それがアリステラ様……実は……」
「どうしたのですか?」
「敵は……一人です! たった一人、全身を黒い装甲で覆った正体不明の人物が……帝都を襲撃している侵入者です!」
「たった一人……そ、そんな馬鹿な……!?」
そんなアリステラの前に立ち塞がるは、ただ一人で“世界最大の軍事大国”へと挑む敵だった。
その日、王都シェルス・ポエナを『グランティアーゼの落涙』の悲劇が襲っている中で、帝都ゲヘナでも悲劇が巻き起ころうとしていた。後に皇帝の座を奪い取る、スペルビアを名乗る者の襲来である。




