帝国崩壊の日②:見えざる脅威
「まったく、母上も議員たちも呑気がすぎるわ! この期に及んでまだ様子見を決め込もうだなんて……」
――――アロガンティア帝国、帝都ゲヘナ、インペルティ宮談話室にて。
自らが発議した軍備拡張を否決されたアリステラは苛立ち、親指の爪を噛みながら談話室を落ち着きなくウロウロと歩き回っていた。
「ハハハっ、ステラは心配性なんだよ。魔界のグラトニスか、グランティアーゼのヴィンセントのどっちかがアロガンティア帝国に攻め込んでくるんじゃないかってな」
「ケント兄さんの言う通り、ステラは心配がすぎる」
「ちょっと、ブロスタ兄様まで! 私は帝国の安全を考えているのよ! グランティアーゼ王国も魔界もアーティファクトという超兵器を用いている。連中の持つ力を軽視するのは危険です!」
「ケントやブロスタの言う通りです、アリステラ。ここで我等が軍備拡張の動きを見せれば、連中に『アロガンティア帝国はグランティアーゼ王国と魔界を脅威として捉えている』と認識されかねません。動きは慎重に……連中に我等の思惑を悟らせてはなりませんよ」
「ディクシア姉様まで……」
「我等、さいきょーのアロガンティア帝国。弱みを見せてはならない。常に“威風堂々”たれ……と、お母さまもおっしゃってます!」
「あら、パーノはよく分かっているわねぇ」
苛立ちと焦燥を見せるアリステラを、彼女の兄弟姉妹たちが誂っている。
第一皇子ケント、第二皇子ブロスタ、第一皇女ディクシア、第三皇女パーノ、彼等はアリステラの考えを『心配しすぎ』だと笑い飛ばしていた。アロガンティア帝国は“最強”であり、それ故に近隣諸国の情勢に流されてはいけないのだと。
「それに……アリステラ様の考えが無碍にされている訳では御座いません。カルディア陛下は少しずつではありますが軍事力の拡張を行なっています」
「しかしフィリア、そうは言いますが……」
「魔王グラトニスも、ヴィンセント王も、アーティファクトを扱いこなす事など不可能でしょう。いずれは自滅します。それに……禁忌とされるアーティファクトを扱えば教皇ヴェーダが黙っていません」
「それは……私も考えてはいる可能性ですが……」
「さぁ、爪なんて噛まずに紅茶をお召し上がりください、アリステラ様。パーノ様の言う通り、帝国皇女たる者、常に威風堂々としなければ……ね」
兄弟たちに誂われて憤慨するアリステラを宥めるように、彼女の従者である少女フィリア=プロスタシアがテーブルに紅茶と茶請けを置きながら声を掛ける。
「フィリア嬢はステラには甘いですね」
「ええ、ブロスタ様……わたしは幼い頃からアリステラ様とご一緒していますので、せめてわたしだけはアリステラ様の理解者でなければ……」
「それは良い心掛けだ。従者の鑑だよ、フィリア嬢」
「フィリアの言う通りです、アリステラ。皇帝陛下も元老院も貴女の考えを無碍にしている訳ではありません。ただ性急な動きを見せるなと言う話です。分かったら紅茶を飲んで少し落ち着きさない」
「分かりました……ディクシアお姉様……」
アリステラの発議は全て否定された訳ではない。皇帝カルディアや元老議員たちは彼女が発議した改革は性急だと判断しただけで、軍備の拡張は緩やかにではあるが行われている。
そうフィリアに諭され、アリステラは渋々とソファーに腰掛けてテーブルに置かれた紅茶を啜り始めた。
「軍備の拡張と言えば……少し前に帝都の各区画に新しい兵器が配備されましたが、あれはケント様の発案ですか?」
「ああ、そうだフィリア嬢。誰だったか……あぁ、そうそう、アルバートとか言う“竜人”の商人がやって来てな。最新鋭の兵器の試験導入を勧められたんだ」
「アルバート……聞かない名ですね?」
「帝都ゲヘナでは商売はしていないらしい。で……奴は自社製の兵器を売り込みに来たわけだ。帝都ゲヘナに本腰を据えて、我が帝国軍の贔屓になりたいらしい」
「それで……兵器の性能は、ケント兄様?」
「無論、折り紙付きさ。私が直に検証したから保証するよ。それで、幾つかお近づきの証として購入させてもらった。自動で魔物を感知して迎撃する対空砲、圧縮して殺傷力を高めた魔力を弾丸にして撃ち出すブラスターライフル、中級以下の魔法を弾く特殊コーティングされた装甲……実に素晴らしい」
「まぁ、そんな腕利きの技師が帝国に居たなんて」
「そうなんだよ、ディクシア。元老院ではアルバート=ファフニールから追加の兵器を購入する議論がなされている。まぁなんだ……ステラが心配せずとも、皇帝陛下も元老院も自国を守る努力はしていると言うわけさ」
アロガンティア帝国は性急な改革を望んでいないが、緩やかには変化していっていると第一皇子ケントは宥めている。
彼はある日帝都ゲヘナを訪れたアルバート=ファフニールなる“竜人”から優れた兵器を購入し、試験的に帝都の各区画へと配備していた。そして、アルバートの兵器の試験運用の後、正式採用する議案も元老院で話し合われていると。
「ですが……先の新兵器導入でわたしの知人が軍を追われました。ウィル=サジタリウスと言う狙撃手です」
「誰ですかフィリア……そのサジタリウスとは?」
「ウィル=サジタリウス……万年一兵卒の男だよ、ステラ。さっきケント兄さんが言っていた対空砲の導入の代わりに解雇されたと会報には記載されている」
「万年一兵卒……なら大したことないのでは?」
「いいえ、アリステラ様。彼は狙撃手としては右に出る者の居ない凄腕と言っても良いでしょう。これまで彼は帝都ゲヘナに飛来する魔物を撃ち落とす仕事をしていました。万年一兵卒なのは……え~、本人に出世欲が無いだけですね」
「それで……大したことないから解雇にしたと?」
「まぁそう言うことさ。ああ……言っておくけど、彼の解雇を決定したのは僕やケント兄さんじゃないよ、ステラ。彼を解雇したのは直属の上官の独断だ。万年一兵卒なら軍には不要だとでも言ったんだろう……」
「以降の彼の足取りは掴めていません……」
だが、新兵器の導入に際して割りを食った者も居る。フィリアが語ったのは、それまで帝都ゲヘナを魔物の襲撃から防衛し続けたウィル=サジタリウスと言う人物が不当に解雇されたと言う話だった。
アルバートから購入した対空砲が帝都防衛の仕事を代わると、サジタリウスは上官から解雇されたらしい。フィリア曰く、それ以降ウィル=サジタリウスの行方は不明になったままになっているらしい。
「ケント兄様、ブロスタ兄様……そのアルバート=ファフニールと言う人物、本当に信用できる人物なのですか? フィリアの話を聞くと……なんだか帝国を良からぬものが侵食しているように感じるのですが……」
「アリステラ、こわがってる!」
「無論、諜報部にはアルバート=ファフニールの内偵はさせている。北方の地方都市に彼の会社が在るのも確認済みだ。心配ないさ、ステラ。アルバートの兵器は帝国の全兵力の1パーセントにも満たない。何か不穏な事があってもすぐに対処できるさ」
「なら良いのですが……」
「アリステラ、前にも言いましたが……貴女は臆病です。故に憂いを断とうと思想が過激化していくのですよ。もっと自分の才能に、アロガンティア帝国の力に自信を持ちなさい」
「はい……ディクシアお姉様……」
フィリアの話を聞いて、アリステラは不安に駆られていた。なにか良くないものが帝国にじわじわと侵食してきている。自分の身体を得体の知れない何かが這いずり回っている、そんな感覚だ。
だが、他の皇族たちはアリステラの心配を杞憂だと言って、彼女を叱咤していた。些細な侵食などアロガンティア帝国はものともしないと。
「…………」
だが、兄弟たちの説得を前にしても、アリステラの不安が消える事は無かった。ただ言いしれぬ気味の悪さだけが彼女の内に広がっていたのだった。




