第780話:次なる戦場へと赴く前に
「すまんな、ラムダ。儂の我儘につき合わせて……」
「なぁに、今さらさ。気にすんなよ……」
――――“冥底幻界魔境”マルム・カイルム、“魔女村”ヴェスペラ、時刻は正午。魔王継承戦の決着から二日後、ラストアーク騎士団出立の日。
俺とグラトニスは魔界を離れる前に“魔女村”を訪れ、シエラの自宅の側にあるものを建てていた。
「ルシファー……もう行くね。ゆっくりと休んでいて……此処なら静かだから……」
今は空き家となっている魔女の家の側に建てられたのは魔王軍最高幹部の一人、機械天使ルシファーの墓だ。とは言っても、別にルシファーが埋葬されている訳じゃない。
先の戦いでルシファーの駆体は完全に消滅してしまった。故に、俺たちの目の前に建てられているのはどちらかと言えば慰霊碑に近い。
「今までありがとう……我が最高の友よ……」
一メートル程の石板のような漆黒のモノリスには、唯一残されたルシファーの遺品である欠けたバイザーが掛けられている。
アラヤ=ミコトとの戦闘で砕かれた左腕と武装はいつの間にか消えていたらしい。大方、アズラエルが奪っていたのだろう。
「別れは済ませたか、ルクスリア。もうそろそろラストアークに戻らないと」
「分かっておる。そう急かすでない」
“魔女村”の郊外では戦艦ラストアークがいつでも発進できるように待機している。村に立ち寄ったのは、ルシファーをちゃんと弔いたいというグラトニスの個人的な願いを叶える為だ。
ルシファーの墓標に一輪の花を添えると、グラトニスは袖で涙を拭ってから立ち上がり、取り繕った毅然とした表情を俺に向けてから歩き始めた。
「魔界の統治は大丈夫なのか?」
「安心せい、儂の代わりに女帝ニヴルヘイムと巨戦王デルガドスが共同で名代を務めてくれる。巨人族とダークエルフ族の共同戦線でアロガンティア帝国軍に備えてくれるそうじゃ……」
「それならお前は……」
「無論、引き続きラストアーク騎士団の総司令として指揮を振るう。魔王軍の有志たちもラストアーク騎士団に参加したし、彼奴らが奪った“マザー”の炉心は取り戻さなければならんからのう……」
俺たちラストアーク騎士団はアロガンティア帝国を追うことになった。エージェント・ブレイヴが奪った『地神炉心』を取り戻し、皇帝スペルビアの企みを暴く必要があるからだ。
グラトニスはその為に引き続きラストアーク騎士団の指揮を執る事になった。彼女の不在中、魔界はニヴルヘイムとデルガドスが共同で統治するらしい。
「このまま帝都ゲヘナに向かうのか?」
「連中の動き次第じゃな、それは……」
エージェント・ピース、エージェント・ブレイヴの両名は皇帝スペルビアが間もなく挙兵すると言っていた。
そして、ラストアーク騎士団へと戦闘を仕掛け、『地神炉心』を強奪した以上、両名の言っている事はおそらくは事実だ。
「オリビアとラナに負傷者の治癒を急がせるのじゃ。まだオリビアの不調は治らんのか?」
「今は落ち着いているよ。けど、表情は暗いままだ」
「ノアがなんぞ意味深な事を呟いとったが、どうやらお主の恋人は何やら難解な現象に襲われたようじゃな?」
「それは……俺もよく分からない」
「まぁ良い……今は戦力が欲しい。オリビアが動けるのなら多少無理をさせてでも治癒をさせるのじゃ。オリビアの介護はお主がしてやるのじゃぞ」
「分かっているよ、それぐらい」
アロガンティア帝国の全貌は未だに不明なまま。かつての帝国軍を知るウィル曰く、魔界に現れた帝国軍はかつての軍とは全くの別物に変貌していたらしい。
兵士たちも、彼等を引き連れたエージェントたちも以前の軍には居なかった。つまり、エージェント・ピースたちは皇帝スペルビアが組織した者たちという事になる。故に不明瞭なのだ。
「特に皇族であるアリステラは対アロガンティア帝国には必須じゃ。彼女からは帝都ゲヘナの情報やアロガンティア帝国領の地理を教えてもらわねばならんからのう……」
「そうだな……」
「ともかく、儂等にはまだするべき事が山積みじゃ。魔王継承戦を終えたばかりで、まだ体力も気力も回復はしとらんが……気は抜けんぞ、ラムダよ」
グラトニスは今後の作戦を練りながら、雪をかき分けて戦艦ラストアークへの道を進んでいく。
まだ魔王継承戦での傷は癒えきっていないが、彼女の言う通り俺たちには休んでいる暇はない。づかづかと進んでいくグラトニスに合わせて、俺も歩を速めて雪道を進んでいこうとした。
「だから……今の内に言っておく……」
「どうした……ルクスリア?」
その時だった、グラトニスは不意に足を止めて俺を呼び止めた。
戦艦ラストアークに戻れば、また俺たちは戦いに赴かなければならない。その前に、グラトニスにはどうしても伝えたい事があるようだ。
「ありがとう……私を助けてくれて……」
「ルクスリア……」
グラトニスは魔王としての“仮面”を脱ぎ捨て、一人の少女『ルクスリア』として俺に礼を言ってきた。両手を重ねて添えて、深々と頭を下げて。
「貴方の身体を無茶苦茶にして……何度も何度も苦しめて、傷付けて……でも、そんな私を助けてくれて……どんなに詫びても、とても返しきれない借りを貴方に作ってしまった」
「…………」
「どう償ったら良いかも分からない。貴方の優しさに……今の私は応えられない。ごめんなさい……ごめんなさい……本当にごめんなさい……!!」
グラトニスは魔王軍を率いて俺と何度も戦い、戦う度にお互いに傷付けていった。それなのに魔王継承戦で助け合った事が、今のグラトニスには重くのしかかっているのだろう。
いっそ悪態をついて、グラトニスの頬を思いっきりぶん殴った方が彼女的にはありがたいのだろう。本来、自分は罰せられる側だ、助けられる立場の存在ではないと。
「正直……前にも言ったけど、俺はお前のやった悪行は許していない。アリアの故郷を焼いたこと、アーティファクト戦争でのこと、オクタビアス卿を殺したこと……全部」
「…………」
「けれど……それでもお前が平和を目指して立ち上がって、贖罪と共に進み続けるのなら……俺は手を差し伸べる。お前の中に欠片でも善性が在るのなら、その信念に従って生きるのなら、俺は君の手をとり続ける、ルクスリア……」
「ラム……ダ……!」
「ルシファーにも託されたからな、お前こと。あいつの代わりに俺が手を繋ぐよ。それが俺の答えだ……」
けど俺はグラトニスの中に芽生えた僅かな善性を信じている。悪意を以って世界征服を進めた彼女がかつての理想を思い出し、正しい道を歩めると信じている。
だから俺はグラトニスに手を差し伸べる。今も、そしてこれからも。ルシファーから託された、ルクスリア=グラトニスの“夢”を護る為に。
「俺への贖罪は……行動で示してくれ、ルクスリア」
「ラムダ……うぅ、うぅぅ……! うん……うん!」
俺が差し出した右手を握り締め、感極まったグラトニスは涙を流し始めた。俺の手を自分の頬に擦り当てて、彼女は肩を震わせている。
俺にできるのは、そんなグラトニスをそっと抱き寄せることぐらいだった。片膝を付いて小柄な彼女と目線を合わせて、左手で艷やかな黒髪を撫でて、泣きじゃくる彼女をあやし続ける。
「俺の前では素直になって良いから……」
ルシファーが居なくなった今、グラトニスが“本当の自分”をさらけ出せるのは俺しか居ない。だから俺が彼女を支えなければならない、亡きルシファーの代わりに。
「ずっと……ずっと探してた……私の中で疼く“飢え”と“渇き”を満たしてくれる人のこと……」
「俺にできる事なら、なんでもするよ」
「ずっと空を眺めて待っていた……私のことを愛してくれる人が現れてくれるのを……」
「ああ、愛してるよ……」
「“廃棄孔”には居なかった……魔界の何処を探しても居なかった……世界に手を伸ばしても見つからなかった……」
「いま……目の前に居るよ……」
「やっと……やっと見つけた。私を愛してくれる……我が愛した人。好きなの……好きなの……愛しているの、貴方を。ラムダ=エンシェント……私はずっと貴方を待っていた」
「ああ……知ってるさ」
去っていった天使の代わりに、俺は小さな魔の心の隙間を埋められるか。それは分からない。
けれど、この瞬間、グラトニスがずっと抱いていた心の“飢え”と“渇き”は満たされたのだろう。少なくともそう思う。
「…………よし! じゃあ戻るかの〜」
「えっ、切り替え早ッ!?」
「クハハハハ〜! この程度の変わり身もできぬようじゃ魔王は務まらんからのう。さっ、早ぅラストアークに戻るぞ、ラムダよ」
「う、ううむ……なんか調子狂うな……」
「まだまだ儂の上に立つのは早いという事じゃ♪」
少なくともそう思う。が、どうやらグラトニスもまだまだ素直ではないらしい。
俺の服でこっそりと涙を拭った彼女は再び毅然たる“仮面”を被り直し、悠然とした足取りで戦艦ラストアークへと向かい始めだした。
「お主の活躍、期待しているぞ……親愛なる我が友よ」
「ふっ……ああ、ご期待に添いますよ、魔王様」
俺たち二人が乗り込むと同時に、戦艦ラストアークは浮上していく。魔族たちが支配する“冥底幻界魔境”マルム・カイルムを離れ、ラストアーク騎士団は新たな戦場へと赴くのだった。




