第778話:継承戦の結末
「ノア、避難したみんなは無事か……!?」
「ラムダさん、グラトニスさん、ご無事でしたか!?」
――――魔王城下部アンビチオ、エントランス。アロガンティア帝国軍の撤退から三十分後。帝国艦隊が去っていくのを見届けた俺とグラトニスは、ノアたちの待つ魔王城へと到着した。
エントランスではノアたちが“暗黒都市”から避難した住民や魔王軍の残党たちの手当てをしていた。
「ノア、アロガンティア帝国の動向は?」
「ジブリールの報告では……アロガンティア帝国軍は魔界領域からは離脱、そのままアロガンティア帝国領へと入っていきました」
「そうか……連中は約束は守ったか……」
「ジブリールにそのまま追跡を命じましたが、アロガンティア帝国領に差し掛かった途端、帝国艦隊が砲撃を開始したようですので、それ以上の追跡は不可能でした。ジブリールは今、此方に帰還している途中です」
「分かった、ありがとう」
アロガンティア帝国艦隊は魔界から撤退し、帝国領へと引き上げていった。回収した『地神炉心』を皇帝スペルビアへと届けにいったのだろう。
「ごめんノア……“マザー”が帝国軍に殺された」
グラトニスに背負われた“マザー”がエントランスの一画に寝かされ、魔界を見守っていた大魔女の死に魔族たちは動揺を見せていた。
エージェント・ブレイヴという伏兵に気が付かず、“マザー”を孤立させてしまった俺の責任だ。少なくとも、彼女と共闘していれば帝国軍による強襲は防げただろう。
「ラムダさんの責任ではありません、最初から帝国軍は『地神炉心』の奪取が目的だったのですから……」
「それは……そうだけど……」
「それに……仮に帝国軍が来なくとも、結局は私たちが“マザー”から『地神炉心』を奪っていたでしょう」
エージェント・ブレイヴの言う通り、“マザー”は結局俺たちが倒していた。そう言ってノアは俺に対して慰めの言葉を伝えた。
そして、“マザー”の亡骸を少しだけ見つめたノアは、今度は俺が抱えていたエージェント・ピースの亡骸に興味を示し始めた。
「エージェント・ピース……帝国の将校ですか」
「こいつは“嫉妬”の権能を扱っていた。アラヤ=ミコトが作った因子は俺たちが持っていた筈なのに。どういう訳かさっぱり分からない……」
「分かりました……私の研究室でエージェント・ピースの遺体を調べてみます。ラファエル、レイチェルさんに連絡して輸送艇の用意を。エージェント・ピースの遺体を医療カプセルで保存して私の研究室に運んでください」
「承知しました、ノア様。すぐに手配しますわ」
エージェント・ピースは“嫉妬の魔王”の権能を有していた。だが、アラヤ=ミコトが“嫉妬の魔王”に与える因子はラストアーク騎士団が現在は所有している。
彼女は『アラヤ=ミコトによる因子継承』とは別の方法で“嫉妬”の権能を得ている。それを明確にする為に、俺はエージェント・ピースの亡骸をノアに預けた。
「オリビアは?」
「それが……オリビアさんは今、談話室で休んでいて……。どうにも急に頭が痛くなって、体調もすぐれないとか……」
「いつから……?」
「ええっと……一時間ぐらい前ですかね……」
「エージェント・ピースを倒したあたりか……」
「それ、正確な情報ですか、ラムダさん?」
「ああ……多分。何か因果関係でも……」
「……オリビアさんは『哀しい』と言って疼くまってしまった……エージェント・ピースが倒れたタイミングで……。まさか……“観測者”ユニ=コスモスが提唱した『並行矛盾現象』……? だとすればエージェント・ピースの正体は…………(ぶつぶつ)」
「おい、ノア? どうしたんだ独り言を呟いて?」
「――――あっ、すみません。少し考えごとを……。少し気になる事がありますので、私も輸送艇が来たらラストアークに戻ります。ラムダさんはオリビアさんを介抱してあげてください」
どうやらノアはエージェント・ピースの正体に心当たりがあるらしい。
エージェント・ピースの遺体をラファエルに持たせたノアは、その場を後にして魔王城の外へと向かって行った。そのまま戦艦ラストアークに帰還するらしい。
「やあラムダくん。無事に戻って来てくれて何よりだ」
「リリスも無事そうだな。アズラエルは……?」
「アズラエル? うん、そう言えば魔王城に着いた後、姿を見てないね。何処行ったんだろ?」
「あいつ……」
「まぁ、あんな戦闘狂なんて放っておけば良いよ。どうせアラヤ=ミコトにボコボコにされて、もう君を殺す余力なんて残ってないだろうしね」
「そうだと良いけど……」
ノアを見送った俺にリリスが近付いてくる。右腕は失ったままだが、どうやら動き回る程度には回復したらしい。
だが、彼女の表情はどこか疲れ切っていた。
「どうやら……“マザー”は殺されたみたいだね……」
「ああ……すまない。戦友だったんだろ?」
「はは……大昔にちょっと共闘しただけさ。気にする事なんてないよ。それよりも君が無事で良かった」
「アロガンティア帝国の襲来は予言出来なかったのか?」
「悪いけど……わたしの予言は何度も死に戻りをする事で得ていたただの“記憶”の積み重ねなんだ。それでアラヤ=ミコトを倒せたのは今回の周回が初めてでね……アロガンティア帝国の襲来は流石に予期出来なかったんだよ……ごめん」
「あぁ……なるほど、そういう理由だったのか……」
アラヤ=ミコトを討つべく、リリスは【時の歯車】を用いて何度も死に戻りを繰り返していた影響だろう。
“原初の魔王”の権能こそレメゲトンに奪われたものの、アラヤ=ミコトは倒され、レメゲトンは姿を消し、アロガンティア帝国軍も去っていった。全ての脅威から解放されたリリスは俺の前に蹲ると、ボロボロと涙を零しはじめた。
「やっと……やっと……“未来”に向かって歩き出せる。わたしの贖罪が終わった……やっと自由になれた……」
「リリス……」
「ありがとう、ラムダくん。わたしの復讐を終わらせてくれて……本当にありがとう……」
リリスは長い長い“現在”の繰り返しから解放された。だけど、それはリリスにとっては終わりの時が近付いてくる事を意味していた。
そんな事を俺は予感していた。リリスの事を物陰から見つめるレスターの姿を視界に収めながら。
「それでグラトニス様……結局、新しい魔王は誰になるんですか? 新しい魔王を決める“マザー”が死んじゃいましたけど……」
「儂に訊くな、リリエット……」
「御主人様は“マザー”から何か遺言とか聞いてないの? やっぱり仕来り通り、最後まで残ったヴァレンタインを魔王にするの?」
「俺は何も聞いてないけど……」
「じゃあ……“マザー”も居なくなった今なら、ヴァレンタインをこっそり闇討ちしちゃえばグラトニス様を魔王に返り咲かせれるって事? う〜ん……けど御主人様を魔王に据えて、私がその側近兼愛人になるのも捨てがたい……ゆくゆくは“夢幻遊幽”の支配人に……」
「悪いこと考えてる、このサキュバス……」
「いいや、エロいことを考えてる表情じゃ……」
リリスたちを他所に、グラトニスたちは次期魔王についてざわざわと騒ぎ始めていた。魔王継承戦の結果自体は、最後まで生き残ったヴィヴィア=ヴァレンタインの勝利で間違いない。
だが、魔王継承戦自体がそもそもレメゲトンの仕込んだものである事、一応の継承戦の裁定者である“マザー”が殺された事で、魔王継承戦そのものの存在が疑問視されてしまっていた。
「とりあえずヴィヴィアさんの意志を確認したらどうだ? 魔王継承戦の勝者は彼女なんだから」
「それもそうじゃな……」
「ん? ああ、アタシに訊いてる?」
「そうじゃが。何を呆けておる?」
「ちょっと仕事の話を受けていてね。あー、はいはい、魔王継承戦の事ね。一応、アタシに新しい魔王の権利があるって事で良いのよね?」
「“マザー”は居らんようになってしもうたが……彼女の意志は尊重するつもりじゃ。新しい魔王になる資格を持つのはそなたじゃ、ヴァレンタインよ」
「う〜ん……」
だが、俺もグラトニスも亡き“マザー”の意志を尊重し、新しい魔王の資格は継承戦のルールに則る事にした。つまり、最後まで勝ち残ったヴァレンタインに玉座が譲られる。
だが、当の本人であるヴァレンタインは何やら複雑そうな表情をしていた。どうやら直前までラストアーク騎士団の通信機を使って誰かと喋っていたらしい。
「どうしたんですか、複雑な表情して?」
「いや別に……けど、そこまで言うならアタシが新しい魔王になるわ! それで継承戦は終わり!」
「なんか怪しいのう……」
「そして、このアタシ、ヴィヴィア=ヴァレンタインが魔王として宣言するわ! アタシはこのまま魔王は引退しまーーすっ!!」
「「「!!? ハァ!? なんだって!?」」」
「そして……引退する魔王として宣言を。アタシは……ルクスリア=グラトニスを新たな魔王として指名するわ。これは魔王としての決定ね♪」
「「「ええーっ、そんな勝手に……!?」」」
そして、ヴァレンタインは開口一番、魔王への就任と引退を同時に発表した。
その場にいた全員が絶叫した。新たな魔王になってかつての栄光を取り戻したいと願っていた筈のヴァレンタインがなんの躊躇もなく魔王の座をグラトニスに譲ったからだ。
《ふっふっふっ……驚いているようですね、お兄さん。ヴィヴィアさんの突然の変わり身、その疑問にわたしがお答えしましょう!》
「あっ……アサガオちゃん……」
《ヴィヴィアさんが三千年前に一世を風靡した魔法少女だと聞いてピーンときました。ヴィヴィアさんには“アイドル”が向いていると……》
「ア……アイドル……」
「そう、アサガオPはアタシに新しい“魅せ方”を提示してくれたわ。それはアイドル!! これからは動画配信! 魔法少女ビビッド☆ヴィヴィアンの活躍を動画に収め、それを全世界に発信するの! そうすればアタシは再び人気者よーーッ!!」
「なんと……アイドル魔法少女をするつもりかの……」
《ヴィヴィアさんをプロデュースして人気者にし手数料ガッポリ! ついでにコラボ放送でわたしの人気もうなぎ登り! まさに完璧な作戦よーーっ! あーっはっはっはっは♪》
どうやらアサガオがヴァレンタインに入れ知恵をしたらしい。ヴァレンタインは“アイドル”という存在に心惹かれていた。
故に魔王という立場に興味を無くしてしまったのだろう。レメゲトンが仕掛けた魔王継承戦は、アサガオの商魂によってあっさりと破綻してしまった。
「と言うわけでぇ、アタシはアイドルやるから魔王はよろしくね、グラトニス。出来るでしょ、一回やってんだから」
「じゃ、じゃが……儂は一度負けた身で……」
「あら、周りはそうは思ってないみたいよ?」
「えっ……? なんじゃって……!?」
「グラトニス様はわたし達を身を呈して守ってくださったわ! 彼女こそこの魔界の真の王に相応しい!」
「「グラトニス、グラトニス、グラトニス!!」」
「けっ……あんた等がグラトニス様を『敗者は相応しくない』って引き摺り降ろしたんでしょうが……急に手のひら返して図々しい……」
「まぁまぁ、リリエット。民衆なんてそんなもんよ」
「だいたい……ヴィヴィア=ヴァレンタインなんて危険人物を魔王にしたら何するか分かんねぇ。それならグラトニス様の方が良いに決まってんだろーーっ!!」
「なんですってーーっ! アタシの何処が危険人物なのよ!? 魔王になったら、アタシの活躍を描いた新刊を国庫で出版させるつもりだっただけなんですけど〜〜!!」
「しょうもな……」
そして、ヴァレンタインによって新しい魔王にはグラトニスが指名された。
グラトニスは自分は継承戦に負けた身分だと遠慮を見せていたが、エントランスにいた魔王軍や“暗黒都市”の住民たちはグラトニスを拍手喝采で歓迎していた。ヴァレンタインよりはマシという判断らしい。
「ええっと……儂は……」
「良いじゃん、魔王やりなよ」
「ラムダ……お主……」
「俺はお前は王の器だと思ってるよ。また魔王になって、一からやり直したら良い。あっ……世界征服を企むのは無しだからな」
「…………」
「みんながお前を待っている。それにルシファーも……。あいつに見せてやれよ、お前が夢を叶える瞬間を。俺も手伝ってやるからさ」
「ルシファーの為にも……うん!」
それでも迷っているグラトニスの背中を、俺はそっと押してやった。彼女とは旅立ちの日から幾度となく刃を交え、時には命懸けの殺し合いまで演じた。
そのうえで、俺はグラトニスが魔界を統べる魔王に相応しいと思ったのだ。それを聞いて、亡き親友の願いを思い出したグラトニスは、意を決したように力強く頷く。
「ではヴィヴィア=ヴァレンタインよ、そなたの意志を尊重し、儂は新たな魔王になろう! 宣言する! 儂の名はルクスリア=グラトニス……この魔界に君臨する新たなる魔王である!!」
「「「グラトニス様、万歳ーーッ!!」」」
そして、ヴァレンタインから魔王の座を引き継ぎ、グラトニスは万雷の喝采に迎えられて魔王の座へと返り咲いたのだった。
こうして、“冥底幻界魔境”マルム・カイルムで巻き起こった魔王継承戦は決着し、魔王を巡る俺たちの戦いは一応の決着をみせたのだった。




