第66話:この想いを唇に乗せて
「ありがとうございます、ラムダ様……教会の用事に付き合わせてしまいまして……」
「構わないよ、オリビア……【快楽園】への潜入は明朝……どうせノアもまだ起き上がれないだろうし……」
「ルージュさんにノアさんの“マッサージ”を命令したのはラムダ様では……?」
【享楽の都】――――外周部、時刻は日付が変わった頃。俺はオリビアの用事に付き添って、宿屋までの帰り道を彼女と歩いていた。
シャルロット伯爵令嬢の案内による【快楽園】潜入作戦の決行は明朝――――それまでは英気を養うようにと、シャルロットはそう言って引き上げていった。
束の間の自由時間――――ひとり外出しようとしたオリビアを放っておけなくて、俺は彼女に付き添ったのだ。
「楽しそうですね、この街は……」
「“眠らない街”……だったっけ? 夜になったら物音一つしなくなるサートゥスが懐かしいよ」
「……ですね」
日付けが変わっても【享楽の都】は眠らない。酒場に冒険者たちが屯して酒を呑み明かし、男女が手を繋いでピンク色の看板の店に消えて行き、通りの中央で【曲芸師】が大道芸でお捻りを観客から貰っている。
すぐ側に【死の商人】の魔の手があっても、人々はそんな事を気にも留めずに享楽に耽る。
羨ましくもあり、少し疎ましくもあり――――まだ自分は、視界に映る享楽に耽る人々のようにはなれないんだなと、つい考えてしまう。
騎士になる、“彼女”の為にも――――そう決めたあの日から、娯楽に殆ど手を付けなかったからだと思う。
綺羅びやかに光る看板が掲げられた店を見向きもせずに素通りしながら、俺とオリビアは雑多をかき分けて進んでいく。
「オリビア……その……ごめん、ルージュのこと……」
「ラムダ様……わたしは、ラムダ様の決めたことに異存はありません……ラムダ様を信じていますから」
「あいつのした事を考えたら、許せないのは……分かる。でも、どうしても……見捨てれなくて……」
「――――気にしてるのですか? あの時、リティアさんを救わなかった事……」
無言の時間がもどかしくて、どうしても謝っておきたくて、オリビアに懺悔をすれば――――彼女は迷わずに俺の本心を突いてくる。
リティア=ヒュプノス――――深淵牢獄迷宮【インフェリス】での事件で、欲に溺れ破滅した少年を……俺は救わなかった。
救えたかも知れない――――でも、あの崩れ行く祭殿の中、俺の傍らにはノアがいた。ふたりの命を天秤にかけて、俺はノアを選んだ。ただ、それだけの事。
「分かってる……俺には全てを救えない。だから、せめて大切な人だけでも救おうって……でも、救えなかった人を想うと……悔しい……」
「気持ちは……分かります…………わたしも、ラジアータの人たちの無念を想うと、いまでも……苦しくて……」
「だから、ルージュが『助けて』って言った時、どうしても……見捨てれなかった……だから、ごめん……!」
「ラムダ様……」
俺はリティアを救わなかった――――彼の未来を閉ざしてまで、ノアを護った。
誰も俺を責めはしなかった……俺を責めているのは、他ならぬ自分自身だ。
このままルージュを見殺しにすれば、『自業自得』だと罵って見捨てれば――――俺はきっと、また重荷を背負うだろう。
ルージュの断罪は【死の商人】を倒してからで良い。だから、俺は“死”の螺旋に囚われた彼女を救ってみせる。
これは、きっと俺の我儘なのだろう。目に見えるもの全てを救おうとする、俺の……我儘。
「ねぇ……ラムダ様…………」
「どうしたの、オリビア……?」
「ラムダ様は……今を楽しんで生きていますか……?」
「…………分からない」
その質問に、俺は『分からない』としか答えられなかった。騎士に成りたくて、でも成れなくて、諦めきれなくて、騎士の真似事をして自分を誤魔化している。
女神アーカーシャは俺の“願い”を聞き入れてくれなかった――――それが悔しくて、彼女の願いを踏み躙られた気がして、どうしても許せなかった。
だから、必死になって戦って、全てを護ろうと躍起になって、そればかり考えて。
気が付けば、俺は“約束”に縛られて生きていた。
「ねぇ、ラムダ様……ふたりで……逃避行しませんか?」
「オリビア……何を……?」
「何もかも投げ出して、ふたりで自由気ままに生きてみませんか? 美味しい物をたくさん食べて、好きな時にお昼寝して、どこかに小さな家を建てて……そこで、子どもをたくさん作って、穏やかに暮らしませんか?」
俯いた俺にそう問い掛けるオリビア――――全てを捨てて、ふたりで生きようと。
オリビアの表情は笑っているけど、眼は笑っていない。彼女の紫水晶のように透き通った紫色の瞳が、微かに潤んでいる。
心配を掛けたんだなと、そう思った。
だから、オリビアは全てを捨てようと言ったのだろう――――でも、それはできない。
俺は、ノアを護る“騎士”なのだから。彼女の手は――――決して放さない。彼女を失いたくないから、遠い思い出に眠る“彼女”に似たノアが居なくなるのは、きっと辛いから。
「それは……できない……ごめん、オリビア」
「…………分かっています…………ラムダ様なら、断ってくれると思っていました。あ~ぁ、ラムダ様にそこまで想ってもらえるノアさんが羨ましいなぁ……」
「オリビア……」
「ねぇ……せめて、明日の朝まではふたりっきりで過ごしませんか? ここは“享楽の都”……少しぐらい、羽目を外したって……大丈夫ですよ♡」
「それは……///」
「わたしと……今を楽しみませんか? 全部忘れて、せめてこのひと時だけでも……“快楽”に身を委ねて、楽しんでくれませんか?」
街を流れる川を渡る橋の上で、オリビアは俺に顔を近づけてくる――――上気して赤らんだ顔、俺の手を握る温かく柔らかな手、身体に押し付けられた豊満な身体、上目遣いで俺を見つめる愛くるしい瞳。
オリビアの持つ魅力の全てが俺に向けられている――――分かっている、嬉しくて仕方が無い。
ずっと、好きだった――――父さんに“婚約者”として紹介されたその日から、ずっとずっと好きだった。
何度もシータに相談して、気を引けるように試行錯誤して、でも……あの日に全部、有耶無耶になって。
気持ちを言いそびれた内に、君は立派になっていって――――どこか、遠くに行ったような気がして。
本当は、今すぐにでも抱きしめたい、彼女が許すのなら朝まで一緒にいたい――――でも、それを俺の“理想”は許さない。
まだ俺は見果てぬ夢をひた走る途中で、まだ自分を許せなくて――――きっと、そんな状態でオリビアを抱けば、堕落して“夢”を諦めてしまいそうで。
「俺は……まだ立派な“騎士”になっていない…………だから、まだオリビアの想いには……応えれない……」
「ラムダ様……」
「…………ごめん」
「………………なら、せめて……眼を瞑ってください」
それでもオリビアは身動ぎ一つせずに俺を見つめ続けて、眼を瞑るように促してきた。
言葉に甘えて眼を閉じる――――視界が遮断されて、彼女の顔も見えないぐらいに暗闇が広がって。
それでも、オリビアは俺に身体を寄せている――――手も、胸も、吐息も、見えないからこそ、よく感じられる。
「オリビア……いったい何を――――ッ///」
そして、俺の唇に触れた柔らかな感触――――瑞々しくて、温かくて、優しい、彼女の唇の感触。
たったの3秒、触れ合った唇に想いを乗せて――――オリビアが言葉にせずに伝えた、俺への気持ち。
「…………オ、オリビア…………何を…………!?」
「ふふっ、キス…………しちゃいました♡」
「し……【神官】だろ!? 不貞はまずいんじゃ……?」
「淫行をしなければ大丈夫ですよ! 女神アーカーシャ様だって、キスぐらいで文句を言ったりはしない筈です!」
「〜〜〜〜///」
「それに……これは“お礼”…………あの時、わたしを護ってくれた……そのお返し」
唇を離して、身体を離して、オリビアは照れくさそうに笑っている。
両手を後ろに回して、胸を張って、俺の瞳をまっすぐに見つめながら。
「あの時……身を挺して、わたしを護ってくれたラムダ様……すごく素敵だった! だから……もうこれ以上、自分を責めないで……もうこれ以上、重荷を背負わないで……貴方は、貴方が思っている以上に……強い人です」
「オリビア……」
「それでも……それでもラムダ様が全てを背負うなら……わたしも一緒に背負います……! だから……そんな哀しい眼をしないで……!」
あぁ、やっぱり……君は優しくて、美しい。
オリビアの瞳から流れた涙は、頬から零れて彼女が纏った純白の神服に落ちては消える。
流れた涙の分だけ、オリビアの想いは膨らんでいって、彼女は我慢できずに俺の胸に縋り付く。
「わたしは……ううん、ノアさんも、コレットさんもアリアさんも……きっと、ルージュさんも……みんな、ラムダ様に笑ってほしい、楽しんでほしい……喜んで……ほしい……そう、思っています……!」
「俺は……俺は……」
「わがまま言ってごめんなさい……! ラムダ様の気持ちも分からないのに、わたし……わたし……!!」
「俺は……みんなと一緒に居るのは……楽しいよ……」
「うぅ……うぅぅ……」
「ノアのころころ変わる表情も、コレットの解説しながらツッコミを入れる所も、アリアの無鉄砲な所も……オリビアの優しさも……とても居心地が良いんだ」
そう、きっとそれが俺の喜びなのだろう――――【ベルヴェルク】のメンバーと一緒に冒険して、馬鹿をして、笑い合って、戦って、まだ見果てぬ景色に胸を躍らせる。
あぁ、そうだ――――重荷を背負わなくても良い。この旅の果てに、彼女たちと進んだその先に、俺の夢はある。
自分にできる事を精一杯しよう。ただ、それだけで良い。そして、みんなで笑い合おう。
「オリビア……ありがとう…………君のお陰で、大事な事に気が付けた……!」
「ラムダ様…………わたしは、貴方に生きていて欲しい……! どうか……死なないで! わたしは、もう……大切な人を失いたくない!」
死の喪失による哀しみ――――それを、俺もオリビアも知っている。
だから、これ以上、オリビアに同じ想いをして欲しくない。俺が死んだら、きっとオリビアは哀しむだろうから。
「…………約束する、俺は絶対に死なない…………必ず、生きて、生きて、生き抜いて…………みんなと一緒に生き続ける! だから、もう泣かないで……オリビア」
「ラムダ様……あっ…………!」
涙をそっと拭き取って、今度は俺の方から唇をオリビアの唇に重ねる。愛しき君に贈る約束――――この想いを唇に乗せて。
いつか、それでも、命を賭けなければならない時が来るだろう――――それでも、生き抜いてみせる。
意地でも生きて、またみんなの元に帰って来よう。
果たすべき“使命”は見つかった、護りたいものが見つかった――――生きる理由が見つかった。
この命は愛しき仲間たちの為に、我が身命を賭してみんなを護り、みんなの笑顔の為に俺は生きよう。
「ラムダ様……ラムダ様……あの……ラムダ様……?」
待って、いま大事な所だから。誰だ、このタイミングで声を掛けてくるのは?
「ラムダ様! ラムダ様ー!」
――――うん、まずいねコレ。
「…………オリビア」
「…………ラムダ様」
唇と唇を名残惜しそうに離す――――交わった唾液が引いた糸はとても煽情的で。でも、余韻に浸る余裕は微塵も無くて。
俺とオリビアは、非常に気まずそうな表情で見つめ合う。
「キスしてた……コレットの目の前で堂々と……!」
「御主人様……鈍感系草食男子じゃなかったんだ……」
「うわぁ……/// オリビアさん、意外と積極的なんだね!」
「オリビアさん……何をしているのかな?」
ふと、視線を横に逸らせば――――見知った面々が俺たちを見つめていた。
「…………これは…………その…………」
「え、え~っと……その…………わたし、つい……魔が差して……あはは……」
「どこから見てたの……ノアさん?」
「ふたりが教会から出てきた所からですけど……?」
「ほぼ最初からじゃん……声かけろよ……」
「だって……雰囲気がしんみりし過ぎてて、声かけにくかったし……」
視線が痛い――――ノア、コレット、ミリアリア、ルージュの4人がそれぞれ疑惑の眼で俺とオリビアを視ている。
特にコレットがやばい。尻尾から焔が燃え上がるぐらいに荒ぶっている。
「オリビア様……少しお話があります……!!」
「はい……コレット……さん……」
「女神アーカーシャ様に仕える【神官】が純潔を守り、女神に奉仕する職業なのはご存知ですよね?」
「…………はい」
「―――――なぜキスを?」
「チャンスと思って……」
抜け目がなさ過ぎる。あれだけしおらしい仕草をしていたのに、内心では『チャンス来た!』なのか……。
乙女心は複雑だとシータが言っていたけど、本当にそうだったのか。
「あの……わたし、誓ってふしだらな行為はしていません……!」
「……『ねぇ……せめて、明日の朝まではふたりっきりで過ごしませんか? ここは“享楽の都”……少しぐらい、羽目を外したって……大丈夫ですよ♡』…………でしたっけ、オリビアさん?」
「煩悩の塊みたいな台詞だよね?」
「御主人様と羽目を外して朝までハメハメ? 貴女、本当に【神官】なの?」
「流石は淫魔……凄まじく品の無い卑猥な台詞を臆せずに言ったです~……!?」
「〜〜〜〜///」
「この抜け駆けすけべ神官〜〜ッ! よくもラムダさんのファーストキスを〜〜〜〜ッ!!」
「いや~ん♡ ラムダ様、助けて〜!!」
そして、結局はこうなる――――ノアたちにもみくちゃにされるオリビア、コレットにみっちり叱られる俺。
どうしようもなく、くだらないやり取りで――――それがどうしようもなく楽しい。
いつまでもこの時間が続けば良いと思う――――いつか『終わり』が来ると思うと、余計に強く思ってしまう。
だから――――今を精一杯、楽しもう。
悔いが残らないように、笑っていよう。
この中の誰かと添い遂げようとも、まだ見ぬ誰かと添い遂げようとも、たとえ……死ぬ時が孤独だったとしても。
生きて、生きて、生き抜いて――――彼女たちと笑い合おう。
それが――――俺の生きる理由。
ささやかな願いは、やがて世界を変える程に強く脈動する。
「ノアさん……ラムダ様のファーストキスは――――わたしが頂きましたわー(ドヤ顔)」
「この〜〜……!! こうなったら……ラムダさんの童貞は意地でも私が奪ってやるんだから〜〜!!」
「ノア……はしたないからやめなさい……」
――――“死”の螺旋の中で見つけた、“生”への渇望。
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