ラムダの記憶④:ある騎士の死、ある騎士の目覚め
「頑張って、オリビアさん! もう少しで森を抜けるよ!」
「はぁ……はぁ……はい、ラムダ様…………!」
我が父・アハト=エンシェントへの報復を企む【鬣犬盗賊団】の襲撃、それを喰い止めんためにたったひとり囮となった“魂剣”と謳われた騎士・シータ=カミングとの別れから数十分後――――俺とオリビアはロクウルスの森をもう少しで抜けれる所まで来ていた。
森を抜ければその先は草原地帯。まだ安全とは言い難い場所だが、少なくとも物陰からの奇襲には怯えなくて済む。
「ぜぇ……ぜぇ……!!」
「オリビアさん、もうちょっとだけ頑張って……!」
オリビアの体力はとっくに切れている。肩で息をしながら懸命に走る彼女をどこかで休ませないと――――その想いだけで、俺は彼女の手を引いて走り続ける。
幸い、追手は来なかった。
たったひとり“殿”を引き受けたシータが足止めしてくれたのだろう。
なら、彼女の覚悟に応える為にも、俺はオリビアと共に帰還しなければならない。
けれど――――
「――――ッ!! 止まって、オリビアさん!!」
「ぜぇ……ぜぇ……そ、そんな…………伏兵…………!」
「へっへっへ…………念のために森の出口に張っておいて正解だったな……! ようこそ、エンシェントのご子息とパルフェグラッセのご令嬢よ……!」
――――微かな希望の前に、深い絶望は立ち塞がる。
目の前に現れたのは鋭い剣を引き摺る、肩に鬣犬の入れ墨をした男――――【鬣犬盗賊団】の団員だ。
馬車で俺たちを囲った連中とは離れて行動していた伏兵。万が一、俺たちが包囲をくぐり抜けた際の“保険”としていたのだろう。
「テメェの親父のせいで盗賊団を潰されて、生き残った俺たちはメメントさんと“契約”して裏社会に逃れるしかなかった……! 積年の恨み……息子のテメェも支払えや!!」
「自業自得でしょ!! ぼくたちに何の罪があるんだ!?」
「親の罪は、子の罪だ――――テメェも、影に隠れた小娘も、バラバラに斬り刻んで魔物の餌にしてやるぜ……!」
「いや……助けて…………ラムダ様…………!!」
俺の後ろに隠れたオリビアが震えながら助けを懇願する。シータは遥か後方、疲れ切った俺たちじゃ目の前の男からは逃げ切れない――――なら、戦うしか無い。
シータから預かった短剣を構えて、俺は盗賊の前に立ち塞がる。
恐怖で足が震える、死ぬのが怖くて心臓が爆音で警告を発する、短剣が上手く握れない。
「ハーッハッハッハ!! そんな小さな短剣で抵抗するつもりか? 子供が……舐めていると叩き潰すぞ!!」
「ぼくは…………おれは“騎士”だ! 舐めてかかるなら、怪我するぞ――――このうす汚い泥棒野郎!!」
「そうかい…………なら死ねや!!」
「――――ラムダ様、死なないで!!」
それでも、俺は逃げない――――オリビアを護るため、シータが見せてくれた“理想の騎士”になるために。
剣を振り上げて走り出す盗賊――――この短剣では、子どもである俺の腕力じゃ、大人の脚ほどもある剣は防ぎきれない。
なら、搦手を。意識を集中させて、神経を研ぎ澄ませ、俺は自分に出来る精一杯を模索する。
考えろ、考えろ、考えろ――――敵は剣を振り上げて、俺の方を注視している。
「――――そこだッ!!」
「――――ぐぅ!? 短剣を脚に向かって……!?」
なら攻めるべきは足――――俺が投げた短剣は男の右太腿に深々と突き刺さり、痛みの衝撃で男は足下からバランスを崩していく。
力無く明後日の方向へと切っ先を落としていく剣。これなら、俺たちに刃が立てられる事は無い。
あとは崩れ落ちていく男に止めをさすだけ――――そう思って俺は敵に向かって駆け出した。
「俺が……こんな子どもに一杯喰わされるなんて……!」
「残念! 子どもだと思って甘く見た罰だ!!」
勢いよく飛び掛かり、全体重を乗せて男に鉄拳をお見舞いする――――いかにも子どもと言えど、ダメージだけは通せる筈だ。
けれど、その考えは甘かった。
「――――図に乗るなや、くそガキが!!」
「がっ!?」
「ラムダ様!!」
俺が飛び掛ってくるのを見るやいなや、男は剣から手を放して俺の顔に鉄拳を放った。
反応速度も、腕の長さも、殴る力も、相手の方が数倍も格上。俺は意識が途切れそうになるほどの痛みと共に吹き飛ばされて、オリビアの側へと叩きつけられた。
「ラムダ様、ラムダ様…………しっかりしてください…………ラムダ様ぁ……!!」
「…………ぐぅ、くそ…………!!」
「――――チッ! 子どもの癖にやるじゃねぇか!! 見直したぜ、礼にテメェがくれたこの短剣で心臓を一突きにして――――楽に逝かせてやるよ」
男は太腿に刺さった短剣を引き抜いて、ゆっくりとこちらに歩み寄る。
もう武器は無い、体力も限界だ――――せめて、オリビアだけでも護り抜かないと。
「ラムダ様…………お願い、もうやめて……ラムダ様が殺されちゃう……!!」
「威勢がいいな……そこまで疲弊して、まだ女の盾になるのか……!」
動かない身体に鞭を打ち、もう一度だけ立ち上がり、俺は男を睨み付ける。
さっき見た、俺たちの盾になったシータと同じ行動――――それが、自分の中で誇らしくて、本物の“騎士”に成れたようで、ちょっとだけ嬉しかったのを覚えている。
「1分……よく稼いだな、誇ってあの世に逝け――――エンシェントの“騎士”よ!!」
「ラムダ様ーーーーっ!!」
「――――ッ!!」
たったの1分――――それでも、俺は“騎士”として誇れる戦いをした。例え、男の凶刃で胸を突かれて死に絶えたとしても。
「――――1分間、よく耐えました。それでこそ、アハト様のご子息です――――ラムダ様! お陰で、間に合いました!」
「シータさん!!」
男が短剣を振り下ろそうとした刹那、俺を飛び越えてシータが現れる。
身体には無数の矢が刺さり、綺麗なメイド服は無惨に斬り刻まれて、全身を鮮血で濡らしながらも――――俺を護る“騎士”は、軽やかに、鮮やかに、死地へと馳せ参じる。
そして――――
「わたしの、かわいいラムダに…………手を、出すなぁーーーーッ!!」
「――――ガッ!?」
――――俺の盾になったシータが振るった蒼白い剣の一閃は、男の胴をすっぱ斬って、戦いに終止符を打った。
血を噴き出しながら倒れて絶命する盗賊、尻もちをついてその場にへたり込んだオリビア、倒れた盗賊から視線を逸らさずに立ち尽くすシータ――――俺の目の前で深い絶望は一刀に伏され、消え去った。
そして、けたたましい喧騒は鳴りを潜めて、冬の静寂が再び森に戻っていく。
「た、助かった……! ありがとう、シータさん!! 馬車を襲った奴らも全員やっつけたんだね!!」
「……………………。」
「シータさんが王立騎士団の【騎士】だったなんて凄いや!! そんな凄い人に稽古を付けてもらっていたなんて、ぼく……シータさんの事、大好きだよ!!」
「……………………。」
「…………シータさん?」
「ラムダ様……うぅ、うぁあああああ!!」
嬉しくて、彼女のことを褒め称えているのに――――シータは何も答えてくれない。
何も語らないシータに、突然大声で泣き始めたオリビアに疑問を抱いて、俺はシータの顔を覗き込んだ。
「あぁ……そんな……!!」
そして、俺が見たのは、シータの胸に深々と突き立てられた短剣――――盗賊の最後の一撃をシータは躱しきれず、彼女は自らを犠牲にしてでも俺たちを護り抜いたのだった。
傷だらけになりながら、身体を毒で蝕まれながら、それでもシータは持てる全てを出し切って俺とオリビアを護り抜いたのだ――――文字通り、自らの身命を賭して。
その代償はあまりにも大きく――――口から、傷口から、止めどなく血を流して、遂に力尽きたシータは姿勢を崩して地面へ倒れ込む。
精一杯、戦ったのだろう。ボロボロになったシータは力無く地面へと倒れて動けなくなってしまった。
それでも、天を仰ぎながら、命を燃やし尽くした騎士は――――最期の力を振り絞って、俺へと笑い掛ける。
いつものように、明るく、優しく、愛おしく。
「いけませんね…………少し鈍って…………いたみたいです…………現役時代なら…………どうってこと…………なかった…………のに…………」
「シータさん……! 死なないで、シータさん!! 死なないで…………!」
「申し訳……ありません…………ラムダ…………様……パーティー…………できそうに…………ありま……せん…………ね……」
「そんなこと言ってる場合じゃない……シータさん…………ぼくを庇って…………!!」
「それが…………騎士です……から…………貴方を…………生んだ…………時から…………誓った…………こと……だから……」
「シータさん……シータさん…………!!」
「ラムダ様……手……握って…………最期に…………あなたを…………感じ…………させて…………」
シータが伸ばした手を握る。徐々に冷えていく彼女の柔らかな手、光を失った虚ろな瞳、顔に浮かび上がった死相――――子どもでも嫌でも理解できた。
彼女はもう助からない。あと少しすれば、永遠に目覚めることは無い。
「立派な……騎士に…………なって……くだ…………さいね…………わたし…………途中で…………諦めちゃった……から…………」
「ぼくは……弱い……! シータさんに護ってもらって……何が騎士だ……うぅ……!!」
「ラムダ様…………諦めないで…………戦って、戦って、戦い抜いて…………その先が…………地獄の果てだとしても…………決して…………護りたい人の…………手を…………放さないで…………」
「うん……うん……! 諦めない、絶対に諦めない……!! ぼく………シータさんみたいな…………立派な“騎士”になってみせる…………絶対に………!!」
手が氷のように冷たくなっていく、心臓の鼓動が弱くなっていく、シータ=カミングの命の輝きが失われていく。
俺には回復魔法も蘇生魔法も使えない。後ろで泣き叫ぶオリビアも同じだ。この世界では『神授の儀』を受けなければ、そこに居るのはただの無力な子どもだ。
何もできない、死に逝く人を救えない。
「あぁ…………大きくなったのね…………ラムダ…………せめて…………あなたが…………“騎士”になるところ…………見たかった…………」
「シータさん…………」
「ラムダ……わたしの…………かわいい…………――――――」
だから、ずっと手を握っていた。せめて、死に逝く彼女が寂しくないように、ずっと、ずっと。
彼女の手から温もりが無くなっても――――ずっと。
「居たわ、お父様! あそこに!!」
「クソ、【鬣犬盗賊団】め、せっかくの式典に水を差しおって!!」
「ラムダ、ラムダ、無事…………!? うそ……シータ…………さん…………」
「シータ……!」
最期に、いつも寝る前にささやく言葉を残して――――それっきり、シータが目覚めることは無かった。
オトゥールから駆け付けた父さんとツヴァイ姉さんが見たのは――――泣き崩れたオリビアと、永遠の眠りに就いたシータと、彼女の亡骸に縋り付いた俺だけだった。
エンシェント辺境伯襲撃事件――――後にそう語られる【鬣犬盗賊団】による襲撃事件は、ひとりの犠牲者を出しつつも、アハト=エンシェント辺境伯とその息女・ツヴァイ=エンシェント率いるサートゥス騎士団によって収められた。
シータ=カミング――――エンシェント辺境伯の子息・ラムダと、パルフェグラッセの息女・オリビアをたったひとりで護り抜き、凶刃に斃れたメイド。
彼女の死は、オリビアの心に深い傷を残し、俺の心に大きな孔を開けた。
ある騎士の死――――それは、ある騎士の目覚め。
たった11歳だった俺の心に刻まれたのは――――シータと言う、明るく、優しく、眩しい、理想の“騎士”の生き様。
ある雪の日の――――喪失の記憶。
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