第5話:ラムダ=エンシェント人生最悪の一日
「…………で、勢い余ってロクウルスの森まで走ってきた訳だけど……これはだいぶとヤバイ状況だよなぁ……」
エンシェント家邸宅での『いざこざ』から暫くして。サートゥスの街を離れた俺は、隣街・オトゥールへと続く街道が通るロクウルスの森にいた。
この森を抜けなければオトゥールへは辿り着けず、かと言ってサートゥスの街で一夜を明かすのも今の俺には憚られた。
「うーん……今さらサートゥスに行ってもいい恥さらしだし……」
エンシェント家はサートゥスの街を治める領主。その家系の者となれば多くの人間が俺を知っている。きっと顔を見られたら『エンシェント家の落ちこぼれ』扱いされるに違いない。
そう分かりきっているのなら、俺が取るべき行動は一つだけ。
「急いで森を抜けたとしてもざっと二時間ぐらいか……」
日はすっかり暮れてしまい、森は夜の静寂に包まれて、木々の隙間から差し込む二つの月の明かりだけが唯一の道標。
サートゥスとオトゥールの人々の手で往来の路こそ整備されてはいるが、俺は夜の暗闇の中、この森を抜ける必要があった。当然、安全快適とは程遠い行為だ。
「後は……たいした魔物が出ないように祈るだけだな」
人に仇なす魔物も当然出現する。
唯一、幸いな事と言えば、街の領主である父さんが結成し、現在はゼクス=エンシェントが隊長を務めるサートゥス騎士団による自警活動によって大きな脅威となる魔物はあらかた倒されていると言う点だろう。
「出てくるとしたら低級のスライムか魔犬ぐらい。とは言え、用心するに越したことはないか……」
手持ちの武器はツヴァイ姉さんに半分にぶった斬られた情けない状態のロングソードのみ。
それでも、父さんと行った狩りでスライム位なら倒した経験のある俺なら、楽とは言えないと思うが対応出来るとは考えていた。
「なんとか森を抜けてオトゥールに辿り着かなきゃ……! そこで冒険者ギルドに加入して、依頼で生活費が稼げる様にしないと」
森を抜ける算段を付け、俺は『その後』の事に思考を巡らせる。
『冒険者ギルド』――――世界各地に拠点を構える組織で、各地に住む住人から寄せられる依頼をギルドに属する冒険者たちが解決し、その報酬として金銭や希少な素材などを手に入れる事が出来る。
父さんは以前、『冒険者ギルドは所詮、その日暮らしの日雇い労働者の斡旋所の様なものだ』っと言って下卑していたが、憧れた騎士になれない以上、俺には冒険者ギルドに一縷の望みを託すしか無かった。
「…………とは言え、ゴミ漁りの受けれる依頼って何があるんだよ?」
不安はある。サートゥスの街であんなに馬鹿にされた『ゴミ漁り』の職業に果たして、受注出来る依頼なんてあるのだろうか?
そもそも、俺は今の今まで『ゴミ漁り』なんて職業を聞いたことも無い。
果たしてそんな詳細の分からない職業を与えられてしまった俺はギルドの『冒険者』として認めてもらえるのだろうか?
ついつい、そんな事を考えてしまう。確かに、発現した固有スキル【ゴミ拾い】は情けない名前の割りに効果自体は優秀だった。
夜道を歩きながら、俺は【二次元の閲覧者】で出現させた画面に、固有スキルである【ゴミ拾い】の詳細項目を映して自らのスキルの分析を進める。
【ゴミ拾い】――――投棄され所有者のいなくなった物、あるいは所有者が最初から存在しない状態であるもの、誰にも所有されず放置された『ゴミ』と認識出来る物体・物質に触れる事で効果を発動。
その物体の所有条件や所有権限を無視して、その物体の所有権を獲得する事が出来る。例えそれが、預言に記された勇者でなければ扱うことが出来ない聖剣であっても、それが所有者がいない『ゴミ』ならば俺の所有物にする事が出来る。
そして、その物体に元の使用者が存在していた場合、その物体に記憶された経験値(熟練度、登録スキル)を俺のものとして修得する事も可能。
「なるほど……スキルの効果対象が『ゴミ』に限定されているのが難点だけど……その分、得られる効果も絶大で拾えば拾う程にレベルアップするわけか。問題は……拾った『ゴミ』が使用も修繕の施しようのない状態である可能性もあることか……」
【ゴミ拾い】のスキル情報に目を通した俺はふと、左手で抱えたままの剣に視線を落とす。ゼクス兄さんが気紛れで廃棄し、ツヴァイ姉さんの剣術で刀身の半分が切断された剣。
今は『剣』と言うには心許ない状態だが、元々は修繕すればまだ使える状態だった。
しかし、屋敷で焼き払われてバラバラに砕けた俺の剣の様に拾った段階で既に使い物にならない状態なら、いくら所有権を得た所であまり意味は成さない。
強いて言えば、使い物にならなくても経験値の修得は出来るぐらいが関の山かどうかという所。
「中古市で廃品を片っ端から触って経験値だけ修得が出来るか試してみるか……?」
兎にも角にも『神授の儀』で与えられた職業についてもスキルについても、自分自身でもまだ完全に詳細や可能性を把握できていない。
なら、全てを悲観するにはまだ早いだろう。
「っし、そうと決まれば急いで森を出よう! もたもたしてたら――――ッ!?」
そう自分で自分を励まそうとした時だった。何処からともなく漂ってきた強烈な死臭と仄かな獣臭が俺の鼻孔を刺激する。
「何だよコレ……!? 一体何処から……?」
臭いに気付いて思わず鼻を腕で覆う。森の何処かで動物や魔物が死んで腐敗しているのとは訳が違う。もっと間近な脅威を孕んだ、死の臭い。
その臭いに嫌な予感を感じつつ、俺は慎重に歩を進める。
そして、暫く道沿いを進んだ先で俺はその臭いの源泉へと辿り着いた。
「死体……!」
俺の目の前にあったのは、道端で仰向けに倒れ息絶えていた一人の騎士の姿だった。
「何だよこの傷……一体、何があったんだ?」
その騎士の亡骸は右肩から右脹脛にかけ胴体の六割が大きく抉られており、ひと目見ただけで“即死”したと断定出来るほどに凄惨な有様だった。
「それにこの鎧にあしらわれているエンブレムはサートゥス騎士団の……ゼクス兄さんが指揮する部隊のだ」
そして、その騎士の纏っている鎧の左胸に付けられていた紋章は街の自警を務めるサートゥス騎士団の紋章であり、亡くなっている騎士がゼクス兄さんの部下であることを示していた。
「騎士団に支給される鎧はそれなりの値打ち品で防御力も良かった筈。その鎧の上から強い衝撃が加えられたのか? それにこの傷の形状は……恐らく咬傷……!」
既に腐敗が進み強烈な死臭を放つ亡骸を丁寧に観察した俺は、その騎士の受けた致命傷が牙によって付けられた咬傷だと看破した。
だが、問題なのは傷の種類じゃない。その傷がどうやって付けられたかだ。
俺が知っている限りでは、この森に徘徊しているサイズの魔物ではこんな抉られる様な傷にはならない。もっと大きな、人間の大きさを優に超える大型の魔物でないと出来ない芸当だ。
そんな俺の予測は悪い意味で当たってしまう事になってしまう。
ザワザワと、不意に吹いた夜風に靡く木々。腕で覆ってもなお鼻孔を刺激する死臭がほんの一瞬、その風に攫われて消えた時、『それ』は現れた。
「……ッ、大型の魔狼――――ガルム!」
木々の間から“バキバキッ”と地に落ちた小枝を踏みつぶして現れたのは、俺の背丈の三倍はありそうな大きさの狼――――『ガルム』と呼称されている大型の魔物だ。
「ありえない……なんでこんな上級の魔物がこんな辺鄙な森に……!?」
俺の故郷・サートゥスと隣街・オトゥールを結ぶこのロクウルスの森には、目の前の大型魔物は本来いる筈がない。
理由は簡単、サートゥスを拠点とするサートゥス騎士団とオトゥールにある冒険者ギルドに属する冒険者たちによって日々の森にすむ魔物が狩られ続けているからだ。
何処かから迷い込んだ小鬼も、作物を荒らす魔犬も、森の中で自然発生したスライムすらも、目撃され次第、騎士団や冒険者ギルドに討伐依頼が上がり、その依頼を受けた誰かが魔物を討伐する。
その為、ロクスウルの森には高レベルの魔物は長らく目撃さえておらず、魔物が出現したとしても精々がスライムや魔犬といった低級の魔物しかいない。
なのに今、俺の目の前には図鑑でしか見たことの無い上級の魔物である『ガルム』が佇んでいる。
「――――ッ!」
あぁ、マズい、マズいマズいマズい……非常にマズい。
小さい頃から鍛錬は積んできたとはいえ、俺は今日『神授の儀』で職業とスキルを得たばかり。
自分のスキルの効果についてもまだ全容を把握できてもいないのに、いきなりレベル違いな上級魔物と遭遇するなんて運が悪すぎる。
「最悪……『神授の儀』と言い、追い出された事と言い、今と言い……いったい俺が何をしたって言うんだよ……!」
散々な今日を思わす振り返ってしまい少しため息をついて、自分の運の無さに嫌気がさしてしまう。
そんな俺の一瞬の隙を見逃さなかったのだろう――――
「Grrrrr……Aroooooooon!!」
――――俺がガルムから一瞬だけ視線を逸らしたその瞬間、空気を震わすような遠吠えが森中に響き渡った。
「――――がッ!?」
あまりの轟音に聴覚が麻痺し、俺は思わず仰け反って防御姿勢を取ってしまう。
勿論、その状態の俺を目の前の“獣”は見落とす筈もなく、待っていたと言わんばかりに口を大きく広げ、俺の腕ほどの太さもある牙を剥き出しにして、レベル違いの魔物が飛び掛かって来るのだった。
【この作品を読んでいただいた読者様へ】
ご覧いただきありがとうございます。
この話を「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、↓の☆☆☆☆☆を★★★★★にしたりブックマーク登録をして頂けると幸いです。