回顧録:リティア=ヒュプノスに命ずる
「はぁ~、またゴミ魔石だ……。くっそぅ……どうして僕はこうツいてないんだろう…………」
――――時は少し遡り、ラムダ=エンシェントが“遺物の少女”ノアと出会った頃。ここは深淵牢獄迷宮、第一階層。
駆け出し冒険者、リティア=ヒュプノスはその日もいつもの様に迷宮探索に挑んでいた。
彼の職業は【鑑定士】――――あらゆるものの“真価”を見極めるもの。スキルによってお宝や魔石を鑑定し、価値のあるものを売却して生計をたてるのが、リティアの生き様だった。
「最近は第三階層ですらめっきりお宝が拾えなくなってきたし、そろそろ潮時なのかなぁ……」
とは言え、リティアは貧困に倦ねいていた。
元より鍛錬を積んでいた訳でも無く、強敵に怖気づく事なく喧嘩を売りまくるラムダ=エンシェントの様な“狂犬”でも無く、ただ臆病で、ただ小心者で、毎日魔物から逃走して迷宮の隅っこで小さなお宝を漁る彼には、圧倒的に『実力』が不足していた。
故に、いつまで経ってもリティアのレベルは“5”のままで、スライム一匹すら満足に倒せないまま、彼は怠惰に生きてきた。
共に迷宮へと赴いた冒険者たちが実力を上げてより下層へと降りて行っても、彼の初恋の相手が下層に降りて還らぬ人となっても、リティア=ヒュプノスはただただ怠惰に、迷宮の浅い所で彷徨っていた。
「はぁ……楽して強くなれないかな……。力があれば、僕だってきっとS級冒険者になれる筈なのに……」
手にした価値なき宝を投げ捨てて、リティアはぼんやりと迷宮の壁を眺める。憧れは無い、理想も無い、信念も無い――――ただ、強い力があれば、望みはなんでも叶うと妄想しながら、それでも『自分じゃ絶対に成功しない』と言う“劣等感”に苛まれて何も出来ずにいた。
「それなら、良いものがありますよ?」
「…………? だれ……?」
何時ものように、日課のように、虚空に愚痴をこぼしながらぼんやりしているリティアに妖しい声が掛けられた。『良いものがある』、そんな蜜より甘い誘惑の言葉にリティアはついつい反応してしまい、声の主へと視線を向けてしまう。
そこに居たのは黒いローブで姿を、白い仮面で素面を隠した謎の人物。仮面のせいで声にも反響が掛かっており、果たして男か女かも分からない不気味な何者か。
「私……こう見えてしがない【商人】でして、実は貴方にお見せしたい物があるんですよ」
「見せたいもの……?」
その人物が取り出したのは一枚のプレート。白い金属の枠に覆われた長方形の硝子板――――禁忌級遺物【強制催眠装置】。
「これが何かは解りますね? 貴方のその【鑑定士】の“眼”なら。さぁ……鑑定してごらんなさい」
「これ…………催眠……装置?」
「ふふふ……ご名答! これは相手の意思を奪い、意のままに操る催眠装置。貴方の欲する『力』ですよ……」
リティアは【鑑定士】の職業が持つ基本スキル【鑑定】ですぐさまに目の前に差し出された端末の効力を理解した。催眠術――――如何なる相手をも支配する絶対王者の権能。
「欲しい……」
口から涎が垂れる、手が震える、動悸が止まらない。目の前に、自分のあらゆる妄想を叶える夢の道具が存在している。
自分より強い冒険者を子分にできる、自分好みの女を好きに抱ける、自分のいけ好かない相手を簡単に殺せる。それだけでも、リティアには十分過ぎる価値のあるお宝だった。
「おやおや……涎を垂らしてはしたない。随分とこれが欲しいみたいですね? ですが……勿論、無料ではありませんとも」
「幾ら!? 幾らでも払う! 犯罪をしてでも払う! 悪魔に魂を売ってでもそれが欲しい!!」
リティアは声を荒げる、悪魔に魂を売り渡してでも構わないと。血相を変えて迫るリティアに、謎の商人は自慢気に手のひらでエクスギアスをぷらぷらと玩びながら見せびらかす。
「お代は要りません……私が欲しいのは金銭ではありませんので」
「じゃあ何を払えば良い!? 何でも払う、お願いします! だから……僕にそれを下さい!!」
「なに、簡単な事ですよ。私が欲しいのは、貴方が払う対価は……『貴方自身』です」
「えっ……? それってどういう?」
提示された条件にリティアは戸惑う。『自分自身』とはどう言う意味か、彼にはそれが分かった。
ただ、危機感を感じながらも“強制催眠装置”の放つ魅力に逆らえず、じっと硝子に映る瞳の紋章を凝視し続ける。
それが、自身の“決定的な破滅”となるとも知らずに。
「ふふふ……逃げないのなら『契約成立』ですね? では……リティア=ヒュプノスに命ずる――――『この迷宮の主、邪神アワリティアの眷属となれ』!」
かくして、命令は実行される。リティアに向けて放たれた赤い光が彼の意識を奪っていく。
そして――――
「さて、これで『器』の用意が出来ましたよ」
「ふむ、随分と脆弱な身体だ。わざとでは無かろうな【死の商人】よ?」
――――沈黙したリティアの意識を乗っ取って、邪悪なる存在は姿を見せる。
「わざと……? ええ、わざとですとも。強い『器』を提供して、いきなり契約破棄をされて貴方に殺されては堪りませんからね」
「…………抜け目の無い奴だ」
「お褒めの言葉、恐悦至極にて」
「褒めてない……! しかし、これで漸く復活への足掛かりが出来た。女神アーカーシャめ、よくも我をこんな穴倉に封じ込めてくれたな……」
禍々しい気配を漂わせる邪神――――その正体はかつて女神アーカーシャによって討ち倒され、この地に封じられた存在だった。
「この迷宮で死した冒険者の魂を喰らって生き永らえていたが……それももう終わりだ! 商人よ、例の噂……本当なのだな?」
「如何にも……遠くラジアータと呼ばれる村に【勇者】は現れました」
「勇者……忌々しき女神アーカーシャの代行者!! だが、そやつの肉体を『器』とすれば我は完全なる復活を遂げれる……!!」
「ふふっ、既に手筈は整えております。今頃は魔王の命を受けたリリエット=ルージュさんが勇者の殺害に向かった頃でしょう」
「今代の魔王の狙いは勇者の殺害か? それは好きにすれば良い。我は死した勇者の亡骸を新たな『器』とするだけだからな……!」
邪神が狙うは【勇者】の存在。勇者の身体を『器』とし、完全なる復活を目論むのが邪神の真の目的だった。
「では……用は済みましたので、私はこれにてお暇させて頂きますね?」
「良かろう、世話になったな【死の商人】よ。それで、貴様の言うリリエット=ルージュとやらはちゃんと勇者の亡骸をここに持ってくるんだな?」
「ええ、それは滞りなく。リリエット=ルージュは、私に簡単には返しきれない程の『貸し』がございますので。まぁ、それに……仮にルージュさんが失敗したとしても、【勇者】は必ず此処に足を運ぶでしょう。ではご機嫌よう、邪神アワリティアさん」
邪神アワリティアに手を振り【死の商人】と呼ばれた仮面の人物は姿を暗ます。残されたのは、リティア=ヒュプノスの身体を乗っ取った邪神のみ。
「さて……ここも我が創った魔物が随分と減っておるな。補充してまた冒険者どもの“餌”とせねば……」
静まり返った迷宮で邪神はひとり思案する。この迷宮に限定されてはいるが自由に動ける『器』が手に入ったのだ。しかし、それで浮かれていては三下もいいところだろう。
「女神アーカーシャに勘付かれても厄介だ。暫くは、この『器』の少年に主導権を握らせて好きにさせておくか……。それに、このように脆弱な『器』では女神アーカーシャが仕掛けた封印を突破出来んしな……」
【死の商人】との取引は三つ――――手始めに『完全催眠の道具の提供』、そして『迷宮内を自由に動く為の器の提供』と『完全復活の為の【勇者】の亡骸の確保』。
「二つは履行された。しかし、残りの『勇者の亡骸の確保』は今代の魔王の配下頼み。失敗する可能性もある。万が一に備えて、保険を掛けるべきだろう……」
二つは無事に履行されたが残り一つはまだ完了していない。女神アーカーシャへの敗北から、慎重さを学んだ邪神は計画を周到に練る。
「万が一、勇者が難を逃れたのなら……この少年に預けさせた催眠装置の出番だ。勇者とは旅する性には抗えん。故郷を飛び出せば、奴の言う通りいずれはこの迷宮に足を運ぶだろう。その時こそ、この“駒”の使い所だ」
故郷に引き籠もる勇者はいない。世界を旅し、いずれ覇業を成し遂げる者こそが【勇者】として女神アーカーシャに選ばれる。
なればこそ、勇者が冒険者となるのは必然であり、冒険者であればこの深淵牢獄迷宮はさぞ魅力的に映るだろう。
「何れにせよ、我はただ待てば良い。そうすれば、女神アーカーシャへの復讐の手筈が整う……フフフッ、フハハハハハハハ!!」
迷宮内に木霊する邪神の笑い声。ここは深淵牢獄迷宮【インフェリス】――――かつて女神アーカーシャに敗北した邪神アワリティアが封じ込められた深淵の牢獄。
渦巻く陰謀が深淵へと溜まる欲望の孔。
【この作品を読んでいただいた読者様へ】
ご覧いただきありがとうございます。
この話を「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、↓の☆☆☆☆☆を★★★★★にしたりブックマーク登録をして頂けると幸いです。




