第246話:VS.【怠惰】アケディアス=ルージュ①/ 〜Blood of Sloth〜
「“アーティファクトの騎士”、よくもバアルお姉様を……!! あたしが殺してやる……!!」
「青髪の悪魔……ゼブル=ベルゼビュートか……!」
空中要塞『メサイア』の管制室に乗り込んだ俺に最初に激情を見せたのはメイド服の悪魔。ゼブル=ベルゼビュート、要塞の外で対峙したバアルの妹で、姉と同じく魔界のみならず人間界にも悪名を轟かせた無法者だ。
そんな彼女が俺を睨み付け、固有スキルと思われる効果で肥大化させた巨人のような黒腕を自身の身体の前で打ち付けあって怒りを表している。どうやら姉のバアルが倒された事で怒り心頭のようだ。
「姉のバアルは俺が始末した! その妹であるお前が俺に敵うと思っているのか? 怪我をしたくなければ大人しく部屋の隅に引っ込んでいろ!」
「黙れ、勝てもしないのは百も承知! けど、あたしたちベルゼビュート姉妹は二人でひとり! その片割れを殺ったんだ、残された片方に恨まれるのは同然と知りなさい!!」
ゼブルは周囲に青い稲妻が発生する程の魔力を身体から放出しながら俺を威嚇している。
だが、姉のバアルが俺にあっという間に倒された事を彼女も見ていた筈、戦っても勝算は低いなんて分かり切っているだろう。それでも立ち向かおうとするのは肉親を倒された怒りからくる“執念”、冷静な判断をした上で敢えて戦いを挑もうとゼブルはしていた。
だが――――
「その男の言う通りだ、ゼブル。貴様では今の“アーティファクトの騎士”には勝てん、大人しく其処で客人を饗していろ……!」
――――そんなゼブルを玉座に座す吸血王が制止した。
アケディアスが口を開いた瞬間に管制室全体を覆った重圧、少し前に昇降機の中で感じたものと同じものだ。
まるで深海の底に沈められたような息苦しさが襲ってくる。その重圧に俺もゼブルも身動きすら出来なくなって、鳥籠に囚われてたノアに至っては圧に耐えきれずに床に突っ伏して苦しそうな表情をしている。
「アケディアス……貴様、あたしの邪魔をする気か!?」
「あぁ、邪魔をする、目障りだからな。それに……目の前の『晩餐』に先に手を付けられるのは不愉快極まりないからな……!」
「あんたねぇ、何を悠長な……」
「おれに楯突く気か、ゼブル=ベルゼビュート? どうやら、以前おれに半殺しにされた事を忘れたらしいな?」
「ひっ……!? いえ……そのような事は…………」
脚を組んでふんぞり返って座っているアケディアスに怒りの矛先を向けるゼブル。だが、アケディアスの態度がほんの少しだけ激化した瞬間、それまで殺気立っていた筈の悪魔は借りてきた猫のように縮こまってしまった。
その様子を傍から見ていた俺ですらアケディアスから感じた悪寒、その冷たく輝く金色の瞳に射殺されそうな感覚すら覚えてしまった。
直感で理解る。アケディアス=ルージュ、この吸血鬼はあらゆる生物の“頂点”に立つ生まれながらの王だ。
絶対に逆らってはいけない相手だと、俺の生存本能が叫んでいる。そのせいだろうか、さっきから冷や汗もとめどなく流れている。
「貴様がルクスリアから命じられたのはこの空中要塞『メサイア』の制御、そしておれが課せたノアの監視だ。それ以外の事はするな……良いな?」
「ぐっ……し、承知しました……アケディアス=ルージュ様……! 引き続き空中要塞『メサイア』の制御と、“アーティファクトの少女”の監視に専念します……!」
ゼブルに彼女自身の役割を淡々と認識させるアケディアス。その冷たい言葉にすっかり気圧されたのか、ゼブルは両腕の効果を解いて、渋々と空中要塞『メサイア』の制御の為に壁に設置された機器へと視線を戻していった。
怒り狂う悪魔を重圧だけで従わせた絶対王者、それが今から俺が臨まないといけない相手だ。
「さて……ふわぁ〜……! 要らぬ茶番を見せてしまったな、並み居る魔王軍の猛者を蹴散らして、此処まで辿り着いた者に対する礼節を欠いた非礼を詫びよう……すまなかったな、伯母であるキルマリアが好いていた紅茶でもどうだ?」
「アケディアス=ルージュ、俺を舐めているのか? 俺は此処にノアを取り返しに、そしてお前を倒しに来たんだぞ! そんな敵の前で呑気に欠伸をしながら茶なんて出しやがって……!!」
ゼブルを引き下がらせた事に満足したのか、アケディアスは大きな欠伸をしてから俺へと視線を向けて気さくに語り掛けてきた。
どうやらゼブルとのやり取りを恥ずべきことだと思っているらしい。アケディアスは魔法で何処からともなく熱々の紅茶が淹れられたティーカップを取り出して、それを魔法で空中に浮かせながら俺の方へと寄越してきた。
「あぁ、おれは貴様を舐めている。そして、それが許される程度にはおれは強い」
「馬鹿にして……!」
「それに……この茶は我が妹であるリリエットをここまで丁重に扱った貴殿への細やかな謝礼のつもりだ、毒は入っていないから遠慮せずに飲め」
「…………分かった、そこまで言われたら飲むよ……」
アケディアス=ルージュは俺を舐め腐っている。
そのことに苛立ちを感じたが、差し出された紅茶が彼の妹であるリリィを想ってのことだと知って、それを無碍にするのも失礼だと思わされてしまった。
仕方なく、本当に仕方なくだが、頭部装甲を脱いで、俺は差し出された紅茶の甘美な匂いを鼻で堪能して、危険性は無いことを右眼でこっそりと分析して判断してから、緊張で渇いていた喉に熱い紅茶を流し込んだ。
その様子を見て満足気に笑みを浮かべるアケディアス。その仕草は完全に配下の者を労う為政者そのもの……どうやら、リリィから聞かされていた彼の『真実』は本当のことらしい。
「あぁ、ティーカップは其処に居るゼブルに預けておけ。さて、死合う前に一つだけ……ラムダ=エンシェント、おれの部下にならないか? 我が盟友であるネビュラ=リンドヴルムを殺った、あの麗しき“竜騎士”ツヴァイ=エンシェントの弟であるお前なら歓迎するぞ?」
「断る、俺は魔王軍には加わらない、グランティアーゼ王国を裏切ったりしない! そして、ツヴァイ姉さんもお前にはくれてやらない……それは無理そうだけど……」
「ふむ……それは残念だ。ルクスリアはお前に興味を持っている、“アーティファクトの騎士”が配下になればあの高慢ちきな小娘も少しは可愛げが出ると言うのになぁ……あと、お前の姉は断られても連れて行くぞ!」
「訊きたいことはそれだけか、アケディアス=ルージュ? ならノアは返してもらうぞ!」
玉座に座す吸血鬼の“王”は問う、自身の配下にならないかと。その気に入った者を配下にしたいとする様はグラトニスとそっくりだ。
だが、俺は意志は変わらない。
どんなに財宝を積まれても、どんなに魅力的な贈り物をされたとしても、祖国グランティアーゼを裏切るような真似はしない。俺は王国に代々仕える騎士の名家『エンシェント』に生まれた子どもなのだから。
そんな俺の固い意志を瞳から感じ取ったのか、アケディアスが食い下がるような事はしなかった。吸血鬼の王は残念そうな表情をしながら座具に深く背中を預けて大きくため息をつくだけ。
そして―――
「仕方ない……では殺すか……!」
――――アケディアスがそう言い放った瞬間、管制室の空気は一変した。
アケディアスが眠たげだった瞼を大きく開き金色の瞳を輝かせた瞬間、それまで深海を思わせていたのしかかるような重圧はその場に居る者の心臓を握り潰すような荒々しい“殺意”へと変貌した。
「お前はリリィが唯一、愛した人間だ。出来れば生かしてやりたかったが、おれの慈悲を断ると言うなら遠慮はしない。この場で殺して、“神殺しの魔剣”【ラグナロク】を死体から剥ぎ取ってやろう……!」
「ぐっ……かはっ……!? 息が……出来ない…………」
心臓を鷲掴みにされるような感覚、蛇に睨まれた蛙のような『喰われる』ような恐怖が俺の動きを阻害する。俺だけじゃない、隅っこで縮こまっていたゼブルすらもアケディアスの殺気に当てられて膝をついて苦しみに喘いでいた。
ノアに至っては口から泡を吹きながら失神している。
「最初の一撃は手加減してやろう……! それで死ぬような雑魚だったらおれの“やる気”も出んしな……!!」
「くそ……どこまでも舐め腐りやがって……!!」
玉座からゆっくりと立ち上がったアケディアスはゆっくりと歩き始める。
一歩、また一歩と管制室の床を綺麗な黒い革靴で踏みしだく度に迸る赤い魔力の稲妻。それが今から始まる地獄を報せる開戦の合図だった。
気怠そうな身体を背伸びで起こしながら、吸血鬼はその右手に血のような赤い魔力を帯びさせていく。そのアケディアスが迫りくるまでの僅かな時間が長く感じる。俺は覚悟しなければならない、今から戦う相手はアインス兄さんですら仕留められない『絶対強者』なのだと。
そして――――
「では開戦といこうか! 先ずは“突き出し”から――――“血ノ打撃”!!」
「うっ……障壁展開、最大出力!!」
――――目の前に瞬間移動で現れたアケディアスの右ストレートと共に戦いは遂に幕を開けた。
両腕を身体の前で交差させてアケディアスの鉄拳を完全に防御しても尚、攻撃の威力を相殺しきる事は出来ず、管制室の床を突き抜けて俺はあっという間に真下の階層へと叩き落されてしまった。
そこは空中要塞『メサイア』の内部でも一際開けた空間。無機質な赤い証明だけが空間を照らす長い長い縦穴のような空間だった。
「ほぅ、今ので無傷か……! 以前、おれの眠りを妨げたキーラなんとかと言う冒険者は即死したと言うのに……」
「生憎と、そんな一撃で倒されるような軟な男じゃないんだ! だから……俺を舐めていると怪我をするぞ!!」
俺が落ちた穴から降りてきて、背中から赤い魔力で生成された翼で宙を舞うアケディアスは嬉しそうに笑う。俺も同じ経験をしたから分かる、彼はいま歓びに打ち震えている。
久々に、存分に戦える相手と巡り会えた事に興奮しているのだろう。目が純粋な子どものようにキラキラとしていたからだ。
だけど、俺はいま心底震えている。さっきの鉄拳だって無傷じゃない、篭手の機能で誤魔化してはいるが右腕の骨が折られている。激痛で顔が歪みそうだ。
そんな攻撃を“手加減”で見舞ってきた相手、それこそが【大罪】の頂点に君臨する男。
「おれの名はアケディアス=ルージュ! 魔王ルクスリア=グラトニスの右腕! さぁ……おれを愉しませろ、“アーティファクトの騎士”!!」
「良いだろう……! 我が名はラムダ=エンシェント、ヴィンセント国王陛下の【王の剣】が一人!! 掛かってこい……“怠惰の魔王”アケディアス=ルージュ!!」
その名はアケディアス=ルージュ――――魔王軍最高幹部【大罪】の長にして、“吸血王”の異名を持つ伝説の吸血鬼、そして……グラトニスが君臨する以前に魔界【マルム・カイルム】を支配していた“怠惰の魔王”たる者。




