第222話:アンチ・ヒュムリティ
「暗い〜、ジメジメする〜、早くお日様の元に出たい〜!」
「文句を言うな、ノア! 獣国から【不毛地帯】へ出るにはこの洞窟を抜けるのが一番早いんだ……!」
――――獣国ベスティアを発ってから四日後、俺たちダモクレス騎士団『アーティファクト回収部隊』は【エフュージュム洞穴】と呼ばれる迷宮内を進んでいた。
不毛地帯と獣国を隔てるように走る山岳地帯、その横っ腹を貫くように存在する迷宮【エフュージュム洞穴】――――元は山岳地帯を越えて人々が往来する為に建設された隧道であったが、【テラ・ステリリス】が死した地と化した事で此処も放棄されたらしい。
人の手で整備された洞穴は大人数で移動できる程には大きく、お陰で大所帯である俺たちも移動に困る事は無い。だが、迷宮内部は灯りが無く、オリビアやシエラたちの魔法による光源が無ければ一歩も進めない状態だ。
加えて、内部には魔物の姿ももちろんある。幸い大した強さは無く殆どの魔物はすぐに倒すことが出来るが、限られた光源を頼りに進む俺たちは暗闇からの奇襲を常に警戒しながら進む必要があった。
「アンジュさん、本当に前に此処を訪れたことあるんですよね?」
「あぁ、心配ない、一匹狼だった頃に腕試しで入ったことがある。まぁ……中で迷子になって結局もと来た道を引き返す羽目になったがな……」
「心配だぁ……」
洞穴内は妙に入り組んだ複雑な構造をしており、此処に以前訪れたアンジュの案内はどうも当てにならなさそうだ。
誤った道に進むと山岳の山頂付近や獣国ベスティア側の別の入口と見当違いな場所に出たり、最悪の場合はモンスターハウスに出てしまうなど危険性も高い。
それでも遠回りするよりは数日も早く到着するのだから、この洞穴を行くしかない。足取りは慎重だが、俺たちは少しずつ迷宮を奥へ奥へと進んでいた。
「スンスン……人間の腐臭がします、ラムダ様……」
「本当か、コレット? 前衛は武器を取れ。ルチアたちも武装を……!」
「はぁ……僕たちはこんな所で時間を喰っている訳にはいかないのに……! 飛竜に乗って【不毛地帯】に先行したツヴァイ卿が心配だ……」
「ならこんなジメッとした迷宮なんてさっさと抜けるわよ! さっきから陰気な魔力が身体に纏わりついてあたしも不快なの!」
しばらく歩いた頃、嗅覚と【野生の勘】を頼りに索敵を行っていたコレットが『人間の腐敗臭』を感じ取った。
この迷宮内で命を落とした者が放ったものだろうが、問題はまだ腐敗臭がすると言う点だ。
長時間に渡り放置された死体であれば白骨化して臭いの原因となる腐肉は分解除去される筈だ。つまり、腐敗臭を発生させている死体はまだ死んでからそんなに時間が経過していない事になる。
そうなれば脅威が近くに潜んでいる可能性が高い。
戦闘要員に武装を指示して、ノアを庇うように慎重に前へと進みゆく。場所は閉所空間、迂闊に高火力を使えば洞穴全体を崩壊させかねない。
その為、武装は両手剣である【神殺しの魔剣】のみに絞って、いつでも振り抜けれるように構えを維持したまま歩くことになる。
背中から両手に移り、その性能を解放した魔剣の刀身が放つ禍々しい朱い光が暗い洞穴を妖しく照らし、その不気味な暗闇が俺たちの恐怖心を掻き立てていく。
「緊張しておしっこしたくなっちゃった……」
「緊張感が削げるから今は我慢しろ、ノア……居たぞ……シャルロット、リヴさん、周囲の索敵を」
「承知しました、ラムダ団長……! 聞き耳……!」
「分かりましたわ、ラムダ卿……! ところで、騎士の死体ですか……そこに倒れていますのは?」
そして、魔剣の灯りに照らされてそれは姿を現した。
血塗れで暗い洞窟で息絶えたと思われる男性騎士の亡骸だ。うつ伏せで倒れて、背中には矢が数本、甲冑を貫通して突き刺さっている。
羽織ったマントにはダモクレス騎士団の紋章が掲げられており、この死体が先の戦場で戦っていた人物だと言うことは容易に想像できる。
「…………第三師団のカイル=レディテル卿だ。トリニティ卿の副官で、彼女に代わりに第三師団を取りまとめていた人だよ」
セブンスコード卿が明かした彼の名はカイル=レディテル――――第三師団【破壊縋】に属する騎士で、失踪したトリニティ卿に代わって第三師団を取りまとめていた人物だ。
生真面目な性格で、おっとりとした性格のトリニティ卿を支えていたと記憶している。
そんな彼が此処で息絶えている、理由は火を見るよりも明らかだ。魔王軍と戦い、背中に矢を受けて、必死に此処まで逃げ延びて……そして息絶えたのだろう。
「傷を癒そうとしたのか、それとも怯えて敵前逃亡したのか……何れにせよ、魔物化する前に浄化しないといけませんね……」
流れた血は乾いて地面の染みになって、身体は腐敗して悪臭を放っている。こうなった以上、俺たちに出来る事は彼を丁重に埋葬してあの世へと送ってあげることぐらいだろう。
彼が何を思って此処まで来たのかは分からない。
メインクーン卿の言うように迷宮まで退避して傷を癒そうとしたのか、臆病風に吹かれて逃げて来たのか……真意は分からない、死者の無念は生者には伝わらない。
けれど、死んだ以上、彼の『人生』はそこで終わりだ。
このまま放置しても、彼は屍人と化してこの迷宮を当てもなく彷徨うだけになるだろう。そうなる前に埋葬するしなければ。
「オリビア=パルフェグラッセ、彼を弔って頂けますか?」
「分かりました、メインクーン卿……ですが、もう手遅れのようです……」
「ウゥ……アァ……ガアアァアアアアアア!!」
「――――手遅れか! 全員下がれ!!」
けれど、俺たちは発見するのが少し遅かったらしい。
カイル=レディテルは瘴気を纏いながら立ち上がり、グズグズに腐り落ちた顔を此方に向けながら雄叫びを上げだした。
魔物化……彼は『人間』としての存在を捨てて、『屍人』としてこの世に執着する道を選んでしまった。強い未練があるのだろう。
屍人化した騎士は手にした剣をゆっくりと振り上げて此方に迫りくる。もはや、俺たちを同じ騎士団の仲間だと認識出来ていない、邪魔な“障害”だとしか思っていない。
「アァァ……アンナァァ……私ハァァ……!!」
「カイル=レディテル卿……御免!!」
「カッ――――」
「安らかに……うっ!?」
だから、生前の彼を偲びながら、俺は魔剣で騎士の首を斬り落として彼の人生に幕を閉じた。
その時だった……俺の脳裏にある“光景”が浮かんだのは。
『アンナ、聞いてくれ! ダモクレス騎士団への入団が決まったんだ! トリニティ卿の居る第三師団への配属だって!』
『本当!? 凄いじゃないカイル!! おめでとう、これであなたの夢が叶ったのね!』
誰かの視界、栗毛の女性と抱き合って喜びを分かち合う男性と思しき人物の『記憶』。
カイルと呼ばれた以上、俺の脳裏に流れた映像がカイル=レディテル卿の記憶なのは間違いないろう。だけど、なぜそんなものが俺の脳内に流れて来たのか、俺には理解出来なかった。
そして、映像は止まること無く俺の脳裏に流れ続けていく。
『カイル=レディテル卿、貴殿を第三師団の副官へと任命します。その武勇を持ってわたしを支えてください』
『ありがたきお言葉……! このカイル=レディテル、身命を賭して剣を振るいます、トリニティ卿……!!』
トリニティ卿の庭園で彼女に傅いて副官の任を拝命する彼の記憶が観える。
――――やめろ、そんな記憶を俺に観せるな。
『カイル、聴いて……私、妊娠したの……! あなたとの子供よ……』
『本当か、アンナ!? あぁ……これで俺も父親になれるんだな……!』
新たな家族の誕生に湧き、愛する人を抱き締める彼の記憶が観える。
――――やめろ、やめろ、やめろ。
『ラムダ=エンシェント卿が【死の商人】を討ち取った! あぁ……父さん……やっと仇を討てたよ……!!』
死神を祀った闘技場に浮かぶ“アーティファクトの騎士”を見上げて、亡き父の無念を晴らした事に安堵する彼の記憶が観える。
――――やめてくれ、俺に彼の人生を看取らせるな。
『行ってくるよ、アンナ。魔王軍を打ち負かして君の元に帰ってくる。そしたら、生まれてくる子供の名前を一緒に考えよう……』
『行ってらしゃい、カイル……! きっと帰って来てね、約束よ……!』
愛する人と口付けを交わして、死地に赴く彼の記憶が観える。
――――彼の人生を俺に背負わせないでくれ。
『クソっ……魔王軍の奴ら……矢に毒を……! 身体が……痺れる……駄目だ……私には……故郷で待つ……妻と子が……帰らなければ…………アンナの…………所に…………』
――――あぁ、そうか……彼は。
『嫌だ……まだ死ねない……! アンナの元に……帰らないと……! 彼女が……寂し…………がる…………――――』
――――愛する人の元に帰りたかったのか。
「ラムダさん……どうしたんですか!? なんで急に涙を……?」
「ノア……俺……一体何があったんだ……? 急に……レディテル卿の記憶が……頭に……!!」
彼がこの洞穴で息絶えた所で記憶は再世を終えて、気が付くと俺はノアに肩を担がれながら壁に寄り掛かっていた。
目の前では首を斬り落とされた騎士の亡骸が音を立てて、今まさに地面に崩れ落ちた所だった。俺が彼の記憶を垣間観たのは時間にして数秒にも満たなかったのだろう。
たった数秒で、俺は『カイル=レディテル』と言う男の無念を全て知ってしまった。
「グッ……オェェ……!!」
「ラムダさん……何があったの……?」
あまりにも生々しい映像に、彼がどれだけの絶望の中で死んで、どんな理由で屍人になってしまったか知ってしまって、俺は堪らず嘔吐してしまった。
涙が止まらない、吐き気が治まらない、動悸が酷い、頭痛で頭が割れそうだ、正気を保てそうにない。
赤の他人だった筈のカイル=レディテル卿の『生きる理由』を見せ付けられて、彼の死を強制的に看取らされた。そんな事をされていい気分なんてする訳が無い、最悪だ。
「――――死者の残留思念を拾い、その無念を強制的に看取らせる『魔王権能』……【アンチ・ヒュムリティ】……それが今の現象の正体ですよ、ラムダ様……」
「コレット……いま何て……? 今のが……俺のスキルだって言うのか!?」
「残念ながらその通りです。ゴミのように打ち捨てられた死者の無念を拾うスキル……それがラムダ様の正気を蝕む“呪い”です……」
「そんな……!? こんなのを毎回観ないといけないのか!? こんな残酷なものを……ウッ、オェェ……!!」
そして、“憤怒の魔王”の口から語られたのは、いま俺の精神を蝕んだ“呪い”の正体だった。
魔王権能【アンチ・ヒュムリティ】――――死者の残留思念を拾い、その無念を読み解くスキル。
そのスキルの発現こそが、魔剣【ラグナロク】の創造、魔性の証たる“角”の発露に続く……俺の堕落への一歩だった。




