第216話:黙示録 〜Apocalypsis〜
「ラムダさん! しっかりしてください、ラムダさん!!」
「うっ……此処は……? ノア……」
「良かった、意識を取り戻したんですね! 此処は『黙示録の獣』の外です!」
「俺は……確かコレットに……刺されて……」
――――意識を取り戻すと、其処は『黙示録の獣』の外の祭壇だった。
ノアに膝枕をされていたのだろう、目を覚ました俺の目にノアの涙が染み込んだ。
「傷ならオリビアさんが塞いでくれました……! まったく、毎度まいど無茶ばっかり……!!」
「うっ……『黙示録の獣』は……?」
「ラムダさんが“憤怒の魔王”を引き剥がしたお陰で私の介入は成功。アーティファクト『黙示録の獣』と『亡獣』は再び休止状態に入りました……!」
「そっか……みんな無事なんだな……?」
「それは……その……」
「ノア……? どうしたんだ……もしかしてルリの事を……?」
どうやら、俺の決死の賭けは成功して『黙示録の獣』は機能を停止したらしい。よく見ると近くには最初に見た黒い箱があるのが分かった。
俺はあのアーティファクトから“憤怒の魔王”を引き剥がすことに成功したようだ。けれど、目の前に居るノアの顔は浮かなかった。
俺の『みんなは無事?』と言う言葉に彼女は暗い表情を見せた。俺の盾になって消えていったルリの事を案じているのだろうか……そう考えてしまう。
「ラムダさん……正直に言いますね……。コレットちゃんは……死にました……」
「えっ……? コレットが……どうして……!」
けれど、現実はもっと残酷だった。
ふと、視線を横にずらすと、其処にはオリビアたちに囲まれて倒れていた“憤怒の魔王”の姿があった。
むせび泣くオリビアたちの姿を見ればなんとなく察しは付く、横たわった彼女は既に死んでいる。息をしていなければ、心臓も鼓動をしていない、生気の抜けた白い顔は彼女が事切れたことを雄弁に語っていた。
「そんな……どうして……!? 助けたのに……ちゃんと助けたのに……!!」
「おそらくは……『思出草』で呼び起こされたコレットちゃんの人格が……ラムダさんを守るために、“憤怒の魔王”を止める為に自死を図ったのでしょう……」
「あぁ……一緒に帰ろうって……言ったのに……」
「ラムダさん……コレットちゃんは身を挺してみんなを守ってくれたんだよ……! だから……泣かないで……」
「なんでだよ……なんでこんなことになるんだよ……! コレットがなんで死ななきゃならないんだァァアアア……ウゥ……うぅゥウウウウ……!!」
「ラムダさん……」
手を伸ばしてもコレットは何も反応を示さない、必死に呼びかけてもコレットは何の返事も返さない、ノアから離れて身体を引き摺ってもコレットは此方に歩み寄りもしない。
救えなかった、連れ帰れなかった、取り戻せなかった。
そんな言いようのない絶望感だけが俺の中でぐるぐるとしている。母さんを失って、コレットまで失うなんて何の嫌がらせなんだと喉から血を吐き出しながら叫ぶ。
言いようのない『怒り』を駄々を捏ねるように叫び散らす、意味なんて無いって分かり切っているのに。
「うぅ……うぅぅ……ごめん……ルリ……! 俺……救えなかった……!!」
「フフフッ……シューララララ!! その通りだ、ラムダ=エンシェントォ!! 貴様には何も救えん、あらゆる『現実』が貴様から大切なものを奪うのだ!! シューララララ!!」
そして、畳み掛けるように『絶望』は俺から大切なものを奪いにかかって来た。
アーティファクト『黙示録の獣』を収めた黒い箱の真上に浮かぶ影、死んだと思われたネビュラ=リンドヴルムが現れたのだ。
「ネビュラ=リンドヴルム!? 貴様はツヴァイ卿に真っ二つにされて戦場に落ちた筈……なぜまだ生きている!?」
「シュラララ……ゲフッ……シュラララ……!! 下半身を斬り落とされた程度で死ぬような軟な身体なぞしとらん……!! オレ様を甘く見るな、錬金術師!!」
「なら今度は細切れにしてあげるわ! 全騎、抜刀ッ!!」
「シュララ……ゲボッ、ゲボッ……ハァ……ハァ……!!」
下半身を斬り落とされてもなおしぶとく生きるリンドヴルム。
だが、流石にツヴァイ姉さんに斬られた事で消耗しているのだろう。断面や口から血反吐を吐き出し、彼は顔には既に死相が浮かんでいる……このまま放置しても遠からずに死ぬだろう。
しかし、それでもリンドヴルムは不敵に笑みを浮かべている。何か良からぬ事を企んでいる証だ。
「シュララ……よく『黙示録の獣』から邪魔な“憤怒の魔王”を退けてくれて感謝するぞ“アーティファクトの騎士”……! お陰で……オレ様がこのアーティファクトを手中に収めることができたのだからなァ!!」
「まさか……『黙示録の獣』と融合する気なのか……!?」
「シューララララッラ!! さぁ、黙示録の獣よ、オレ様を新たな“核”として受け入れよ!! そして、オレ様を魔王すら凌駕する至高の“龍”へと変生させるのだァ!!」
「アーティファクト『黙示録の獣』……再起動開始……! ノア様……これは……!?」
そして、眠っていた筈の『黙示録の獣』は再び目覚め、触手を伸ばしてリンドヴルムを取り込むことでその姿を変え始めた。
「これは何ですの……まるで空飛ぶ『蛇』ではありませんか……!?」
「シュラララ……これぞ東国の伝承に伝わる神獣……『龍』なり!! そんじょそこらの竜とは訳が違うのだよ……レティシア姫……!!」
「最初から『黙示録の獣』を奪取することが狙いだったのね、ネビュラ=リンドヴルム!!」
「シュラララ……その通りだ、“アーティファクトの少女”よ! これでオレ様は無敵となった、もはやグラトニスなる“愛玩の化身”も恐るるに足らず!! オレ様は『黙示録の竜』すら超えた真の“天空の覇者”となったのだ……シューラララララ!!」
黒い箱から姿を現したのは、天に浮かぶ巨大な白い竜――――大地には収まりきらない長い胴体、天を穿かんと伸びた黄金の“角”、妖しく光り輝く炉心。
蜥蜴のような姿をした『竜』とはまた違う、蛇のような姿をした魔物。遥か東の国の伝承に伝わると言う『龍』を模した怪物、それがアーティファクトと融合したリンドヴルムの新たなる姿だった。
「リンドヴルム……! グゥ……ッ、身体が……動かない……!!」
「ラムダさん、もう動いちゃ駄目だよ! コレットちゃんが命を懸けて繋いだ命を粗末にしちゃ駄目!!」
「シュラララ……その通りだ、ラムダ=エンシェント……! そこでくたばった見窄らしい狐に寄り添っておけ……オレ様が今から楽に殺してやるからな!!」
「黙れ……黙れ……黙れェェーーッ!! ルリも……コレットも失って……これ以上、俺から大切な“星々”を奪うのか……!」
あぁ……腸が煮えくり返る。
ルリもコレットも犠牲にして、まだ感傷に浸る暇すら与えられない。それが無性に苛立つ。
胸にぽっかりと空いた“孔”が寂しい。
すぐ側で横たわったコレットの亡骸を見るのが辛い。
どうしてこんな辛い思いをしなければならない?
どうしてそれでも俺は戦わないといけない?
あぁ……それでも俺は歩みを止める事を許されない。ノアと共に地獄の果てに辿り着くまで、誰が欠けても俺はもう止まれない。
それが、『ノアの騎士』として生きると決めた俺が背負わなければならない“宿業”なのだから。
「うっ……ぐぅ……う、うぉぉオオオオオオオオ!!」
「ラムダさん……貴方はまだ……諦めないの……?」
「ホゥ……まだ立つか、“アーティファクトの騎士”よ? 良いだろう……ならオレ様が直接、引導を渡してやろう……!! 地獄に先立ったメイドにその無聊を慰めて貰うがいい!!」
「動け……動け……動けェーーッ!! 【オーバードライヴ】!!」
空高く、夜の天へと舞い上がったリンドヴルム。それを追って俺は再び空へと上がる。
異常を察して飛竜に跨ったツヴァイ姉さんや、翼を広げたリリィが追いつけないような速度で。もう何も失いたくない、失うのが痛い、だから……みんなを護らないと。
それだけを心の支えにして。




