幕間:獣国の真の王
「―――グッ、ゲホッゲホッ……!」
「いい加減、この女を痛めつけるのも飽きたな。ずっと唇を噛んだままで泣き声も嬌声もあげんとは……些か興ざめだ」
「なら……早く解放して……! 私は……戦場に戻らなくちゃいけないの……!」
「そうはいかんな? 貴様には半年前に拐かした“イラの幼体”の行方を教えてもらわんといけないからな……!」
――――獣国ベスティア首都【ヴィル・フォルテス】、王城【アングルボザ】、時刻は夕刻。
謁見の間で玉座に座す“狼王”ルル=フェンリルはこの日もまたツヴァイ=エンシェントへの拷問を行っていた。殴り、蹴り、骨を折り、傷んだ部位をテウメッサの治癒魔法で治させてはまた痛めつける。
そんな痛みを伴う拷問が始まってからかれこれ半日、それでもツヴァイ=エンシェントは頑なに口を閉ざして“狼王”の責め苦に耐え抜いていた。
「ふわぁ~……いい加減、治癒魔法にも疲れましたわぁ……。フェンリル様、次は拘束具を剥いで強姦などされては如何ですか?」
「ハッ、こんな貧相な肉付きの女なぞ俺の好みでは無い……が、別の畜生にあてがって犯させるのも一興か?」
「ヒッ!? 獣姦なんて趣味じゃないわ……やめて……」
「フッ、フハハハハ! 良い表情をするじゃないか、女! そうかそうか……凌辱されるのは嫌か……!」
隷属の首輪による支配すら脅威の精神力で耐え、今なお『ツヴァイ=エンシェント』としての“矜持”を失わずにいる彼女だったが、その健気な様は逆に“狼王”の可逆性に火を点けていた。
痛めつけるのが駄目なら次は尊厳を踏み躙ればいい。そう思い付いた“狼王”はニヤリと笑うと玉座から立ち上がって、地べたに横たわったままのツヴァイへと躙り寄っていく。
「テウメッサ、女を抑えろ。衣服を剥ぎ取って豚小屋に放り込んでやる!」
「くすくす……承知致しました。ツヴァイ=エンシェントさん……気紛れな“狼王”は貴女が豚と交ぐわっている所が見たいらしいですよ、悪趣味ですね?」
「豚……!? いや……いや、いや、いやぁ……! 誰か……誰か助けて……!」
首輪から伸びた鎖で玉座に繋がれ、拘束具で両手両足を縛られ、さらにテウメッサの杖で頭部を床に押さえつけられた彼女には抵抗の余地は無い。
彼女に待ち受けているのは尊厳の破壊、望まぬ相手……それも家畜を相手に純潔を散らされると言う女性にとっては“死刑”よりも残酷な責め苦だった。
その最悪の展開にツヴァイ=エンシェントはただ泣き喚くしか出来ない。それでも、“狼王”の求める『イラの幼体の行方』を吐こうとしないのは、彼女の最後の抵抗なのだろう。
「やめんか“狼王”よ……儂の目の前で悪趣味な拷問をする気か?」
「あぁ……あんたか、ルクスリア=グラトニス」
「グラトニス……!? まさか……“暴食の魔王”がなぜ此処に!?」
「そなたがツヴァイ=エンシェントじゃな? ふぅむ……配下にすればものぐさなディアスの奴が喜びそうじゃのう……!」
そんな哀れな竜騎士に救いの声を掛けたのは、謁見の間に音もなく現れた一人の幼女。漆黒の衣装に身を包んだ魔族の王・グラトニスだった。
“暴食の魔王”の突然の来訪に空気が張り詰める謁見の間。小さな魔帝を顰めた表情で出迎える“狼王”とテウメッサ、信じられないものを見た表情をするツヴァイ、その三人の顔に満足感を得てニコリと笑うグラトニス。
“狼王”と“暴食の魔王”との会談が何を生み出すのか。不敵に笑う魔王と“狼王”の相対を、テウメッサとツヴァイは固唾を呑んで見守ることしか出来なかった。
「何の用だ、グラトニス? 俺はこの女への尋問で忙しい。菓子が欲しいなら其処のテウメッサにねだれ……!」
「あいも変わらず自分勝手な奴じゃのう……。【大罪】への勧誘を蹴ってまでその玉座に座りたかったのか、フェンリルよ?」
「俺は誰の下にも付かん! 代わりに貴様には異母妹を送っただろう……あの野生児で満足しておけ」
「クハハハ! そうカリカリするな『一匹狼』よ……! お主の妹……ルリに不満は無い。まぁ……この獣国で“アーティファクトの騎士”と逢い引きしていたのは少々業腹だったがな……!」
「ラムダが……魔王軍の最高幹部と……!? って、リリエット=ルージュも手籠めにしていたわね……あの子……」
「その通りじゃ、竜騎士よ! 貴様の弟はどうなっておる? 儂の部下を次々と口説きおって!」
傲岸不遜の二人の王の牽制のような挨拶は続く。
“狼王”ルル=フェンリルの腹違いの妹・ルリ=ヴァナルガンドを通じて繋がった二人、顔見知り同士の会話は何気ない内容ながらも空気は鉄のように重くのしかかり、ツヴァイとテウメッサは息苦しさに汗を流し始める。
「――――で、本題は何だ? 俺は『亡獣狩り』に出たライラプスの帰りを待っている。腹を下して下痢気味の魔王様はとっとと厠に籠もったらどうだ?」
「フンッ、耳の早いことじゃ……! 既に“アーティファクトの少女”から受けた致死毒なぞほぼ喰らい尽くしたわ! 儂は此処で待ち合わせをしておってのぅ……そろそろ来る頃じゃが……!」
「シュラララ……魔王グラトニス様、【蹂躙】のリンドヴルム、ただいま到着しました……!」
「戻ったかリンドヴルムよ……むっ、ヴァナルガンドとヴォルクワーゲンはどうした?」
そんな中で現れたのはネビュラ=リンドヴルム。謁見の間のバルコニーから侵入した“竜人”の戦士は“狼王”には目もくれず、グラトニスの前へと近付くと跪いて深々と頭を垂れる。
「シュラララ……大変申し上げにくいのですが……“憤怒の魔王”覚醒作戦にて、ルリ=ヴァナルガンドはダモクレス騎士団に捕縛、ガンドルフ=ヴォルクワーゲンは“アーティファクトの騎士”相手に自爆特攻を敢行して戦死しました……!」
「ガンドルフが……! そうか……あやつは逝きおったか……」
「しかし、“アーティファクトの騎士”は重傷を負い、私もその混乱に乗じてダモクレス騎士団の精鋭に相当の被害を与え、“イラの幼体”への『思出草』の投与にも成功しました! ガンドルフ=ヴォルクワーゲン……彼こそは真の“武人”かと……!」
「あやつには故郷に家族が居ったな……致し方あるまい、戦死の報告と働きに対する相応の補償を贈るとするか……」
「そんな……ラムダが……重傷……!?」
「して、リンドヴルム……今の話、嘘は無かろうな?」
「…………ございません。全て真実なれば、私も心が痛うございます!」
「『蛇』め……まぁ良い、お主は傷を癒やせ! ヴァナルガンドとヴォルクワーゲンが欠けた穴を埋めよ!」
リンドヴルムから語られたのは昨日の『亡獣狩り』での顛末――――ルリ=ヴァナルガンドの捕縛、ガンドルフ=ヴォルクワーゲンの戦死、“アーティファクトの騎士”の負傷、そして“憤怒の魔王”の覚醒。
グラトニスにとっては手駒を二人も失う手痛い損失。魔王は自身の野望の礎となって散った獅子に深く頭を下げて哀悼の意を示すと、何かを心中に包み隠しているリンドヴルムに釘を刺しつつ、自身の望む“最後の欠片”が現れるのを静かに待った。
「リンドヴルム……“憤怒の魔王”の覚醒は上手くいったのじゃな?」
「ハッ、抜かりありません! 眷属たる『亡獣』を使役し、かつその個体を喰らった以上……もはや覚醒は確実です!」
「――――なんだ? 何やら不躾な犬と食い意地の張った童が居るな? 妾の出迎えとしてはなんとも贅に欠ける……!」
「その声……コレット……!?」
「ほぅ……ようやくお目覚めか……! 待ちくたびれたぞ!」
そして、謁見の間に『獣の王』は現れる。
大きな扉を焼き落として現れたのは狐の少女――――黄金の焔を灯した三本の尾っぽ、同じく黄金の焔で形成された角を生やし、金色の瞳を妖しく光らせた“怒りの獣”。
「ガル=ライラプス、ただいま帰還致しました! そして、此方におわする御方こそ、この獣国ベスティアを導く“憤怒の魔王”イラ様に御座います!」
「妾こそが“憤怒の魔王”イラ……この獣国の真なる王なるぞ……!」
彼女の名はイラ――――獣国ベスティアを支配する“憤怒の魔王”にして、かつて『コレット=エピファネイア』だった者。
傍らで跪くライラプスに紹介された“憤怒の魔王”は邪悪な笑みを浮かべると、玉座に座る“狼王”に当てつけるように自らを“獣国の真の王”と名乗ってみせるのだった。
「どうやら失った『記憶』を呼び戻したようじゃの……! じゃが、ルリの報告にあった『手の付けられない獣』とは少々違うようじゃな?」
「妾を“格下”に見るのはよすがよい、グラトニス……! すぐさまに焼き殺すぞ?」
「う~ん……これは手が付けれん……! 話が通じん……」
「ハッ、何が“真の王”だ! まずは服でも着たらどうだ、狐よ?」
「生憎と……覚醒めた時に着ていたメイド服は妾の趣向には沿わんでな……脱ぎ捨てて来た……! 貴様らで妾に似合う服を見繕え!」
「…………だ、そうだ。テウメッサ……何か似合う服を調達して来い」
「…………承知しました。ライラプスめ……“アーティファクトの騎士”に取り入って手柄を……!!」
「ふふふっ……“面子”を優先して高みの見物を決め込んだお前の負けだ、テウメッサ!」
イラの覚醒を喜ぶ者、敵意を向ける者、興味を示す者、それぞれの思惑は渦巻き、その中で“憤怒の魔王”は悠然と己のが存在を主張する。
「コレット……何があったの!? ラムダはどうなったの!? コレット……コレット!!」
「無礼者! イラ様は既に貴女の従者では無い! 立場を弁えろ、ツヴァイ=エンシェント!」
その中でただ一人、覚醒した“憤怒の魔王”に呼びかける者がいた。ツヴァイ=エンシェント、彼女をよく知る人物だ。
着衣を身に着けず、生まれたままの姿で立つイラに懸命にツヴァイは呼び掛けていた。元の『コレット』と言う名で。
「コレット……あなたしかシータさんの代わりは務まらないのよ……! お願い……本当のあなたを思い出して……!!」
「なんだ……女? 気安く喋りかけるな……それに、なぜ妾のことを『コレット』と呼ぶ? それは誰の事だ?」
「あぁ……うそ……嘘よ、嘘よ、嘘よ……! 忘れたの……エンシェント邸での日々を……私やラムダとの思い出を……全部……?」
「諄い……! さっきから訳の分からない事をごちゃごちゃと……目障りだ、女ッ!! グルルル……!!」
だが、ツヴァイの声が『コレット』に届く事は無かった。
“憤怒の魔王”イラは『コレット』と呼ばれて怪訝な表情をして、いつまでも自分を別人と勘違いしている竜騎士の対して徐々に苛立ちを募らせていく。
荒ぶる黄金の焔、イラの喉奥から響く獣の唸り声、鞭のように打ち付けて床を破壊した尻尾。まさしく“憤怒”の如き感情が抵抗の手段を奪われたままのツヴァイへと向けられていく。
「おい、やめろイラ! その女は俺の所有物だ! 勝手に手を出すな!」
「目障りな女め……今すぐに妾の視界から消え失せろ!!」
「…………チッ、締まらんのぅ。固有スキル【色欲魅了】――――『空気よ、ツヴァイ=エンシェントを守る鎧となれ』!」
「やめて……やめてよ……コレット……」
「さらばだ……ツヴァイ=エンシェント……! 妾の忌まわしき記憶と共に……死ね!」
「ヒッ――――キャァァアアアアア!?」
そして、ツヴァイの元へと歩み寄り、腹部にかざした右手から黄金の焔を撃ち出して、イラはツヴァイを吹き飛ばした。
首輪を玉座に繋いでいた鎖を引きちぎり、謁見の間の壁を突き抜けて、そのまま城外へと放り出されたツヴァイは成す術なく落下してそのまま堀の水の中へと沈んでいった。当然、イラがその末路を見ることは無い、ただ目障りな『障害』が視界から消え失せたことに満足するだけだった。
「せっかくの俺の獲物が……! まぁ、目的である貴様の確保は出来たから良いが……」
「ふぅ……さて、ではいよいよ『獣国の公現祭』を始めるとするか……!」
「既に私の部下に“祭壇”を準備させています。イラ様は『玉体』と融合する準備を……!」
「クハハハハ! ようやくお待ちかねの“宴”の始まりかの? 良いぞ良いぞ……リンドヴルムよ、お主も宴に混ざるが良い!」
「『獣国の公現祭』には俺も出陣しよう……! あの“アーティファクトの騎士”の事だ、必ずや“憤怒の魔王”を取り返しに来るだろう……!」
「いよいよ……妾が『獣神』として覚醒する日が来た……! さぁ、宴の仕度をせい! ここに……“黙示録の獣”の降臨の宴――――『獣国の公現祭』を始めようではないか!!」
遂に始まるは獣国の祭典――――“獣神”と呼ばれた『神殺しの獣』の復活を祝う獣たちの公現祭。
『獣国の公現祭』――――間もなく開始。




