第203話:傷痕
「目元と胸元……傷痕が残っちゃったな……」
――――獣国ベスティアの小さな宿場町、宿屋の一室、時刻は深夜。
激動の『亡獣狩り』から数時間後、ようやく目が覚めた俺は胸元と頭部に巻かれていた包帯を取って、洗面台にある鏡の前で傷痕の確認をしていた。
左眼の目尻と眉に跨がるように出来た切り傷の跡、胸元に出来た獣の引っかき傷と角が刺さって出来た刺し傷の跡。ガンドルフの自爆に巻き込まれ、『亡獣』に攻撃されて出来た傷だ。
跡が残るほどの強烈な攻撃の痕跡、付きっきりで看病していたオリビアには申し訳なさそうに謝られたがこの傷は己の不徳さが招いた結果だ、受け入れるしかないだろう。
「至近距離での自爆を受けてこの程度の傷で済んだんだ……贅沢は言えないな……」
今回、ライラプスに誘われて行った『亡獣狩り』は散々な結果だったと言わざるをえない。
俺は全身に傷を、臓器にも深刻な負傷を負ってしまった。ガンドルフの自爆で死ななかったのはノアが作製した【GSアーマー】の防御力と生命維持装置のお陰だったが、その引き換えに装甲は大破。
どうやらガンドルフの自爆はノアの想定攻撃力を上回っていたらしく、彼女は『こうなったら金に糸目をつけずに最高品質の装甲にしてやるぅぅ!』と怒りを顕にしながら宿屋の一室に籠もって懸命に修理に励んでいる。
レティシア、アウラ、リリィの三名は重体だったが辛くも一命は取り留めた。爆発現場を検証したセブンスコード卿曰く、ガンドルフは俺を確実に仕留める為に爆発規模を最小限に押さえつけて爆発範囲での威力向上を図っていたらしい。
お陰でレティシアたちは即死を免れ、オリビアたちの治癒もありなんとか持ち直すことに成功。先んじて回復していたリリィはノアの手伝いに、レティシアとアウラは宿屋のベットで安静にしていた。
アンジュ、エリス、シエラ、キャレットの四名はリンドヴルムの攻撃で手傷を負い現在治療中。元々、村での『亡獣』討伐で疲弊していた上でにリンドヴルムの攻撃を加えられたことで大きな負傷を負ってしまった彼女たちだったが命に別状は無かった。
そして、今は宿屋のベットの上で『疲れていて不覚を取っただけだもん』とギャーギャーと負け惜しみを言っているらしい。まぁ、大丈夫だろう。
セブンスコード卿とメインクーン卿は捕縛したルリの尋問中。味方であるリンドヴルムにあっさりと見捨てられたルリは不貞腐れたように沈黙を貫いて、セブンスコード卿たちも困り果てているらしい。
あと俺が心配なのは――――
「夜分遅くに申し訳ございません。ラムダ様……まだ起きておられますか……?」
「コレット……!」
――――コレットの事だ。
部屋の扉をノックしたコレットを招き入れれば、滋養強壮に効果がありそうな料理をトレーに載せて運んできた彼女の姿が視界に映った。
俺を心配そうに見つめている表情は今にも泣き出しそうで、きっと居ても立ってもいられなかったのだろう。今は深夜だというのに、トレーに載せられた料理はまるで豪華な晩餐のような分量があった。
「あの……身体に良いお食事を作りました……お召し上がりになられますか?」
「悪いけど……今は食べれないんだ……。消化器系の臓器が焼かれててね……しばらくはノアが用意した点滴で栄養を補給しながら回復を待たなきゃいけないんだ……」
「そう……ですか……」
「せっかく料理を作ってくれたのに……ごめん……! その料理はレティシアやアンジュたちに食べさせてあげて……きっと喜ぶから!」
テーブルに置かれた食欲をそそる料理、けれど今は怪我のせいで食べることは出来ない。
そう伝えるとコレットは残念そうな表情をして肩を落としてしまった。狐耳も尻尾も力なく項垂れているし、相当ショックを受けているのだろう。
「そんな深刻なお怪我を……私が居ながら……主に何たる傷を……」
「自分を責めないで……! 俺は『騎士』なんだ、これぐらいの傷なんて珍しくないよ! 父さんも脇に大きな傷があったし……母さんも背中に大きな火傷の痕があったんだ……むしろこれは『名誉の傷』だよ!」
上半身と左眼に残った生々しい傷痕を見て愕然とするコレットを元気づける為に咄嗟に『名誉の傷』だと嘯いたが、実際は俺も陰鬱な気分になっている。
左腕は義手、右眼は義眼、心臓にはよく分からない謎の動力装置、そして今回の怪我……旅に出てほんの僅かしか経っていないのに俺の身体は既にボロボロだった。
治療中にライラプスが漏らした『なぜ彼は生きているんだ?』と言う言葉が頭から離れない。そもそも、最初の魔狼との戦いで負った傷でさえ、俺を死に至らしめるには十分なものだ。
それでも、アーティファクトに繋がれて俺は生きている。いいや、生き永らえている、身体に組み込んだアーティファクトを取り出せば俺はたちまち死ぬだろう。これではまるで、レイズ=ネクロヅマの『死霊魔法』で死に損なっている屍人と同じじゃないか。
そう悟ってしまって、途端に自分自身が怖くなってしまった。今の俺はアーティファクトに繋がれて生きているだけの“人形”だと。
「あの……ライラプス様から聞きました……私が……何をしたのかを……」
「ライラプス……余計な入れ知恵を……!」
そして、コレットも自身に『恐怖』を抱いていた。
あの戦闘の後、ライラプスがコレットに『事実』を告げたらしい。彼女が『亡獣』を言葉だけで操って且つ吸収までしたこと、豹変して周りの静止も聞かずにリンドヴルムに攻撃を加えたこと。
「私が……“憤怒の魔王”……イラの幼体だと……」
「違う! 君は『コレット=エピファネイア』だ、『イラ』なんて名前じゃ無い!」
「いいえ……以前、ディアナ=インヴィーズも私のことを“イラの幼体”だと言っていました……」
「…………!」
そして、コレットの正体が『憤怒の魔王』である事を。
半年前の『エピファネイア事変』でツヴァイ姉さんが拾ったのは“生き残りの少女”では無く“事件の元凶”だった。ルリの故郷を焼いた魔獣の幼体、それが目の前にいるコレットだった。
「ずっと……自分が何か不吉な存在じゃないかと不安に思って、でもずっと思い出さないように努めていました……! でも……もう隠しきれません……私は……魔王だったのです……」
「違う、違う違う違う! 君は魔王じゃ無い、ただのメイドだ! そうじゃないと……俺は……」
「…………討伐するのですか? ルリ=ヴァナルガンドが言っていました……ラムダ様と“憤怒の魔王”討伐の密約を交わしていると……!」
「うっ……それは……コレットのことだなんて……知らなかったんだ……! 俺は……君を傷付けるつもりなんて……無いんだ……」
ルリと交わした『“憤怒の魔王”の討伐』――――けど、それはコレットを討つことを意味していた。
それは俺にとっては大切な人を自らの手で殺めなければならないと言うこと。俺にとっては最も耐え難い苦痛だ。とても受け入れることの出来ない屈辱だ。
「コレット……昔の自分なんて忘れろ! ずっと『コレット』のままでいてくれ! そしたら……ずっと一緒に居られるから……」
「ラムダ様……もう……無理なんです……! 忘れた筈なのに……私の“魂”に刻まれた『獣』の記憶がどんどん蘇ってくるんです……もう……耐えられない……!」
「だめだ……忘れてくれ! こんなことになるなら……君を獣国に連れてくるんじゃ無かった……!」
「獣国に来るのを望んだのは……私自身です……ラムダ様のせいじゃありません……!」
だからコレットには『コレット=エピファネイア』のままでいて欲しかった。けど、一度でも『自分の正体を認識』してしまった以上、彼女はもう『コレット=エピファネイア』のままでは居られなかった。
忘れていた筈の『記憶』は蘇り、彼女は徐々に“憤怒の魔王”に呑み込まれつつある。もし再びコレットが魔王に覚醒したのなら、彼女はきっと俺の元から離れてしまうだろう。
「私は……今のままが良い……! 過去なんて忘れて、ずっと貴方様のメイドとしてお側に居たい!」
「居ても良い、ずっと一緒に居て欲しい……! コレットの代わりなんて……俺には居ないんだ……!!」
「全部忘れさせて……ずっと“現在”だけを、貴方様だけを観ていさせて……!」
「全部忘れろ……ずっと俺だけを観ていて……! コレット……我が愛すべきメイドよ!」
だから、俺は彼女の心を離したくなくて、父と同じ過ちに手を染めた。
コレットの唇を強引に奪って、彼女の纏っていたメイド服を剥ぎ取って、理性を脱ぎ捨てて、ただ“獣”のように、本能の赴くままに彼女と身体を重ねていった。
怪我の痛みも脳裏に過る不安も忘れたくて、ただ一心不乱にお互いの身体を求め合って、俺とコレットは守っていた『一線』を越えて愛し合った。
その翌日――――コレット=エピファネイアは俺の前から姿を消した。
部屋に残されていたのは男女の情事の跡、手も付けられずに冷めきった料理、そして脱ぎ捨てられたメイド服だった。




