第201話:獣の胎動
「ラ……ラムダ様……そのお怪我は一体……!?」
「コレット……悪い……ちょっと怪我した……」
「ちょっと!? これのどこが“ちょっと”なんですか!?」
「あはは……ゲホッ……」
「ちょっとラムダさん、喋らないで! いま胸に刺さった角の摘出やってるんですから!」
騒ぎを聞きつけてやって来たコレットも心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
彼女は今なにも出来ない、なにもしてはいけないが正解か。彼女のスキルで放出できる焔が『亡獣』に捕食されると判明している以上、たとえ治療であっても無暗にスキルを行使することが出来なかったのである。
その状態がもどかしいのだろう。胸元に置いた手を強く握り、『己の無力さ』に悔しさの表情を滲ませた彼女は戸惑いながら立ち尽くすしかなかった。
「オリビアー! レティシア達を搬送してきた!」
「アンジュさん……レティシアさんたちの容態は?」
「意識を取り戻したリリエット=ルージュには私とエリスの血を分けておいた、とりあえず死にはしないだろう……!」
「でもレティシア様とアウラ様は危険な状況だわ……! 二人とも吹き飛ばされた衝撃で身体を強く打ったみたいで内出血が酷いの!」
「わたしの『癒しの風』とシエラさんの『癒しの炎』で傷は塞いだけど、衰弱までは治せない……! 特にレティシアさんの“魂”の摩耗が激しい!」
「レティシアさんとアウラ様をラムダ様のお隣に寝かせてください! わたしが纏めて治癒します、誰ひとり死なせません!」
「コレットちゃん、包帯持ってきて! ラムダさんの鎧を外していくから!」
「わ、分かりました、ノア様! すぐに準備しますー!」
事態は刻一刻と悪化していく――――アンジュたちに担がれて運ばれてくるのはガンドルフの自爆に巻き込まれたレティシアたち三人。吸血鬼特有の“吸血”で自己再生をしたリリィは無事だったが、レティシアとアウラは重体。
特にガンドルフ戦で“魂喰い・自壊”を使って魂をすり減らしていたレティシアは俺に次いで危険な状態。身体の治癒能力が下がっている影響で、エリスたちの回復の効果が大きく見込めなかったらしい。
俺の隣に寝かせられたレティシアの顔色は真っ白になっている。このままだと手遅れになるのは医術の心得が無い自分でも一目瞭然だった。
「レ、レティシア……」
「ラムダさんは自分の心配! 今から装甲を外して、傷を直に診るからね!」
「グッ、グゥゥ……!? い……痛い……!?」
「やっぱり……突き刺さった角から装甲内に流入した爆風の影響で皮膚と臓器が焼かれている……! ラナちゃん、冷水をラムダさんに回して! オリビアさんは治癒魔法で組織の再生を促して!」
「わ……私にも何か手伝わせてください!」
「コレットちゃん……この際仕方ない、コレットちゃんは強化の焔をラムダさんたちに掛けてあげて! アンジュさん、エリスさん、シエラさん、コレットちゃんの焔に釣られて『亡獣』が来るかも……防衛お願い!」
綱渡りのような救命活動、各々が自分に出来る精一杯を出し切って臨む『救う』為の戦い。
その中でもノアは俺たちの容態を冷静に観察し、オリビアたちに次々と指示を飛ばしていく。彼女の『司令官』としての適性がそうさせるのだろう。
狼狽えていたオリビアもノアの細やかな指示によって震えながらではあるが手を動かし始めて、アンジュたち戦闘職組もリンドヴルムが放った飛竜の撃退に尽力し始めていた。
「ラ、ライラプス様! 包囲網から『亡獣』が一匹外に……!!」
「――――しまった!? 私の予定とは事態が違う……! 魔王軍め、余計な茶化しを!!」
「ちょ、黄金の狐が猛スピードでこっち来るし!?」
「討ち漏らしか!? ええい、獅子ひとりの自爆で何たる大騒ぎなんだ!! 私が食い止める、奴の進路を塞げ、シエラ!!」
「承知ですわ、アンジュさん……! 炎属性上級魔法――――“炎上壁”!!」
そして、乱入者はさらに現れる。
獣戦士たちの包囲網を飛び越えて俺たちの前に姿を見せたのは一匹の『亡獣』。狩りから逃げのびた個体か、はたまた最初の勘定から漏れていた伏兵か。闇夜に仄かに浮かんだ黄金の妖狐は止めに入った獣戦士たちに見向くことも無く此方へと駆けてくる。
その接近に感付いたアンジュたちは急ぎ迎撃を開始したが、シエラが行く手を阻むように展開した炎の壁も、アンジュの爆撃もキャレットの雷撃すらも意に介することも無く、獣は悠然と走り抜ける。
「Garrrrr……!!」
「まさか狙いはラムダさんなの……!? やめて……やめてーーッ!!」
「Gar!!」
「退け、ノア! 俺の盾になるな!! グッ……アァ……!?」
黄金の獣の狙いは俺だった。大きく振り上げられた前脚、鋭く尖った焔の爪、そんな狂気が獣の唸り声とともに迫りくる。
本能的に俺の盾になろうとしたノアを、死力を振り絞って押し退けた俺だったが……その様は実に無惨だと言うしか無かった。
鎧を剥がされて露わにされていた胸元に直接突き立てられた凶爪、皮膚を焼く灼熱、噴き出した鮮血。俺を襲った二度目の致命傷、それを受けて流石の俺も力無く地面へと転がるように倒れるしか無かった。
動けなくなった俺へとゆっくりと近付く『亡獣』……あぁ、あの時にそっくりだ。俺の左腕をもいで勝ちを確信した魔狼に仕草にそっくりだ。
俺は……こんな所でくたばるのか?
まだ……果たせていない『約束』が山ほどあるのに。
そんなことを嘆願しても獣に聞く耳なんて無い。ただ、目の前の『獲物』を容赦なく仕留めるだけだろう。
再び振り上げられた前脚の狙う先は俺の心臓――――あぁ、どうやら本気で俺を仕留める気らしい。こんなことなら……さっさとオリビアと式を挙げて、彼女に子どもを残してあげるべきだったな。
「ラムダ……! やめろ……私の前で二度も未来ある男を殺すなーーーーッ!!」
「団長ちゃん……この犬畜生、その人から離れなさい!!」
「ラムダ様……わたしが盾に……!」
「ラムダさんは……此処で死ぬべき人じゃ無い……!」
「Grrrr……!!」
「ノア……オリビア……俺は……」
「やめて……やめろ……今すぐその男から手を退けろ……我が眷属!!」
もう身体が動かない、誰も俺へのトドメの阻止は間に合わない。そう悟ってせめてもの抵抗を試みようとした時だった……『獣』が目覚め始めたのは。
響いたのはドスの効いた威厳ある女の声、一面に広がったのは『亡獣』を構成する黄金の焔よりも禍々しく輝く金色の焔、そして萎縮するように妖狐が頭を垂れた先に居たのは……金色の瞳を妖しく輝かせて立つメイド服を着た狐の少女。
「コレット……?」
「誰の許可を得てその男を喰おうとしておる? その男は妾の『獲物』……末端風情が図に乗るな!!」
「コレット……さん……? なに……その気配は……?」
「…………フンッ、大地に置き去りにされた妾の玉体から零れ落ちた駄犬が!」
それは、コレット=エピファネイアと呼ぶにはあまりにも尊大な相手だった。
尾は三本に増えて先端には黄金の焔が灯り、大きな狐耳のすぐ横からは黄金の焔で形成された角を生やし、ただ一言で『亡獣』を諌めて、剰え、そのまま眷属と呼んだ妖狐を掌で吸い上げて平らげた存在。
それが、目の前に居た『コレット』の姿をした異形だった。
「ライラプス様……アレは……!」
「クククッ……クハハハハ……! ようやくお目覚めか……これでテウメッサを蹴落とせるぞ……アッハハハハハ!!」
「コレット……一体なにが……!?」
「さて……いつまで上からのぞき見している、蛇よ?」
「なっ……気づかれて……グォア!?」
変貌したコレットの姿に戸惑う俺たち、彼女の姿を見て歓喜の声を上げるライラプス、そしてコレットが上空に放った黄金の火球で襲撃され俺の側に撃ち落とされたリンドヴルム。
ダモクレス騎士団、魔王軍、獣国ベスティス――――それぞれの思惑が折り重なって顕現したのは“憤怒の獣”。
「今の妾はすこぶる機嫌が悪い! さて、どいつから焼き殺そうか?」
獣国に巣食った“厄災”……胎動の時。
 




