幕間:魔王グラトニス、怒りの日
「なぁ、知っているか、ガンドルフ? グラトニス様が実は獣国にお忍びで来ているらしいぞ……っと、“王手”だ……シュララララ!」
「らしいな……まったく、随分と積極的な御方だ……我らの苦労も知らずに呑気なことで……っと、残念だが“詰み”で我の勝ちだ、リンドヴルム殿……!」
「…………ガァァーーッ!! また負けた……シュラ〜」
「フハハハハ! リンドヴルム殿はまだまだ“詰め”が甘いご様子だな!」
――――獣国ベスティア首都【ヴィル・フォルテス】、王城【アングルボザ】客室、時刻は明朝。
獣国と友好関係にある魔王軍の幹部たちは賢者テウメッサの計らいで王城の一画にある来賓者用の部屋を間借りして寛いで居た。
暖炉に火が灯る談話室で夜通しチェスに興じるは最高幹部のひとりネビュラ=リンドヴルムと大幹部であるガンドルフ=ヴォルクワーゲン。この日、通算七度目の敗北を受けたリンドヴルムが握っていた“騎士”の駒を投げ捨てて投了したことで長い退屈しのぎがようやく終わったところだった。
「そう言えばリンドヴルム殿、何処かに散歩に出られたヴァナルガンド殿は戻って来られたのですか?」
「シュラララ……あぁ、あの野生児のことか? さっき貴殿が夜食を食べてる間に帰って来て、不貞腐れたようにベットに潜って行ったぞ!」
「ふむ……能天気……失礼、溌剌としたヴァナルガンド殿が不貞寝とは随分と珍しいですな?」
「シュラララ! なにせ戦闘能力が売りなだけの駄犬が鼻血をだらだら垂らしながら帰ってきたのだ、あの“アーティファクトの騎士”に夜襲を掛けて返り討ちにでも遭ったんじゃないか?」
「ありえるな……ラムダ=エンシェント殿は想像以上に強い……! しかし、もしヴァナルガンド殿が本当に“アーティファクトの騎士”にやられたとなると、リンドヴルム殿でも手こずるのでは?」
「シュララララ! ネクロヅマやストルマリアを殺った相手に今さら“一対一”なんぞする訳がなかろう……! オレ様とヴァナルガンド、そして貴殿の三人で囲って一気に蹂躙してやる……シュラララララ!!」
遊戯を終えた二人の話の肴は獣国ベスティアにおける魔王軍とダモクレス騎士団の動向について。
顔を真っ赤に晴らして散歩から帰還したヴァナルガンド、獣国内に潜伏したと思われる“アーティファクトの騎士”とその仲間たち、魔王軍に肩入れする素振りを見せつつも未だ傍観に徹する“狼王”、そして自分たちの預かり知らぬ所で動く魔王グラトニス。
獣国と言う『審判』が職務を全うせず、魔王軍とグランティアーゼ軍が闇雲に動き回る厄介極まる“チェス”――――それが現在の獣国ベスティアの情勢だった。
「さて……この盤面、如何に崩したものか?」
「シュラララ……手っ取り早くあの竜騎士を公開処刑なり公開凌辱なりすればいい……! 弟である“アーティファクトの騎士”がすっ飛んで来るぞ……!!」
「“閃刀騎”ツヴァイ=エンシェントの生殺与奪は既に“狼王”が握っている。我々にどうにか出来る案件では無いぞ、リンドヴルム殿?」
「ならグラトニス様から打診して貰おうか? なぁに……代わりに“憤怒の魔王”の幼体であるあの狐をやれば“狼王”も満足してくれるさ……シュララララ!!」
「…………同じ結論だな。では我々は幼体の捕獲か覚醒を視野に動くか……!」
「シュラララ……よもやリリエット=ルージュが確保に失敗した“憤怒の魔王”の幼体が“アーティファクトの騎士”の手元に居たとは……今回の『獣狩り』は愉しめそうだ……シュラララララ!!」
混迷を極める獣国での戦線だが、リンドヴルムとヴォルクワーゲンには既に最重要と思しき『駒』に目星を付けていた。
獣国ベスティア史上最悪の獣たる“憤怒の魔王”イラ。その幼体がダモクレス騎士団内に居ることを確信した二人は、騎士団打倒の為の策略を練り始めようとしていた。
「ところでガンドルフ、かれこれ数時間ぐらい便所が使えんのだが……壊れているのか? 用を足さなければオレ様、寝れんのだが……」
「実は我も呑んだ酒を出してから寝たいのだが……」
「此処はオレ様たち幹部以上が使える客室……ヴァナルガンドは既におねんね……」
「つまり……?」
「こんの……くそったれがァァーーッ!! よくも儂に恥をかかせたな……ノア=ラストアークがァァーーーーッ!!」
「「ギャーーッ!? で、出たぁぁーーーーッ!?」」
そんな二人を襲った悲劇、突如として談話室に吹き飛んできた手洗いのドアがリンドヴルムとヴォルクワーゲンの落ち着きある雰囲気をあっという間に壊してしまった。
そして談話室に顕れたのは顔がぐしゃぐしゃになるまで泣き腫らしたであろう全裸の少女。
「グ、グラトニス様……? これはこれは……今日もキュートでプリティーでこのリンドヴルム……安心しました……なぜ裸?」
「ご機嫌麗しく……なさそうですね……グラトニス様。な、なぜ獣国に……あと服を着てください……」
「おのれ……おのれ、おのれ、おのれ、おのれェ……!! あんのクソ人形がぁ……結局、あらいざらい出し切っても解毒できんような毒を盛りやがってぇ……!!」
「シュラ〜……いったい何が……?」
ルクスリア=グラトニス――――魔界を統べる“暴食の魔王”たる彼女は手洗いから怒り心頭な表情で談話室に顕れると、数歩ごとに地団駄を踏みながら部屋の窓辺へとズカズカと歩いていた。
当然、彼女が激昂しているのはリンドヴルムたちにも容易に想像できる。よって二人は『いま自分たちは修羅場に居る』と自覚しなければならなかった。
「あの……グラトニス様……何があったのでしょうか? 我らで良ければお悩みを解決致しますが……?」
「…………められた」
「…………??」
「ノア=ラストアークに辱められたぁ〜〜〜〜(泣)」
「なぁんだ……いつものことじゃありませんか。この間も公共事業で謎のゆるキャラ『グラトニーちゃん』をゴリ押ししようとして失敗してましたじゃ……」
(待て、リンドヴルム殿! グラトニス様の顔を見ただろ? あれはたいそうご立腹だ!)
(シュラララ……と、言うと?)
(いつもみたいに茶化すと我々に八つ当たりが飛んでくるやも知れん! ここはグラトニス様の心情に寄り添う演技で乗り切るのが正解だ……!)
(シュラララ……なるほど……!)
べそをかくグラトニスの怒りの理由――――数時間前にラムダ=エンシェントを捕らえたが、彼を救出しに現れたノア=ラストアークに良いように弄ばれて“面子”がズタズタにされたこと。
その際にノア=ラストアークから受けた“猛毒”に苦しめられ、手洗いで解毒に数時間を費やしてしまったグラトニスは屈辱に身を震わせていたのだった。
「魔王グラトニス様! 御身に危害を加えし蛮族……我ら忠実なる配下が必ずや誅を下してみせましょう(棒) シュラララ……!!」
「なんなりとご命令を! このガンドルフ=ヴォルクワーゲン、グラトニス様の御為なら修羅にもなりましょうぞ(棒)」
「ネビュラ……ガンドルフ……遠慮は要らん、必ずやダモクレス騎士団を皆殺しにして、ラムダ=エンシェントとノア=ラストアークを生け捕りにして儂の前に引き摺り出せ!!」
「お任せを!! 既に秘中の策は用意しております……シュラララララ!!」
「その為の布石として、グラトニス様がヴァナルガンド殿に回収を命じさせていた『思出草』を我々にお譲り頂けますか?」
「構わぬ……良きに計らえ……リリエット=ルージュも始末して構わん!! 儂は……まだ身体に“致死毒”が残っている故……まだ本領を発揮できん……!!」
(ホォ〜……グラトニス様は毒を盛られたのか……! となると……今が狩り時か……シュララララ!!)
そして魔王軍に命じられたのは王立ダモクレス騎士団に対する鏖殺命令。騎士団を壊滅させ、ラムダ=エンシェントとノア=ラストアークを生け捕りにする。
それがリンドヴルムたちに課せられた魔王グラトニスからの絶対命令だった。
「儂を怒らせばどうなるか……たっぷりとその“魂”に刻んでやるぞ、ノア=ラストアーク……! って……また腹痛が……ちょっとお花を摘みに行くのじゃ……!!」
「また便所に籠も……って扉が吹っ飛んでいるから丸見えだーーッ!?」
「シュラララ……ちょっと晩酌しに行くか、ガンドルフ?」
「うむむ……致し方あるまい……」




