第193話:ノア=ラストアークは“悪魔”と罵られる
「…………魔王グラトニスを倒したのか…………?」
「私とラムダさんを配下にしたいが為に“殺す”と言う選択肢が取れず、私が自分の命を『出汁』にしたせいで動かざるをえなかった……! それが貴女の敗因よ……グラトニス……!」
――――獣国の料亭で勃発したノアとグラトニスによる戦いは、グラトニスの感情を完璧に読み切ったノアの勝利で幕を下ろした。
頭部に銃弾を浴び、テーブルを壊して料理を散乱させながら床に倒れたグラトニス。彼女はピクリとも動かず、辺りに散らばった料理の汁に紛れて広がった夥しい量の血痕が魔王が致命打を受けたことを雄弁に物語っていた。
「ラムダさん、大丈夫ですか!? 左腕が切断されている……すぐに私が治してあげますね!」
「ノア……ありがとう……助かったよ……」
「ラムダさんの危機を救うのも“相棒”である私の努めです! 無事で良かった……!」
「俺の緊急通信を聴いて来たんだな……無茶しやがって……!」
「その後すぐ通信越しにグラトニスの『さて、早速行きつけの料亭で勧誘と洒落込むかの♪』って独り言が聴こえたから、ラムダさんはまだ生きてるって思って……」
グラトニスの傍らに落ちていた俺の義手と転送装置を拾って、ノアは俺を介抱してくれた。
グラトニスに倒される直前、俺がノアに送った『逃げろ』のメッセージ――――それを聴いて逃げるどころか、危険を顧みずに俺の救出に乗り出した。
そのノアの無鉄砲さに呆れて、少しだけ嬉しかった。こうしてノアが迎えに来てくれたことが、どうやら俺には堪らなく『嬉しいこと』だったらしい。
「とにかく急いで此処から避難しましょう! いつ魔王軍の幹部に気取られるか……」
「――――脳天に銃弾を一発浴びせて満足か? この儂も甘く舐められたものよのぅ……」
「今の声……まさか……!?」
けど、そんな俺のニヤけた顔は、背後で聴こえた声に一瞬で掻き消されてしまった。
憤りの感情を込めて、限界までおどろおどろしく響かせた少女の声――――ついさっきノアの凶弾に討たれた筈の魔王の声が、俺の呼吸を許さないとばかりに鼓膜に突き刺さった。
「魔王グラトニス……頭部に銃弾を受けても死なないのか!?」
「儂ら魔族には大なり小なり再生能力が備わっておる……。言ったじゃろう……脳を射抜かれた程度では死なぬと……!!」
「そんな……!」
「クッフッフ……よくも儂を出し抜いたな……! ますますお主らを生きたまま捕らえたくなったわ……!!」
後ろを振り向けば、其処にはゆらりと立ち上がって俺たちを血塗れの顔で見つめるグラトニスの姿が。
散乱した料理で汚れた衣服、頭部から流れた血で出来た血溜まり、それでもなお平然と立ち尽くす魔王の尊大な姿。それに流石の俺も言いようのない不気味さを感じてしまった。
「せっかくの料理が台無しじゃな……」
「自業自得でしょ? それとも自分は『絶対勝てる』とでも思っていたの?」
「ノア……なんでそんなに冷静なんだ……?」
けれど、ノアは再び立ち上がったグラトニスに一切動じることは無かった。
それどころか、まるで『グラトニスが生きている』ことなんて想定の範囲内だと言わんばかりの口調で話している。
「随分と余裕そうじゃな? 会心の一撃を見舞った筈の儂が立ち上がったのに驚かんのか?」
「言ったでしょ? 既に私は“詰み”を打ったの……もうこの遊戯は終わっているわよ?」
「ハッ、強がりを……!! なら、儂が今から真の恐怖をそなたに……見せ…………よう…………ぞ!?」
「…………!? なんだ……グラトニスの顔色が真っ青に!?」
「なん……じゃ……? 身体が……苦しい……!?」
「まさか……私が『鉛玉』でも撃ったと思っているの?」
そして、俺はノアが冷静だった真意を知ることになった。
先程まで笑みを浮かべていた筈のグラトニスだったが、次第に彼女の表情は苦悶に満ちたものへと変化していっていた。
頭部を両手で支え、姿勢は中腰になり、まるで何かに必死に耐えるように身体に力を入れ続けるグラトニス。その様子はまるで重度の流行病に侵された患者に似ていた。
「頭痛……目眩……吐き気……喉の渇き……腹痛……尿意……便意……なんじゃこれは……!? 貴様……儂に何をしたぁぁ……!?」
「私が女神アーカーシャの『神授の儀』を改造して、寿命と引き換えに獲得した改造スキル【付与】……! そのスキル効果でさっきの弾丸にありったけの“猛毒”を込めておいたわ♡」
「改造スキル……【付与】……? ありったけの“猛毒”じゃと……うぇ、ゲボッ!?」
「なんでもかんでも喰らってみる“悪食”のツケね! 私が仕込んだ毒……脳から直接喰べた気分は如何かしら?」
先程まで喰っていた食事を嘔吐してその場に崩れたグラトニス、そしてトドメとばかりに語られたノアのスキルが悶え苦しむ魔王にさらなる追い打ちをかけていく。
スキル【付与】――――記憶が正しければ、ノアの身体や道具に『特定の効果を“付与”する』ものだった筈。
どうやらそのスキルでノアは弾丸に“猛毒”を付与したらしい。そして、その毒に犯されたグラトニスはみるみる内に衰弱していたのだ。
「グッ……なんのこれしき……儂は“暴食の魔王”……! これしきの毒なんぞ一息に平らげてくれるわ!!」
「毒素を解析して喰べるつもり? でも残念……その毒は私の特製、一秒おきに組織を進化させ続ける『生きた猛毒』よ……!」
「あっ……儂の解析が追いつかん……!? 毒がみるみる内に姿を変えていっておる……!?」
「こんな所でお喋りしながらじゃ解毒なんて間に合わないよ? 早くしないと“暴食の魔王”が末代までの笑いものになる醜態を晒すことになるかもね〜♡」
「あがが……上の口も下の口もヤバいのじゃ……!? こ、このままではァ……!!」
「ジブリール、今から魔王グラトニスが痴態を晒してくれるわ! 録画準備!!」
「イエス♪ 既に録画開始してまーっす♪」
「どっから出てきたんだ……この天使?」
すでにグラトニスに余裕を浮かべるだけの余力は無い。
脚はガクガクと震え、嘔吐を食い止めようと口を手で塞ぎ、失禁を防ごうと情けなく内股になって、産まれたての子鹿のような状態になっていた。若干、涙目にもなっている。
「おのれ……おのれ……おのれぇ……!! キュートでプリティーな儂をここまで辱めおって……!!」
「泣く子も黙る“暴食の魔王”の自己評価が『キュートでプリティー』で良いのか?」
「此度の屈辱……よぉく味わっておいてやるわ……!! じゃが……次も同じような手が通用すると思わんことじゃな……あっ、お昼に食べたおやつが登ってきた……!?」
「今すぐ帰らないと、『全身の穴という穴を即決壊させる』弾丸を股間にぶち込むわよ?」
「うっ……うぇ〜〜ん!! この悪魔めぇ……魔王城で同棲しているパパとママに言い付けてやるからな〜〜〜〜(泣)」
「“暴食の魔王”にもなって両親と暮らしているのか……」
そして、懸命の強がりもノアの脅迫に即潰されて、“暴食の魔王”は羞恥心に塗れた大べそをかき、情けない捨て台詞を吐きながら『瞬間移動』で姿を暗まして消え去った。
残されたのは床の染みになった料理の残骸と、グラトニスの血痕と吐瀉物……そして未払いの伝票だった。
「魔王金払ってねェェーーーーッ!?」
「フッ……最高のヒロインであるノアちゃんが美しく勝ってしまった……!」
「流石ノア様! 流石ノア様ーっ!! 今回の勝利はバッチリ録画しておきましたよーーっ///」
「後で鑑賞会しよーーっ///」
「お会計……お食事代と清掃代込みで5万ティアでーす♡」
「魔王グラトニスめ……覚えていろーーーーッ!!」
こうして、俺は“暴食の魔王”グラトニスとの最悪の遭遇を、ノアの力を借りて凌ぐことが出来た。しかし、この一件で俺たちはグラトニスの不興を買ってしまい、魔王軍を本気にさせてしまうのだった。
その代償こそが――――『獣国の公現祭』の再演。




