第187話:“狼王”ルル=フェンリル
「お待ちしておりました、グランティアーゼの王女レティシア様。我が名はガル=ライラプス――――“狼王”を守る【白銀】の戦士にございます……!!」
「ライラプス……“狼王”は玉座に?」
「はい、もちろん。グランティアーゼ王国を使者を殺気を剥き出しにしてお待ちです」
「わたくし、もう嫌な予感がしますわ……」
「それとライラプス……もう一人の使者は何処に?」
「あぁ……『彼女』でしたら今ごろ城下町で食べ歩きをしているかと……」
「もう一人の使者……誰だろう?」
――――獣国首都【ヴィル・フォルテス】、王城【アングルボザ】、時刻は昼過ぎ。
ノア達と城内の待機室で別れ、テウメッサに案内された俺、セブンスコード卿、メインクーン卿、レティシアの四人は謁見の間へと続く扉の前まで到達していた。
そこで俺たちを出迎えたのは犬の獣人――――黒く艶のある体毛に覆われ、手に槍を持ち、背中に弓を備え、赤き瞳で俺たちをジッと観察する鎧姿の戦士。
名をガル=ライラプス――――賢者テウメッサと並ぶ【白銀】階級の戦士。“狼王”フェンリルの片腕たる男。
「“狼王”フェンリル様、グランティアーゼ王国からの使者が参りました。謁見の間にお通し致します……!」
「――――通せ」
「御意に……!」
謁見の間の扉に向かって立て膝をついて奥で待つ“狼王”にグランティアーゼからの使者の到着を告げるライラプス。その数秒後に扉の向こう側から聴こえた、鋭く凍てついたような男性の低い声。
その声の主の命に従ったライラプスはゆっくりと立ち上がり、テウメッサと共に謁見の間へと続く重厚な赤い扉を開き、俺たちに“狼王”を拝する案内をする。
だが、問題はここからだった。
「――――ッ!! レティシア!!」
「きゃあ!? な、何ごとですか!?」
「レティシア様のお顔に向かってナイフを投擲したのか……!?」
「ラムダ卿が気付いてナイフを受け止めなければ、レティシア様が殺されるところだったにゃ!!」
扉が開かれて奥の玉座に人影が見えた瞬間、先頭に立っていたレティシアの左眼に目掛けて投擲された鋭利な刃物。
俺の右眼に備わった【行動予測】のスキルで見切り、レティシアに刃先が刺さる既のところで左手で受け止めたが、一歩間違えれば大惨事になっていただろう。
「レティシア、怪我は無い!?」
「え、えぇ……ラムダ卿のお陰で無事ですわ……ありがとうございます///」
「“狼王”……今の『お戯れ』は度が過ぎますね、反逆しますわよ?」
「まったく……困った御方だ……! 申し訳ございません、グランティアーゼ王国の皆様! “狼王”の気紛れを軽んじた我らの責任です……!!」
すぐさま戦闘態勢に移行するセブンスコード卿とメインクーン卿、ナイフを投げたであろう人物に怒りを露わにするテウメッサ、俺たちに非礼を詫びるライラプス。
たった一人の人物の『気紛れ』が謁見の間の空気を剣呑なものへと変えていく。
「あぁ……なんだ死ななかったのか? グランティアーゼ王国の使者との謁見なんぞ面倒だから、王女をサクッと殺してやろうと思ったのだが……随分な手練れが居るな……!」
そして、気怠そうにレティシアへの殺意を認め、俺たちの前に姿を晒したのは孤高の“狼王”。
雄々しき灰色の髪、禍々しき金色の瞳、大きな灰がかった耳、玉座から垂れた灰色の尻尾、王族とは思えないような黒地の軽装を纏い、玉座の肘掛けに不躾に背中をもたれさせ、足を投げ出した狼の獣人。
「あなたが獣国ベスティアの王……“狼王”フェンリルですわね?」
「如何にも……俺が獣国ベスティアの王、最高位【緋金】の階級を持つ獣、名をルル=フェンリル……!」
彼の王の名はルル=フェンリル――――獣国ベスティア最強の獣。レティシアにナイフを投げつけた不届き者の名前だった。
「それで……いきなり御大層な歓迎ですわね、“狼王”? それが獣国ベスティアの礼儀作法ですか?」
「あぁ……面倒だな……! これだから『人間』は好かん、“理性”に縛られすぎだ、まったくもって度し難い……」
「“狼王”……暴力で物事を解決するのは自国内に留めて頂けますか? せめて諸外国の使者には『対話』の姿勢を示して頂きませんと……!」
「人間は『弱肉強食』の仕来りの中で生きてはいません。つい先日も『彼女』に咎められたばかりの筈……!」
レティシアに礼儀を問われ、テウメッサとライラプスに無礼を窘められても『面倒だ』と言わんばかりの仏頂面で明後日の方向を眺める“狼王”。
なるほど、彼は腕っぷしで王にまでのし上がったのだろう。まるでチンピラのような所作から『帝王学』の教養が無いことは容易に想像できた。
王家で無くとも、ただ『最強』であれば王になれる国。それが獣国ベスティアだった。
「で、グランティアーゼの使者が遠路はるばる何の用だ? 俺はわざわざ『人形』を愛でる時間を割いてやっているんだぞ?」
「単刀直入に言いましょう……魔王グラトニスから送られた我が王国の騎士ツヴァイ=エンシェント、彼女を即刻解放してください!」
「人質解放か……魔王グラトニスの軍勢に敗北した『負け犬』一匹に随分とご執心のようだな、グランティアーゼ?」
「ツヴァイ=エンシェント卿は我が王国の誉れある騎士。相応の対価は用意してあります故、どうか彼女を返しては頂けますか?」
だが、目の前の狼はいかなる人物であったとしても、俺たちの『目的』は変えられない。
傍若無人な“狼王”の蛮行に臆する事なく交渉へと入るレティシア。こちらの要求は『ツヴァイ=エンシェント』の解放、ルシファーに囚えられこの獣国に“生贄”として送られた姉さんの奪還だ。
第二師団不在から来るグランティアーゼ王国軍の劣勢も心配だが、姉さんは大切な家族だ……失いたくない。
「フッ、フハハハハハ!!」
「なっ、何が可笑しいのですか“狼王”!? ツヴァイ卿は無事なのでしょうね……!?」
「生憎と、せっかく魔王グラトニスから“友好の証”として頂戴した『人形』……安々と返すわけにはいかんな!」
「人形って、まさか姉さんの事か……!?」
そんな俺の焦燥に勘付いたのか、“狼王”は大きく高笑いをすると玉座の後ろに隠していた『何か』を腕で掴んで乱雑に玉座の手前へと放り投げた。
「ね……姉さん……!?」
「…………ッ!」
間違いない、ツヴァイ姉さんだ。
白い拘束具で両手両足を縛られ、猿轡で口を封じられ、首に架けられた首輪と魔法で造られたであろう鎖で玉座に繋がれて、実の姉が“狼王”の足下で転がっていた。
俺の姿を見るなり、必死に目を見開いて何かを訴えかけるように声にならない声をあげる姉さん。酷い扱いを受けたのか頬には痣が出来て、拘束具の所々は血で滲んでいた。
「姉さん……姉さん!!」
「おっと動くな、金髪の騎士よ! それ以上、玉座に近付くのは“狼王”への狼藉と見做す!!」
「残念ながらあちらの竜騎士は既に“狼王”様の『所有物』……乱暴に取り戻そうなどと、あなた方グランティアーゼ王国は躾のなっていない『獣』なのでしょうか?」
「同志を傷物にされて黙っていろと? 僕たちを馬鹿にしているのか!?」
姉さんに駆け寄ろうと一歩足を踏み出した瞬間、俺の行く手を遮った槍と杖。ライラプスとテウメッサは『それ以上近付くな』と警告してきたのだ。
すでにツヴァイ姉さんは“狼王”の所有物になっていると。だからと言ってこのまま指をくわえて傍観するのも業腹だ。
「ラムダ卿、セブンスコード卿、残念ですがここで闇雲に行動してはいけません。ツヴァイ卿の首に架けられたあの首輪は……【隷属の首輪】です……!」
「まさか……ツヴァイ卿が……!?」
「フハハハハハ! その通り、この女は俺には逆らえん。まぁ、まだ意識は完全に堕ち切ってはいないがな……大した精神力だよ……!」
「“狼王”……姉さんの頭から足を退けろ……!!」
だが、ライラプスとテウメッサの警告はツヴァイ姉さんの『状態』を鑑みてのものだった。
玉座へと姉さんを縛り付けた首輪の正体、リリィにも架けられた『主に絶対服従を強制させる』効果を持つ【隷属の首輪】。それを首に着けられた以上、すでに姉さんは“狼王”の手に落ちていたのだ。
だから、“狼王”に頭を踏み付けられてもツヴァイ姉さんは抵抗できず、ただ苦痛に耐えるしか無くて、そんな姉さんの悲痛な姿に俺は思わず拳を強く握ってしまう。
「どうすればツヴァイ=エンシェント卿を返して頂けますか!? その交渉の為にわたくし達は来たのです!」
「この女は俺のものだ、貴様らは手ぶらで帰れ! さもなくば……代わりの『生贄』を差し出せ!!」
「ンーーッ、ンーーーーッ!!」
「俺の足下で何を呻いている? 暴れるな、女……!!」
レティシアの譲歩を足蹴にして再び姉さんの頭部に圧力を掛けていく“狼王”、俺たちの動きを牽制するように立ち塞がるライラプスとテウメッサ、苦痛に耐えながらも『今は耐えろ』と瞳で俺に訴えかける姉さん。
ここで無理やり姉さんを取り返せば獣国ベスティアとの関係は劣悪になる。今は無理に動けない、ツヴァイ姉さんが生きていたことを確認出来ただけでも良しとするしかない。
「代わりの生贄とは……?」
「そうだな……この女を『姉さん』と呼んだ貴様……“アーティファクトの騎士”だな?」
「だったら……?」
「貴様、俺の騎士になれ……! 貴様はあの【死の商人】を殺した『強者』と聞いている。貴様が獣国に忠誠を誓うならこの女を解放してやろう……!!」
「なっ……ラムダ卿を!? 戯言は止めてください!!」
「なら帰るのだな? 俺はこの女を壊れるまで酷使できれば満足だからな……!」
そして“狼王”はツヴァイ姉さんの解放条件として、『ラムダ=エンシェントの獣国への服従』を迫ってきた。
おそらくは俺の持つアーティファクトが目当てなのだろう。この要求を安易に受ければ、俺も【隷属の首輪】を嵌められて“狼王”に忠誠を誓わされるに違いない。
「どうする、“アーティファクトの騎士”よ? お前が俺の一番槍として働くか、この女が俺の慰み者になるかのどちらかだ? 簡単な選択肢だろ?」
「“狼王”……どこまでグランティアーゼ王国を蔑ろにすれば気が済むのですか……!?」
「ンーーッ、ンッ、ンーーーーッ!!」
「姉さん……俺は……」
姉さんは瞳で訴えかける、『私のことは見捨てて良い』と。けど、大切な姉さんが“狼王”に良いようにされて壊される姿は見たくない。
俺は『ノアの騎士』として在らねばならない。けど、それはツヴァイ姉さんを見捨てると選んだも同義だ。
だから……俺はツヴァイ姉さんの眼を見ることが出来なかった。
「ラムダ卿、軽率な判断はしてはなりません! “狼王”、今日のところはこれにてお暇させて頂きますわ……!!」
「そうか……それは結構! テウメッサ、この街で一番良い宿をグランティアーゼ王国の御一行に貸し切ってやれ!」
「――――承知。早急に手配いたします……!」
「いきなりナイフを投げた詫びだ、しばらくは獣国でゆるりと寛ぐが良い。時間をくれてやる……この女が俺に完全に隷属するまでの間な……!」
「その間に選択を――――ツヴァイ=エンシェントを“狼王”を見捨てて手ぶらで帰路に着くか、“アーティファクトの騎士”と引き換えに竜騎士を連れ帰るか!」
突き付けられた無慈悲な交換条件、ツヴァイ姉さんを諦めるか、俺が身代わりになるか。
不敵に笑みを浮かべた“狼王”の提示した選択肢――――その期限は『ツヴァイ姉さんが“狼王”に身も心も服従しきる』まで。その間に俺は『覚悟』を決めなくてはならない。
ノアの為に“非情”になるか、家族の情に絆されて“使命”を忘れるかを。




