第185話:強者の仮面
「うぅ……あれ……私……どうしたんだろう……?」
「目が覚めたかい、コレット?」
「……ラムダ様……?」
――――魔王軍最高幹部・リンドヴルムの襲撃から数時間後の明朝、国境沿いの野営地。仮設テントのベットで毛布に包まれて眠っていたコレットが目覚めた事で、寝ずに看病していた俺の肩の荷がようやく下りた。
襲撃の際に暴走しかけたコレットは氷漬けにされたが、仲間たちの懸命の救助活動で一命を取り留めることには成功していた……と言うよりかは、彼女を襲った『氷の棺』自体が殺傷力を極限まで抑えた性質だったのが理由だろう。
氷を解析したノア曰く、『一種の“冷凍睡眠”の要領でコレットちゃんを一時的に仮死状態にしていただけ』に過ぎないとのこと。ので、溶けた氷で濡れたメイド服や下着を脱がせて暖かな毛布で低下した体温さえ戻してあげれば問題は無かった筈だった。
「力が……入らない……」
「氷漬けにされて体温が下がっているんだ。セブンスコード卿がホットミルクを淹れてくれたから、飲んで温まって……」
「そんな……ラムダ様のお手を煩わせるなどエンシェント家に仕えるメイドの名折れ……」
「いいから飲むの! 主の好意を無下にする方が失礼だと思え……!」
「うぅ……承知致しました……ありがたく頂戴致しますぅ……///」
だが、コレットの消耗はノアの予想よりも激しい。理由は彼女が『怒り』と共に放出した黄金の焔にあるのだろう。
俺たちを襲った『亡獣』と似た……いやほぼ同質の焔、それが意味することは俺には分からない。
けれど、関係があるのはほぼ間違い無いだろう。
「私は……魔王軍に襲われて……それから……?」
「そのあと意識を失うまでのことは覚えている?」
「…………いいえ……まったく記憶に残っていません……申し訳ございません……」
「……いや、大丈夫だよ。記憶の混濁が発生するかもってノアも言っていたから……!」
だが、コレットにはその時の『記憶』が無かった。朧げでも無く、曖昧でも無く、完璧に。
ノアは俺に忠告した――――もし、コレットが自身が露わにした『怒り』と黄金の焔について自覚が無いのなら、彼女にとってその話題は“触れてはいけない”な内容だと。
そして、コレットに記憶の欠落が見られた以上、俺にはお茶を濁した表現しか出来なかった……『コレット=エピファネイア』と言う存在を護るためにも。
一歩間違えれば『コレット』が居なくなるような言いようのない不安、今まで見たことの無い激しい『怒り』を剥き出しにした彼女に感じた畏怖、誰もが……本人すら忘れてしまった『コレットの過去』を不用意に暴くことへの忌避感。
それが、俺がコレットの底知れぬ『怒り』に抱いた想いだった。
「エリスさんとシエラさんがコレットのメイド服と下着を乾かしてくれているんだ……後で誰かに持ってこさせるよ……」
「…………ラムダ様……私は何か粗相をしてしまったのでしょうか……?」
そんな俺の無意識な『恐怖』を感じ取ってしまったのだろう。コレットは自分が何か非を犯したのでは無いかと不安そうな表情をしていた。
確かに俺は恐れている――――コレットの内に潜む『獣』にコレット自身が喰われて、そのまま居なくなってしまうのでは無いかと。
「コレット……たとえ君がどんな失敗をしても、どんな迷惑を掛けたとしても、俺は君を見捨てない……! だから……ずっと俺の大好きな『コレット』のままでいて欲しい……俺の願いはそれだけだ……」
「ラムダ様……ありがとうございます……」
けれど、彼女はあの時に俺に『約束』してくれた……死なないと。だから俺は脳裏をよぎった不安を押し殺して、コレットに『大丈夫』だと伝えた。
きっとどんな事があっても、コレットは自分を見失わないと信じて。
〜〜〜〜
「『ルリ』を名乗った、氷属性の固有スキル持ちの狼亜人ねぇ……」
「その反応……やっぱり『そういう事』なんだな、リリィ?」
「正解〜……そいつが『ルリ=ヴァナルガンド』――――魔王軍最高幹部【大罪】の一角、【破壊】の二つ名を冠する大狼の化身よ!」
「ルリ……魔王軍だったなんて……」
「ラムダさん、敵幹部と夜中に密会してたらしいですよ、オリビアさん?」
「うふふ……ラムダさんの■■■■に貞操帯でも着けようかしら?」
「オリビア……淑女たるあなたがそんな破廉恥な言葉を臆面もなく言うなんて……いえ、絶対に言いますね、わたくしの勘違いですわ……!」
野営地の近く、グランティアーゼ王国と獣国ベスティアを結ぶ吊り橋の側で俺たちは獣国側の使者を待っていた。そこでリリィから伝えられたのは昨夜出逢った『ルリ』の正体について。
彼女の名は『ルリ=ヴァナルガンド』――――魔王グラトニスの配下である狼系亜人種で、魔王軍最高幹部【大罪】のひとり、【破壊】の罪を冠した少女。
彼女がなぜあの場所で『思出草』を蒐集していたのかは定かではないが、俺たちはお互いを“敵”とだと気付かぬままに出逢ってしまい、奇妙な『友情』を結んでしまった。
コレットを襲った『氷の棺』の殺傷力が低かったのは、ルリなりの俺への気遣いだったのだろう。
「兎も角、次にルリに会っても『友達面』なんかしても無駄だからね! 向こうも御主人様を“アーティファクトの騎士”と認識しただろうし、次は殺し合いになるよ?」
「分かった……気を付けるよ……」
「まったく……【大罪】なんて碌な奴居ないから簡単に信用したら駄目だからね、御主人様?」
「魔王軍最高幹部【大罪】の一角だった淫魔が自分のこと棚に上げてなんか言っているのだ……」
だが、俺たちは残念なことにお互いを『敵』と認識してしまった……次に会っても昨日のような雰囲気にはならないだろう。
それが少しだけ残念に思えた。
「さて……もうそろそろ獣国の使者が来てもいい筈なんだけど……」
「早く来て欲しいにゃ~(泣) もうセブンスコード卿の『ツヴァイ卿の100の秘密』の話を聞かされるのウンザリにゃ〜(泣)」
「まだ三十二番目の秘密のオチを言っていないぞ……!」
「ツヴァイ卿がダンス中に抜刀の構えを取って固有スキルを暴発させて、ダンスに付き合っていたアインス卿の衣服を細切れにした話とかどうでもいいにゃ〜(泣)」
ふと、視線を野営地へと向けると、焚き火の跡の近くで心底どうでもいい話を続けていたセブンスコード卿とメインクーン卿の姿が目に入る。
昨日の魔王軍と『亡獣』の襲撃、その損害は微々たるものだった。負傷した騎士たちの手当てをオリビアとシスター=ラナ(※前回事件の後遺症でやや風邪気味)が率先しておこなってくれたのが大きかったのだろう。
しかし、魔王軍の最高幹部二名と大幹部一名、それに加えて危険な魔物である『亡獣』と遭遇してしまった騎士たちの精神的負傷の影響は無視できない。
ルチアの負傷、トリニティ卿は消息不明、加えてツヴァイ姉さんは敵の手に落ちた……グランティアーゼ王国の精鋭である【王の剣】が三名も戦線を離れる事態に陥った事で、王立騎士団の士気にも徐々に悪い影響が出始めていたのも大きい。
不安な表情を見せ始める騎士たち、その多くが戦争の経験の無い者たちばかり。
「僕の調べた記録が正しいならグランティアーゼ王国が行った戦争は、二十年程前に【アロガンティア帝国】との間に勃発した『偽聖戦争』が最後……」
「当時を知っているのはトリニティ卿、エトセトラ卿、サンクチュアリ卿、エンシェント卿……アハト卿ですね、それとオクタビアス卿、デスサイズ卿でしたか……?」
「当時、第十師団に属していたツェーン=エンシェント婦人も戦争経験者では?」
「いずれにせよ、私たち含めて今この一行には戦争経験者は居ない……みな不安なのでしょう」
「当然、僕たちとて魔物や【死の商人】の手先たちと戦い、死線は幾つもくぐり抜けて来たが……」
「相手は無法千万の魔王軍。ラムダ卿たちが最高幹部三名を退かせたとは言え、未だ軍勢は衰える兆し無し……末恐ろしいにゃ……」
そして、その不安は【王の剣】にも伝播していた。
まだ若く、大きな戦乱を経験していないセブンスコード卿、メインクーン卿、他ならぬ俺自身も、息が詰まるような戦いの連続に疲弊を感じずにはいられなかった。
冒険者だった頃は自らの意思で戦いへと身を投じていたが、王立騎士団に属してからはそうはいかない。真夜中の奇襲、立場ゆえの行動の制限、次々と倒れていく同胞を気に病むこと、不安要素をあげればキリが無い。
「自室のベットの上で『やだ~、あたしもラムダ卿に付いて行くの〜!』と駄々をこねていたヘキサグラム卿はともかく……」
「騎士団でも屈指の実力者であるトリニティ卿が居なくなったのは堪えますね……」
近くにあった大木に寄り掛かってセブンスコード卿とメインクーン卿は愚痴をこぼしあう。俺には二人が弱気になっていくのを見ているしか無かった。
俺も不安なのだ――――この先、魔王軍相手にノアを護りきれるかどうか。もし、魔王グラトニスにノアが奪われたら、きっと彼女は魔王グラトニスの世界征服の野望の為に『道具』のように酷使されるだろう。
それに、今さらノアを連れて逃げてももう遅い、きっと魔王軍は地の果てまでノアを追ってくるだろう。だから、ノアを護るためには魔王軍を壊滅させ、魔王グラトニスを討つしかない。
その避けられぬ戦いが俺の気分を沈ませていた。
「「「はぁ~……」」」
「――――あなた達、【王の剣】ともあろう『騎士』が何ですか、その腑抜けたため息はッ!?」
「――――ッ!? レ……レティシア……!?」
そんな俺たちを叱責するように響いた声。その怒号にビクついて俺たちが視線を声の向きに送れば、其処にはレティシアが眉間に皺を寄せて立っていた。
俺たち三人に怒っているのは言うまでも無いだろう。
「あなた達はダモクレス騎士団の全ての騎士たちの模範となるべき【王の剣】! そのような弱気な姿勢、わたくしは断じて許しません!!」
「し、しかしレティシア様……僕たちも『人間』です……弱気にも……」
「許しません!! あなた方が弱音を吐けば、その消極的な感情は騎士団に伝播します! どんな時でも、如何なる状況でも、わたくし達は『強者』である“仮面”を被り続けなければならないのです!!」
「強者の……仮面……」
レティシアは言った――――『弱音を吐くことは許さない』と、俺たち【王の剣】が弱気になれば騎士団全体の士気が下がると。
その考えは正しい。
「あの時、【享楽の都】でわたくしは【死の商人】の責め苦に耐えかねて心が折れて絶望しました。けれど、窮地の中でも諦めずに、実の兄の死に挫けることなく、戦い抜いたラムダ卿の姿にわたくしは『勇気』を貰ったのです……!」
「レティシア……」
「だから、あなた達は死ぬ瞬間まで『強者』を演じ続けなさい! あなた達【王の剣】の闘志が折れぬ限り、ダモクレス騎士団の騎士たちの剣は決して折れません!!」
「レティシア様……なんと逞しい……! このメインクーン、感激しましたにゃ!」
かつて絶望の中に居たレティシアは、俺たちの勇姿を見て再起した。知っていたのだ、不安が不安を煽るように、勇気が勇気を奮い起こすことを。
だから俺たちは弱音を見せてはならない。騎士団の長として、王国中の騎士の憧れである【王の剣】として、常に『強者』であり続けなければならない。
それが、人の上に立つ者の責務。
「さぁ、顔を上げて『騎士』として凛々しく振る舞いなさい! 獣国からの使者が来ましたわ……!!」
「――――来たのか……!!」
第二王女レティシアに諭されて俯いていた視線を再び上げれば、其処には穏やかに微笑むレティシアの姿。
そして、彼女に促されて吊り橋の向こうの獣国の方向を見れば、橋を渡り歩く獣たちの姿が。
「あのキツネ顔……まさか……!!」
「メインクーン卿……?」
大きな得物を携えて闊歩する鎧姿の獣人の戦士たち。その隊列の先頭を歩くは妖しき狐の女。
白きローブに身を包み、その手に純白の杖を握り、美しく輝く雪のような体毛を靡かせて、獲物を狙う狩人のように金色の瞳を光らせ、不敵に微笑む狐の獣人。
「はじめまして、グランティアーゼ王国の使者よ。我が名はエスカフローネ=テウメッサ――――獣国ベスティア最高位の賢者にして、獣国の王……孤高なる“狼王”『ルル=フェンリル』に忠誠を誓う従者……!」
彼女の名はエスカフローネ=テウメッサ――――獣国ベスティアの使者として現れた狐系獣人種にして、獣国の王たる『フェンリル』の下僕。
彼女の到着によって国境の『壁』は道を拓け、グランティアーゼの騎士たちは獣の国へと足を踏み入れることとなるのだった。




