第183話:亡き獣 〜Hollow Beast〜
「――――Grrrrrr!!」
「固有スキル発動――――【凍てつく世界】!!」
「なんだ……ルリの身体から急激な冷気が――――うわっ!?」
亡獣の燃え盛る牙を拳で受け止めたルリの身体から放出された冷気。足下の草花やすぐ側の水面があっという間に凍りついていく“氷”の魔力。
名を【凍てつく世界】――――それがルリが女神アーカーシャから授かったであろう固有スキルだった。
「オラ……吹っ飛びなッ!!」
「――――Gyann!?」
そんなルリの放つ冷気に牙を凍らされ、そのまま彼女の拳に打たれて滝まで飛ばされた獣。
滝に打ち付けられる寸前に噴出した黄金の焔、次の瞬間に飛び散った水飛沫、そして瞬く間に焔と水を飲み込んで形成された氷。
ルリに喧嘩を吹っかけた獰猛な獣は彼女に成す術なく一撃で返り討ちにされたのだ。
「うーし! 今日も調子は絶好調ー♪ ラムダ……顔まで兜で覆ってどうしたんだ??」
「ルリ……周囲を巻き添えにする冷気を放出するなら、事前に言ってほしかったな……! あやうく俺まで氷漬けにされる所だったよ……」
「あぁ、悪い悪い! あんたなら大丈夫だと思ったんだ……ってゆーかこれぐらいで死ぬ玉なら“憤怒の魔王”討伐なんて出来ねぇしな……!」
「魔物を倒すついでに俺も試したのか……!? 随分と荒っぽいことで……」
「にひひひ♪ お陰であんたが『魔王を二人倒した』って嘘を吹いてないのは分かったし、これで気兼ねなく信用できるぜ!」
俺への被害もお構いなしに、と言うより俺の実力を測るのも兼ねてスキルを使用したルリ――――その影響は大きく、先程まで水と自然に包まれていた空間は何もかもが氷漬けにされた極寒の光景へと変貌していた。
最上級の氷属性魔法に匹敵する規模の凍結をスキル一つ、殴打一発で披露した彼女がただ者で無いことを理解するにはそれで十分だろう。
「――――krrrr!」
「流石に今のじゃ死なねぇよな……あのクソ狐……!」
「滝の氷が溶けてきている……!」
そして、そんなルリの攻撃を耐えた獣が末恐ろしい相手だと理解するにも。
小さく聴こえた獣の唸り声、亡獣を閉じ込めた滝の氷を内側から溶かしていく熱源、すぐさま構え直して第二ラウンドに備えるルリ。
相手は“憤怒の魔王”の眷属、そこいらの魔物とは訳が違うのだろう。なら、俺も戦わないといけない……“憤怒の魔王”を討伐するためにも。
「――――Garrrrr!!」
「アタシの氷を全部溶かしやがったのか……!?」
「ルリが氷なら相手は焔か……! やれやれ……ついこの間、“嫉妬の焔”をばら撒く魔女を倒したばっかりなのに……」
滝の氷は全て蒸発して消え失せ、荒ぶる黄金の焔が見せるは焔の柱、そして滝壺で焔を滾らせるのは獰猛な獣。
ルリに氷漬けにされたのをものともせずに佇む亡獣は、俺とルリを“敵”と認識したのか威嚇のように“怒り”を込めて声をあげる。
そして、獣が一際大きな鳴き声をあげて、その身から膨大な焔を放出した瞬間、俺の目の前に黄金の狐が姿をみせた。
「――――ラムダ!!」
「Gar!!」
「先ずは手数を減らすのを優先したか? 俺を見くびるな!!」
初撃でルリの実力を測り、彼女を一筋縄では勝てないと判断し、俺へと標的を変えたのだろう。
確かに純粋な『人間』である俺は、驚異的な身体能力を有する亜人種と比べれば潜在能力は劣るだろう……ただしそれはあくまでも身体能力に限った話だ。
亡獣の動きを予測した右眼、灼熱の牙を鷲掴みにした左腕、獣の膂力にも劣らない白銀の鎧、それら全てを支える次元の“窯”たる心臓――――そう、俺にはアーティファクトがある。
圧倒的な“不利”を覆す、人間の叡智の残骸が。
「――――“光量子波動砲”!!」
「――――うわッ!? な、なんだありゃ!?」
亡獣の攻撃を受け止めた左腕の掌から放たれた白い光の砲撃――――吹き飛ばされる黄金の狐、衝撃波で消し飛んだ荒ぶる焔、暴雨のような衝撃に思わず身構えたルリ。
ルリが圧倒的な“氷”の使い手なら、こちらは圧倒的な“暴力”の化身。今さら獣には引けを取らない。
「なんだよその左腕……あんた普通の人間じゃ無ぇな……」
「あぁ……世間からは“傲慢の魔王”って怖れられているからね……」
「傲慢……? 確かガンドルフのおっさんがそんな事を言っていたような……?」
「気を付けろ、ルリ……! あの狐、まだくたばってないぞ……!!」
しかし、意気込んだのは良いが戦いは終わってはいない。俺の攻撃を受けても亡獣は死なず、まるで燃料を投下されて再び燃焼する焔のようにその躯体を再生させつつあった。
不死この特性か、或いは高速再生か――――前者なら打つ手なしだが、後者なら再生に何かを消費している筈だ。
「粉々にされても再生するのか……!? でも心なしか、焔が弱まっているような……?」
「亡獣は実体の無い意思を持った魔力の塊だ……! だから物理的な抹殺は不可能……だけど……」
「負傷は魔力の流出へと繋がり、魔力が完全に尽きれば亡獣は消滅する……?」
「そういうこった! 本来なら一匹始末するだけでも大掛かりだが、アタシとあんたの攻撃でだいぶ削れたみたいだな!」
なるほどそれなら合点がいく――――亡獣には『体力』の概念は無く、代わりに『魔力』を体力として扱って、なおかつ負傷で魔力が消費されているのか。
肉体的な欠損が無い故に人間よりも頑丈だが、攻撃を受け続けて魔力が枯渇すれば完全に消滅する。
「もう一息で始末出来そーなんだが……アタシら二人とも警戒されてそうだな……」
「構いやしないさ……まずは動きを封じてやる! アーティファクト【時の歯車“造”】発動――――」
「――――んなっ!? ア、アーティファクトだと!?」
そうと分かれば話は早い、亡獣が再生出来なくなるまで攻撃を加えれば良いだけだ。
行動は迅速果断に――――左腕に組み込んだ新しいアーティファクトの性能を試す絶好の機会だ。
回収した二つのアーティファクト【時の歯車“古”】と【時の歯車“来”】の代わりとしてノアが作製した、俺専用の“時の歯車”――――名を【時の歯車“造”】。危険すぎる性能を有した正規品から、俺に合わせた性能を劣化移植した模造品。
その機能の内の一つ、『命中した対象の時間を限界まで遅くする』魔力弾を撃ち出す“時間の爆弾”。
左手の掌に展開される二つの時計盤を模した魔法陣、その魔法陣に挟まれるように精製された白い球体。
「時限停止干渉波――――“ギア・ステイシス”!!」
「――――Garr……rr…………r…………!?」
「なんだ……ラムダの撃ち出した弾に当たった瞬間に亡獣の動きが鈍くなった……!?」
「亡獣の『時間』を遅くした……! 後は大火力で一気に叩きのめす――――来い、【光の鉄槌】……!」
俺の撃ち出した“時限停止干渉波”を浴びて動きが緩慢になった亡獣――――こうなれば攻撃を回避することも防御することも難しいだろう。
後は再生できないように念入りに潰せばいい、左手に“光の鉄槌”を手にしてゆっくりと亡獣へと歩を進めていく。
相手は自身の動きが遅くなっていることに気付いて距離を取ろうと大きく四肢を踏み込んでいるが、簡単に逃さない為の仕込みだ……今さら逃げようとしても遅い。
大きく鉄槌を振り上げて、一撃で獣を屠れるように“平”の部分を巨大化させて、俺は亡獣に向けて武器を振るう。
「ルミナリオン……クラッシャーーッ!!」
「Ga……r……r――――」
鉄槌に叩き潰される刹那、黄金の狐は俺を睨んだ――――逃れられぬと悟ったのだろう、そして自信を殺した俺に呪詛を放った。
そんな禍々しい視線に悪寒を覚えつつ、振り下ろされた“光の鉄槌”――――獣は潰されて“光”へと還元されて、立ち上った光の柱は夜を照らして、ルリとの出逢いを彩った戦いの終幕を告げる。
「冗談だろ……アタシでも殺すのに手間の掛かる『亡獣』を……!?」
「この程度の獣には遅れは取らない……! ルリ、これで俺が“憤怒の魔王”を討伐できる実力者だって認めてくれるな?」
夜の静寂を取り戻した森林、再び流れ始めた滝の水、そして鉄槌でできた陥没に視線を向けて呆然とする狼の少女。
ルリにとって俺は予想外の強さをしていたらしい。けれど、“憤怒の魔王”の討伐を依頼したのは他ならぬルリだ……期待以上の相手に依頼を出せたのを喜んで欲しいぐらいだ。
「…………面白ぇ、あんた最高だな! こんなシケた森の中で、こんな強ぇ男に巡り会えるなんて……アタシは運が良いな……♪」
「そう言ってもらえるなら騎士冥利に尽きるよ……! それじゃあ、ルリ……急いで此処を離れ……」
《――――ラムダさん、聴こえますか、ラムダさん!》
「…………んっ、ノアからだ……? こちら、ラムダ……!」
結果は上々、ルリは俺の強さに感激したのか眼を輝かせて、尻尾をフリフリと振りながら喜んでくれていた。
その様子に俺も満足できたが、続くノアの通信で俺の勝利の余韻は一気の冷めてしまった。
《ラムダさん、敵襲です! 急いで自陣に戻って来てください!!》
「――――敵襲!? 相手は誰だ、黄金に燃える狐みたいな魔物か!?」
《そ、そんな感じの魔物も居ますが、何より厄介なのは魔王軍です!!》
「魔王軍の強襲……!? 一体どういうことだ!?」
「あ~……ネビュラの野郎、グランティアーゼの“狗”でも見つけたのか……?」
「ルリ……今なんて……?」
《急いでください、ラムダさん! このままじゃ……きゃあ!?》
「ノア……!? ノア!?」
《シュララララ……!! 貴様が“アーティファクトの少女”だな? オレ様が優しく喰らってやろうか……シュララララララ!!》
通信越しに聴こえたのはノアからの救難信号、紛れて聞こえる戦闘音、そしてノアの悲鳴の後に聴こえた蛇のような狡猾な男の声。
俺たちを襲った亡獣と魔王軍による同時襲撃をノアたちは受けてしまったらしい……急いで戻らないと。
「悪い、ルリ! 急用が出来た……急いで戻らないと!!」
「お、おい待て! 一人で行く気か、アタシも付いて行くぞ!?」
「駄目だ、相手はさっきの獣と魔王グラトニスの配下! 友達であるルリを俺たちの厄介事に巻き込みたくない……!!」
「それは……巻き込んだのはアタシ達だ……」
「ルリ……獣国で落ち合おう! それと……『思出草』を分けてくれてありがとう! それじゃ……!!」
「待て、待ってくれ! アタシは……アタシの名前はルリ=ヴァナルガンド……アンタの……」
事態は一刻を争う――――ルリに少し雑な挨拶を交わして、背中に格納していた翼を広げて、俺はノアたちの居る王立騎士団の野営地へと飛び立った。
地上で小さくなっていくルリが何かを叫んでいるのを視て、断腸の思いで彼女から視線を背けて。




