第181話:国境沿いで
「――――見えましたわ、あの橋を越えれば獣国ベスティアに入ります」
「了解――――全体止まれ!」
――――王都を出立して三日後、グランティアーゼ王国と獣国ベスティアとの国境である【スルクス渓谷林】、時刻は夕暮れ。俺たちグランティアーゼ王国の特使一行は獣国と王国の国境を示す巨大な橋に差し掛かっていた。
広大な森林地帯の中、底が見えない深い渓谷に架けられた木製の巨大な吊り橋、そこが獣国ベスティアへと入国するための数少ないルートの一つだ。
橋を越えればそこは敵対国、故に先陣を切るレティシアも迂闊に踏み入る真似はしなかった。
「本日は此処に陣を敷いて夜営と致します!」
「えー!? 獣国には入らないのですか〜?」
「ノア……何度も言いますが獣国とグランティアーゼ王国は現在、国交がありません! その状態で彼の国の敷居を跨ぐなんて無礼は許されません!」
「ならどうするのだ? ずっと此処で待ち惚けする訳にもいかないのだ!」
「先んじて我らが向かうと獣国側に文を送っています。明日には此処に迎えが来ると思いますが、近場の宿場町からは距離がありますので……」
「なるほど……でしたら夜営も致し方ありませんね。聴きましたか第九師団、急ぎ夜営の準備に!」
「ミネルヴァ、上空から魔物が居ないか見てきて欲しいのだ!」
「ホー、ホー!」
獣国側から迎えの使者が来るのは翌日の朝、それまでは待ち合わせ場所であるこの橋の手前で立ち往生する羽目になりそうだ。
幸い、数百人が陣を敷いて休むだけの場所はある。アウラの愛梟が上空から索敵を行い、気配察知に長けたコレットやメインクーン卿が居る以上敵襲の可能性も低いだろう。
そう考えて俺も第十一師団と協力して夜営の準備に取り掛かった。
〜〜〜〜
――――それから数時間後の夜、月明かりに照らされ、索敵を行うミネルヴァの鳴き声が等間隔で響く森の中で。
「あの、ラムダ様……」
「どうしたんだ、オリビア……そんな心配そうな表情をして……? 大丈夫、獣国の使者は必ず来るよ! ヴィンセント国王陛下直々の文を送っているからね、いくら敵対国しているとは言え向こうも無碍にはしないさ!」
「いえ……わたしが心配しているのはコレットさんのことで……」
「…………コレットが?」
「王都を出立する直前ぐらいから落ち着きが無いように見えてしまって……」
夕飯を食べ、セブンスコード卿とメインクーン卿との打ち合わせを終えて自身のテントに戻ってきた俺に声を掛けたのはオリビア。
どうやらコレットの事を気にかけているらしい。
思えば彼女は獣国の外周部でツヴァイ姉さんに拾われた。順当に考えればコレットの出身は獣国ベスティアであると考えれるのだが、彼女には複雑な事情があるのも事実だ。
「知っていると思うけど、コレットには姉さんに拾われる以前の記憶が無いんだ……」
「……存じ上げています。半年前の『エピファネイア事変』でご家族も恐らくは、と言う事も……」
「――――で、エンシェント家でメイドをしていれば気が紛れるからって帰る気も無いらしんだ……」
「それは……獣国に帰ってもご家族に会えない可能性があるからでしょうか?」
「さぁね……もしかしたら忘れた『過去』よりも、居心地の良い『現在』の方を選びたいのかもな……」
コレットの心情なんて俺には分からない、彼女が何を思って浮足立っているのかも予想できない。
ただ、『残っていい』と諭した俺に『付いて行きます』と強情を張った以上、自身の気持ちよりも姉さんの救出を優先したのだろう。
なら、コレットの助けを受けつつ、彼女の情緒のサポートをしてあげるのが俺の務めだ…………団長としても、主としても。
「コレットなら大丈夫さ、ああ見えて気は強いからね」
「そうですね……まぁ、いずれはわたしのメイドにもなるのですから、故郷の土ぐらい気丈に踏んでもらわないと困ります!」
「あはは……お手柔らかにね?」
「うふふ……ラムダ様、コレットさんのこと……好きでしょ?」
「…………まぁね/// 母さんが居なくなって、喪失が怖くなってメイド達と距離を取っていた俺に、それでも精一杯アプローチしてくれたコレットには感謝しているから……」
故郷を旅立って以降、ずっと俺たちを支え続けてくれていた頼れる従者コレット――――その彼女が不安に直面しているのなら、今度は俺が助けてあげたいと切に願う。
それはオリビアも同じで、彼女もコレットのことを気に掛けてくれていて、だからコレットは『過去』を忘れて『現在』に精を出せるのだろう。
「さて……寝る前に一仕事してくるか!」
「……? まだお休みにならないのですか?」
「あぁ、この【スルクス渓谷林】には珍しい薬草があるらしいから採取しておきたくて……」
「もしかして……ノアさんの為の……?」
「そういうこと。ノアには気取られないように、俺の行方を訊かれても『用を足しに行った』とでも言い繕っていて……!」
「承知しました、ラムダ卿。火急の際はミネルヴァ経由で伝達しますね」
「頼むのよ、オリビア」
コレットの件も心配だが、俺には別途で私用もある。
この渓谷林には不老不死に関する植物が自生しているらしい。幻影未来都市【カル・テンポリス】の図書館で閲覧した書物にその旨の記載があったからだ。
ノアの寿命はこの瞬間も確実に目減りしている。
それを食い止める為なら寝る間も惜しんで動かないと。
オリビアに留守を任せて、誰にも気付かれないように光学迷彩でこっそりと野営地を離れた俺は深い森へと足を踏み込んでいく。
「え~っと確か……スルクス渓谷林の、水辺の近くで、夜間月光を十分に浴びれる場所……だったか? そんな都合の良い場所あるのか?? ってか此処どこだ……??」
しばらくして、渓谷林の獣道を進みながらお目当ての薬草を探していた俺は――――迷子になった。いま何処に居るか分からない。
ヤバい……まじでヤバい、オリビアに大見得切ってこれは恥ずかしい。
「いや……最悪、飛べばいいし……迷子じゃないし……平気だし……」
帰る手段はある、ミネルヴァを頼る手もある、ジブリールを標識にして帰ればいい。
が、これでは薬草探しどころでは無い。今の俺は森林の中をフラフラ彷徨っているだけだ。
「…………魔狼とか出ないよな? 今の俺なら倒せるけど……若干、トラウマが蘇る……」
真夜中の森林、一人ぼっちの進行、嫌でも旅立ちの日を思い出す。
自暴自棄になってオトゥールに行こうと迂闊に森に踏み込んで、当時のリリエット=ルージュが連れて来た場違いな高レベルの魔狼に右眼と左腕を持っていかれた屈辱的な出来事。
その後すぐにノアと出逢い、処置を受けたから一命は取り留めたものの、あの日は自分の弱さを痛感させられた。
「そんな俺が今や王国最高の『騎士』だもんな……あの日の選択は正しかったのかな?」
幻影未来都市での戦い以降、つい自分の『もしも』について考えてしまう。
望み通り【騎士】になっていたら、ノアと出逢わなかったら、オリビアと再び婚約を結ばなかったら、【王の剣】の勧誘を蹴っていたら――――考えればキリが無い。
けれど、俺が選ばなかった『未来』の俺はどうなっていたのかも気になるのは事実だ。
「“傲慢の魔王”スペルビア……多分、何処かの『未来』では俺はノアを失って……堕ちるんだろうな……」
無数にある俺の選択肢、必ずしも良い結果に通じるとは限らない。中には見るも無惨な醜態を晒して野垂れ死ぬ『未来』もあり得るのだろう。
それこそ……アワリティア、インヴィディア、グラトニスに匹敵するような“悪の化身”たる『魔王』になる可能性も。
「アスハに俺が何を成したか訊いとけば良かったな……いや、訊かなくて正解か……『答え』に固執したら眼が暗みそうだ……」
自問自答は止まらない、薬草探しはうわの空、このままじゃ何時まで経っても迷子のままだ。
そう思って頬を軽く叩いて気付けをして、意識をもう一度『薬草探し』に集中して、俺は暗い獣道を草木を掻き分けて進んでいく。
「開けた場所に出たな……! それに微かに水の落ちる音が聞こえる……近くに滝があるな!」
しばらく進んで、月明かりに導かれて出た場所は木々に覆われていない晴れ渡った場所、さながら森林の中のオアシスと言った所だろうか。
眩しいぐらいの月光、夜風に靡く木々のざわめき、遠くで聞こえる水の音――――お目当ての薬草があるのはおそらく此処だろう。
そう信じて、早る気持ちを抑えながら俺は水の音へと近付いて行った。
「…………あん? こんな辺鄙な森の中で人間に逢うなんて珍しいな……!」
「…………狼の…………亜人…………!?」
そして、滝から流れる水を浴びていた『彼女』に出逢ってしまった。
月明かりに映える白銀の長髪、魔性を示す金色の瞳、見るものを魅了する白銀の獣耳と尻尾、靭やかに鍛え上げられた肉体、小さく開かれた口元から覗く大きな犬歯――――『獣』の“野生”と、『人間』の“知性”を兼ね備えた狼の亜人たる少女。
「アタシの名前はルリ……! あんたの名前は何だ、人間……?」
「ルリ……!」
彼女の名はルリ――――この先に待つ獣国への案内人。




