ケモノの記憶④:そして私は『生きる意味』を見出した
「コレットも少しシャンデリアの破片で切っているな……! 待ってて、すぐに傷を消毒するから!」
「いけません……ラムダ様……主である貴方が一介もメイドにこんな事をしなくても……!」
「それは俺の矜持に反する……! 残念だけど手当ては受けてもらうよ、コレット」
「あぅぅ……///」
ラムダ様の寝室、私から見れば種族違いかつ異性の部屋と言うまさに未知の領域。その寝室のベットに腰掛けさせられて、私はラムダ様から傷に手当てをされていた。
本来ならば、従者が主にこのような行為をさせるなんて言語道断だ。そんな事をラムダ様にさせてしまった自分の不出来さに怒りを感じてしまう。
けれど――――
「袖に切り込みが……少し腕を診るよ?」
「は……はいぃ……///」
――――怒りを感じる以上に、私の感情は羞恥心に駆られていた。
私の素肌に優しく触れるラムダ様の手、特に利き腕では無いであろう左手は慎重に私の肌を撫でて、その擽ったさに私の鼓動はどんどんと早くなっていた。
「脈が早い……? 出血のせいか……!?」
「ち、違いますぅ〜///」
始めて触れた異性の手、近くで見る少年のあどけない表情、透き通った蒼い宝石のような瞳――――それを見つめるだけで私の身体は上気して、身体が火照ってくる。
何故だろう?
私はただの『獣』、人間と同じ姿をしただけの魔獣だと言うのに、目の前の人間に特別な感情を抱いてしまっている。
この感情は何?
獣が種の保存の為に番を求める発情か、人間が愛を紡ぐ為に番を求める恋愛か、それともただの主従か、捕食関係か…………私には理解できない。
「ラムダ様……どうして私と距離を取っていたのですか……?」
「…………」
だから、私はこの感情の正体が知りたくてラムダ様に問い掛ける。
彼は私がこの屋敷に招かれて以降、あまり私とは関わりを持とうとはしなかった。婚約者のオリビア様曰く、『大切な人を作るのに抵抗がある』らしい。
理由は分かる――――屋敷裏にある墓地の片隅に眠る侍女、彼女を失ったが故にラムダ様は“喪失”を恐れているのだろう。
彼の思惑を知っている以上、『なぜ私と距離を取る?』なんて質問は余りにも失礼だ。
「それは……コレットには関係無いよ……」
「私は……もっとラムダ様とお近づきになりたいです……駄目ですか?」
けれど、私はもっとラムダ様を知りたい。
大切な人を作りたくないと考えている癖に、命を賭けてまで私を救ったこのお人好しな『人間』をもっと知りたい。
知れば、私も『獣』から『人間』になれると感じて。
「俺は……孤独で良いんだ……」
「ラムダ様……」
「だから……もうこれ以上、俺の心に入って来ないでくれ……! 迷惑なんだ……!!」
「なら……なぜ私を助けたのですか!?」
彼と話しているとスラスラと言葉が紡げる、薄まった感情に火が灯って瞳に光が灯っていく、ラムダ様と触れ合った瞬間に私の身体に熱い血が巡って本能が刺激されていく。
彼は私を拒絶している、それが腹立たしい。
そんな事は許さない、必ず彼の心を■■■■みせる。
身分を弁えず主に詰め寄る私はさながら獰猛な捕食者のようで、剥き出しになった犬歯が暗い表情をした騎士に向けられる。
「コレットを助けたのは……魔が差しただけなんだ……勘違いしないで……」
「誰が助けてなんて言いました? 誰があなたに救いを求めました? ラムダ様は自らの意志で私を助けたのです!! どうして……自分の心に『嘘』をつくのですか……?」
「――――う、うるさい!! 俺の気持ちも知らない癖に……好き勝手に言うなッ!!」
「ラムダ様の気持ちなんてコレットには理解りません!! だから……私はラムダ様をもっと知りたいのです……!」
語気を荒げる直前に私の腕から離されたラムダ様の左手、私に手を挙げないように背中に回された右手――――それだけで、彼が慈しみ深い性格なのが分かった。
傷付けたくない、失いたくない、ならいっそ大切な人なんて侍らせなければいい考えている。
「い、嫌だ……! 俺の心に入って来るな! 嫌だ、嫌だ、嫌だ……君を死なせたくない……シータさんみたいに……逝って欲しく無い……!!」
「ラムダ様……私は死にません……」
「嘘をつくな……!! そう言ってシータさんは逝ってしまった……!! 頼むから……俺の前から消えてくれ……!!」
「ラムダ様……!!」
怯えた表情をする少年、たった14歳の子どもに刻まれた心的外傷、大切な人を助けたいと願いながら『自身では護りきれないのでは』と恐怖を抱いている少年の偶像。
このままでは彼は大成しないだろう。
才能も努力も、その心に巣食う『恐怖』に喰われている。
だからこそ、誰かが彼の心を解きほぐさないといけない。私の『獣』の直感がそう囁いている。
そう確信して、『獣』の腕力でラムダ様の手を強引に引っ張って、私は彼をベットへと押し倒した。
「コレット……何を……!?」
「動かないで……逃げないで……私を拒絶しないで……!!」
「やめろ……やめろ!! アグッ……力が……!?」
「まだ『神授の儀』を受けていないあなたでは『獣』の腕力には敵いません……! お覚悟を……!!」
主に手を上げたのだ、言い逃れは出来ない。事が公になれば私は処罰されるだろう。
それでも良い、何もしないよりは苛つかない。
自身の立場なんかより、私はラムダ様の事が知りたい。
ラムダ様の事を想うだけで身体に熱が籠もり、鼓動は早くなって、心の底に暖かな焔が灯るから。あぁ……私はきっと、あなたに出逢う為に生まれたのだろう。
「私は死にません……絶対に……! だから……もっとあなたの近くに侍らせてください……ラムダ様……!」
「俺は……君を護りきれないかも知れない……まだ弱いから……傷付けてしまうかも知れない……」
「自分の身は自分で守れます……! だから……私に心を開いて……ラムダ様……!」
「コレット……俺は……」
「オリビア様から四年前の事は伺っています……! 私がシータさんの代わりを務めます……いいえ、彼女以上の働きをします! だから……『過去』に怯えて『未来』に背を向けるのは止めてください……!!」
「コレット……ありがとう…………」
ラムダ様の存在が私の『生きる理由』になった。
覆い被さっていた私を愛おしく抱きしめて、そっと涙を流したラムダ様の表情はあまりに切なくて、でも嬉しそうで。
いつか必ず、彼を『幸福』な笑顔で包みたいと私は思うようになった。
――――そこからの私は変わった。
感情を表せるようになって、仕事も他のメイドの追随を許さぬ程には上達し、私を邪険にしていたメイド長や奥方様からも信頼を置かれるようになっていった。
「コレットー、俺の礼服どこだっけー?」
「それならクローゼットの一番奥に梱包して保管してますー! すぐにコレットがお出ししますねー!」
そして、ラムダ様も私を重用して手元に侍らせてくれるようになった。
シータ=カミングの代わりが務まっているかは分からない、けれど自分なりに精一杯は頑張った筈だ。
「もうすぐ『神授の儀』……シータさん……もうすぐ約束を果たすからね……!」
まだ彼の心の氷は溶け切らないけど、もうすぐ彼の人生にも春は訪れる。
女神アーカーシャ様から職業とスキルを授かる『神授の儀』を受けて、ラムダ様は念願だった【騎士】になる…………そう思っていた。
けれど、現実は残酷で、ラムダ様はあろうことか【ゴミ漁り】なんて言う屈辱的な職業を言い渡されて、そのままエンシェント家からの追放を言い渡された。
「いくらシータさんと『ラムダを息子として育てるが、もし【騎士】にならなかった場合は即刻追放する』なんて密約を交わしていたとしても……本当にラムダを追放するなんてお父様は非情だわ!!」
「ツ、ツヴァイ様……落ち着いて……!」
「落ち着ける訳無いでしょ!? 何処にも居ないのよ……ラムダが……!! サートゥスの何処にも……うぅぅ……うぅぅうううう!!」
「ツヴァイ様……ツェーネル様がお迎えに来られています……急ぎ王都に向かわないと……ツヴァイ様のお立場が……」
ラムダ様が『神授の儀』を受けて、エンシェント家から追放されて失踪した日の夜――――自室で癇癪を起こしていたツヴァイ様を私は慰めていた。
私が留守の間に失踪したラムダ様、彼を探して街中を駆けずり回ったツヴァイ様は言いようのない苛立ちを自室の家具にぶつけてなんとか平静を保っていた。
ボロボロになった壁紙、割れた窓ガラス、壊れたトロフィー、しかし彼女の怒りは治まりきらず、次第にツヴァイ様は抜刀してアハト様を脅迫するとまで言い始めていた。
「どうしよう……どうしよう、どうしよう、どうしよう……!! いまロクウルスの森には凶暴な魔物が出現しているって情報が入っている……もしラムダが森に入っていたら……!!」
「ツヴァイ様、ロクウルスの森にはゼクス様が騎士団を率いて向かっています! どうか落ち着いてください!」
「あの子の剣は私が真っ二つにしちゃったの……! あぁ……もしもラムダに何かあったら、シータさんの墓前になんて報告すれば良いの……!?」
「ツヴァイ様……」
「コレット……あなた、ラムダを追いなさい……!! あなた狐系亜人種だから鼻は利くわね?」
「い゛っ……!? い、いきなり何を……ツヴァイ様……!?」
「タンスに隠した結婚資金5万ティアを預けるわ……急いで正門から続くラムダの匂いを追いなさい……さもなくばそのもふもふ尻尾……ラムダ用のアクセサリーにするわぁ……!!」
「ひ、ひぃぃぃ……!? す、すぐに支度を整えますぅぅぅ……(泣)」
そして、白羽の矢は私に立った。
ツヴァイ様に脅されて仕方なくではあるが、彼女から預かった大金と屋敷からかき集めた衣装などをトランクに詰め込んで、私はラムダ様の匂いを追ってサートゥスを後にした。
結果論ではあるが、私はツヴァイ様に従ってラムダ様を追ったことを良かったと思っている。
何故なら、そこで私は彼の『笑顔』を見れたから。
その理由となっている少女『ノア』――――私はあなたに感謝しています、そして怒っています。
あなたが簡単に死ぬことは許しません。
ラムダ様があなたに飽きるまで生き続けなさい。
そうでなければ、ラムダ様が笑ってくれなければ、私は――――遠い彼方に捨て去った『憤怒』に冒されて、きっと堕ちるでしょう。
それが私には……とても恐ろしく感じるのです。




