ケモノの記憶②:傷だらけの騎士との出逢い
「さぁ、コレット、今日から此処があなたの暮らすお屋敷よ!」
――――グランティアーゼ王国の辺境の街【サートゥス】、その領主であるエンシェント辺境伯の邸宅。
ツヴァイ様との出会いから一月後の昼下がりに、私は彼女に連れられて大きなお屋敷の扉をくぐった。
「やぁ、お帰り、ツヴァイ。第二師団団長の就任おめでとう……!」
「――――ケッ! んだよ姉貴……その狐のメイドは? 獣国での戦利品か?」
「お帰りなさい、ツヴァイ姉さん……! 団長就任おめでとう!」
玄関で出迎えてくれたのは三人の男――――爽やかな笑顔をツヴァイ様に向けている長兄のアインス様、少し不機嫌そうに私を睨んだ次男のゼクス様、そして……姉の帰還に安堵して微かに笑みを零した三男のラムダ様。
いずれもがツヴァイ様と同じエンシェント辺境伯の血を引くサラブレッド、この王国の誉れたる王立騎士団を目指す期待の星たち。
これから私が仕える事になる人間たち。
「いやー、ツヴァイまで団長に就任出来るなんて……お兄ちゃん感激だよ〜!」
「えへへ~、ツェーネル先輩が推薦してくれたの♪ 次の第二師団の長はツヴァイ卿こそが相応しいって!」
「見る目がねぇだけだろ、そのツェーネルとか言う奴が! こんなアホ姉貴に団長が務まる訳ね~じゃん! なっ、ラムダちゃん?」
「言い過ぎだよ、ゼクス兄さん……! ツヴァイ姉さんはちゃんと実力を買われたんだから、素直に祝福してあげなよ?」
「あっはっは、ゼクスは嫉妬しているんだよ。見下していたツヴァイが高みに行ってしまったからね」
「うるせぇよ、兄貴は黙ってろ! 第一、俺はアンタみたいな男が第一師団の長なのも納得してねぇからな!」
「あっはっは……そんなに言わなくても……(泣)」
「アインス兄さんが落ち込んだよ、ゼクス兄さん? どうする気?」
「うっ……うるせぇな! ラムダちゃんは黙ってろって!」
ツヴァイ様の昇進を祝う者、やっかみをする者、兄妹の戯れを楽しむ者――――同じ人間の血を分けた筈の兄妹なのにバラバラな性格のエンシェントの子どもたち。
彼等は私の目の前で(※一応は)和気藹々とした様子で談笑している。それを私は、内心下らないと思いつつ、少し羨ましいと感じていた。
理由は分からない、きっと忘れたのだろう――――孤独を感じた訳じゃ無い、嫉妬を感じた訳じゃ無い、ただ……苛立っただけだ。
生か死かの『野生』の世界では考えられない穏やかな時間を満喫する呑気な彼等が見て、なんとなくムカついただけだ。
本当に……自分は浅ましい『獣』なんだと、自分自身を下卑しながら。
「――――で、結局その狐メイドは誰なんだ、姉貴?」
「ふむ……そのメイド服は我が家で支給している給仕用の物だね、ツヴァイ?」
「はい、そうなの兄様! 紹介するわ、この子はコレット=エピファネイア――――今日から此処で住み込みで働くことになる新しいメイドよ♪」
「メイド……」
そして、話が一段落したのか話題は私に向いてきた。
コレット=エピファネイア――――本当の名前を忘れた私にツヴァイ様が付けた『仮の名前』、公現祭の日に現れた獣の少女。
いや……ツェーネルと言う女性が耳打ちして『コレット』になっただけで、最初にツヴァイ様は『ステーキ』とか付けようとした気がする……忘れよう。
「はじめまして……今日からお世話になります……コレット……エピファネイア……? です……」
「おいおい……自分の名前も満足に言えねぇのかテメェ? あと、テメェはお世話される立場じゃ無ぇ、俺等を世話する立場だ……履き違えてんじゃ無ぇよ……!」
「ゼクス! あなた来たばかりのコレットになんてこと言うの!?」
「そりゃ言うだろうが! 役に立たねぇメイドなんぞシータひとりで充分……あっ!」
「…………」
「わ、悪いラムダ……! あいつを貶したかった訳じゃ無ぇんだ! 今のは聞かなかった事にしてくれ……すまねぇ……」
「ラムダ……まだシータさんの事を……ゼクス、口は災いのもとだよ……」
「いいんだ、ゼクス兄さん、アインス兄さん……気にしてないから……」
虚ろな表情をしていた私を詰ったゼクス様から『シータ』なる人物の名が飛び出した瞬間に凍りついた空気。その人物の名が触れてはいけない名前だったのは私にも容易に想像できた。
気まずそうな表情をするアインス様とツヴァイ様、失言を後悔して申し訳無さそうにするゼクス様、そして暗い表情をしたラムダ様。
私の『獣』の直感が告げた――――その人物に起因する何かがあって、ラムダ様が心に深い傷を負った事を。
「…………もう部屋に戻るよ…………夕飯になったら呼びに来て…………」
「あっ……ラムダ……!」
「ゼクス……さっきのは迂闊だったね。後でラムダに謝りに行こうか?」
「あいつ……いつまでも下らねぇこと気にしやがって……!」
癪に障ったのか足早に私の前から消えたラムダ様、神妙な面持ちで彼の背中を見つめる三人、とても私を迎える様子では無くなってしまった玄関の雰囲気。
「シータの仇なら俺が討ってやるのに……!!」
「相手は本当に【死の商人】なんだね、ゼクス?」
「間違いねぇ! シータの葬儀の日に『シータ=カミングの“魂”は頂戴する』と親父に言っていた【死の商人】を見たからな!」
「【死の商人】……王立騎士団でもトリニティ卿とデスサイズ卿が行方を追っているが依然として尻尾すら掴めない相手……」
「デスサイズ卿は【逆光時間神殿】で“時紡ぎの巫女”と会っていた【死の商人】を目撃したらしいけど、勘付かれて逃げられたらしいわ……」
「あの一件以降、ラムダは家のメイド達から距離を置いちまいやがった……」
「婚約者のオリビアちゃんも心配していたわ……ラムダ……」
「シータさんに一番懐いていたからね……まぁ、当たり前の話なんだけど……」
私をそっちのけで密談をする三人――――無視されて若干ムカつくが、今の私の関心も其処には無かった。
大切な人を失って心に傷を負った少年。
どうしてか、私は彼が気になってしまっていた。
親や子を亡くしても、弱肉強食の世界、『獣』の世界ではそんなこと些末な出来事だ。一時哀しみにくれても、すぐに忘れて生きなければならない。
でなければ自分が今度は死ぬだけだ。
それが、種の生存を賭けた『野生』の掟だ。
だから私は、死んでいった者を何時までも偲んだラムダ様の行動が気掛かりで、苛立たしかった。
忘れれば良いのに、そうすれば心も軽くなるのにと。
「ラムダ……様……」
「あっ? なにラムダのこと気にしてんだ、狐ぇ! テメェはあいつに構う前にメイドとしての作法を覚えて来いや!」
「ゼクス……コレットに暴言を吐かないで!!」
「やれやれ……コレットちゃんだったね? 住み込みのメイドたちに使ってもらっている部屋に案内するね♪」
それが、私とラムダ様の最初の出会い。
傷だらけの獣と傷だらけの騎士、思い出を忘れた私と思い出を大切に抱きしめた彼との、すれ違った出逢いだった。




