第173話:醜き嫉妬は魔女の身を燃やす
「くそっ……死ね、聖女が! “嫉妬の焔”!!」
「守護結界――――“輪廻の花弁”!! ラムダ様に捧げたこの身体、これ以上傷付ける訳にはいきません!」
「ぐッ……!? まただ……私の“未来視”が機能しない……!? 私の観た『未来』じゃ、今の攻撃で消し炭になっている筈なのにぃ……!!」
下半身と左腕を失っても機械の身体を動かして抵抗を続けるインヴィーズだったが、身体を失っても弱体化し、戦闘にオリビアが参加した時点で形勢は完全に俺たちへと傾いていた。
インヴィーズがオリビアを取り囲むように焔の球体を召喚してそこから火焔を放てば、オリビアの自身の周囲に咲かせた白き花弁が焔を包み込んで無力化し、自身の観た『未来』が容易に書き換わった事にインヴィーズは苛立ちと焦りを露わにしていく。
白き花、【輪廻する花弁】と名付けられたオリビアの“祝福”がインヴィーズの焔の尽くをかき消しては散って、世界樹の最深部に純白の花弁が舞って暗い戦場を彩っては“嫉妬の魔王”の焦燥を駆っていた。
「くそ……くそ……くそがァァーーッ!! “アーティファクトの騎士”への攻撃も、ハーフエルフの巫女モドキへの攻撃も無力化される……!!」
「わたしが授かった“祝福”【輪廻する花弁】は女神の権能を限定的に行使する為のスキル! わたしを一介の小娘と侮らない事ね!」
「Ms.オリビア……ご自身だけでなく、私とMr.ラムダまで護り抜いているのですか……!? まさか……『聖女』が発現させるという女神アーカーシャの権能の一端、『祝福』がこれ程の性能とは……」
「またしても……『聖女』が私の悲願を邪魔するの……!? 魔王覚醒を邪魔して私を殺したトリニティお姉様のように……私の復活を邪魔したティオのように……あなたも私の邪魔をするのか、オリビア=パルフェグラッセ……!!」
「家族を愛し、友を愛し、この世に生きる全ての人々を愛するが故に『聖女』……!! 家族を妬み、友を妬み、この世に生きる全ての人々を妬んだ『嫉妬の魔王』であるあなたに聖女達が立ち塞がるのは自明の理と知りなさい!」
「ぐっ……おのれ……どいつもこいつも愛だの希望だの下らない……!! 勝ち組の分際で……!! 私みたいな『負け組』の気持ちなんて分からないくせにぃ……!!」
愛を尊ぶオリビア、嫉妬に狂ったインヴィーズ、愛する誰かを護る為に力を振るった『聖女』と徹頭徹尾、自分の欲望の為に力を振るった『魔王』。
その差はあまりにも大きく、アスハによって“未来視”を封じられ、オリビアによって“嫉妬の焔”を封じられたインヴィーズの命運は既に決してしまっていた。
感情を露わにして、自身が抱えた屈辱を曝け出してオリビアを否定するインヴィーズ――――けれど、彼女の言葉はどれもこれもが空虚に感じられた。
「あなたは……これまでの人生に『幸せ』を感じた事は無かったのですか? 結婚した時も、子どもが生まれた時も、ルチアさんを抱きしめた時も、何かに幸福を感じた事は無かったのですか……!?」
「無い……無い、無い、無い! 私が『幸せ』を感じた時なんて一度も無い!! 伴侶を得ても、ティオを産んでも、ルチアと再会しても――――私は『幸せ』なんて感じなかったわ!!」
「Ms.インヴィーズ……あなたは……」
「結婚する事が『幸せ』なの!? 子どもを産むことが『幸せ』なの!? 孫子に囲まれるのが『幸せ』なの!? 下らない、下らない、下らないわ!! 私の『幸せ』はそこには無かった!! 私は――――ふたりの姉を見返す事でしか『幸せ』にはなれないのよ!!」
「なんて……寂しい人なの……」
「努力したのよ! 結婚すれば何かが変わると思って、子どもを授かればこの胸に巣食った“嫉妬”が消えると思って、でも……駄目なのよ! 私の魂に根付いた“嫉妬”の焔は消えない! ふたりの姉を妬き殺すか、自分自身を焼き殺すまで……絶対に!!」
その慟哭こそがディアナ=インヴィーズの“嫉妬”の根源――――トリニティ卿とストルマリアを下す事でしか自尊心を満たせなかったエルフの本心だった。
彼女は胸に焼き付いた“嫉妬心”を満たす事でしか幸福を感じられず、結婚も出産もディアナ=インヴィーズの『幸せ』には成り得なかった。
それ自体は仕方のない事だろう。
何に幸福を感じるかは人によって違うのだから。
誰しもが結婚して、子どもを授かって、家族を得て『幸せ』になれるとは限らない。孤独の果てに強者の頂に立ったり、自身の内面を芸術として表現できれば満足な者もいる。
だけど、それでも、俺にはディアナ=インヴィーズのあり方はとても寂しそうで、その胸で燃え盛る焔の如き“嫉妬”こそが彼女が『嫉妬の魔王』である所以なのだと理解ってしまった。
「ディアナ=インヴィーズ……お前がトリニティ卿とストルマリアを殺すか、自滅して破滅するしか解放される道が無いのはよく分かった!」
「いい気になるな、『傲慢の魔王』……!! 世界を滅ぼしてでもひとりの少女を救いたいと願うお前は――――私と同罪だ!! お前が人並みの『幸せ』を享受できる事など無いと思え!!」
そう……きっと俺はインヴィーズと同罪だ。
ノアを救うために『世界の創造主』を壊して、それで良いと思っている。でも、たとえインヴィーズの指摘どおりだったとしても俺はもう止まれない。
インヴィーズが“嫉妬の魔王”へと至って人並みの『幸せ』に背を向けたように、俺も父さんをぶん殴って“ノアの騎士”になると決めた時に人並みの『幸せ』から背を向けたのだから。
だから、俺はこの先の『未来』が破滅しかない修羅の道だったとしても、大切な人の為に戦おう。
「トリニティ卿は俺の大切な同士だ! 彼女をみすみす死なせるぐらいなら貴様が死ね……“嫉妬の魔王”インヴィディア!!」
「あぁ……ウザい……! トリニティお姉様を慕うなんて……本当にウザったい!!」
「――――ッ!! Ms.インヴィーズの右眼に世界樹から吸い上げられた魔素が集束していく……!!」
「とっておきの一撃よ! あなたにあげるわ!」
世界樹の奥底の“窯”からインヴィーズ本体の亡骸を通じて“嫉妬の魔王”へと吸い上げられていくマグマのような魔素。その燃え盛る焔のような高純度の“嫉妬”を右眼の片眼鏡に集束していく禍々しい光。
ディアナ=インヴィーズの最後の一撃。
それを討って俺は哀しき魔王に引導を渡す。
“巨人の腕”を装着して激しく唸る左腕、心臓から溢れた魔力で荒ぶった光の翼、インヴィーズが全力を出すように俺も全力で奴の“嫉妬”を越えていく。
「私はあなたが羨ましい……! 死になさい――――“羨望嫉妬”!!」
「これで終わりだ、インヴィディア!!」
そして、最後の一撃は放たれる。
インヴィーズの右眼から放たれた彗星のような光と焔の魔力の大砲。彼女が羨望を抱いた者を確実に妬き殺す“嫉妬の焔火”。
受ければ俺とてただでは済まないだろう。
だが――――
「Mr.ラムダは傷付けさせません――――“静止の時計盤”!!」
「我が愛しき人を護れ輪廻の花よ――――“輪廻する花盾”!!」
「我が心臓、喰らいて動け――――【時の歯車“古”】!!」
――――俺には仲間がいる。
オリビアの召喚した白き花弁が、アスハの召喚した青い時計盤がインヴィーズの懐へと飛んだ俺を護るように“嫉妬の焔”を防ぎ、インヴィーズの妄執は俺に届くことなく霧散していく。
そして、インヴィーズの死力が尽きたほんの一瞬の隙を突いて、【時の歯車“古”】の“時間逆行”でオリビア達が繰り出した盾を消して、俺はインヴィーズを至近距離で捉える。
「私が……負ける……また負けるの……!? 私だって……勝ちたいのにぃ……!!」
「勝ちに拘り過ぎて道を見失った……あなたの負けだ、インヴィディア!! 穿て――――“光量子波動砲”!!」
「ガッ……ギャァァァアアアアアアア!!」
装甲で大型化した左腕でインヴィーズの胸元を鷲掴みにして、零距離から放たれるは白き“光”の一撃――――迸る光の粒子、瞬く間に塵と化していく悪しき魔王の機械の身体、世界樹の地下に響き渡る“嫉妬”に塗れた魔女の断末魔。
ディアナ=インヴィーズの消滅、エルフの里に燃え残った焔が燃え尽きて灰になった瞬間――――
「…………オノレ…………オノレ、オノレ、オノレェェ……!!」
「なんだ!? インヴィーズの亡骸が動き出した!?」
「私ハ死ナナイ……! コノ胸ニ灯ル“嫉妬ノ焔”ガ消エナイ限リ……限リィィィ……!!」
――――世界樹の“窯”の上で揺蕩っていたインヴィーズの『灰』は動き出して、さらなる怨念を振り撒き始めた。
世界樹の魔素を急激に吸い上げて、自身の周囲を囲んだ【時の歯車“来”】を勢いよく廻して、既に息絶えた筈の亡骸を“薪”に焚べるように燃やしながら、“嫉妬の魔王”は世界樹を焼いた焔と解け合うように自身も紫色の焔で包んでいく。
「マズい……! Ms.インヴィーズは世界樹と融合するつもりです!」
「何だって!? インヴィディア……どこまで往生際が悪いんだ!!」
「ハハハ……ハハハハハハ!! 我ガ“嫉妬”ハ世界ヲ灼ク!! 貴様達モ……我ガ焔ニ妬カレルト良イ……!!」
「ご、ご主人様! 此処は危険です、急いで脱出を!!」
「分かっている! アスハ、オリビアを連れて脱出するぞ! 俺の背中にしっかりとしがみつけ!」
「わ、分かりました……Mr.ラムダ……!!」
燃え尽きて焔の塊と化したインヴィーズ、アスハの『時間結界』を破壊して激しく燃え上がる世界樹、“嫉妬の魔王”の執念が遂に大火となった瞬間。
これ以上、此処での戦闘は不可能と判断した俺はアスハを背中にしがみつかせ、オリビアの元へと向かって彼女を抱きしめて、世界樹の出口を目指して飛翔する。
「オリビア……怪我はしてないか……?」
「はい、わたしは大丈夫です……ですが……」
「世界樹がMs.インヴィーズに掌握された……これはいよいよ正念場ですね……!」
遥か底の底で胎動する“嫉妬の焔”、世界樹を包んでいくインヴィーズの執念、千年後の『未来』の都市を舞台に繰り広げられた決戦は間もなく最終局面を迎える。
それは、とあるエルフの三姉妹の贖罪の戦い。
些細な“すれ違い”が起こした悲劇に、その胸に“嫉妬”を抱き続けたエルフの魔王に、決着をつけて『未来』へと歩み始める時。
そして、彼女との別れの時。




