トリニティの記憶:ある嫉妬の末路
「――――お待ち下さい、アーカーシャ様……族長が魔王降臨を企んでいると言う話は本当なのですか……?」
『事実です。そして間もなく【アマレ】に“嫉妬の魔王”インヴィディアが降臨します――――世界樹と里のエルフ達を生贄にして……』
「そ……そんな……!」
――――300年前、エルフの里【アマレ】の教会にて。
エルフ族の栄えある聖女トリニティは女神アーカーシャから神託として与えられた、“嫉妬の魔王”インヴィディア降臨の時が迫っていることを知り激しい動揺に襲われていた。
“嫉妬の魔王”インヴィディア――――“時紡ぎの巫女”であるディアナ=インヴィーズの未来視で予見された強大な敵。彼岸より来たるこの脅威に対抗すべくエルフの里からはエイダ=ストルマリアが【勇者】として、トトリ=トリニティが【聖女】として覚醒し、来るべき魔王襲来に向けて準備が進められていた。
だが、魔王降臨の手引きをしていたのが他ならぬ里の同胞だと知った時、トリニティの運命の歯車は狂い始めた。
「お姉様……! ストルマリアお姉様に協力を仰がないと! このままでは里のみんなが殺されてしまう……!!」
『勇者ストルマリアの実力では“嫉妬の魔王”にまだ対抗出来ません。魔王を討伐するのでは無く、復活を阻止する事を優先して動きなさい、聖女トリニティ』
「復活の阻止……それはどうすれば良いのですか、女神アーカーシャ様!」
『簡単な話ですよ――――魔王降臨の材料……心臓となる世界樹、薪となる里のエルフ達、そして魔王の“器”たるインヴィーズ、その全てを殺しなさい……!』
「……えっ……?」
理想は勇者ストルマリアと聖女トリニティによる魔王討伐だが、女神アーカーシャが示した指針はそんな晴れ晴れしい理想とはかけ離れた残酷な現実だった。
女神アーカーシャがトリニティに授けた術は『エルフの里の壊滅』――――“嫉妬の魔王”の降臨に必要な生贄を先んじて殺害し儀式を不発に終わらせる方法。しかしそれは、他者を重んじる心優しい聖女であったトリニティにとっては同胞を殺める事は、心身を切り刻まれるような残酷な選択肢。
如何に最高位の存在である女神の命であったとしても、彼女にはその手を血で染める決心は出来なかった…………まだその時点では。
「どうしたの、トトリ? 顔色が悪いわよ?」
「ストルマリアお姉様……」
「らしくない暗い表情ね? あなたはみなの憧れである聖女なんだから、もっとシャキっとしなさい……!」
「ねーねー、ストルマリア様! 今度生まれるインヴィーズ様の赤ちゃんの為に花の冠を作ったの!」
「あら……! 珍しい花で作られた冠ね、エリス。とっても綺麗にできているわ」
「ストルマリアお姉様……」
三姉妹の長女である勇者ストルマリアに救いを求め、何か手立てが無いかと藁にもすがる想いで彼女を訪ねたトリニティだったが、そこで里の子どもたちと戯れる姉の姿を見て聖女はまたしても深い絶望に苛まれる事になってしまう。
まだ幼いエルフ達に取り囲まれて屈託の無い笑顔を見せる姉。
誰よりも他者を尊ぶ、だからこそ【勇者】に選ばれたストルマリアを“同胞殺し”に加担させる事を、彼女を慕うトリニティは選ぶ事は出来なかった。
「トトリ……? 何か悩んでいるの? 困っている事があるなら相談しなさい……」
「お姉様……いえ……何でもありません……」
「…………そう? もうすぐディアナがお母さんになるんだから、お姉さんの私たちはしっかりしないとね♪」
「はい……お姉様……」
「私はディアナに渡す薬草を取りに森へ行ってくる。出産で疲れるだろうからな。トトリは先にあの子の所へ行ってあげなさい……」
女神アーカーシャの決定は絶対――――故に、トリニティにはストルマリアを同胞殺しの片棒を担がせたくなかったのだ。
罪を背負うならの一人でいい。
そう思い詰めて、たった独り『覚悟』決めて。
今の自分達では絶対に勝てない“嫉妬の魔王”の降臨を『未来』に先延ばしにし、愛する妹が魔王に堕ちた姿を見ないようにする為に。
「おぎゃー、おぎゃー!」
「わぁ~♡ かわいい女の子だ〜♡」
「こら、エリス! 申し訳ございません、ディアナ様……!」
「…………構いません。さぁ、エリスさん……私のかわいい娘を……ティオを抱いてあげて……」
「良いんですか、ディアナ様……!? じゃあ……!」
そして、運命の日――――族長の家でディアナ=インヴィーズは娘の『ティオ』を出産し母親となった。禁断の儀式で“嫉妬の魔王”になる前に。
「良く頑張ったな、ディアナ! おぉ……この娘は素晴らしい魔力を誇っている。きっとより相応しい器になれるぞ……!」
「…………なんて? 今、この娘が何だと言ったの……あなた……!?」
「全ては世界樹を狙い我々エルフを迫害した人間達への報復の為だ! さぁ、『儀式』を始めようか…………今すぐ【死の商人】を此処へとお招きして同胞の“魂”を焚べようではないか……!!」
「エリス……今すぐその子を連れて此処から離れなさい!」
だが、父親たる族長は娘の誕生に喜びなど感じておらず、母親となったディアナすら娘に“嫉妬”の感情を抱いていた。
人間へ抱いた羨望の念、優秀な姉たちと比較された妹の妬みの念、転じて『嫉妬』の執念――――エルフ族の長が企んだ“嫉妬の魔王”の降臨と人間への復讐、勇者と讃えられ聖女と謳われた姉たちを見返す為の身勝手な報復、それこそが悲劇の引き金。
高い適性を持つエルフの女性を生贄に“嫉妬の魔王”を降臨させる大儀式、ある条件を満たしたエルフ全員にディアナ=インヴィーズが刻んだ“魔女の烙印”を発動させ、烙印の刻まれたエルフ達を燃やして魔王の力の源に還元すると言う禁忌の術の発動。
多くのエルフの“魂”を蒐集し、世界樹から供給される無尽蔵の魔素を喰らう事で降臨する彼岸からの厄災――――“嫉妬の魔王”インヴィディア。エルフ族が得ようと画策した【終末装置】の一角の召喚。
「さぁ、トリニティにも協力させてエルフ達を贄にしろ! 嫉妬の魔王のふっかt――――」
「…………えっ!? 族長の首が……斬り落とされた……!?」
「――――ええ、皆殺しにしますね、長よ……!!」
「トリニティ様……どうして……??」
「エリス、その子を連れて早く逃げなさい!!」
だが、その野望が叶うことは無かった。
大太刀の一振りで族長の首を刎ねて現れたのはトリニティ。エルフ族を導く聖女は“虐殺”をもって魔王の召喚を阻止する道を選んだのだ。
勝ち目の無い魔王を降臨させて滅亡を招くよりも、降臨の条件たるエルフの生贄たちを始末して『生贄』を奪うことを良しとしたのだ。
「トリニティお姉様……どうして……!?」
「あなたを“嫉妬の魔王”にする訳にはいかないわ……! だから……さようなら……!!」
「このっ、邪魔をしないで――――【嫉妬の焔】!!」
“魔女の烙印”を刻まれたエルフ達を斬り殺し、儀式の首謀者である族長を瞬時に斬首し、実の妹のように可愛がっていたディアナへと襲い掛かったトリニティ――――その瞳に涙を浮かべながら。
そして、目論見を邪魔されたディアナも両腕から荒ぶる紫色の焔を放出して抵抗して、トリニティへと一矢報いようと試みて。
「何をしている……何をしているんだ、トトリィィーーーーッ!!」
「わたしの使命の邪魔をしないで、ストルマリアお姉様ッ!!」
「助けて、ストルマリアお姉様!!」
そして、惨劇に気付いたストルマリアと惨劇を引き起こしたトリニティの絆は終わりを迎え、ふたりは燃え盛る焔に包まれたエルフの里【アマレ】を舞台に死闘を繰り広げたのだった。
その末路は凄惨を極め――――里のエルフ達の殆どが皆殺しの憂き目に遭い、聖女トトリ=トリニティは勇者の聖槍に胸を貫かれて瀕死の重傷を負い、トリニティが最後の抵抗で放った斬撃は出産で弱っていた妹を容赦なく斬り、“嫉妬の魔王”の依代たるディアナ=インヴィーズは燃える世界樹に落ちて運命を共にした。
生き残ったのはエリスやティオといった“嫉妬”を持た無かった故に烙印を刻まれず、なおかつトリニティの凶刃から逃れれた純粋な精神を持ったエルフ達と、“ダークエルフ”への失墜と引き換えに惨劇を終結させ勇者ストルマリアのみ。
「お姉……様……」
「なんで……なんで……なんでこんな事をしたんだ……トトリ……あぁぁ……あぁぁあああああああ!!」
燃え盛る故郷を目の当たりにして、斬り殺された同胞たちの亡骸を抱きかかえて慟哭の涙を流すストルマリア。胸を貫かれ血溜まりの中で姉の失墜した姿に後悔を抱いたトリニティ。
アウラの再来と謳われた三姉妹はこうして破滅を迎えた。




