第159話:聖女狩り《SIDE:オリビア》
「え~っと……回復薬の備蓄もよしっと……後は……」
「オリビアさ〜ん……まだ夜明け過ぎだよ〜……もう準備してるの〜……?」
「あっ……ごめんなさい、ノアさん。起こしてしまいました?」
「う、う~ん……眠い……」
――――幻影未来都市【カル・テンポリス】中央区画、高級ホテル『レヴィアタン』スイートルーム、時刻は明朝。
不安でほとんど寝付けなかったわたしは気を紛らすようにラムダ様に渡す手荷物の支度をしていた。
始まってしまった戦争、エルフ達の街に潜んだ“嫉妬の魔王”の討伐、魔王軍の幹部との死闘、アーティファクトの捜索、ノアさんの延命の術を探す旅――――そんな“死”が渦巻く戦場へと飛び込んだ婚約者が心配で仕方が無い。
ようやく手が届いた『幸せ』が戦争に無慈悲に奪われそうで怖い、ようやく通じ合えた『気持ち』が離れそうで怖い、ようやく叶った『夢』が引き裂かれそうで怖い。
あの冬の日に命を落とした『彼女』のように、ラムダ様も遠くに行ってしまいそうで…………怖い。
「駄目だよ……ちゃんと休まなきゃ……いざって時に動けなかったらどうするの〜……」
「ご、ごめんなさい……わたし……少し焦ってたみたい……」
ラムダ様に焦らなくても良いと諭した癖に、まったく同じ内容を寝惚け気味のノアさんに指摘される始末だ。
あぁ、わたしはきっと怯えているのでしょう。
ラムダ様の心を射止めた時から、彼の命が自分の命よりも大切になってしまっている。
あの人が居なくなったら、わたしは今度こそ壊れてしまう。婚約破棄をされて、自暴自棄になって、半ばやけっぱちで命を懸けたあの惨劇の日のように。
「大丈夫……私の調整した装甲を着たラムダさんは無敵なんですから……」
「…………」
ベットの上で布団に包まって眠る薄幸の少女はそう言ってわたしを安心させようとする…………けど、それでもやはり不安だ。
ラムダ様とて完璧では無い。
些細な切っ掛けだけでも傷付くような繊細な人だ。
だから、わたしが支えてあげないと。ラムダ様が安心して剣を振るえるように、安心してノアさんとの時間を過ごせるように……わたしが助けてあげないと。
――――“ラムダ様の想いはノア=ラストアークへと向けられている……あぁ、なんて妬ましいのでしょうか”
「オリビアさん……? どうしたの、怖い顔で私を見て……??」
「――――っ! いえ……なんでもありません……」
「…………私、何か失礼な事をしっちゃったのかと…………」
一瞬過ぎった“嫉妬”の感情――――ラピーナ城でノアさんの秘密を知った時に忘れようとした感情が、婚約の日から日に日に増していっているのが分かる。
恨み、妬み、殺意――――わたしの中に渦巻くドス黒い感情が精神の奥底から溢れてきている。
ノア=ラストアーク――――わたしの留守に突け込んでラムダ様の心を射止めた女。
ラムダ様の意思を汲んで彼女の助命に協力こそすれ、やっぱりわたしは目の間で呑気に布団に包まった少女に激しい嫉妬を感じたままだった。
いっその事、早く死んでしまえば良いとすら思ってしまう。そうすればラムダ様の旅は終わって、きっとわたしの方を見てくれる筈だと……つい考えてしまう。
あぁ、自分の嫉妬深さに嫌気が差す……こんな悪辣な人間が【聖女】の器などと、アーカーシャ教団の関係者は見る目がないのかと勘繰ってしまう程に。
「オリビアさん……怒っているの……? ラムダさんが私ばっかり気にしてること……嫌なの……?」
「…………」
「だよね……嫌だよね……ごめんなさい……」
「いいえ、いいえ! 違います……怒ってなんか…………」
今も昔もわたしは我儘だ。
両親が決めたエンシェント家との縁談に反発して、何度も頭を下げて『ラムダ様と会ってあげて欲しい』と懇願したシータさんに何度も罵声を浴びせて、婚約を破棄されただけで自暴自棄になって、意中の人の隣に居続けるポッと出のノアさんに嫉妬している。
ラムダ様の『好みの女』を演じ続けて、彼が望むものをなんでも与えて、わたしから離れられないように中毒にさせている。
ラムダ=エンシェントを魅了で毒した毒婦――――それがわたしのあり方、淫魔よりも色欲に染まった魔女。
「私……オリビアさんのこと……好きだよ……」
「…………ノアさん…………」
「私にも優しく接してくれて、私の『秘密』を隠してくれて、今も私への黒い感情を必死に抑えている……」
「…………分かってて…………」
「大丈夫、貴女は“嫉妬の魔王”が刻み付けた烙印なんかに決して負けない……! だから……その手に掴んだ短剣はもう手放して……」
「あぁ……! いつの間にわたしは……!?」
ノアさんに諭されてやっと気が付いた――――わたしの右手には太腿に隠していた護身用の短剣がいつの間にか握られていて、わたしはノアさんの眠る布団の側で立っていた。
彼女を短剣で突き刺して殺そうとして。
「なんで……わたしの胸元に烙印が!?」
「落ち着いてくださいませ、オリビアさん。貴女に責任はありません……大きく深呼吸して、肩の力を抜いてください……」
「ジブリールさん……」
指摘されてようやく気が付いた――――わたしの胸元にラナの右眼と同じような紋章が刻まれていた事に。
先ほどまでのノアさんに対する強い“嫉妬”は、この烙印の効果で増幅された『わたし抱いた嫉妬心』だったのだろう。
ノアさんに抱いた微かな“嫉妬”はインヴィディアの烙印で増幅されて、明確な“殺意”へと歪められていた。
「いつの間にオリビアさんに“魔女の烙印”が……? ジブリール、ラムダさんを起こして!」
「な、何ですかこの騒ぎ……!? オリビア師匠、大丈夫ですか……?」
「ラナさん……! ごめんなさい……起こしてしまいましたね……」
わたしの背後に立って短剣を取り上げたジブリールさん、徐ろに起き上がって警戒を強めたノアさん、意識を取り戻してわたしを心配そうな表情で見つめるラナさん。
迂闊だった――――まさか自分でも気付かない内に敵の術中に嵌っていたなんて。もう少しで取り返しのつかない過ちを犯すところだった。
その事実に動揺して、わたしは恐怖でその場で震えるように身動ぎするしか出来なかった。
それが――――
「師匠……まさか私の“烙印”に抵抗するとは思ってなかったわ。流石は聖女の“器”ね……!」
「――――ラナさ……んッ!?」
「オリビアさん……? オリビアさん!!」
――――わたしの破滅に繋がるなんて想像も出来ずに。
わたしの腹部に突き立てられた短剣――――心配する素振りを見せてわたしに近付いて来たラナさんが修道服の懐に忍ばせていた凶刃による刺突。
シスター=ラナの右眼には“嫉妬の魔王”が刻んだと思われる烙印がある。その効果が如何なるものであるか、わたし達はしっかりと検証しなければならなかった。
それを怠ったが故の末路。
わたしの腹部から流れた鮮血が、わたしの辿る『結末』を示す。
刃の抜かれた傷口から溢れて純白のローブを朱く染める出血、右眼の烙印を光らせてわたしを見下すように笑うラナさん、異常事態に気付いて動き出すノアさんとジブリールさん、蹲るように倒れてしまったわたし。
「…………わたし……何を……!? なんでオリビア師匠を……わたし……!?」
「シスター=ラナ! オリビアさんから離れ――――」
「違うわ、ジブリール!! ラナちゃんの後ろよ――――インヴィディアが居るわ!!」
「――――っ!!」
そして――――ラナさんの後ろに、何処からか現れた焔と共に現れたのは“嫉妬の魔王”インヴィディア。
黒いローブで素顔を隠した燃える魔女の登場が、事態を更に悪化させていく。
「ご苦労さま、シスター=ラナ――――後は消し炭になって死んでも良いわ!」
「させません! 狐火!」
「コレット……さん……!」
「チッ! 貴様……イラの幼体か……!!」
騒ぎを聞き付けて現れたコレットさんが尻尾から撃ち出した炎で押し戻されるインヴィディア、すかさずラナさんをノアさんのいるベットへと放おり投げてわたしの盾になってくれたジブリールさん、そしてインヴィディアが構えた焔は床に落ちて部屋に広がっていく火の手。
禍々しく燃える紫色の焔が、瞬く間に空間を炎上させていく。
「受胎告知!! 消えなさい、嫉妬の魔王……!!」
「よくもラムダ様の婚約者を!! 覚悟しろ、この魔女が!!」
「フンッ、たかが玩具と“憤怒”の幼体風情が――――わたしを舐めるなァ!!」
「――――きゃあ!?」
「――――くっ、敵性個体、魔力上昇! 対象の脅威レベルを“SSS”と認識……!」
杖を手に飛び掛かったジブリールさんを撃ち出した焔で吹き飛ばし、コレットさんが放った炎をより強力な焔で掻き消して、“嫉妬の魔王”は瞬く間に場を制圧する。
ラムダ様以外では歯が立たない――――これが当代の魔王の実力。
完全に焔で包まれた部屋、焔の壁で身動きの取れなくなったノアさんやコレットさん、損傷を負ったジブリールさんは目の間の敵の強さに苦悶の表情を浮かべるしか出来ず。
インヴィディアの放った焔に囲まれたわたしは、ゆっくりと近付いて来る“嫉妬の魔王”の恐怖に怯える事しか出来なかった。
「うぅ……ゲホッ、ゲホッ……! ラ……ラムダ様……」
「絶望的状況下でまだ婚約者を想うか……素晴らしい“魂”ね……! 聖女たるあなたの“魂”を喰えれば、いよいよ我が悲願が果たされる……!!」
「…………悲願…………?」
「うふふっ……魔王としての完全覚醒――――あなたにはその生贄になってもらうわ、聖女オリビア……あの裏切り者のティオのように……!!」
わたしの頭部を踏み付けて高らかに笑うインヴィディア。その目的は『魔王としての完全な覚醒』――――その為にわたしの魂を喰らうつもりだと魔女は笑う。
抵抗しなければわたしは殺される。
けれど、今のわたしには抵抗をする余力は残っていない。
腹部の裂傷による激痛、出血で朦朧とする意識、周囲の焔に奪われていく魔力――――まだ治癒魔法を使えば傷は塞げる。けれど、目の前の魔王がそれを許さない。
「――――ぐっ、あぁぁぁああああ!?」
「や、止めてインヴィディア! オリビアさんが死んじゃう!!」
「殺すつもりだから問題ないわ、アーティファクトの少女。ふぅ……本来なら、この子に刻んだ烙印を使って操って『不確定因子』である貴女を始末して、精神的苦痛で放心したところを殺す予定だったのに……未来が変わってしまったようね……!!」
「【時の歯車“来”】による“未来観測”……! けど、“大多数”の未来しか観測出来ない……!!」
インヴィディアの翳した手に吸われるように放出されていくわたしの魔力、わたしの”魂“が消えゆく蝋燭の灯火のように奪われていく。
奪われた反抗の芽、掠れていく意識、そして走馬灯のように浮かび上がる愛しい人との思い出――――嫌だ、こんな所でまだ死ねない。まだ、わたしは何も成し遂げていない。
ラムダ様を誰よりも幸せにしなければ、わたしの『夢』は果たされない。
「遺言、聞いてあげるわ……! 愛しい婚約者に遺す言葉を私に告げなさい……!!」
「はぁ……はぁ……はぁ…………」
「貴女の犠牲は名誉ある“死”なのよ? 私の覚醒を祝うね……!!」
足で乱暴に蹴られて仰向けにされたわたしの視界に映るインヴィディアの姿――――顔は見えなくとも愉悦に歪んでいるのは容易に想像できる。
もう……助からない。
ノアさん達が必死になってわたしを助けようと焔の壁を払おうとしているけど、きっと間に合わない。
インヴィディアが翳した右手に輝く朱い“光”にわたしは胸を貫かれて死んで、魂が奪われるのだろう。
「ラ……ラムダ様……! あ……愛して……いま……す…………!」
「オリビアさん、諦めないで!! オリビアさん、オリビアさんッ!!」
左腕を天井へと掲げて、薬指に嵌められた指輪を焼き付けるように見つめる――――大枚を叩いて作ってくれた紫水晶の婚約指輪、ラムダ様がわたしに贈ってくれた大切な指輪。
あぁ、シータさん。
約束……守れなくてごめんなさい。
立派な騎士になったラムダ様を妻として支えるって誓ったのに、わたしはその約束を守れそうにありません。
そう思って、後悔を抱いた瞬間だった――――
「さようなら、オリビア=パルフェグラッセ……!!」
「――――殺せ、セイバービット……!!」
――――彼が現れたのは。
振りかざされた朱い“光”に死を覚悟した瞬間、わたしの囲んだ焔を切り裂いて現れた短剣。
突然の襲撃に咄嗟に飛び退いたインヴィディア。
「まさか……私が観た『未来』なら間に合わなかった筈……! やはりあの“刻の幻影”の干渉か……!!」
「ラム……ダ…………様…………」
「コレット、オリビアに活性化の焔を当てて治癒を促せ……! 俺は今からこの魔女を殺す……」
「は、はい……ラムダ様……」
そして、部屋を覆っていた焔を手にした聖剣の一振りで全て掻き消して、わたしを一瞥すること無く“嫉妬の魔王”へと歩んで行く愛しき人。
わたしを見ない理由なんて簡単だ――――彼の表情は、今まで見たどんな表情よりも怒りに満ちている。
その場に居た全員が恐怖に怯える程に。
「俺の大事な婚約者を手に掛けたな、インヴィディア?」
「なら、何かしら? こんな危険な場所に大切な婚約者を連れて来たマヌケな男が、私に責任を問うてるの?」
「黙れ……! 大切な人を傷付けられて、俺はいま冷静じゃ無い…………言葉は慎重に選べ、インヴィディア……」
激しく白い光を放つ白銀の鎧、荒々しく輝く光の翼、心臓のアーティファクトの影響か黒く滲んでいく髪の毛、わたしの愛した人の数ある二つ名の中にある畏怖の名に相応しき姿。
名を“傲慢の魔王”――――輝かしき栄光の騎士に隠された『もう一つの側面』。
「ラムダ=エンシェント……!! 我が計画を邪魔だてするな……!!」
「お前を殺す……! 覚悟しろ……インヴィディアーーーーッ!!」
怒りに染まった愛しき人の哀しき姿。




