第153話:集う罪人たち
「あなたの相手は……このわたし……!! ラムダ……エンシェント……!!」
「上等だ……! 引導を渡してやるぞ……ネクロヅマ!!」
翼を展開して上昇した俺を追うように、跨った病馬を駆りビルの壁を蹴っては跳ね、蹴っては跳ねを繰り返して迫りくるネクロヅマ。
逆光時間神殿【ヴェニ・クラス】から続いた死者たちの妻たる女の執念が、俺を逃すまいと牙を剥く。
「あなたが殺した“夫”は……わたしに寄り添い続けてくれた王の亡骸……! 不死者たるわたしに“魂”を捧げた……ただひとりの理解者……!」
「だったら何だ……? 殺し合いは世の常――――戦って、俺が勝って、お前の夫が死んだ……それだけだろ!!」
「ええ……そうよ……! だからわたしは復讐するの……あなたを殺して……永遠にわたしの人形にしてあげる……!!」
「お断りだ!」
視てるだけで吐き気をもよおすような青白い死の馬――――身体の至る部分が腐敗し、肉は削げ落ちて、至る所から白骨が顔を覗かせて、脚が霊体化した“病馬”。
口から涎と見間違うような夥しい量の蛆虫をばら撒きながら壁を蹴って飛び上がり突進する不気味な馬。
鳥肌が立ち喉元まで込み上げた不快感を懸命に抑えながら、俺は聖剣を振るって病馬の首を斬り飛ばしていく。
「いやーーッ、クラヴィスの姐さんの聖剣が〜〜ッ!? あんな穢らしい馬を斬っちゃ嫌〜〜!!」
「我儘言うな、e.l.f.……って、斬ったそばから首が復活している……!?」
「この病馬は……亡き“夫”の愛馬……そうそうの事では死なないわ……!!」
だが、やはり“死の冒涜者”の飼い慣らした馬なのだろう。斬り落とされた断面から不気味な肉塊が蠢いて再生していくネクロヅマの愛馬。
死せる病馬【ペイルライダー】――――かつてネクロヅマの影武者として【冒涜】を名乗っていた髑髏の老父が駆っていた愛馬にして、生者を黄泉へと誘う“死”を纏った騎馬。
そんな生理的嫌悪感を覚えるような不気味な生物が、この世の物とは思えないような霊気を纏って、言葉に出来ないような不快な嘶きを響かせて再び俺に襲いかかる。
「冥王の剣……【イザナギ】……!! さぁ……我が“夫”を殺めた“アーティファクトの騎士”の魂を喰らいなさい……!!」
「させるか、ネクロヅマ!!」
そして、病馬に跨がるネクロヅマも俺の命を狙い動き出す。
不死者の身体から溢れた魔力は巨大な女性の“影”になってネクロヅマをまるで鎧のように包み込み、その“影”の黒い手には半透明の透けるような大剣が一振り。
「うふふ……うふふふふ……羨ましい……いつか死ねるあなた達が羨ましい……! 死ね……死ね……死ね……!!」
「悪いが……俺はお前の醜い嫉妬に同情なんてしないぞ!!」
黒い“影”が振り下ろした大剣を聖剣で受け止めて、翼から射出した光弾で病馬を牽制しつつ、俺は少しずつ上昇してネクロヅマをノア達から引き離していく。
魔王軍最高幹部の一角を俺ひとりで相手取る。そうすれば下にいるノア達は十分な戦力でストルマリアと屍人の軍勢を相手どれる筈だと信じて。
それに、この時の為に用意した策もある。
「リリエット=ルージュ! ラムダ=エンシェントの名において命ずる――――斬り落とされた“翼”と“角”を蘇らせて【復讐】の力を行使せよ!!」
「――――御主人様の仰せのままに! ハァァァアアアアアア!!」
リリィへと送るは彼女の命握る俺からの“指命”。その使命を受けて、かつての“復讐者”は再びその災厄を目覚めさせる。
「これは……ルージュちゃんの失われた翼と“角”が……形成されていっているの!?」
「あぁ……感じる♡ あの時の力……あの時の高揚……あの日、御主人様と相対した時の――――魔王軍最高幹部【大罪】としてあった私の力がッ!!」
リリィのピンク色の魔力によって形成されていく失われた右の二枚の翼と、斬り落とされた左側頭部の二本の“角”――――彼女が忠誠を誓う俺から賜った精液を魔力として変換する事で行使できる特殊スキル。
かつての魔王軍最高幹部【大罪】として猛威を振るった『人間への復讐者』、【復讐】の罪を背負った者としての全盛期の姿。
四枚の翼で宙を舞い、四本の“角”で見る者に畏怖を与え、鋭く尖った牙で血を啜り、淫靡に動く尻尾で相手の生命を喰らう悪鬼。
「アハハ……アッハハハハハ!! 我が名は【吸血淫魔】リリエット=ルージュ――――ラムダ=エンシェント様に仕える忠実なる下僕……!!」
「…………なるほど、主の許可を得て失われた力を取り戻したのね……!!」
「もう足手まといにはならないわ! さぁ、今宵は人間を守る為に……私は戦いましょう!!」
失われた力を取り戻したリリィは稲妻のような速度でストルマリアへと飛び掛かって行く。
魔力を纏いピンク色に輝く手刀を突き出すリリィと、それを聖槍の刃で受け止めるストルマリア――――かつての同士、魔王グラトニスの下僕たちによる苛烈な一騎討ち。
黒い稲妻を迸らせながら睨み合う淫魔とダークエルフは不敵に笑い合う。
「くすくす……私に勝てると思っているの、リリエット=ルージュちゃん? いくらイキっても、貴女は所詮ガンドルフを搦手で出し抜いて【大罪】に滑り込めただけの末席なのよ?」
「ええ、勝つわ……! 今の私はあなたが知る憎悪に燃えた“復讐者”じゃないもの……! 今の私は……大好きな仲間たちを守りたいだけの“守護者”と知りなさい!!」
リリエット=ルージュを見くびったストルマリアと、堕ちた勇者に啖呵を切る淫魔。
吸血淫魔はどんなに蔑まれようとも己のが意志を貫いて笑う。
あの日、冒険者になったばかりの俺が対峙した実力違いの猛者の姿…………けれど、今の彼女の姿に畏怖は無く、ただ誇りと信念のみが溢れていて。
かつて俺と死闘を演じたリリエット=ルージュは全盛期の姿を超えて復活を果たしたのだ。
「御主人様の邪魔をするなら痛い目を見てもらうわ、エイダ=ストルマリア!! 固有スキル【吸血搾精】発動――――血に染まれ“八重椿”!!」
「くすくす……ではお手並み拝見……! 固有スキル発動――――【断罪の極光】!!」
距離を取って、広げた四枚の翼からピンク色に輝く光弾を連射したリリィと、ヒールの踵を地面に突き刺して光の壁を繰り出したストルマリア――――ふたりの妖艶な美女による魅惑の宴は切って落とされる。
エイダ=ストルマリアの固有スキル【断罪の極光】――――触れた対象を”消滅“させる光を操る魔法系統のスキル。
かつて高潔なる【勇者】だったストルマリアが操った悪を滅する力、その残滓。
そんな白く眩く輝く光を操って、手にした聖槍をくるくると回して、【凌辱】と恐れられたダークエルフは舌なめずりをする。
「うふふっ……滾っているわねぇ、ルージュちゃん♡ 以前よりも力に満ちているわ……!」
「エイダ=ストルマリア……あなたには何一つ凌辱なんてさせないわ……! 逆に私がめちゃめちゃにしてあげる……!!」
「まぁ、怖い怖い♡ やれるものなら……やってみなさい!!」
翼と尻尾、そして突き出した両腕から魔力による攻撃を絶やすことなく撃ち出すリリィと、その攻撃を光の壁で掻き消しながら少しずつ距離を詰めていくストルマリア。
いかに全盛期の姿を取り戻したとは言え、相対するストルマリアもまた魔王軍最高幹部【大罪】の一角だ。
できれば俺も彼女の加勢をしたいが――――
「よそ見なんていい度胸ね……ラムダ=エンシェント……!! 獲物を啄みなさい……死鳥ども……!!」
「これは……鳥系魔物のゾンビか……! e.l.f.、セイバービットで迎撃を!!」
「了解です、ご主人様! 行けー、セイバービット!」
――――俺は俺の方でネクロヅマの相手から手を離せない。
斬っても撃っても次から次へと湧いてくるゾンビ、何をしても再生する病馬、そして同じく不滅の存在たるネクロヅマ。
不意を突いて胸部の相転移砲を撃ち込んで病馬諸共消し飛ばしても、ものの数秒で復活するネクロヅマ。
「クソっ……! ゼクス兄さんが遺した【死への戒め】はメメントにしか効果は無いし……しつこい奴だ!!」
「くすくす……焦っているの? その通り……わたしは不死身……あなたが精根尽き果てて倒れるまで……一生粘着してあげる……♡」
恐らくは正攻法では倒せない相手。
ネクロヅマを倒すには彼女の持つ【不死身】の性質をなんとか突破しなければならない。
だが、悠長に考えている余裕は無い。
急がなければ俺が倒されるかも知れないし、ノア達が屍人に殺されるかも知れない。
「マスター! ミリアリアさんが!!」
「ジブリール……? アリアがどうしたんだ……?」
「…………リリエット=ルージュ…………」
そして、俺の不安は最悪の形で的中してしまった。
空中に舞うリリィの姿を見て青ざめた表情を浮かべるミリアリア――――そうだ、出立前のあの日、ミリアリアはリリィの姿に恐怖を抱いていた。
彼女が故郷を滅ぼした悪夢を観たと。
その悪夢で観たリリエット=ルージュの姿が今のリリィと重なってしまったのだろう。
戦場では一瞬の迷いが命取りになる。
今の怯えて立ち竦んだミリアリアなんて格好の獲物だ。
「しまった!? アリア、私のことなんて気にしないで!!」
「ミリアリア……? そう……あの子が次代の勇者なのね……!!」
「アリア!! ストルマリアがアリアを標的にした!! 急いで構えろーーッ!!」
「ラムダさん…………うわっ!?」
一瞬の動揺、一瞬の気の迷い――――リリィの姿に気を取られたミリアリアは目の前に現れたストルマリアへの対応を僅かに遅らせてしまった。
ストルマリアの槍による初撃こそなんとか凌いだものの、聖槍をくるりと回して下側に取り付けられた刃で手にしていた片手剣を弾き飛ばされたミリアリアは、ストルマリアに腹部を蹴られてその場に倒れてしまう。
「あぁ……あぁぁ……!!」
「情けない……それでも【勇者】なの? あの忌々しい“彼岸花の亡霊”に見初められた女なの?」
「嫌だ……僕は【勇者】なんて……やりたくなかった……」
「あらそう? 私もよ♡ けど諦めなさい……所詮、『運命』からは逃れられないのよ……!」
ミリアリアの危機を察知して瞬時に駆け出したリリィ。
だが、既に距離を縮めてしまったストルマリアの魔の手の方が早く、ミリアリアを殺めてしまうだろう。
「助けて……ラムダさん……助けて……!!」
「アリア……アリアーーーーッ!!」
「死になさい……未熟な勇者ちゃん……♡」
刺突によるトドメの為に構えたストルマリア、俺に助けを求めたミリアリア――――駄目だ、彼女だって殺させやしない。
けれど間に合わない。
ミリアリアの心臓目掛けて放たれたストルマリアの凶刃に誰もが勇者の“死”を覚悟した時だった――――
「――――お久しぶりね、ストルマリアお姉様……!」
「――――久しぶりね……トリニティ……!!」
――――彼女が現れたのは。
心臓目掛けて放たれたストルマリアの聖槍を受け止めたのは靭やかに刀身を輝かせた大太刀の刃。
そして、その大太刀を握るのは白金色のふわっとした長髪と青い瞳が印象的なエルフの聖女。その昔、同胞を斬り殺した“虐殺聖女”と恐れられた聖母が如き鬼神。
トトリ=トリニティ――――彼女の参戦は、この幻影未来都市【カル・テンポリス】に燻る“火種”を燃え上がらせる最後の“欠片”。