第151話:遠い彼方に消えた人を想う
「…………ん〜…………しまった…………寝てた……!」
「すぅ……すぅ……むにゃむにゃ……お兄ちゃん……うへへ……」
アウラと愛し合って、肌を重ねてからしばらくして、俺は不意に眼を覚まして辺りを見渡す。
まだ明るく燃える暖炉の炎、綺麗に整頓されてテーブルに重ねられた『不老不死』に関する書物、床に無造作に脱ぎ散らかされた俺の肌着とエルフ用の白い儀式装束、そして俺の隣でテーブルに突っ伏して眠るアウラの姿。
「毛布が掛かっている……? おかしいな……さっきまでそんなの無かったような……??」
気が付けばアウラの素肌を隠すように掛けられた茶色の毛布。眠りに落ちる前までは談話室には無かった筈の物が何故か存在している。
その理由は、ふと落とした視線の先、テーブルの上に置いてあった一枚のメモに書かれていた。
『屋上でお待ちしています。アスハより』
「もしかして……見られたのか……/// ちゃっかり散らかした跡も片付いてる…………悪いことしたなぁ……」
差出人はこの図書館の管理人であるアスハ――――火急の要件だろうと思った俺は慌てて衣服を身に纏って、アウラがまだ寝ているのを確認してから談話室を離れてアスハが待つ屋上へと急ぎ足で向かった。
〜〜数分後〜〜
「――――お待ちしていました、Mr.ラムダ」
「あの……毛布……ありがとう……///」
「まったく、貴重な書物を納めた図書館……ましてや『アウラ=アウリオン記念図書館』で他ならぬMs.アウラと色事に耽るなど……呆れた殿方ですねぇ……?」
「す、すみません……///」
夜が明けて、遥かに上の世界樹の葉の隙間から溢れた朝日に薄っすらと照らされた図書館の屋上で俺を待っていたのは、寒さよけのストールを首に巻いてマグカップに淹れた珈琲を啜りながら小言を口にしたアスハ。
やはり俺とアウラの情事をバッチリと観ていたようだ。談話室を汗や体液、アウラから流れた血で汚した事を怪訝そうに問い詰めるアスハの顔には“軽蔑”の色が強く出ていた。
まぁ……図書館の談話室でアウラとした行為は咎められても仕方がないので、平謝りするしかないのだが。
「まぁ、あなたとMs.アウラには励んで頂かないと私が困るのでいいのですが……///」
「…………どう言う意味??」
「…………この後、キリキリと働いて貰うと言う意味です……!」
「…………??」
何やら意味深な台詞を小っ恥ずかしそうに呟いて、視線を逸しながら珈琲の喉を鳴らしながら啜っていくアスハ。その姿に何故だか俺は強い『親近感』を感じていた。
何故だろうか?
好意でも、友情でも、憧れでも無い、もっと別な感情……だけど、それが俺には分からない。その感情の『名前』が俺には理解できなかった。
「それで……俺を呼んだ理由は? 駄弁りたい訳じゃないんだろ?」
「ええ……これは貴方にしか相談出来ない事です、Mr.ラムダ……」
けれど、そんな事を考えている余裕も無い。空になったマグカップを握ったまま俺の方を真剣な眼差しで見据えたハーフエルフの司書は静かに言葉を紡ぎ始める。
「貴方は、この街をどう思いますか?」
「――――端的に言えば……『不自然』だ……!」
「その根拠は?」
「文明が余りにも発展しすぎている。エルフ族には似つかわしくない……なんて見下す訳じゃないが、各国が未だに移動に『馬車』を使うようなご時世に『路面電車』も『自動車』もやり過ぎだ……!」
アスハの問い掛けはエルフ族の摩天楼【カル・テンポリス】について――――彼女の『この街をどう思うか?』の問いに俺は所感を正直に伝えた。
不自然…………やはりこの解答に落ち着く。
高度文明を誇った古代出身のノアから観ても相当高い技術水準でこの街は築かれている。あり得る筈が無い……ましてや自然との共存を求めているエルフ族がこんな機械式の大都会を良しとするとは考えられない。
だから、不自然だと俺は思ったのだ。
「……やはり……“刻の幻影”か…………」
「アスハ……?」
「いいえ……何でも……」
俺の考えに少しだけ苦虫を噛み潰したような表情をしたアスハ――――何かを残念がったような、少し寂しいそうな表情。
彼女のそんな顔を見ると、何故か心が無性に痛くなってしまう。今の俺には理解できない『感情』が茨のように精神に突き刺さる。
今はこの『感情』に意識を向けてはいけない。そう自分に強く言い聞かせて、何事も無いようにアスハの顔を見つめ続ける。
それしか俺には出来なかったから。
「では、次の質問です――――この街に巣食った“嫉妬の魔王”インヴィディア……貴方は誰が黒幕だと考えていますか?」
「ディアナ=インヴィーズ……エイダ=ストルマリア……トトリ=トリニティ……この内の誰かが“嫉妬の魔王”と内通している……」
「同意見ですね。流石はMr.ラムダ……」
「出来れば魔王軍幹部のストルマリアであって欲しいけど……それは俺の『願望』だな……忘れてくれ……」
次に語られた問い掛けは『誰が魔王インヴィディアと内通した黒幕』であるかについて。
エリスの証言通りなら300年前にトリニティ卿は同胞を皆殺しにして、それを勇者ストルマリアが食い止めた。そして、インヴィーズ総督の証言が正しければ、トリニティ卿が“嫉妬の魔王”の降臨に一枚噛んだ事になる。
但し、トトリ=トリニティを主犯とするならば、どうしても辻褄が合わない『事実』がある。
「300年前のエルフの里【アマレ】の壊滅には――――【死の商人】メメントが一枚噛んでいる……!」
「…………死の商人?? 誰ですか、その人物??」
「…………んっ? 知らない?? 裏社会の大物なんだけど……??」
「はて……う〜ん……この街では聞かない名前ですねぇ……」
「マジか……!? そう言えばあの死神、エルフの事を『価値なき魂』とか言って毛嫌いしていたな……この街には手を出していないのか……??」
あの忌まわしき死神、【死の商人】メメント――――デスサイズ卿の情報が正しければ、あの女は“嫉妬の魔王”の降臨の為にエルフの里【アマレ】に潜り込んでいたらしい。
だが、死神メメントとトリニティ卿には面識は無く、ふたりはアモーレムで初対面をしていた。
トリニティ卿が同胞を虐殺した動機は不明だが、少なくとも彼女と死神メメントとの繋がりは否定できる。
ともすれば――――
「一番怪しいのは――――ディアナ=インヴィーズ……!!」
「私も同じ意見です、Mr.ラムダ……!」
――――この事件の真の黒幕は『ディアナ=インヴィーズ』の可能性が濃厚になるだろう。
だが、まだ決めつけてはいけない。少なくとも、俺たちと面会した時、インヴィーズ総督に怪しい素振りは無かった。
唯一、気掛かりなのはトリニティ卿の討伐を願ったことぐらいだが、彼女がした事を考えれば致し方ないのかとも思ってしまう。
「だが、彼女を犯人と断定するには情報が足りない。もしかしたら『白』の可能性だってあり得る……」
「そこで我々がするべき行動は2つ――――街に潜む“嫉妬の魔王”をそのまま討つか、勇者ストルマリアもしくは聖女トリニティを捕縛して真実を吐かせる事!」
「アウラの再来と謳われた三姉妹を相手した大立ち回り……!」
「誰かが『嘘』をついている……! それを暴かなければ、我々は“嫉妬の魔王”に踊らされたままでしょう……!」
故に、行動は慎重に。
異質な文明水準を誇る【カル・テンポリス】の絡繰、300年前のエルフ族虐殺の真実、“嫉妬の魔王”の降臨を目論む黒幕、アーティファクトの狙う魔王軍、そして……全てを手のひらの上に乗せて観測するアスハ。
何もかもが“嘘偽”の上にできた虚構の街、幻影のように実体の無い未来都市【カル・テンポリス】。
誰ひとりとして“信用”してはいけない。
無論、目の前で微笑むアスハであっても。
「明日からのご予定はもうお決まりで?」
「第六師団、第十師団、第十一師団の3つに別れて東西南北の区画を捜索するつもり……」
「そうですか……では、私もご同行させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「…………良いけど、危ないよ?」
「危険は元より承知しておりますので、お気遣いなく……」
俺たちに同行を申し出たアスハ――――その真意は不明だが、彼女が近くに居るのは俺も都合がいい。
明日からの市街の探索には彼女にも付き添ってもらうことにしよう。
「話は以上です。お手数おかけしました、Mr.ラムダ。私は少し仮眠を取りますので、出発の時間になったら執務室に呼びに来てください……」
「なぁ、アスハ…………どうして俺たちに構うんだ? 部外者の筈だろ、俺たちは?」
「…………貴方を見ていると、遠い昔に亡くなったお父さんを思い出すからです……」
「…………」
最後に、その場から立ち去ろうとしたアスハに問い掛けた『なぜ俺に構うのか?』と言う質問に、アスハは“父親”の存在を口に出してきた。
遠い昔に亡くなった、ハーフエルフの少女の父親――――恐らくはその人物は『人間』だったのだろう。
エルフの妻とハーフエルフの娘を残して先立った父親。俺とアウラの関係の行き着く先……だから、俺はアスハに不思議な感情を抱いてしまったのかもしれない。
「好きだったの……お父さんのこと?」
「えぇ、とても。浮気グセが酷くて、彼方此方に女を作っているようなふしだらな人でしたけど……」
「グェ……!? 自分の事を言われているみたいだぁ……」
「けど……優しくて、強くて、娘の私がお母さんに嫉妬を覚えるような……そんな素敵なお父さんでした……」
「…………羨ましいな。俺の父親は最低な人だから……」
「ふふっ……お互いに困った父親をお持ちのようですね、Mr.ラムダ?」
「まったくだ……」
「あぁ、懐かしい……貴方を見ていると……生前のお父さんとの思い出が蘇ってくる……」
遠い昔、きっと俺が生まれるよりも前に亡くなったであろう父親の影を俺に重ねて、アスハは目に涙を浮かべる。
長い人生の数項だけに刻まれた『父親』との思い出を手探って呼び起こしていくアスハ。その姿は、とても儚げで、悲しそうで。
「…………もう寝ますね…………お休みなさい…………」
「おやすみ……アスハ……」
俺との時間は、彼女が遠い彼方へと旅立った父を思い出すことができる“幻影”のような時間なのだと……そう思ったのだった。




