第141話:嵐の前の静けさ
「リリィ、リリィ……! そろそろ起きないと……今日は作戦会議の為に一緒に王城に行くって約束してただろ?」
「う……う~ん……だって〜……御主人様のエッチ……激しかったんだもん〜♡」
「誘ったのはそっちだろ? まったく……だから今日は止めようって言ったのに……」
――――魔王グラトニスによるグランティアーゼ王国への宣戦布告から7日後、王都【シェルス・ポエナ】、ラムダ邸の寝室。
眠りから覚めた俺は隣で眠るリリィを起こしながら、ベットの周りに散らかった衣服に視線を向けていく。
「早く起きろ……! もうコレットとシリカが朝食を作ってる筈だ……!」
「いや~ん♡ 御主人様の股間のエッチな“聖剣”に討伐されて私もう立てない〜♡」
「この……! また角と翼を斬られたいみたいだな、リリエット=ルージュ……?」
「えへへ……♡ ごめんなさ〜い♡」
リリィとの情事に耽って、激しく求めあって、疲れて眠って、漸く起きた俺は衣服を拾い集めながら寝室のカーテンを開けて朝日を室内に呼び込めば、光に照らされて男女の営みの残骸が浮き彫りに。
脱ぎ散らかった衣服、シーツに付いた血痕、鼻につく媚臭、俺の身体中に出来た口づけの跡、ベットで横になる魅惑の美女の姿に、どことなく湧いてきた征服感に高揚を覚えながらも俺は気持ちを『男』から『騎士』へと切り替えていく。
「うぇ……朝日は苦手……!」
「吸血鬼の混血だからか?」
「うん〜……純血の吸血鬼であるお兄ちゃんなら平気なのにな~」
「アケディアス=ルージュ……“吸血王”か……」
朝日から隠れるように布団に潜ったリリィを尻目に、俺はクローゼットに仕舞っていた黒い肌着と黒いズボンを身に付けて身支度を整えて、ふと窓から見える景色に想いを馳せる。
窓から見えるは静まり返った王都の風景。
魔王グラトニスによる宣戦布告によって、王都の様子も激変してしまった。
街に住んでいた多くの貴族たちは安全を求めて王都から脱出し、代わりに街には各地で募った冒険者たちで溢れかえっていた。
魔王グラトニス討伐の義勇軍――――国王陛下が冒険者ギルドに大枚をはたいて雇った“傭兵”の枠組みに当たる者たちで、各地から招集された地方騎士団と併せて『グランティアーゼ王国軍』の名称で結成されるらしい。
ただし、義勇軍の構成員はあくまでも金で雇った者たち……陛下も完全には信用していないのか、あまり高待遇では無いらしい。
逃げたければ逃げろ。
ただし、報酬は無いと思え。
その程度の認識だそうだ。
故に、義勇軍の多くは王立騎士団の各師団預かりで、バラバラな志願者たちの連携に【王の剣】たちも苦労している。
幸いな事に、特殊任務につく俺たち第十一師団にはそう言った冒険者が居ないのは、経験の浅い俺からしたら救いのある話なのだが。
それはそれとして、特殊任務が気になってしまう。
恐らくは、アーティファクト絡みだろうが。
「う~ん……御主人様に注がれた精……うふふ……快感♡」
「例の話、本当なんだろうな?」
「えぇ、嘘はつきません♡ これで……私はも~っと御主人様のお役に立てます♡」
「実は子どもを身籠りましたは勘弁な?」
「うふふ……♡ それは今後のお楽しみ〜♡」
そんな事を考えつつ、未だにベットに寝そべり妖艶な仕草で俺を挑発するリリィを牽制して、身支度を整えた俺は寝室の扉に手を掛ける。
今日は王立騎士団の長達が一同に介しての作戦会議を行う日。いよいよ、戦争に向けた本格的な準備を進める日だ。
間もなく戦乱が始まる、その嵐の前の静けさに一抹の不安を感じつつ、俺はゆっくりとドアを開けていく。
「御主人様、先に降りてて〜♡ 私、先にシャワーを浴びるから〜♡」
「はいはい……先に行ってるからな~」
〜しばらくして〜
「すんすん……ラムダ様……リリィさんの匂いが残っていますよ?」
「オリビア……顔が怖い……」
「確かに……わたしは『わたしの目の届く範囲でなら女遊びに耽っても良い』と許可しましたが、他の女の匂いを付けたまま仕事に行くことは許しません! 朝食後は速やかにシャワーを浴びてくるように……!」
「…………はぁい」
「オリビアさん……もう正妻が板に付いている……!?」
「男性を甘やかすだけでは無く、手綱を握って時には厳しく導くのも優れた女性の努めですよ、ノアさん?」
「はぇ~……参考になるのだ〜……」
「優れた男性には、それを支える優れた女性が必要……むむむっ、これは価値観のアップデートが必要……」
「ラムダ様は適度に女性遊びをさせると精力的になり活力が向上しますが、羽目を外して堕落しないようにしっかりと管理しないと……」
ラムダ邸の食卓――――今までなら和気藹々としていた食事も、宣戦布告と共に神妙な面持ちの雰囲気を呈していた。
温かな料理を口に運ぶ俺たち、その全員が間もなく死地に赴くのだから。
「なぁ……オリビア……? お願いだから此処に残ってくれないか? 婚約者を戦地で死なせたら俺はオリビアの両親に顔向け出来ないよ……」
「嫌です……! 言ったでしょ? わたしはあなたを支えます。わたしは……地獄の果てまでラムダ様に寄り添います……!」
「諦めたら、お兄ちゃん? オリビアは梃子でも動かないと思うのだ……」
「はぁ……参ったなぁ……」
魔王軍の進軍開始まであと7日。
フレイムヘイズ卿から『英気を養う』ようにと貰ったささやかな休暇も、来たる戦乱を思うととてもじゃ無いが羽根休めにはならなかった。
寄宿舎に顔を出してアンジュたちと会議を重ね、各地から取り寄せた兵糧の備蓄に走り、アインス兄さんとツヴァイ姉さんに剣の稽古を付けてもらい、自宅で鍛錬に励み、ノアの延命に向けた勉学に励み、愛する人たちを抱いて眠りに落ちる。
休暇とは言えないような重労働が今の俺の現状だった。
「お待たせー♡ みんな、待ったかしら〜♡」
「リリィちゃん……」
「うふふ♡ これで私たち“竿姉妹”だね~、ノアにオリビア〜♡」
「もう……誂わないでください、リリィさん……」
「ぐぬぬ……羨ましいのだ……」
「御主人様の凶悪な“聖剣”……凄かったな〜♡ アウラも興味ある?」
「………………あるのだ///」
「まぁ下品/// 食事中に品の無い会話は止めなさい、リリィ!」
「あら~? もしかして……レティシアったら嫉妬してるの〜?」
「マスター……会話の収集がつきません。責任を取って頂けますか?」
「…………精進します」
「くふふふ♡ ほらほら、アリアも猥談に混ざりなよ〜♡ このムッツリスケベさん♡」
「あっ……リリ……エット=ルージュ……!! ひっ……来ないで!!」
「きゃ……アリア?」
そんな中で気丈に振る舞おうと努める乙女たち。
だが、ひとりだけ例外がいた。
ミリアリア=リリーレッド――――不意に後ろからリリィに抱きつかれた彼女は、青ざめた表情でリリィの腕を払い除けるとそのまま椅子から転げ落ちてしまう。
そしてそのまま、怯えた表情でリリィを見つめ、身体をガタガタと震わせながら尻もちをついて動けなくなっていた。
「あぁ……あぁぁ……! ごめんなさい……ごめんなさい……!!」
「アリア……大丈夫か?」
「ラムダさん……怖い……僕……怖いんだ……」
「……戦争がか?」
「みんなが僕を【勇者】だって囃し立てて、僕に魔王グラトニスを討てと言ってくる……怖い、怖い、怖い……うぅぅ……」
原因はミリアリアの職業にあった。
【勇者】――――彼岸より来たる厄災を討つ女神アーカーシャの代行者。
歴代の勇者はその全員が魔王を討伐したと伝説に残されている。事実、俺たちが出会った【勇者】クラヴィス=ユーステフィアも“強欲の魔王”アワリティアとの因縁があったからには、その伝説は真実なのだろう。
つまり、伝説になぞらえるならミリアリアは魔王グラトニスを討つことになる。故に、人々は彼女に『魔王討伐』の重責を掛けたのだろう。
ミリアリアの精神が、未だに未熟な事に気付きもしないで。
「アリア……ごめんなさい……私のしたこと……怖いんだね……」
「ミリアちゃん……あなたのご両親はちゃんと弔ったよ……泣かないで……」
「怖い……怖い……怖い……」
「アリア……俺が付いてるから……大丈夫……俺の側に居る時は【勇者】なんて重荷を気にするな……なっ?」
「…………うん」
席から離れて、怯えたミリアリアを抱き締めれば、彼女の『恐怖』が伝わってくる。
平和な村で育った少女に架せられた【勇者】の重責。ただ平穏を望んでいた少女にとってそれは『生き地獄』なのだろう。
騎士として育てられ、敵の命を殺める事を覚悟して歩んだ俺とは違う。彼女は殺し合いなど望んではいない。
剣を振るう度に、自分の心も斬りつけているような優しい心の持ち主だ。だから……無慈悲に命が奪われる戦争に人一倍“恐怖”を抱いているのだろう。
「ラムダさん……わたしに『勇気』をください……」
「嫌なら持たなくて良い……俺の影に隠れてて良い……無理に【勇者】を背負おうとして、『ミリアリア=リリーレッド』を見失うな……良いな?」
「…………うぅ……僕は……なんて弱いんだ……」
「弱くて良い……俺の側に居てくれたらそれで良いから……」
争いの中でミリアリアは故郷を滅ぼされ、その惨劇は彼女の中で大きな心の傷となった。
ラジアータ滅亡の実行犯だったリリエット=ルージュに怯えるのも無理はない。だから、リリィも口を噤んで顔を伏せるしか無かった。
その惨劇ですら“小さな火種”に過ぎず、その火種は遂に“戦争の大火”となって、ミリアリアはその火中に飛び込む事となる。
ミリアリア=リリーレッドの抱いた恐怖――――それは、平穏な人生を望んだ少女が歩む筈では無かった茨の道、その道中の“死”という茨の棘。
「僕は……【勇者】になんて……なりたくなかった……」
その言葉こそ、ミリアリアの儚き願い、もう取り戻すこと叶わぬ彼女の思い描いた『幸せ』の残骸だとも俺は気付かずに。
ただ、彼女を抱き締めて、せめて哀しみを忘れられるように……そっと唇を奪った。
今の俺には……それしか出来なかった。




