ミリアリアの記憶:踏み躙られたささやかな幸せ
「ミリアリア=リリーレッド――――職業……ゆ……【勇者】……!?」
「――――へっ?」
その瞬間、わたしのささやかな『幸せ』は脆くも崩れ去った。
ラジアータの小さな教会で受けた『神授の儀』でわたしに授けられたのは、【勇者】と呼ばれた“重荷”だった。
【勇者】――――彼岸より来たる厄災に対抗するべく、女神アーカーシャ様が遣わす者。しかし、いつしか伝承は曲解されて勇者は『厄災の引き金』と恐れられるようになった。
田舎育ちの無知なわたしでも知っている伝説。
「勇者……? ミリアちゃんが勇者じゃと……!?」
「そんな……勇者って……このグランティアーゼ王国に災いが起きるの……!?」
「あぁ……くわばらくわばら……ミリアちゃんが勇者とは……」
「ねぇ、待ってよ……! 僕は【勇者】なんかになりたくない!! なんでそんな顔で僕を睨むの……やめてよ……やめてったら!!」
「ミリアリア……貴様は『厄災の引き金』じゃったか……なんと恐ろしい……!!」
故に、わたしも恐れられた。
昨日まで仲良くしてくれていた夫妻はわたしを恐れ、昨日まで一緒に農作業に勤しんだおばさんはわたしを忌避し、わたしに優しくしてくれた村長は『ゴミ』を見るような眼でわたしを見放した。
誰もがわたしの門出を祝福せず、誰もがわたしの事を忌み嫌い、誰もがわたしが村から消え去るのを願っていた。
「まさかミリアが【勇者】とは……」
「どうします、あなた? やっぱり、ミリアをアーカーシャ教団に預けますか?」
「…………だな。このまま村に置けば皆に危険が及ぶやも知れん。ミリアには悪いけど……彼女にはこの村から去ってもらわないと……」
「…………ミリアに教団を訪ねるように言ってきます……」
そして、救いを求めて両親の所に戻ったわたしは……両親に捨てられる事を知った。
わたしの人生は、わたしの思い描いたささやかな『幸せ』は、無慈悲に壊れて散って行った。
平凡な家庭で育って、両親と同じ平凡な【農民】になって畑を耕して、いつか出会うごくごく普通な男性と結ばれて、どこにでも居そうな愛らしい子どもを産んで、何事も無く生きていく……そんなささやかで、でもとても温かな『幸せ』。
失う前に気付いていたのに、女神様はわたしからそんな小さな『幸せ』を奪っていった。
「さようなら、お父さん、お母さん……みんな、みんな……死んじゃえば良いんだ!!」
だから、そう悔し紛れに吐き捨てて、わたしはひっそりと村を後にした。冒険者になるんだと自分に言い聞かせて、惨めな自分を慰めて。
悔しい、悔しい、悔しい――――わたしの人生は、わたしの『幸せ』は、【勇者】なんて訳の分からない存在のせいで壊れてしまった。
嫌いだ、嫌いだ、嫌いだ……みんなみんな、大っ嫌いだ。
日が落ちる前に、雨合羽で姿を隠して村の外れから走り出して、わたしは闇雲に道なき道をひた走る。
「わたしが……婚約破棄……? あんなにも努力したのに……あんなにも勉強したのに……【神官】になっただけで……婚約破棄……? うふふ……うふふふふ……あっはははははは…………ふっ――――ふざけないでよッ!! ラムダ様……あぁ……あぁぁぁあああああ!!」
途中ですれ違った少女の慟哭も、森の中ですれ違った弱腰の騎士も、何も気にならない。
腹立たしい、腹立たしい、腹立たしい――――わたしから『幸せ』を奪った全てが憎らしい。
「死ね……死ね……死ね……!! みんな死んじゃえ! みんな殺されちゃえ!! みんなみーんな……居なくなっちゃえ!!」
わたしは勇ましく無い。
ただひたすらに呪詛を吐く、陰気な村娘だ。
でも、そうでもしないと、わたしは【勇者】の重荷に耐え切れなかった。
〜〜〜〜
『ねぇ? いい加減、運命を受け入れたらどう?』
だからだろうか、わたしは最近『夢』をよく観る。
毎夜毎夜、わたしは悪夢を観せられる。
少女の声が響いて、その光景が浮かび上がる度にわたしの心は壊れていく。
「いや……またこの光景……!? やめてよ、やめて!!」
『ウフフ♡ 人間を殺すのは愉しいわ!! ウフフ……アッハハハハハハ!!』
燃え盛る村で、お父さんを殺して、お母さんの血を啜った悪鬼――――四本の角と四枚の翼を生やした【吸血淫魔】リリエット=ルージュの悪夢。
わたしは彼女を許さない……でも、今は大切な仲間だ。
けれど、わたしは心の何処かで彼女を恐れている。
わたしの『みんな死んじゃえ』という我儘を聞き届けて、両親や村のみんなを殺したんじゃないかと怯えてしまう。
『死ね、死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね死ね!! 人間なんて……全て死んでしまえ!!』
「お父さん……お母さん……」
首の骨を折られて絶命した父、血を啜られてミイラになった母、その死体を見て満足げに笑うローブ姿の淫魔。
見たくない……見たくない……見たくない……そんなの見たくない。
『くすくす……あなたが願った破滅よ? ミリアリア=リリーレッド……新しい“彼岸花の勇者”さん?』
「うぅ……うぅぅ……違う……わたしのせいじゃない……わたしのせいじゃないの……!!」
『いいえ、あなたのせいよ……! あなたが願ったから、ラジアータは滅んだの……!』
燃え盛る村の光景を観たくなくて、蹲ってやり過ごそうとするわたしに笑いかけるひとりの少女。
村に自生していない筈の彼岸花を踏みしだき、憎悪に燃える朱い瞳をわたしに向けた、朱い髪の人形のような女の子。
わたしが観る悪夢の具現。
『あなたは【勇者】――――古代より続く、彼岸より来たる災いを討つ者。諦めて戦いなさい、ユーステフィアも、ストルマリアも、運命を受け入れて血に塗れたわ……! あなたは……いつまでラムダ様の影に隠れているの?』
「僕は……勇者になんて……なりたくない……!!」
『あはははは!! 無駄よ無駄! そんなの私が許さない!! 諦めなさい……運命を受け入れなさい……』
わたしの目の前で少女は愉快に踊り、わたしの周りに血に塗れた彼岸花は咲き誇る。
殺せ、殺せ、殺せと囁く。
あぁ……彼岸花は嫌いだ。
見ていると、気分が悪くなってくる。
『レッド、レッド♪ レッド・スパイダー・リリー♪ 返り血塗れの朱い彼岸花の勇者様〜♪ 戦って、殺して、奪って、躙って、犯して、嗤って〜♪ そしてみっともなく死になさい〜♪』
「助けて……お願い……わたしを助けて……」
『はぁ……穢い手で私に触るな……! 反吐が出る……』
「うぅ……うぅぅ……うぅぅぅぅぅ……!!」
『劣等感に塗れた憐れな子犬、ラムダ様の栄光を隠れ蓑に使命を忘れた愚か者……あなたに……ラムダ=エンシェントは相応しくないわ!!』
少女は笑いながらわたしが伸ばした手を蹴り飛ばして、わたしを絶望の淵へと叩き落とす。
『魔王グラトニス様の命令よ……殺すわ、勇者ミリアリア!! あははははは!!』
両親の亡骸を『ゴミ』のように捨てて淫魔は嗤う。
「やめて……やめて……もう止めてーーーーッ!!」
わたしを蝕む悪夢。
わたしを苛む【勇者】の使命。
ねぇ、ラムダさん。
お願い……わたしを助けて。
わたしは……【勇者】になんて、なりたくなかったの。
踏み躙られたささやかな幸せを……取り返して。
わたしは……ただありふれた……普通の女の子になりたかったの。




