第134話:約束の指輪
「あ~……やっと全員、寝静まったか……はぁ、なんで俺が酔っ払いの介護を……」
ラムダ邸、時刻は深夜――――パーティーで酔い潰れた来賓たちの介護を終えた俺は、宴の後片付けをコレットたちに頼み、バルコニーで夜風に当たろうと考えていた。
「…………オリビア!」
「ラムダ様……」
そして、バルコニーで出会ったのはオリビア――――縁に肘を置いて、遠くに見える月を彼女は眺めていた。
「大広間に居ないと思ったら、こんな所でどうしたんだ?」
「お酒の臭いは苦手で……少し夜風に当たっていました」
「なんだ、奇遇だな。俺と同じじゃないか」
「あら……! うふふ……そうですね♪」
どうやらオリビアも大広間に充満した酒気から逃げてきたらしい。
少し申し訳無さそうな表情をしていたオリビアだったが、俺も『同じ穴のムジナ』だと伝えると照れくさそうに笑ってくれた。
「…………となりに行っても良い?」
「どうぞ……王都の夜景、綺麗ですよ」
屋敷のバルコニーは広い――――けど、俺の足は自然とオリビアの左に進んでいた。
夜風に靡くオリビアの純白の髪をかき分けてバルコニーの縁に手を掛ければ、視界に広がるのは王都の夜景。
煌々と輝く街の街灯、月明かりに映える白亜の街並み、大きな池に反射して映るエトワール城の姿――――
「王都のお屋敷でラムダ様と一緒に住めるなんて夢みたい……」
――――その光景をオリビアは夢みたいだと嬉しそうに言った……俺にとっては王都の夜景よりも価値がある笑顔で嬉しそうに。
「ラムダ様……夢、叶えられましたね」
「…………オリビアたちが支えてくれたお陰だよ…………ありがとう……」
「……はい♡ わたし達が支えたお陰です♡」
「こんなにも早く王立騎士になれるなんて思ってもいなかった。あっ、そうだ……聴いてよオリビア、騎士団への最年少入団記録、俺の前は母さんだっんだ! セブンスコード卿に教えてもらったんだー!」
「まあ! ではラムダ様はシータさんを超えられたんですね♪」
「兄さんも姉さんも褒めてくれたんだ……ラムダは私たちの自慢の弟だって……」
「…………」
「…………ありがとう……オリビア……俺……オリビアとの約束……守ったよ……」
「はい……ラムダ様は立派な騎士になられました……」
幼い日の約束――――俺は騎士になって、オリビアは誰かを救う者になる。
ひとりの女性の“死”と引き換えに誓いあった約束、未来への渇望、叶えるべき『夢』――――そして、苦難の果て、数多の苦悩の先で、俺は『夢』を叶えて王立ダモクレス騎士団の騎士となった。
だから、俺はその喜びをオリビアと分かち合いたかったのだ。
「ふふっ……先、越されてしまいましたね♡」
「…………オリビア?」
「実は……ラムダ様に言わなくてはならない事が……」
けど、俺は浅はかだった。
俺は『夢』を叶えて浮かれていたけれど、オリビアはまだ『夢』に向かってひた走っている途中だと言うことに気付いていなかったのだ。
「わたし……“聖都”にあるアーカーシャ教団の総本山――――【デア・ウテルス大聖堂】から巡礼の許可を頂きました」
「巡礼って……まさか【聖女】になる為の『女神巡礼』の事!?」
「はい……わたしには聖女の資質があると王都の司祭様から推薦をいただきました……」
女神巡礼――――オリビア属する『アーカーシャ教団』における最も過酷な修行。
教団に席を置く【神官】が世界各地に点在する女神アーカーシャの聖堂をたったひとりで巡礼し、女神アーカーシャの“器”として覚醒する為の“祈りの旅路”。
その過酷な巡礼を乗り越え、女神アーカーシャに認められた者は【聖人】または【聖女】として教団から厚く重用されると聞く。
「凄いじゃないか、オリビア! もし【聖女】になれば君はグランティアーゼ王国の歴史に名を刻めるぞ!」
「そう……ですね……」
【聖人】または【聖女】――――ミリアリアやクラヴィスのような【勇者】が女神アーカーシャの“代行者”とするならば、この聖者たちは女神アーカーシャの“依代”とされている。
女神アーカーシャより授けられる“神託”を各地へと伝える伝達者――――それが、アーカーシャ教団の最高位の聖職者。
その聖なる者へと至る為の世界を回る孤独な旅、命を落とす者も少なくない死地への巡礼――――故に、祈りを終えて聖者へと至った者は国の“宝”として手厚く保護され、生涯に渡って何不自由ない生活を約束される。
そんな名誉に、オリビアも手を伸ばそうとしていた。
けれど――――
「オリビア……巡礼はいつからなの?」
「早ければ、明後日にも教団からの使者が来られるそうです……」
――――それは俺とオリビアの別れの時でもあった。
「明後日って、なんでそんな早く……!?」
「それは……ラムダ様と縁を切れと……言われていまして……じゃないと、教団を破門すると……」
「俺たちの関係がバレたのか……!?」
「申し訳ございません……せっかくの記念日に……こんな事……言いたく無かったのに……! でも、もうわたしには時間が無いのです……」
聖女に不祥事などあってはならない――――男女の関係とあらば尚更に。
オリビアに【聖女】の素質があると知ったアーカーシャ教団は、彼女を俺の元から引き剥がそうとしたらしい……オリビアの『夢』を人質にして。
「オリビア……本当に明後日になったら巡礼に行くのか? ラナが言っていた、近頃は世界各国で『聖女狩り』が横行してるって……もう少し待ってからでも……」
「狩りが横行しているからです……教団は各国の政治を女神アーカーシャの名の下に自由に動かせる聖人を欲している……」
「それが分かっていて行くのか!? 教団に良いように使われるって分かってて……行くのか……?」
「それでも……利用されるだけだって分かってても……わたしは苦しむ人達をひとりでも多く救いたい……それが、わたしの『夢』なんです!」
涙を浮かべながら、俺の右手を強く握り締めながらオリビアは『夢』を叫ぶ。
あの冬の日、オリビアは死に逝く母さんに何も出来なかった。そして、それを悔いて、誰をも救える者になりたいと強く願った。
それこそがオリビア=パルフェグラッセの『夢』――――まさしく【聖女】の器に相応しい慈愛の精神の持ち主。
「ラムダ様……ごめんなさい……! わたし……もう……あなたに顔向け出来ません……!」
「オリビア……」
「あなたの騎士団での活躍を支えれなくてごめんなさい……!」
オリビアは『夢』を追い求め、俺の手を放して、俺に背中を向けてこの場から立ち去ろうと歩き始める。
駄目だ……駄目だ、駄目だ、駄目だ!
行ってほしく無い――――このまま、オリビアの『夢』の為と彼女を見送ってしまったら、俺は一生後悔する。
『あ~ぁ、馬鹿だな~ラムダちゃんは……! こんな見え透いた女心も分かんねぇのか?』
『そうよそうよ、我が子ながら恥ずかしいわ! それでもわたしとアハトさんの隠し子なの!?』
『おめぇと親父の隠し子なのはこの話と関係なくね?』
俺の中の天使と悪魔が俺を責め立てる。
オリビアの心を俺が理解出来ていないと罵ってくる。
でも……分かっているさ、オリビアの気持ちは。
『パルフェグラッセのご令嬢は待っているんだぜ? じゃなきゃ、わざわざラムダちゃんと縁を切れって脅されているなんて口にしねぇさ!』
『そう言うことよ! オリビアちゃんは待っているのよ!』
『言ってやれ、テメェの身勝手に女を巻き込め! そして、幸せにしてやんな!』
『あなたが……オリビアちゃんの手を引いてあげなさい!』
オリビア……俺は君が好きだ。
だから、君を女神アーカーシャには渡さない。
「オリビア!」
「…………何でしょうか、ラムダ様?」
「――――渡したい物がある!」
「…………えっ?」
気付いた時、俺の右手はオリビアの手を取っていて、バルコニーから立ち去ろうとしていたオリビアを必死に引き止めていた。この機会を逃せば、俺はまた君に想いを伝えれなくなるから。
準備していた物がある――――王立ダモクレス騎士団に入団できた記念日に、オリビアに渡そうと思っていた物が。
こちらを振り向いてくれたオリビアの前に片膝をついて跪いて、意を決して俺は懐から小さな箱を取り出して彼女の前に差し出す。
「オリビア……これが俺の気持ちだ……!」
「紫水晶の指輪……まさか!?」
「――――婚約指輪。君の瞳の色と同じ宝石で作った特注品だ……受け取って欲しい……」
「……あぁ……あぁぁ……!!」
小さな箱の中に入っていたのは紫水晶をあしらった指輪――――王都の宝石店で見繕ってもらったオリビアへの捧げ物。
婚約者へと贈る誠意の証。
「オリビア……俺と結婚してくれ!」
「ラムダ様……!」
「俺たちの両親が勝手に決めた婚約は既に破棄された! だから、俺は自分の意志で、君に結婚を申し込む! ずっと俺の隣に居てくれ、オリビア!」
「…………っ!」
「正直に言うよ……始めて会った時からずっと好きだった! 母さんに根回しさせたのも、何度も食事会を開いたのも……全部、全部俺が仕組んだ事なんだ!!」
「…………」
「君を……心から愛している……」
珍しく狼狽えたオリビアに指輪を捧げながら、包み隠さずに自分の気持ちを彼女に告げる。
オリビア……君をアーカーシャに取られたくない。
「指輪を受け取って欲しい……オリビア……」
「――――ずるい」
「オリビア……」
「ずるい……ずるい、ずるい、ずるい! ラムダ様は騎士になる『夢』を叶えたのに、わたしには『夢』を諦めろって言うんですか!?」
けど、オリビアを独占したいこの気持ちは、俺の独善に他ならない。
婚約指輪を受け取れば、オリビアの【聖女】への『未来』は永遠に閉ざされる。
「責任は取る! 俺が誰よりもオリビアを幸せにする! だから……だから、俺だけの聖女になって欲しい……!」
「…………ラムダ様だけの……聖女…………」
それでも、たとえオリビアに卑怯な男だと罵られても、俺の側にいて欲しい。
「オリビア……」
「…………はぁ…………こんなにもずるい人に惚れたわたしの負けですね……」
「………………ッ!」
「指輪……わたしの指に嵌めてください、ラムダ様」
そして、オリビアはそんな俺の我儘を許してくれた。
呆れたようにため息をついて、それから優しく微笑んで、俺の掲げた指輪の前にオリビアの左手が差し出された。
それが、オリビアの『答え』――――
「わたしは……【聖女】オリビアでは無く、オリビア=エンシェントとして……あなたと共に歩んでいきます……ラムダ様」
――――【聖女】になる『夢』を諦めてまで、俺の伴侶になる事を選んでくれた彼女の覚悟だった。
俺の手で柔らかな左手の薬指に嵌められた紫水晶輝く婚約指輪――――紫色に輝く宝石を見つめて、オリビアの紫水晶のような紫色の瞳が潤んでいく。
あぁ、愛しき我が聖女よ――――俺を選んでくれて、俺を好きになってくれて、俺を愛してくれて……ありがとう。
「本当の事を言うと……あの日、シータさんの葬儀の日、わたしは『覚悟』を決めたんです――――あなたの妻として生きて、あなたを生涯支える事を。だから……【聖女】になれなくても、惜しくはありません……」
「覚悟……」
「申し訳ございません、ラムダ様……あなたを試してしまいました。去り行くわたしを見送るのか、手を取ってくれるのか……」
「ごめん……俺の身勝手でオリビアの『夢』を……」
「いいえ、わたしは……手を取って欲しかった。ラムダ様の居ない『わたしの人生』なんて、きっとつまらないもの……」
キスをして愛を確かめ合い、抱き合ってお互いの存在を確かめ合い、舌を絡めて想いを昂らせて、俺とオリビアはお互いを求め合う。
女神アーカーシャに純潔を捧げたオリビアの、その純潔すら俺は欲しい。
「オリビア……ベットに行こう……俺は君が欲しい……」
「あっ……♡ ラムダ様……」
「オリビア……我が妻よ、俺だけの聖女よ――――俺は女神アーカーシャから君を寝取る……」
「…………はい、覚悟は出来ています。わたしの純潔を奪って、わたしを女神から寝取ってください……あなた♡」
オリビアの実った身体を弄って、その柔らかな唇を貪りながら、俺は彼女を自室へと連れて行く。
そして、月明かりの白光に映えるオリビアの純白の神服を脱がして、ベットの上で俺たちは一糸纏わぬ姿で唇を重ねてさらに高揚していく。
もう止まらない、もう止めれない、もう止められない。
自分の心に抑えきれなくなったオリビアへの“愛情”は溢れ出し、自分でも自覚できる程の“欲望”へと変化していく。
君が欲しい。
オリビア=パルフェグラッセの全てが欲しい。
ただそれだけを考えて、俺は彼女と繋がりを求めていく。
「ラムダ様……女の眼は誤魔化せませんよ……ノアさんとエッチしたでしょ? あ~あ、ラムダ様の童貞、貰い損ねてしまいました……」
「うっ……!? バレてる……」
「それも……避妊もしなかったでしょ?」
「それは……その……ノアが大丈夫だって言ったから……///」
「…………鬼畜♡ ラムダ様ったら、夜は獣なのね?」
「…………嫌になった?」
「いいえ――――最高に昂ぶっています♡ ラムダ様……わたしも激しく愛してください♡ あなたの情熱も情欲も、全部わたしの中に吐き出してください♡」
この日、俺は王立騎士団の『騎士』となり、オリビアは再びラムダ=エンシェントの『婚約者』になり、俺とオリビアは夜の帳の下で一つになった。
君と出逢って四年―――――今日が、俺とオリビアの第二の出発。
「わたし……今日が今までの人生で一番、幸せです♡」
「残念……明日は今日よりも幸せにしてあげるよ、オリビア……!」
「約束ですよ? 破ったら……離婚しますからね♡」
俺を受け入れたオリビアの表情は官能的で、煽情的で、そして幸福そうで――――その顔を見るだけで俺の欲は高まって、彼女を激しく愛してしまった。
唯一、誤算だったのは――――
「や、止めろオリビア!! もう夜が明ける! いい加減に休ませてくれ!!」
「くすくす……だ~め♡ もっとも~っと、激しくしますね……ラムダ様♡」
「ひっ……た、助けてーーーーッ!!」
――――俺よりもオリビアの方が激しくて、ラムダ=エンシェントの無敗記録がオリビアにあっさり潰されてしまった事だろうか。




