第112話:明日の夜明け
「ノア……起きて、ノア……!」
「すぅ……すぅ……」
俺の腕に抱えられて眠るノアに語り掛ける。疲れて寝ているのだろうか……その寝顔はとても嬉しそうで、きっと素敵な『夢』を観ているのだろう。
でも、もうすぐ夜が明ける。
俺は……君と朝日が見たい。
「うぅ……あっ……ラムダさん……」
「おはよう、ノア……!」
俺の呼びかけに反応して、お姫様だっこをされて眠っていたノアが目を覚ます。
きれいに整った顔、白くなめらかな素肌、絹のようにさらさらと流れる銀色の長髪、零れた血のように朱い瞳、粗雑に扱えば簡単に壊れてしまいそうな硝子の少女――――ノア、俺が命を懸けて護りたいと思った少女。
そんな愛しい君は、ゆっくりと目を覚ます。
「私……確か……飲み込まれて……? そうだ、【光の化身】……あいつはどうなったの!?」
「倒したよ……観て、周りを……」
「…………光の……雪……?」
ボロボロの翼で宙に浮かぶ俺たちを包むのは【光の化身】から弾けた小さな光の結晶たち。
薄明かりの空に雪のように降り注ぐ光は、明日を迎える俺たちを祝福しているように幻想的な風景を演出していた。
「きれい……」
「あぁ……【光の化身】の“核”を斬ったから、形を保てなくなった“光”が溢れたんだろうな……」
「一緒に見れて……一緒に旅ができて……良かった……」
「ノア……」
「ラムダさん……好き……!」
「俺もだよ、ノア――――」
光の雪が降り注ぐ中で、地平線から登った『明日の夜明け』が戦い抜いた者たちを祝福する中で――――俺とノアは唇を重ねる。
ひんやりとした唇の感触、俺の首に回された少女の柔らかな腕、甘い花のような匂い……その全てが愛おしい。
あぁ、そうだ……俺は君の“騎士”として、君と共にどこまでも歩もう。ノア……我が愛しき人よ。
「夜明け……! うぅ……うぅぅぅ……!!」
「アウラ……!」
そして、地上に降りた俺の視界に映ったのは、朝日に目を向けて涙を流すアウラの姿。
何千年もの間、永遠の『今日』に縛り付けられたエルフの少女が、その呪縛から解き放たれた瞬間。
「――――おはよう、アウラ……!」
「うぅ……うあぁぁぁぁぁぁあん!!」
『クラヴィスの姐さん、観てますか? あなたが選んだ英雄は、あなたの心残りを見事晴らしてくれましたよ……!』
大声で泣き声をあげるアウラ――――それは『喜び』の涙、彼女が待ち焦がれた『明日の夜明け』が来た瞬間。
逆光時間神殿【ヴェニ・クラス】の怪物は倒さて、“時紡ぎの巫女”はその役目を終えた。もう、アウラは自由なんだ。
「頑張ったね、アウラ……!」
「ぐすっ……うん……! あたし……頑張ったのだ……!」
「ラムダーーッ!! 無事ーーーーッ!?」
「姉さん……!」
ノアに支えられてアウラの頭を撫でていた俺の元に駆け寄って来るツヴァイ姉さん。
傍らにはツェーネル、オリビア、コレット、ミリアリア、リリィ、レティシアの姿――――そして、ツェーネルの腕に抱えられたジブリール。
「ジブリール……! 待ってて、いま私が直してあげるから!」
「ノア様……ふふっ、幸せそうな顔ですね……」
「あっ……/// うん……私、とても幸せな『夢』を観ているの♪」
地面に下ろされたジブリールに駆け寄ったノアに天使は笑い掛ける――――その幸せを祝福して。
「ラムダ……良かった……無事で……良かった……!! あぁぁぁぁん!!」
「姉さん……ありがとう……!」
そして、俺を力いっぱいに抱き締めて号泣するツヴァイ姉さん……心配かけてごめん。
背中をさすって姉さんをあやしながら俺は心の底から感謝を伝える。ありがとう、ツヴァイ姉さん……俺を信じてくれて。
「凄いですわ、ラムダ卿! グランティアーゼ王国が何世代にも渡っても解決できなかった【逆光時間神殿】の“闇”を解決するなんて! あぁ……やはり貴方様は“英雄”……!」
「おおーーっ! 流石はコレットのご主人様です! これは私も鼻が高くつくですーー♪」
「あはは……! 買いかぶり過ぎだよ、みんな……」
「いいえ、ラムダ卿……貴方は紛れもなくグランティアーゼ王国を救った“英雄”です……! きっと、国王陛下から“勲章”が授与されるでしょう……もっと誇っても良いのですよ?」
「ツェーネルさんの言う通りですよ、ラムダ様! おめでとうございます♡」
長い旅の果てに掴んだ栄光――――そう、俺は『英雄』になった。
ノア……君に逢えたお陰で、俺は自分の想像を超えた路を歩んでいる。
本当に……ありがとう。
「何を……勝った気に……なっているの……? ラムダ……エンシェントーーーーッ!!」
「――――なっ、その声は……ネクロ!?」
「うわわ!? 地面から巨大な怪物の死骸が僕たちの目の前に……!?」
「あれは……グラトニス様が飼っていた伝説の魔獣の死骸……!? 私のぼんくら兄が餌やりを忘れて餓死させた可哀そうな魔獣!」
そんな勝利に湧く俺たちを襲うのは敵襲――――レイズを失った少女による復讐。
神殿よりも大きな魔獣の腐乱死骸に乗って現れたのはネクロと呼ばれた青い肌をした幼い少女の屍人。
周囲の草木を腐蝕させ、周囲に酷い悪臭を撒き散らしながら、ネクロは魔獣の頭蓋に乗って俺たちを見下す。その虚ろな瞳に灯るは“憎悪”の感情……愛するレイズを失った少女は、怒りに身を任せて最後の攻勢に打って出たのだ。
「レイズの骸骨爺が死んだのにまだ動けるの、あの幼女ゾンビ!?」
「リリエット=ルージュ……そう、あなたは知らないのね……わたしの正体……うふふ……あはは……あっはははははは!! 殺すわ……ラムダ=エンシェント……我が夫の恨み……今ここで!!」
「まずい……もう俺は禄に動けない……!」
「私も……もう無理……!」
地響きを鳴らして、唸り声をあげる醜悪な怪物――――だけど、俺も姉さんも魔力はとうに尽き、残った面々も既に疲弊している。
せっかく【光の化身】を倒したのに、まだ敵が残っていたなんて。
「おや……? もしかして……私は遅刻したのかな??」
「いいえ、定刻通りです。ツヴァイ卿の任務遂行が予定より早かっただけかと……」
「なるほど! 流石は私の“妹”だ! お兄ちゃんは嬉しいぞ♪」
「この声……まさか……!?」
「では、貴方の任務は『残党狩り』ですね――――アインス=エンシェント卿……!」
けれど、こちらにも“希望”は訪れる。
俺の耳に聴こえたのは覚えのある爽やかさを感じさせる懐かしい声――――現れるは風になびく金髪と翡翠のような透き通る碧い瞳、白銀に輝く騎士甲冑に身を包み、その背に純白の聖剣を携えた聖騎士。
「アインス……兄様……!!」
「よく頑張ったね、ツヴァイ……そして、ラムダ……! 後は――――私に任せなさい!」
「アインス……兄さん……!!」
彼の名はアインス=エンシェント――――グランティアーゼ王国で唯一の【聖騎士】。歴史上、ただ一人【勇者】以外で“聖剣”を所有することを許された王国最強の騎士。
俺がもっとも敬愛する――――偉大なる騎士にして、我が兄。
「まさか……アインス=エンシェント……?」
「聖剣……解放……! 祈れ――――救国の聖剣【ジャンヌ・ダルク】!!」
『了承……! 我が主よ――――私は祈りを捧げます』
俺とツヴァイ姉さんの頭を優しく撫でて、魔獣に跨ったネクロの前に立ちはだかったアインス兄さんは背に携えた聖剣を引き抜く。
救国の聖剣【ジャンヌ・ダルク】――――ノア曰く、古代文明にその名を刻んだ『聖処女』の名を冠した清廉なる乙女の剣。それを見た黒髪蒼瞳のメイド(※名前を出したくない)が『すっごー-い♡♡♡』と鼻息を荒くしながら一日中舐め回すように拝み倒していた程の至高の一振り。
そんな聖剣がアインス兄さんの声に答え、刀身が目視できない程に、朝日にも負けないぐらいの強い輝きを放ちながら……いま目覚める。
「祈れ聖なる乙女……これなるは救国の聖女の清らかな涙……祈りて言祝げ、祈りて救え――――我が主よ、私はこの身を世界へと捧げます……!」
天高く掲げられ、あふれる光、輝く聖剣――――あらゆる闇を打ち祓う聖なる光が死したる魔獣に向けられる。
グランティアーゼ王国の歴史に燦然と輝くその聖なる光の名は――――“聖なる乙女”。
「そんな……聞いてないわ……わたしが……魔王軍最高幹部の……【冒涜】の名を冠した……このわたしが……こんな失態を……!!」
「主よ、導きたまえ――――【聖なる乙女】!!」
「あぁ……きゃあぁああああああああ!?」
アインス兄さんが振り下ろした聖剣から放たれた光は眩い魔力の斬光となりて迸り、白銀の刀身よりあふれ出した聖なる光はあっという間にネクロの操る魔獣を飲み込んで、腐り墜ちた死骸を光へと還してて空に『希望の光』の柱を登らせていった。
「あの魔獣を……一撃で……!? これがディアス兄に唯一“傷”を負わせた“聖騎士”……!!」
「ん~~♪ 今日も【救国の乙女】の輝きは最高だね~~♪」
「あれが……ラムダさんのもう一人のお兄さん……! ツヴァイお義姉さんの“胃痛”と“頭痛”の原因……!」
鼻歌交じりに上機嫌で光の柱を眺めるアインス兄さん。
この子どものような屈託なき笑顔こそが聖騎士たる所以、そして……姉さんの胃をストレスでキリキリさせる天然すぎる男の在り方。
「さて……さっそくお兄ちゃんにご褒美の抱擁ちょうだい~ツヴァイ~~♡」
「……胃薬……」
「どうぞ胃薬です、ツヴァイ卿!」
「ツェーネルさんがスッと胃薬を姉さんに差し出してきた……」
そんなアインス兄さんの登場を以て、この逆光時間神殿【ヴェニ・クラス】で巻き起こった戦いは幕を閉じた。
アウラ=アウリオンの解放、ノアの出生の秘密を巡った戦いの終結。
ラムダ=エンシェントが名実ともにグランティアーゼ王国の『英雄』となった瞬間、そして……俺の新たな『領域』への足掛かりができた瞬間であった。




