第1072話:怒りを抱いて
「はーい、我が王〜、起きてくださ〜い」
「う、う〜ん……なぜ私だけこんな目に……」
――――“憤怒の魔王”イラは倒れ戦いは終わった。俺は壁に張り付いていたノアを回収し、次の階層に向かう為にエレベーターへと向かい始めていた。
俺に片脚を掴まれ、宙ぶらりんの状態になっているノアは、目をくるくる回しながら文句を垂れている。喋る元気があるので大丈夫だろう、と思いながら俺は歩いていた。
「それで我が騎士、イラさんは?」
「倒しました。ぐったり伸びてます……」
「ラムダ=エンシェント……」
「……失礼、起きたみたいです」
「あっ、我が騎士、手を離さな……んぎゃ!?」
エレベーターに向かって歩き出そうとした時、気絶していた筈のイラが立ち塞がった。俺はすぐにノアを地面に降ろし、武器を構えて身構えた。
イラはふらふらになりながらも、俺の行く手を阻むように立っている。まだ応戦の意志があると言うことだろう。
「目は覚めたか……コレット?」
「ええ、まぁ……気分は最悪ですけど〜……」
しかし、それは“憤怒の魔王”イラとしてではなく、イアの人格の“仮面”であるコレット=エピファネイアとしてだった。
憤怒の化身たる獣の王は鳴りを潜め、俺の目の前には見慣れたメイド服の狐少女が立っていた。殴られてご立腹なのか、表情はやや険しい。
「女性の顔を容赦なく殴るなんて……ラムダ様は鬼畜です〜。こう見えても私、エンシェント家のメイドとして身嗜みには気を遣っているのですが〜……」
「女を武器にするのは結構だが、文句は無しだ」
「まぁ、そうですね……あなた様に敵対した時点で、殴られる事も斬られる事も覚悟するべきですね……肝に銘じておきます〜」
コレットは『やれやれ』とため息交じりに諦めたような表情をしながら、他愛のない会話をし始めた。
敵対する意志は無いのだろう。その証拠に次の階層に向かう為のエレベーターはすでにドアを開いて俺たちを待っていたのだから。
「それで……何か言いたい事があるのか?」
「はい、もちろん……ラムダ様、あなた様の“憤怒”、たしかに見届けさせて頂きました。流石は“憤怒の魔王”を従えた主様……本物の私もさぞ鼻が高いでしょ〜」
「“憤怒の魔王”も納得か……なら良かった」
コレットが待ったを掛けたのは『結果』を伝えるため。戦いの最中、彼女は“憤怒の魔王”として俺を見定めていた。流石にそれぐらいは分かる。
そして、イラを打ち負かした事で俺はコレットの試練に合格したらしい。しかし、彼女はまだ俺に何かを伝えようとしていた。
「私が言うのもどうかと思いますが……理不尽な事、不条理な事、それらから大切な人を護る為に怒る事は間違いではございません。その“憤怒”はきっと正しい感情でしょう……」
「…………」
「強大な敵を前に怒る事を忘れてしまっては、怒る事を諦めてしまっては……人は理不尽や不条理を前に屈する飼い犬になってしまいます。どうかその怒りを忘れず、抱き続けてください」
「ああ、もちろんだ」
「だけど……決して“憤怒”の感情には飲み込まれぬように。怒りに身を任せるだけは、獣以下の怪物のする事だと、肝に銘じておいてください」
大切な人を護る為に、迫りくる理不尽や不条理に怒る事は決して間違いではない。だが、怒りに身を任せて己を見失ってはならない、そうコレットは警告している。
怒りを忘れ、怒る事を諦めた先にある虚しさを俺はすでに知っている。だからこれからも“憤怒”の激情を胸に灯して歩まねばならない。それは困難を極める獣道になるだろう。
「ラムダ様、気高き“狼”よ……あなた様は見事、“憤怒”の大罪を自らの“牙”へと変えました。私、コレット=エピファネイアはあなた様を認め、この先の道を譲ります」
「…………」
「そして、どうか心掛けてください……ここから先も、あなた様の人生には様々な理不尽と不条理が待ち構えています。決して屈する事なきように……祈っています」
メイド服の裾を摘んで拡げて、コレットは深々と頭を垂れて俺に敬服を示した。それは“憤怒の魔王”として俺を認めたという、彼女なりの最上位の敬意の表し方なのだろう。
コレットはそれ以上何も語らない。俺はノアと共に彼女の横をすり抜けて、上層階へと続くエレベーターへと向かい始めた。
「ご武運を……我が主」
最後に、俺の武運を祈る言葉を残して、“異聞”コレットは姿を消した。彼女はおそらく、“憤怒の魔王”として覚醒し、獣国ベスティアの王となったイラだったのだろう。
振り返って居なくなった彼女に少しだけ想いを馳せて、俺は再び歩き出した。
「戦闘中にイラさんが仰っていましたね……綺麗事では世界は回らないと。私はそうは思いません……それはきっと、何か歪なものが人々を邪魔をしているのです」
「…………」
「それを『綺麗事では世界は回らない、受け入れて賢く生きろ』と耳障りの良い言葉で煙に巻いているだけなのです。受け入れた自分は賢いのだと人々を錯覚させ、自覚させないままに飼い犬にしてね」
「…………」
「その言葉は本来、地に足をつけて生きる為の戒めだった筈なのに……いつしか世界の汚点をみて見ぬふりする為の都合の良い言葉になっていたのです」
ノアは戦いの最中にイラが言っていた事を引き合いに出して喋ってきた。綺麗事では世界は回らない、それは人々を騙して飼い犬にする為の言葉なのだと。
「獣国ベスティアでの出来事……ルリさんに全ての責任を押し付けたのだって、それは獣国ベスティアとグランティアーゼ王国の為政者たちの都合に過ぎません。それを間違っていると感じた貴方は決して間違っていません……」
「そうだと信じています……」
「そして、グランティアーゼ王国はその理不尽への制裁を加えられ、一度は滅亡の道を辿りました。理不尽や不条理はいずれ破滅を招きます……それを歴史は常に証明し続けてきました」
「古代文明の滅亡……もですか?」
「そう……かも知れませんね。古代文明を滅亡させた黒幕も……きっとあの時代の理不尽や不条理が生んだ“獣”だったのでしょう。そして、アーカーシャを創った私もきっと……」
理不尽や不条理は人々の怒りを生み、いずれは破滅を呼び寄せる。女神アーカーシャに粛清されたグランティアーゼ王国や古代文明がそうであったように。
そして、古代文明を滅ぼしたと目される黒幕もきっと、小さな“歪み”の積み重ねから生まれた怪物だったのだろうとノアは言った。女神アーカーシャを創った自分さえも。
「この“無限螺旋迷宮”を越えた先……アーカーシャが待つ最果てにきっと真実は眠っています。そこで全てを知って、私たちが抱いた怒りに決着を着けましょう、我が騎士よ」
「…………仰せのままに」
「その為にも“無限螺旋迷宮”の攻略を……トネリコとの決着を。彼女は私たちに抱いた“憤怒”の感情に……答えを出しましょう」
全ての答えは宇宙の果て、女神アーカーシャが待つ楽園に在る。そうノアも俺も確信していた。
そして、その答えの在る場所へと辿り着為に、俺たちはエレベーターへと乗り込んで、次のガーディアンが待つ上層階へと向かい始めるのだった。




