第1025話:いつかは終わる旅の果て
「…………」
――――“海洋自由都市”バル・リベルタス埠
頭、時刻は夜。作戦会議を終え、街に買い物に出ていた俺は埠頭から街の景色を見渡した。
埠頭には戦艦ラストアークが浮遊しながら堂々と停泊して衆目を集めており、ルチアやアンジュたち好戦的なメンバーが『見世物じゃねぇぞ』と睨みを利かせている。それを尻目に俺は“無限螺旋迷宮”ユグドラシル・シャフトを見あげていた。
「こちらにおいででしたか、ラムダ様」
「オリビア、それにコレットも……」
そんな俺に声を掛けたのはオリビアとコレットだった。コレットの優れた嗅覚で俺を見つけ出し、人混みをかい潜ってやって来たのだろう。コレットは両手いっぱいに買い物袋を携えている。
「さっきまで街でお買い物を〜……ノアさんに頼まれていたオリビア様の治療用の薬剤です〜! ふい〜……重いです〜」
「オリビアの治療……?」
「お忘れですか、ラムダ様〜? 女神アーカーシャが地上から撤退したので、オリビア様の眼の再生治療を始められるのですよ〜! これでオリビア様の視力も元通りになるです〜!」
「そうか……オリビアの眼を!」
「と言っても……結構大掛かりな治療になるらしいですけどね。わたしの両眼はすでに古傷になっているので、医療デッキに在るメディカル・マシンに入って一度両眼を敢えて傷付けて、読み取った遺伝子情報で両眼を再生させる……らしいので?」
どうやら女神アーカーシャを倒した事でオリビアの両眼の再生治療に着手できるようになったらしい。女神アーカーシャによる憑依対策としてわざと失明したオリビアが光を取り戻すのは喜ばしい事だ。
再生治療に関しては俺にはよく理屈が分からないが、ノアが主導で行なうなら大丈夫だろう。オリビアもノアの施術には不安は感じていないのか、確実に治る前提で話している。
「それで……ラムダ様は此処で何をなさっているのですか〜? “無限螺旋迷宮”の攻略に必要なアイテムの買い出しに行かれていた筈では〜?」
「あ、ああ……そうだけど……」
「その割には声に元気がありませんね……どうせセンチメンタルな気分になっていたのでしょう? ラムダ様はすぐに態度に出ますからね。そんなだからリヒターさんに本当の事を教えてもらってなかったんですよ」
「よ、余計なお世話だっての……」
「分かりますよ……ノアさんの事で悩んでいるのでしょう? ノアさんが自らを“神”として『機械仕掛けの神』に組み込むと宣言してから……ラムダ様、なんだか迷っているように感じましたので」
かくいう俺はオリビアの指摘通り、センチメンタルな気分になっていた。原因もオリビアの推察通り、ノアに関してだ。
ノアは自らを『機械仕掛けの神』に組み込む事で女神アーカーシャの代わりを果たそうとしている。しかし、それはノアが人間としては死を迎える事と同義だった。
「“無限螺旋迷宮”を攻略すれば……あとは女神アーカーシャの居る場所に向かってラストアークは飛び立つ。もうすぐ俺たちの旅は終わってしまうんだ……そう思うとなんだか落ち着かなくてさ」
「…………」
「旅が終われば……ノアは俺たちの前から居なくなる。正直、もっと一緒に居られると思ってた……せっかく天空大陸でさ、ノアの身体を治したのにさ。それに……せめてノアが出産するまでは時間の猶予があると思っていたんだ……」
旅が終わればノアは“神”として世界に召し上げられる。俺の前から姿を消してしまう。俺の“生まれた意味”が俺の前から去ってしまうのだ。
せめて出産する迄は時間の余裕があると思っていた。だけど、ノアが“神”になると決めたのはきっと妊娠の後なのだろう。だから俺はきっと油断していたのだと思う。
「それなら……ノア様が出産するまでは最終決戦は延期されては如何ですか? すでにアーカーシャ様は地上には降臨できない……それぐらいの時間の猶予はある筈です」
「そうですよ〜、ラムダ様〜!」
「それは……できない。もうこれは俺とノアだけの問題じゃないんだ。俺とノアの行動は……すでに世界を巻き込んでしまった。もう自分たちの都合では動けない」
「…………ラムダ様」
「いま……世界は混沌に包まれている。人々の道標たる“神”が不在だからだ。だから早くノアを座に就けないと……世界はもっと混沌に包まれる。それだけは避けないと……」
オリビアたちは最終決戦を遅らせればと言ってくれたが、もうそんな我儘は言ってられない。我儘を言うには……俺もノアも世界の“理”を変え過ぎた。
今も世界のあちこちで混乱と戦火が広がっている。女神アーカーシャという“神”を失った事で人々の間に不安が広がっている。それを諌める為に、ノアは一刻も早く『機械仕掛けの神』にならねばならない。
「ラムダ様はそれで良いのですか?」
「良い訳ないだろ! あ……ごめん……」
「……いいえ、お気になさらず」
「本当はそんなこと止めさせたい。だけど、俺は“ノアの騎士”だから……ノアの意志は尊重したいんだ。分かってる、矛盾している……ずっと胸が痛いんだ」
「ラムダ様〜……」
「けど、そうしないと……もう世界に対して責任を取れない。ノアだって分かってるんだ……だから彼女は『本当は生きたい』なんて言わない。最期までそれが使命だって言って、誇りと自信に満ちた表情をするには決まっている……」
「そうですね……わたしもそう思います」
「俺にだって責任がある……ノアを目覚めさせた責任が。だから我儘なんて言えない……俺は……俺は! ノアを……我が信仰の“神”を……全ての人々の“神”にせねばならない。それが俺の果たすべき責任なんだ……」
俺もノアもきっと本心では生存を望んでいる。それでも、世界を変えた責任を取らねばならない。それが俺たちの旅の帰結だ。
“神”の不在はあってはならない。
この世界には“神”はまだ必要だ。
もうノア=ラストアークという少女は『ラムダ=エンシェントだけの神』ではない。全ての人々に希望を観せる“神”ではなくてはならない。だから、これで良いんだと俺は自分に言い聞かせている。
「あとどれぐらい……ノアと一緒に居られるだろうか? “無限螺旋迷宮”を攻略して、“最果ての楽園”に向かって……そこでノアは本物の“神”になる。もう時間は残されていない……」
「「…………」」
「ギリギリまで諦めたくない……けれど、その時が来たらノアはきっと座に就く。それ俺は肯定しなければならない……それが“ノアの騎士”である俺の使命だ」
残された時間は……長くても十日も無いだろう。それまでに俺たちの旅は終わり、ノア=ラストアークの人生は終わる。それが俺たちの『物語』の終わりだ。
ギリギリまでノアを救う方法は考えるが、その時が来たら俺は迷ってはいけない。それが“ノアの騎士”として彼女に忠誠を誓った俺の使命なのだから。
「この事は……ノアには言わないでくれ。俺が迷っていると知ったら……ノアもきっと迷ってしまう。それは駄目だ……最期まで、彼女の旅は楽しいものでなければならない」
「ラムダ様……」
「悪いけど……今日は早めに寝させてもらうよ。夜の相手はしてやれそうにない……最後の戦いが終わるまでは我慢してくれ。大丈夫……きっと大丈夫だから」
悲しげな表情をしているオリビアとコレットを見て我慢できなくなったのか、俺は自分の表情を見せずに彼女たちの前から足早に立ち去ってしまった。
日が明ければ、いよいよ“無限螺旋迷宮”ユグドラシル・シャフトの攻略が始まる。それはきっと……ノアと挑む最後の迷宮攻略になるだろうと、俺は確信していたのだった。




